幼虫の育て方

中頭かなり

文字の大きさ
上 下
18 / 28
リドリーの話

8

しおりを挟む


 カーテンを開け放ち、朝日を浴びる。グンと背伸びをして、あくびをした。今日は待ちに待った休日だ。軽いストレッチをして、キッチンへ向かう。トーストを焼きながらコーヒーを落とした。香ばしい匂いが鼻腔を擽り、心地よさが全身を支配する。
 落ちたコーヒーをマグカップへ注ぎ、啜る。熱さが唇を撫でた。鋭い痛みが走り、眉を顰める。ふうふうと息を吹きかけ、その水面を揺らした。
 部屋の隅に置かれたデスクに向かい、椅子に腰を下ろす。パソコンを立ち上げ、頬杖をつきながら画面を見つめる。
 ベルコ。彼の名前が付いたファイル名のアイコンをクリックし、情報を眺めた。「ベルコって随分、成長が遅いね」。スニロの言葉が脳内でリフレインする。確かに、彼は成長が遅い。今まで担当してきた幼虫たちと比較すると、その差は歴然だ。ため息を殺し、目を瞑る。「ベルコは君と離れるのが嫌だから、無意識に成長を拒んでいるんじゃないかな?」。そんな理由で成長を遅らせることができるのだろうか。ふと、ベルコの顔を思い出す。不気味な顔が、どこか愛しく感じた。
 ────愛しく?
 ふと浮かんだ単語に寒気がした。かぶりを振り、平静を装う。愛しいわけない。気持ち悪いし、大嫌いだ。けれど……。
 瞬間、けたたましい音が部屋に響いた。ビクンと体を揺らし、マグカップ内のコーヒーを溢しそうになる。ベッドに放置されていた携帯端末を手に取り、画面を確認した。
 途端に、眉間に皺が寄るのが分かった。吐き出しそうになる大きなため息を、コーヒーと共に飲み込む。



 研究所の磨かれた廊下を小走りで駆けながら、急いで白衣を着る。転けそうになるのをなんとか耐えた。すれ違う研究員が不思議そうに見ている。好んで休暇に出勤している仕事熱心な人間だと思われているのだろうか。だとしたら心外だ。俺は嫌々この場に来ているのだ。
 研究室へ近づくたびに、怒号のような声が聞こえる。何事だと慌てて中へ入った。そこには暴れるベルコを抑える警護隊が居た。
 初めて見たベルコの姿に、俺は思わず悲鳴を上げる。
 
「べ、ベルコ! 何やってんだよ、お前は!」

 俺の姿を見るなり、ベルコが暴れるのを止めた。甘えるような鳴き声をあげ、こちらへ近づく。抱きしめて欲しそうに体へ擦り寄るベルコを、両手で受け止めた。先ほどまでの覇気を全く感じない彼と驚いている俺を交互に見た監視員が腰に手を当て、ため息を漏らす。

「よかったよ、リドリー。早めにきてくれて」

 監視員が俺の肩を叩いた。休日なのにすまないな、と苦笑いを漏らした彼は、甘えるベルコを見て頬を引き攣らせている。自分たちとの対応の違いに驚いているみたいだ。むしろ俺はこちらの姿しか馴染みがないので、先ほど見た光景に驚きを隠せない。

「な、なぁ。俺がいない時って、いつもコイツはあんな感じ……?」
「あぁ、そうだな。ま、知らなくても仕方がないよな。コイツ、リドリーの前ではデレデレだもんなぁ」

 「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。そう言い残し、監視員が場を後にする。静まり返った研究所内でベルコと二人きり放置され、俺はゆっくりと彼へ視線を遣った。ベルコはつぶらな目を伏せ、懐いてきている。
 彼が他者に対して凶暴だと、全く知らなかった自分の鈍感さに驚く。同時に、俺の前ではそう言う一面を表さなかったベルコに脱帽した。
 
「……ベルコ」

 俺の声に、彼が反応する。パッと顔を上げ、ちゅっと唇に吸い付いたベルコを無理やり剥がした。代わりに巨体に腕を回し、抱きしめる。

「俺のこと、好きか?」

 ポツリと呟くと、ベルコが奇妙な鳴き声をあげた。
 「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。監視員の声が脳内を巡った。「きっと、寂しいんだろうな」。────そう、彼は寂しいのだ。成虫になる恐怖と、俺と離れる喪失感。その二つに苛まれ、感情がぐちゃぐちゃになっているに違いない。

「成虫に、なりたくない?」

 体を離し、彼を見つめた。黒々とした瞳が、俺を射ている。何も返さないベルコの頭を撫でる。
 こんな蛆虫に愛情を注がれたところで、何も感じない。むしろ、気持ちが悪い。けれど、どうしようもない感情が沸々と湧き上がる。

「……成虫になっても、会いに行ってやるから」

 その頬(と思われる部分に)キスをする。むにっとした感覚を受け、最初に芽生えていた嫌悪感が薄れていることに気がついた。必死に服を脱がせようとするベルコを押し返し「俺は今日、休暇だったんだぞ」と唇を曲げる。それでも嬉しそうに懐くベルコにデコピンをお見舞いする。
 俺は、彼が大嫌いだ。けれど、ベルコと離れるのが少し寂しいと思ってしまったのは、また別のお話である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない

すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。 実の親子による禁断の関係です。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ヤバい薬、飲んじゃいました。

はちのす
BL
変な薬を飲んだら、皆が俺に惚れてしまった?!迫る無数の手を回避しながら元に戻るまで奮闘する話********イケメン(複数)×平凡※性描写は予告なく入ります。 作者の頭がおかしい短編です。IQを2にしてお読み下さい。 ※色々すっ飛ばしてイチャイチャさせたかったが為の産物です。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

処理中です...