ナイくんの悲劇

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「こ、殺さなきゃ、殺さなきゃ……」

 僕は無意識に恐ろしいことを口走っていた。地面を探り、指先に触れた石を掴む。手のひらに収まったそれを腹の上で振り上げた。

「ころ、さなきゃ」

 声が上擦る。今から自分が何をしようとしているのか、自分でも分からない。けれど、とても痛くて辛くて苦しいことだと知っている。

「僕は、帰りたい、だけなんだ」

 勢いよく手を腹に振り下ろす。石の硬さが皮膚に伝わり、内臓が押し潰される痛みに喘いだ。喉の奥から漏れ出たそれは、静寂が支配する洞窟に響く。

「う、ぐ、ぅ゛……!」

 肩で呼吸を繰り返しながら手を退かす。腹は赤く染まっていて、じわじわと痛みだけが残った。もう一度、手を振り上げる。

「っ、ん゛、ぅ!」

 産みたくない、産みたくない。僕の頭をその言葉が支配していた。ここで殺さなきゃ、ダメだ。石で出っ張ったそこを殴りつける。痛みに背中が撓み、腹筋が痙攣した。ガクガクと勝手に体が跳ねる。

「はっ、はっ、はっ……!」

 短く呼吸を繰り返す。溜まっていた唾液が口の端から漏れた。それを嚥下し、腹を見つめた。内出血しているのか、赤色から徐々に浅黒く変色している。いつの間にか失禁していたらしい。独特の臭いが周囲を支配した。

「お願い、お願い」

 僕の中で育たないで。胎内に根付いているであろうそれに懇願する。届いていないと分かっていても、願わずにはいられなかった。
 瞬間、劈く声が鼓膜を弾く。驚きのあまり目を見開き、口を半開きにさせていると、勢いよく何かがこちらへ近づく音が聞こえた。
 ハッと察するまもなく、目の前には僕をこんな状況まで追い込んだモンスターが居た。その目は怒りに満ちていて、体の底から寒さを感じる。
 石を掴んでいた僕の手首に触手を絡めた。その反動で石を落としてしまう。

「ご、ごめんなさ……でも、ぼく、ぼく……」

 言葉の通じない相手に必死に言い訳をする僕は滑稽そのものだ。けれど、止めることができない。変色した腹を見つめたモンスターはもう一度、甲高い声を上げた。

「いだ、ァ゛、いた、い゛、やめでェ゛っ」

 手首に絡んでいた触手に力が籠る。彼から殺気と怒りが伝わり、恐怖で涙を零した。
 ギチギチと音を立て締め付ける触手が力を強める。痛みで神経が麻痺した。目の前が霞み、心臓がうるさいほど脈を打つ。

「じぬ、じぬ゛、いだい、ぃ゛、……~ッ!」

 バキンと手の骨が折れた。乾いた音が洞窟内に響く。突き抜ける痛みに声も出せないまま喘ぐ。全身の血が沸騰し、汗が吹き出した。眩暈がして、目の前が歪む。幾重にもブレた視界には、糸が切れたようにプランと折れ曲がった手首があった。触手が解かれ、バタンと地面に落ちる。

「ああ、あ、あああ゛、あ……」

 とうとう四肢の全てを不自由にされ、僕は絶望に浸った。浅い呼吸が、鼓膜の奥で煩いぐらいに響く。痛みに咽び泣きながら、芋虫のように地面にうずくまった。身体中を悪寒が包み、脂汗が滲んだ。

「あ、っ、あ゛……あう゛……ぐぇッ!」

 首に触手が絡み、ぐいと引っ張られる。視線を上げると、モンスターが僕を見ていた。赤黒くなった腹を見て、もう一度、鋭い唸り声を漏らした。

「ご、めな、ざ……ゆるじで……」

 首を絞める力が強まり、唾液と鼻水がとめどなく垂れた。ガタガタと震え、心臓の鼓動が早まる。ずっと過っていた死がすぐそこまで迫っていた。折れた部分が火傷しているかの如く熱を帯びているのに、体は冷えている。

「う゛みます、ぅ、っ……うみま゛すから、ぁ゛」

 嗚咽混じりの言葉が、反響する。彼は納得したのか、触手を解いた。体が地面に落ちる。そのままモンスターが覆い被さった。臀部にぬるりとしたものが伝い、身が強張る。
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