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孤独な屋敷の主人について
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◇
「兄は?」
屋敷の門を潜り抜け、胡桃色の髪を揺らしながら颯爽と現れた男に私は身を強張らせる。庭の枯れ葉を掃いていたほうきを放り投げ、彼に深々とお辞儀をした。男はお疲れ様、と言葉を漏らし、もう一度「兄は?」と続けた。私は急足で屋敷へ戻り、一室へ案内する。赤錆色をした扉を開けると、窓からこぼれ落ちる太陽光に頬を照らしながら鍵盤を弾くカルベルがそこに居た。部屋にこだまするピアノの音が、鼓膜を緩やかに撫でる。
此処です、と目で男に合図すると同時に、カルベルが顔を上げる。視点が合わないもののこちらを見ている瞳が緩やかに彷徨っている。
「……レジュー? どうしたの?」
「カルベル様。来客です」
簡潔に言葉を残すとカルベルは察したのか、鍵盤から指を下ろした。同時に、カルベルの弟────フォールが足早にピアノへ近づく。足音に反応したカルベルが彼を見上げ、穏やかに笑った。
「こんにちは、無口くん」
その問いに答えるが如く、フォールがその頬を撫でた。そのまま彼へ近づき、口付けを交わす。私はその様子を横目で確認した後、すぐさま部屋から出てドアの前で待機した。
「んっ……、ぁ、はぁっ」
隙間から彼らの姿を確認する。首筋へ唇を寄せたフォールはカルベルを抱きあげ、そのまま部屋の床へ寝かせる。まるで宝石を扱うが如く丁寧に服を脱がせ、何度も首筋へ吸い付いていた。
◇
カルベルの弟であり、イズエの息子であるフォールはレガ王国の王子である。カルベルとフォールは数歳年齢が離れているが、体格はフォールの方が逞しく、彼と比べるとカルベルはとても貧相に見えた。
フォールがこの屋敷に訪れたのは、彼がまだ幼い頃だった。父であるイズエと共に此処へ出向き、弟へ見せつけるように兄を披露した。
彼がお前の兄だ。そうイズエに告げられたフォールは困惑していた。自分に兄がいると告げられていなかったのだろう。そしてカルベルもまた、弟がいると知らなかったらしい。カルベルは花が咲いたように笑い、フォールへ手を伸ばした。
握手はしてもいい。だが、あまり触りすぎるなよ。めくらがうつる。イズエはそう嫌味っぽく告げ、兄弟の繋いでいた手を解いた。
ひどい父親だと思った。うつるわけないだろうと声を大にして言いたかった。けれど、幼い二人はその言葉が理解できていない様子だったし、何より使用人の私が反抗してしまえば首が飛ぶに違いない。(解雇される方ではなく、物理的に首が飛ぶという意味だ。イズエはそれほど恐ろしい男なのである)
その後、頻繁にイズエはフォールを連れてこの屋敷へ訪れていた。理由は簡単だ。弟の前で出来損ないの兄を蔑む。フォールはこの幼さで周りから期待されているのだ。それなのにお前ときたら。そう兄へ告げ、弟の自尊心を高める。それがイズエの目的だったのだろう。
しかし、フォールは父の思惑とは違った方向へ進んでしまった。フォールは目に見えて分かるほど、兄に対して歪んだ感情を孕んでいた。
父からの暴言を受けるたびに、すごいねフォールは、と悲しげに微笑むカルベル。そんな兄を見て、なんとも言えない表情を見せるフォール。兄弟の起伏に気がつけない父。
異変に気がついているのは、私だけだった。
目の見えない兄を見つめるその視線には、不気味なまでの熱が孕まれていた。しかし、私は見て見ぬふりをした。どうせ、こんな茶番もいずれ終わる。フォールが女を知り、兄と自分は住む世界が違うのだと悟れば、この歪んだ認識は正されると思った。
そんなある日、フォールが屋敷に訪ねてきた。彼は一人で馬に乗り遠出が出来るほどの年齢になっており、カルベルの体格をゆうに越していた。
「兄は?」
出迎えた私へ、彼がそう尋ねる。私は初めて単独で訪れた彼に困惑しつつ、用事を聞いた。しかし、彼は答えない。その表情は何処か恐怖を覚える形相をしており、私は本能的に彼とカルベルを会わせてはいけないと思った。
「兄は?」
彼がもう一度、問う。自室にいらっしゃいます。と答えた私の肩を押し退け、自室がある二階へ駆け上がった。その後を必死になって追う。ご用件は。私が主人にお伝えします。王子、お待ちを。なるべく彼の神経を逆撫でさせぬようにと言葉を並べたが、彼は聞き入れなかった。
二階へ上がった彼はどっち? と私へ問う。その目が恐ろしく、私は唇を噛み締めてカルベルの自室方向へ指を差した。
「突き当たりの部屋に主人がいます……王子、一体どうしたのですか。何があったので────」
「今から、君にはあることをしてもらう。いいね?」
スタスタと自室の方向へ歩むフォールの背中を追う。無機質なヒール音が廊下に響いた。
「……なんでしょう?」
とんでもなく、嫌な予感がしていた。彼が何をするのか、見当もつかない。けれど、とても……とても、嫌な予感がしていた。
私は跳ねる心臓を抑えるため深呼吸を繰り返す。突き当たりの部屋────カルベルの自室へ辿り着いたフォールが振り返った。
「兄は?」
屋敷の門を潜り抜け、胡桃色の髪を揺らしながら颯爽と現れた男に私は身を強張らせる。庭の枯れ葉を掃いていたほうきを放り投げ、彼に深々とお辞儀をした。男はお疲れ様、と言葉を漏らし、もう一度「兄は?」と続けた。私は急足で屋敷へ戻り、一室へ案内する。赤錆色をした扉を開けると、窓からこぼれ落ちる太陽光に頬を照らしながら鍵盤を弾くカルベルがそこに居た。部屋にこだまするピアノの音が、鼓膜を緩やかに撫でる。
此処です、と目で男に合図すると同時に、カルベルが顔を上げる。視点が合わないもののこちらを見ている瞳が緩やかに彷徨っている。
「……レジュー? どうしたの?」
「カルベル様。来客です」
簡潔に言葉を残すとカルベルは察したのか、鍵盤から指を下ろした。同時に、カルベルの弟────フォールが足早にピアノへ近づく。足音に反応したカルベルが彼を見上げ、穏やかに笑った。
「こんにちは、無口くん」
その問いに答えるが如く、フォールがその頬を撫でた。そのまま彼へ近づき、口付けを交わす。私はその様子を横目で確認した後、すぐさま部屋から出てドアの前で待機した。
「んっ……、ぁ、はぁっ」
隙間から彼らの姿を確認する。首筋へ唇を寄せたフォールはカルベルを抱きあげ、そのまま部屋の床へ寝かせる。まるで宝石を扱うが如く丁寧に服を脱がせ、何度も首筋へ吸い付いていた。
◇
カルベルの弟であり、イズエの息子であるフォールはレガ王国の王子である。カルベルとフォールは数歳年齢が離れているが、体格はフォールの方が逞しく、彼と比べるとカルベルはとても貧相に見えた。
フォールがこの屋敷に訪れたのは、彼がまだ幼い頃だった。父であるイズエと共に此処へ出向き、弟へ見せつけるように兄を披露した。
彼がお前の兄だ。そうイズエに告げられたフォールは困惑していた。自分に兄がいると告げられていなかったのだろう。そしてカルベルもまた、弟がいると知らなかったらしい。カルベルは花が咲いたように笑い、フォールへ手を伸ばした。
握手はしてもいい。だが、あまり触りすぎるなよ。めくらがうつる。イズエはそう嫌味っぽく告げ、兄弟の繋いでいた手を解いた。
ひどい父親だと思った。うつるわけないだろうと声を大にして言いたかった。けれど、幼い二人はその言葉が理解できていない様子だったし、何より使用人の私が反抗してしまえば首が飛ぶに違いない。(解雇される方ではなく、物理的に首が飛ぶという意味だ。イズエはそれほど恐ろしい男なのである)
その後、頻繁にイズエはフォールを連れてこの屋敷へ訪れていた。理由は簡単だ。弟の前で出来損ないの兄を蔑む。フォールはこの幼さで周りから期待されているのだ。それなのにお前ときたら。そう兄へ告げ、弟の自尊心を高める。それがイズエの目的だったのだろう。
しかし、フォールは父の思惑とは違った方向へ進んでしまった。フォールは目に見えて分かるほど、兄に対して歪んだ感情を孕んでいた。
父からの暴言を受けるたびに、すごいねフォールは、と悲しげに微笑むカルベル。そんな兄を見て、なんとも言えない表情を見せるフォール。兄弟の起伏に気がつけない父。
異変に気がついているのは、私だけだった。
目の見えない兄を見つめるその視線には、不気味なまでの熱が孕まれていた。しかし、私は見て見ぬふりをした。どうせ、こんな茶番もいずれ終わる。フォールが女を知り、兄と自分は住む世界が違うのだと悟れば、この歪んだ認識は正されると思った。
そんなある日、フォールが屋敷に訪ねてきた。彼は一人で馬に乗り遠出が出来るほどの年齢になっており、カルベルの体格をゆうに越していた。
「兄は?」
出迎えた私へ、彼がそう尋ねる。私は初めて単独で訪れた彼に困惑しつつ、用事を聞いた。しかし、彼は答えない。その表情は何処か恐怖を覚える形相をしており、私は本能的に彼とカルベルを会わせてはいけないと思った。
「兄は?」
彼がもう一度、問う。自室にいらっしゃいます。と答えた私の肩を押し退け、自室がある二階へ駆け上がった。その後を必死になって追う。ご用件は。私が主人にお伝えします。王子、お待ちを。なるべく彼の神経を逆撫でさせぬようにと言葉を並べたが、彼は聞き入れなかった。
二階へ上がった彼はどっち? と私へ問う。その目が恐ろしく、私は唇を噛み締めてカルベルの自室方向へ指を差した。
「突き当たりの部屋に主人がいます……王子、一体どうしたのですか。何があったので────」
「今から、君にはあることをしてもらう。いいね?」
スタスタと自室の方向へ歩むフォールの背中を追う。無機質なヒール音が廊下に響いた。
「……なんでしょう?」
とんでもなく、嫌な予感がしていた。彼が何をするのか、見当もつかない。けれど、とても……とても、嫌な予感がしていた。
私は跳ねる心臓を抑えるため深呼吸を繰り返す。突き当たりの部屋────カルベルの自室へ辿り着いたフォールが振り返った。
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