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命短し恋せよ男子
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目が覚める。酸素が一気に肺を支配し、大きく咳き込みながら上半身を起こした。唾液を垂らしながら、掠れた声で呼吸を繰り返す。全神経が覚醒し、徐々に視界がハッキリとし始めた。
────俺は、一体?
視線を下ろし、体を見る。先ほどまで痛みを帯びていた部分へ触れてみる。しかし、そこはまっさらな肌があるだけだ。傷ひとつない皮膚を撫で、息を吐き出す。
「ルイ!」
そういえば、ルイは? 俺は声を張り上げる。
同時に違和感を抱く。先ほどまで俺が居た、硝煙の匂いが漂う戦場は綺麗さっぱり消えていた。代わりに、レースで出来た天蓋カーテンが覆う柔らかいベッドの上に居た。辺りを見渡すと、まるでおとぎ話に出てくるような優雅な部屋が広がっている。天井には天使が戯れる絵が描かれており、思わず呆然と眺めた。
「なんだ、此処」。俺はひとりごちた。頭を抱え、状況を整理しようと脳みそをフル回転させる。
夢か? 夢なのか? 頬を指先で捻るが、ジワリとした痛みが広がるだけだった。
「ケイト様!」
バタンと部屋のドアが開く。そこにはルイが立っていた。ピシリと伸ばした背筋の彼は────所謂、執事服を着ていた。俺は興奮のあまり素っ頓狂な声を上げ、口元を押さえた。ルイは驚いたように目を見開き、部屋へ入ってくる。
「け、ケイト様?」
「す、すっごい、すっごい最高だよルイ」
黒々とした艶やかな服に、真白い手袋。ルイの中にある大人びた雰囲気を最大限に引き出すその衣装に、前のめりになる。勢いよくベッドから転がり落ち、彼の前に立った。
間近で見ると、彼はもっと美しかった。
「うわあ、うわぁ……最高だ、最高だよ、ルイ!」
「えぇっと……、ケイト様、だ、大丈夫ですか?」
上目遣いに見つめられ、グッと喉の奥が絞まる。頬が染まり、額に汗が滲んだ。「ご主人様」。俺は無意識に口に出した。ルイが首を傾げる。
「……ご主人様って言ってくれ」
「はい、ご主人様」
「ひげぇ!」。俺は今までに出したことのないような歓喜の声を上げ、仰け反る。ご主人様、ご主人様。彼の声が脳内をリフレインする。何度も噛み砕き、全身に染み渡らせる。今まで摂取してきた何より栄養価が高いであろう言葉に、俺は無意識に喘いだ。
「はぁ、はぁ、ルイ……、めちゃくちゃ、良い……」
「ケイト様……あの、呼び方をご主人様に変えた方がよろしいでしょうか?」
「いや、いい。俺の心臓がもたない」
ケイト様呼びも大概だが、ご主人様呼びをされ続けると俺はきっと倒れてしまう。呼ばれたいという願望を押し殺し、彼の前で手を翳した。ルイは「左様でございますか」と、眉を下げ、困ったような笑みを浮かべる。
先ほどまで見ていた泥臭いルイも良かったが、いま目の前にいる優雅なルイも堪らない。
そこでやっと、俺は我に返る。ルイの執事姿に興奮しすぎて思わず意識から外していたが、先ほどまでいた世界と今の世界は、あまりにも違いすぎる。俺たちは確実に戦場を駆ける兵士だったし、戦に負けかけていた。銃弾が飛び交い、砲弾が舞い、血が飛び散る歪な空間。
打って変わって、ここはどうだ? 漂うのは穏やかな香の匂い。真白く柔らかいベッド。身につけている寝具は艶やかでシルクのような手触りだ。(俺はシルクとやらに詳しくない故、本当にそんな手触りかは断言できないが)
「ルイ……さっきまでいた戦場はどうなった? 俺たちは、助かったのか? 勝ったのか?」
ルイの方に手を置き、ガクガクと揺さぶる。彼はポカンと口を開き、やがて堪えきれないのか破顔した。肩を揺らしクツクツと笑う姿を見て、今度は俺がポカンと口を開いた。
「ケイト様。悪い夢でも見てたのでしょう? ふふ、大丈夫ですよ。夢は、夢です」
「ゆ、ゆめ?」
「ハイ。あなたは戦士ではなく貴族ですし、ここは戦場ではなくお屋敷でございます」
「さぁ。お顔を洗ってから、朝食へ向かいましょう」。ルイが扉を開け、頭を下げた。どうぞ、と促す彼をぼんやり眺め、唇を舐める。貴族? 屋敷? なんの話だ? 俺は混乱しながら部屋を出る。そこには、真っ赤な絨毯が引かれた長い廊下が続いている。窓から燦々とした太陽が差し込み、美しい廊下を照らしていた。高い天井を見上げ、いつか何かの媒体で見た宮殿を思い出す。「今日のケイト様はぼんやりなさってますね」。ルイが肩を竦め、困ったように笑った。その笑みに、つられて俺も頬を緩ませた。
目が覚める。酸素が一気に肺を支配し、大きく咳き込みながら上半身を起こした。唾液を垂らしながら、掠れた声で呼吸を繰り返す。全神経が覚醒し、徐々に視界がハッキリとし始めた。
────俺は、一体?
視線を下ろし、体を見る。先ほどまで痛みを帯びていた部分へ触れてみる。しかし、そこはまっさらな肌があるだけだ。傷ひとつない皮膚を撫で、息を吐き出す。
「ルイ!」
そういえば、ルイは? 俺は声を張り上げる。
同時に違和感を抱く。先ほどまで俺が居た、硝煙の匂いが漂う戦場は綺麗さっぱり消えていた。代わりに、レースで出来た天蓋カーテンが覆う柔らかいベッドの上に居た。辺りを見渡すと、まるでおとぎ話に出てくるような優雅な部屋が広がっている。天井には天使が戯れる絵が描かれており、思わず呆然と眺めた。
「なんだ、此処」。俺はひとりごちた。頭を抱え、状況を整理しようと脳みそをフル回転させる。
夢か? 夢なのか? 頬を指先で捻るが、ジワリとした痛みが広がるだけだった。
「ケイト様!」
バタンと部屋のドアが開く。そこにはルイが立っていた。ピシリと伸ばした背筋の彼は────所謂、執事服を着ていた。俺は興奮のあまり素っ頓狂な声を上げ、口元を押さえた。ルイは驚いたように目を見開き、部屋へ入ってくる。
「け、ケイト様?」
「す、すっごい、すっごい最高だよルイ」
黒々とした艶やかな服に、真白い手袋。ルイの中にある大人びた雰囲気を最大限に引き出すその衣装に、前のめりになる。勢いよくベッドから転がり落ち、彼の前に立った。
間近で見ると、彼はもっと美しかった。
「うわあ、うわぁ……最高だ、最高だよ、ルイ!」
「えぇっと……、ケイト様、だ、大丈夫ですか?」
上目遣いに見つめられ、グッと喉の奥が絞まる。頬が染まり、額に汗が滲んだ。「ご主人様」。俺は無意識に口に出した。ルイが首を傾げる。
「……ご主人様って言ってくれ」
「はい、ご主人様」
「ひげぇ!」。俺は今までに出したことのないような歓喜の声を上げ、仰け反る。ご主人様、ご主人様。彼の声が脳内をリフレインする。何度も噛み砕き、全身に染み渡らせる。今まで摂取してきた何より栄養価が高いであろう言葉に、俺は無意識に喘いだ。
「はぁ、はぁ、ルイ……、めちゃくちゃ、良い……」
「ケイト様……あの、呼び方をご主人様に変えた方がよろしいでしょうか?」
「いや、いい。俺の心臓がもたない」
ケイト様呼びも大概だが、ご主人様呼びをされ続けると俺はきっと倒れてしまう。呼ばれたいという願望を押し殺し、彼の前で手を翳した。ルイは「左様でございますか」と、眉を下げ、困ったような笑みを浮かべる。
先ほどまで見ていた泥臭いルイも良かったが、いま目の前にいる優雅なルイも堪らない。
そこでやっと、俺は我に返る。ルイの執事姿に興奮しすぎて思わず意識から外していたが、先ほどまでいた世界と今の世界は、あまりにも違いすぎる。俺たちは確実に戦場を駆ける兵士だったし、戦に負けかけていた。銃弾が飛び交い、砲弾が舞い、血が飛び散る歪な空間。
打って変わって、ここはどうだ? 漂うのは穏やかな香の匂い。真白く柔らかいベッド。身につけている寝具は艶やかでシルクのような手触りだ。(俺はシルクとやらに詳しくない故、本当にそんな手触りかは断言できないが)
「ルイ……さっきまでいた戦場はどうなった? 俺たちは、助かったのか? 勝ったのか?」
ルイの方に手を置き、ガクガクと揺さぶる。彼はポカンと口を開き、やがて堪えきれないのか破顔した。肩を揺らしクツクツと笑う姿を見て、今度は俺がポカンと口を開いた。
「ケイト様。悪い夢でも見てたのでしょう? ふふ、大丈夫ですよ。夢は、夢です」
「ゆ、ゆめ?」
「ハイ。あなたは戦士ではなく貴族ですし、ここは戦場ではなくお屋敷でございます」
「さぁ。お顔を洗ってから、朝食へ向かいましょう」。ルイが扉を開け、頭を下げた。どうぞ、と促す彼をぼんやり眺め、唇を舐める。貴族? 屋敷? なんの話だ? 俺は混乱しながら部屋を出る。そこには、真っ赤な絨毯が引かれた長い廊下が続いている。窓から燦々とした太陽が差し込み、美しい廊下を照らしていた。高い天井を見上げ、いつか何かの媒体で見た宮殿を思い出す。「今日のケイト様はぼんやりなさってますね」。ルイが肩を竦め、困ったように笑った。その笑みに、つられて俺も頬を緩ませた。
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