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「……でも、髪が茶色だ」

 染めたんだな、と言われ何故かどきりと胸が鳴った。不意に脳裏に過去の出来事が蘇る。テストの点数が良かったからとキスを強請り、僕を押し倒した彼が────。

「ぼーっとしてるけど、大丈夫?」

 彼の声で我に返る。ポツポツと灯り始めた街灯に頬を照らされた秋斗が僕を見つめていた。平気、と彼から距離を保ち、息を吐き出す。
 ────あんな過去のこと、彼だってきっと覚えていない。
 若気の至りに過ぎない。あんな日の出来事は。そう言い聞かせ、見えてきた自宅の方へ吸い寄せられるように歩みを進める。
 ────……本当に、覚えていないのだろうか。
 僕は彼を見ただけで当時の記憶が鮮明に甦った。しかし、彼はどうだろうか。あの日のことを、今でも思い出したりして、後悔したりしているのだろうか。
 カラカラと自転車の車輪が音を奏でた。二人の間に沈黙が流れる。聞いてみようか、と口を開き、やがて閉じた。

「じゃあ、僕はここで」
「待って、八雲くん」

 自宅前まで辿り着き、別れの挨拶を切り出した僕の声へ被せるように、秋斗の叫びに似た音が響いた。どうしたの? と首を傾げると、彼が真っ直ぐこちらを見据えたまま、唇を舐める。

「……明日、部屋に行ってもいい?」

 色々、話したいこともあるしさ。そう言われ、僕は固まった。断るに断れない空気が蔓延る。ここでごめんと告げてしまえば、あの日を意識し過ぎていると誤解されそうな気がした。
 僕は極めて明るい声で、いいよ、と大人ぶってみる。秋斗は花が咲いたように微笑み、じゃあまた明日、と手を掲げ隣家へ消えていった。
 その姿を目で追い、深く息を漏らす。自転車を自宅の敷地内に置き、家へ入った。ただいまぁ、と腑抜けた声を出し、キッチンまで歩む。夕食を作っていた母がこちらへ視線を投げた。おお、遅かったね。という彼女へレジ袋を差し出す。

「……秋斗くんと会ったよ」
「ね? すごかったでしょ? あの子、一気に成長期が来たみたいでね。昔みたいな華奢な子じゃなくなったのよ」

 母が愉快げにそう語る。そうだね、昔の面影がなくて驚いたよ。と言いながらリビングに置かれたソファに腰を下ろした。

「なんかね、柔道部らしいよ」

 あぁ、それっぽい。僕は無意識に頷いていた。彼が柔道着を着て相手と組み合う姿が安易に想像できる。

「……なんか、一気に知らない人みたいになったなぁ」

 そんな彼が明日、ここへ来るのか。そう考えると妙に胃のあたりがチリチリと痛んだ。やっぱり、断っておけば良かった。と後悔し、項垂れた。
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