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リドリーの話
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◇
カーテンを開け放ち、朝日を浴びる。グンと背伸びをして、あくびをした。今日は待ちに待った休日だ。軽いストレッチをして、キッチンへ向かう。トーストを焼きながらコーヒーを落とした。香ばしい匂いが鼻腔を擽り、心地よさが全身を支配する。
落ちたコーヒーをマグカップへ注ぎ、啜る。熱さが唇を撫でた。鋭い痛みが走り、眉を顰める。ふうふうと息を吹きかけ、その水面を揺らした。
部屋の隅に置かれたデスクに向かい、椅子に腰を下ろす。パソコンを立ち上げ、頬杖をつきながら画面を見つめる。
ベルコ。彼の名前が付いたファイル名のアイコンをクリックし、情報を眺めた。「ベルコって随分、成長が遅いね」。スニロの言葉が脳内でリフレインする。確かに、彼は成長が遅い。今まで担当してきた幼虫たちと比較すると、その差は歴然だ。ため息を殺し、目を瞑る。「ベルコは君と離れるのが嫌だから、無意識に成長を拒んでいるんじゃないかな?」。そんな理由で成長を遅らせることができるのだろうか。ふと、ベルコの顔を思い出す。不気味な顔が、どこか愛しく感じた。
────愛しく?
ふと浮かんだ単語に寒気がした。かぶりを振り、平静を装う。愛しいわけない。気持ち悪いし、大嫌いだ。けれど……。
瞬間、けたたましい音が部屋に響いた。ビクンと体を揺らし、マグカップ内のコーヒーを溢しそうになる。ベッドに放置されていた携帯端末を手に取り、画面を確認した。
途端に、眉間に皺が寄るのが分かった。吐き出しそうになる大きなため息を、コーヒーと共に飲み込む。
◇
研究所の磨かれた廊下を小走りで駆けながら、急いで白衣を着る。転けそうになるのをなんとか耐えた。すれ違う研究員が不思議そうに見ている。好んで休暇に出勤している仕事熱心な人間だと思われているのだろうか。だとしたら心外だ。俺は嫌々この場に来ているのだ。
研究室へ近づくたびに、怒号のような声が聞こえる。何事だと慌てて中へ入った。そこには暴れるベルコを抑える警護隊が居た。
初めて見たベルコの姿に、俺は思わず悲鳴を上げる。
「べ、ベルコ! 何やってんだよ、お前は!」
俺の姿を見るなり、ベルコが暴れるのを止めた。甘えるような鳴き声をあげ、こちらへ近づく。抱きしめて欲しそうに体へ擦り寄るベルコを、両手で受け止めた。先ほどまでの覇気を全く感じない彼と驚いている俺を交互に見た監視員が腰に手を当て、ため息を漏らす。
「よかったよ、リドリー。早めにきてくれて」
監視員が俺の肩を叩いた。休日なのにすまないな、と苦笑いを漏らした彼は、甘えるベルコを見て頬を引き攣らせている。自分たちとの対応の違いに驚いているみたいだ。むしろ俺はこちらの姿しか馴染みがないので、先ほど見た光景に驚きを隠せない。
「な、なぁ。俺がいない時って、いつもコイツはあんな感じ……?」
「あぁ、そうだな。ま、知らなくても仕方がないよな。コイツ、リドリーの前ではデレデレだもんなぁ」
「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。そう言い残し、監視員が場を後にする。静まり返った研究所内でベルコと二人きり放置され、俺はゆっくりと彼へ視線を遣った。ベルコはつぶらな目を伏せ、懐いてきている。
彼が他者に対して凶暴だと、全く知らなかった自分の鈍感さに驚く。同時に、俺の前ではそう言う一面を表さなかったベルコに脱帽した。
「……ベルコ」
俺の声に、彼が反応する。パッと顔を上げ、ちゅっと唇に吸い付いたベルコを無理やり剥がした。代わりに巨体に腕を回し、抱きしめる。
「俺のこと、好きか?」
ポツリと呟くと、ベルコが奇妙な鳴き声をあげた。
「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。監視員の声が脳内を巡った。「きっと、寂しいんだろうな」。────そう、彼は寂しいのだ。成虫になる恐怖と、俺と離れる喪失感。その二つに苛まれ、感情がぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「成虫に、なりたくない?」
体を離し、彼を見つめた。黒々とした瞳が、俺を射ている。何も返さないベルコの頭を撫でる。
こんな蛆虫に愛情を注がれたところで、何も感じない。むしろ、気持ちが悪い。けれど、どうしようもない感情が沸々と湧き上がる。
「……成虫になっても、会いに行ってやるから」
その頬(と思われる部分に)キスをする。むにっとした感覚を受け、最初に芽生えていた嫌悪感が薄れていることに気がついた。必死に服を脱がせようとするベルコを押し返し「俺は今日、休暇だったんだぞ」と唇を曲げる。それでも嬉しそうに懐くベルコにデコピンをお見舞いする。
俺は、彼が大嫌いだ。けれど、ベルコと離れるのが少し寂しいと思ってしまったのは、また別のお話である。
カーテンを開け放ち、朝日を浴びる。グンと背伸びをして、あくびをした。今日は待ちに待った休日だ。軽いストレッチをして、キッチンへ向かう。トーストを焼きながらコーヒーを落とした。香ばしい匂いが鼻腔を擽り、心地よさが全身を支配する。
落ちたコーヒーをマグカップへ注ぎ、啜る。熱さが唇を撫でた。鋭い痛みが走り、眉を顰める。ふうふうと息を吹きかけ、その水面を揺らした。
部屋の隅に置かれたデスクに向かい、椅子に腰を下ろす。パソコンを立ち上げ、頬杖をつきながら画面を見つめる。
ベルコ。彼の名前が付いたファイル名のアイコンをクリックし、情報を眺めた。「ベルコって随分、成長が遅いね」。スニロの言葉が脳内でリフレインする。確かに、彼は成長が遅い。今まで担当してきた幼虫たちと比較すると、その差は歴然だ。ため息を殺し、目を瞑る。「ベルコは君と離れるのが嫌だから、無意識に成長を拒んでいるんじゃないかな?」。そんな理由で成長を遅らせることができるのだろうか。ふと、ベルコの顔を思い出す。不気味な顔が、どこか愛しく感じた。
────愛しく?
ふと浮かんだ単語に寒気がした。かぶりを振り、平静を装う。愛しいわけない。気持ち悪いし、大嫌いだ。けれど……。
瞬間、けたたましい音が部屋に響いた。ビクンと体を揺らし、マグカップ内のコーヒーを溢しそうになる。ベッドに放置されていた携帯端末を手に取り、画面を確認した。
途端に、眉間に皺が寄るのが分かった。吐き出しそうになる大きなため息を、コーヒーと共に飲み込む。
◇
研究所の磨かれた廊下を小走りで駆けながら、急いで白衣を着る。転けそうになるのをなんとか耐えた。すれ違う研究員が不思議そうに見ている。好んで休暇に出勤している仕事熱心な人間だと思われているのだろうか。だとしたら心外だ。俺は嫌々この場に来ているのだ。
研究室へ近づくたびに、怒号のような声が聞こえる。何事だと慌てて中へ入った。そこには暴れるベルコを抑える警護隊が居た。
初めて見たベルコの姿に、俺は思わず悲鳴を上げる。
「べ、ベルコ! 何やってんだよ、お前は!」
俺の姿を見るなり、ベルコが暴れるのを止めた。甘えるような鳴き声をあげ、こちらへ近づく。抱きしめて欲しそうに体へ擦り寄るベルコを、両手で受け止めた。先ほどまでの覇気を全く感じない彼と驚いている俺を交互に見た監視員が腰に手を当て、ため息を漏らす。
「よかったよ、リドリー。早めにきてくれて」
監視員が俺の肩を叩いた。休日なのにすまないな、と苦笑いを漏らした彼は、甘えるベルコを見て頬を引き攣らせている。自分たちとの対応の違いに驚いているみたいだ。むしろ俺はこちらの姿しか馴染みがないので、先ほど見た光景に驚きを隠せない。
「な、なぁ。俺がいない時って、いつもコイツはあんな感じ……?」
「あぁ、そうだな。ま、知らなくても仕方がないよな。コイツ、リドリーの前ではデレデレだもんなぁ」
「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。そう言い残し、監視員が場を後にする。静まり返った研究所内でベルコと二人きり放置され、俺はゆっくりと彼へ視線を遣った。ベルコはつぶらな目を伏せ、懐いてきている。
彼が他者に対して凶暴だと、全く知らなかった自分の鈍感さに驚く。同時に、俺の前ではそう言う一面を表さなかったベルコに脱帽した。
「……ベルコ」
俺の声に、彼が反応する。パッと顔を上げ、ちゅっと唇に吸い付いたベルコを無理やり剥がした。代わりに巨体に腕を回し、抱きしめる。
「俺のこと、好きか?」
ポツリと呟くと、ベルコが奇妙な鳴き声をあげた。
「でも、最近は特に暴れるな。きっと、寂しいんだろうな」。監視員の声が脳内を巡った。「きっと、寂しいんだろうな」。────そう、彼は寂しいのだ。成虫になる恐怖と、俺と離れる喪失感。その二つに苛まれ、感情がぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「成虫に、なりたくない?」
体を離し、彼を見つめた。黒々とした瞳が、俺を射ている。何も返さないベルコの頭を撫でる。
こんな蛆虫に愛情を注がれたところで、何も感じない。むしろ、気持ちが悪い。けれど、どうしようもない感情が沸々と湧き上がる。
「……成虫になっても、会いに行ってやるから」
その頬(と思われる部分に)キスをする。むにっとした感覚を受け、最初に芽生えていた嫌悪感が薄れていることに気がついた。必死に服を脱がせようとするベルコを押し返し「俺は今日、休暇だったんだぞ」と唇を曲げる。それでも嬉しそうに懐くベルコにデコピンをお見舞いする。
俺は、彼が大嫌いだ。けれど、ベルコと離れるのが少し寂しいと思ってしまったのは、また別のお話である。
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