みんなのたいちょう［完］

白紙に黒

11

◇

　集会所には人が群れていた。エリア内にいる殆どの男たちが犇めき合っている。その中心にはルタがいた。着ているかどうかさえ曖昧なシャツを身に纏い、下半身は何も身につけていなかった。晒された足は健康的だった彼からは想像できないほど痩せ細っている。アキレス腱にできた大きな切り傷は薄れてきているが、しかしその足はまともなリハビリを施されていないため、ぴくりとも動かない。
　ゴドフリーに支えられた彼は冷たい床に座ったまま、ぼんやりと何処かを見つめていた。今から訪れる出来事に恐怖も芽生えないのだろう。徐々に壊れつつある彼の精神を哀れに思いながら傍に屈んだ。

「隊長、腕を」

　俺に促されたルタは虚ろな目をゆっくりとこちらへ向け、のろりと腕を差し出した。そこにはポツポツと注射痕が多々あり、一部の皮膚が赤や紫に変色している。
　あの日以降、俺は言葉巧みに彼を騙し、薬を使い続けている。乖離できるという言葉は、相当ルタにとって好都合らしい。今の状況から抜け出す唯一の光だったようだ。
　────果たして、この後遺症と見合った代償なのか。
　抜け殻になった彼を見て、俺はそんなことをふと思う。薬の効果が切れた後は、まるで死体のようにぐったりとなり、言葉さえ発しない。体への負担はかなりのものだろう。
　────ま、隊長が望んだ結果だしな。
　唆したのは俺だが、この際そんな些細なことは横に置いておこう。
　ゆっくりと投下される液体を、静かに眺める。不意に、ルタの坐っていない頭を愛おしげにゴドフリーが撫でた。その光景がどうも気持ち悪くて、俺は声も出さずに顔を顰める。指先一つひとつは緩やかで穏やかで、まるで野に咲く美しい花を愛でているようだ。この状況下からは想定もできない愛撫は、本能的に吐き気を催すものだった。
　チラリと周りにいる男たちへ目を向ける。彼らもまた、ルタを恋人の如く見つめていた。目には熱が篭っていて、性欲という醜さを孕ませているものの、根底にはヘドロのような愛を感じさせる。
　ゾッとして、俺は無意識に唾液を嚥下する。ルタは今にも崩れてしまいそうなのに、誰もこの現状に違和感を覚えていない。籠の中で弱っていく虫を、頬杖をつき鼻歌を歌いながら眺めている無垢な子供みたいだ。
　────俺も、その一人なのだけれど。
　壊れている。みんな、何かがおかしいことに気がついていない。いや────気がついていても感受できる快楽を逃すことができず、目を逸らし続けている。
　この狂った烏合の中で唯一まともであったルタも、今では電池が切れかけた玩具のようだ。
　なんでこうなってしまったのだろうか。どこがおかしかったのだろうか。どうして歪んでいってしまったのだろうか。
　ルタは前に語っていた。「僕はただみんなの役に立ちたかった」と。この集落を作ったのも、壊れかけの世界を再構築するためだ。人間同士が支え合えば、きっと世界が良い方向へ向かうと信じていた。
　しかし結果はこの通りだ。誰かのためになりたいと躍起になっていたルタは、今ではまるでボロ雑巾のようだ。尊厳をなくし、ただ男を喜ばせる道具に成り下がっている。
　悪いのは全て、ここにいる俺を含めた男たちだ。美しい彼を堕とし、全てを奪った。
　────可哀想だな。
　俺だって鬼や悪魔じゃない。だから、彼を可哀想だとは思う。けれど、だからと言って手放す気にもなれない。このままでいいし、このままであるべきだと思っている。
　彼一人が不幸になるだけで、ここにいる連中が幸せになるなら「みんなの役に立ちたかった」というルタの願いは叶うはずだ。

「あっ、あぅっ、……」

　ルタの瞳がとろんとしはじめた。呼吸が荒くなり、頬が熱くなる。掴んでいた手首をゆっくりと元の位置に戻すだけで、彼が小さく喘いだ。支えていたゴドフリーがいやに目を細め、頬にキスをする。

「ほら、早く抱いてやれ」

　薬が効いてきたルタを満足げに撫でたゴドフリーが顔をあげ、周りにいた男たちに促す。それに弾けたように男たちが手を伸ばした。浅黒く毛深い手が、ルタの滑らかな肌を這う。

「あっ、んっ、ねぇ、ちゅー、して」

　ルタが苦しそうに声をあげ、手を伸ばした男の首に腕を回した。男は慌てながらも、彼の唇を塞ぐ。必死に唾液を啜るルタを見て、俺は苦笑いを漏らした。
　────夢が叶ってよかったな、隊長。
　今から文字通り「みんなの役に立つ」ルタは、様々な男たちに呑まれ、姿が見えなくなった。悦んでいる声が耳を弾き、ルタが幸せなのだと確認する。
　俺は一人の人間が死んでいくのを感じながら、早く自分の順番が回ってこないだろうかとぼんやり耽った。