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私は夢を見ない
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◇
「ただいまぁ……って、あれ? お父さん? もう帰ってるの?」
リビングから聞こえるテレビの音に反応し、私は声を漏らした。ヒョイと扉から顔を覗かせた父がニタリと笑う。彼はスーツを脱ぎ、エプロンを身に纏っていた。
「おかえり、由紀。遅かったな。ご飯、もうできてるぞ」
「えっ。私、もう外でラーメン食べちゃった」
「えっ」
父が目をまん丸とさせ、肩を落とす。そうか、ごめんな。と呟き、しゅんとしながらキッチンへ戻る父の元へ駆け足で近づいた。その猫背の背中を手で摩り、励ますように明るい声を上げた。
「ちょっとは入るかも。わぁ、いい匂い。晩御飯、作ってくれてありがとうね」
羽織っていたパーカーを脱ぎ、仕事着から部屋着へ急いで着替え、父の手伝いをする。嬉しそうに皿へ盛り付けしている父の横顔を眺め、息を吐いた。
私たちはあれから、一緒に暮らしている。母が亡くなった後、父はまるで生まれ変わったかのようにスッパリと不倫相手との関係を断ち切った。こんな俺が今更、お前と一緒に生活したいなんて。とんでもない我が儘だと思う。由紀は俺のことは嫌いだろう。恨んでくれても、構わない。それでも一緒に居させてくれ。頼む。父が泣きながら土下座をし、私へそう言った。私は────私は彼を受け入れた。父が私へした仕打ちより、ひどいことを、母へしたのだ。
私が母を殺したのだ。あの日、私が母と喧嘩していなければ、あの人は死ななかった。
「どうだ? うまいだろ?」
ハッと我にかえる。目の前にはテーブルに置かれた夕食が並び、向かいには父が座っていた。満面の笑みを浮かべ、私の反応を伺う目と搗ち合う。弧になった瞳に応えるべく、美味しいよと言った。
父は知らない。あの日、私と母の間に何があったのか。何故、あんな時間にコンビニへ向かったのか。どうして、ショートケーキを買っていたのか。
私は伝えるつもりはない。あの日以降、父は浮気していた過去をまるでなかったかのように振る舞い、私へ対応する。私も同様、私と母の間に何があったのかをひた隠しにする。
そうやって、何もかも曖昧にしながら私たちは良好な親子のように笑いあうのだ。
手の上に置かれた錠剤を見つめ、早三十分。何度も口に運ぼうとしては止め、手のひらに転がし眺める行為を繰り返している。
────美優に感化されてしまった。
母の夢を見ないのかと彼女に聞かれた時から、私は母のことばかりを考えていた。
私は母の夢を見ない。それはONP錠とは関係なく、通常でも夢を見ない。見たとしても、記憶が残すことを拒絶しているのか、起きた時には抹消されているのだ。
────だって、夢で会えたところで所詮それは……。
夢でしかない。幻の母を見たところで、一体、なんになる。
私はふと、父のことを思い浮かべた。彼は母の夢を、見るのだろうか。見るのだとしたら、一体どんな内容なのだろうか。
そんなどうでもいいことを考える。ベッドサイドに置かれた時計へ視線を遣った。じわじわと削られていく睡眠時間。焦りを感じながら、もう一度、錠剤へ視線を投げる。
────半信半疑な部分もあるんだよな。
こんなちっぽけな塊が、人間をコントロールする力を持っているのか疑問でもある。
私はコップを手に持ち、錠剤を口に含んだ。
────私は母に会いたいわけじゃない。この錠剤の力を確かめたいだけだ。
そんな言い訳じみた言葉を脳内で吐き、水を嚥下する。共に流れた錠剤が喉の奥へおさまった。ふぅ、と一息吐き、ベッドへ潜り込む。
どうせ、みんな大袈裟に言い過ぎなのだと思いながら目を瞑った。不意に、脳裏に母が過る。悲しげに微笑む彼女が、霞んで消えた。
「ただいまぁ……って、あれ? お父さん? もう帰ってるの?」
リビングから聞こえるテレビの音に反応し、私は声を漏らした。ヒョイと扉から顔を覗かせた父がニタリと笑う。彼はスーツを脱ぎ、エプロンを身に纏っていた。
「おかえり、由紀。遅かったな。ご飯、もうできてるぞ」
「えっ。私、もう外でラーメン食べちゃった」
「えっ」
父が目をまん丸とさせ、肩を落とす。そうか、ごめんな。と呟き、しゅんとしながらキッチンへ戻る父の元へ駆け足で近づいた。その猫背の背中を手で摩り、励ますように明るい声を上げた。
「ちょっとは入るかも。わぁ、いい匂い。晩御飯、作ってくれてありがとうね」
羽織っていたパーカーを脱ぎ、仕事着から部屋着へ急いで着替え、父の手伝いをする。嬉しそうに皿へ盛り付けしている父の横顔を眺め、息を吐いた。
私たちはあれから、一緒に暮らしている。母が亡くなった後、父はまるで生まれ変わったかのようにスッパリと不倫相手との関係を断ち切った。こんな俺が今更、お前と一緒に生活したいなんて。とんでもない我が儘だと思う。由紀は俺のことは嫌いだろう。恨んでくれても、構わない。それでも一緒に居させてくれ。頼む。父が泣きながら土下座をし、私へそう言った。私は────私は彼を受け入れた。父が私へした仕打ちより、ひどいことを、母へしたのだ。
私が母を殺したのだ。あの日、私が母と喧嘩していなければ、あの人は死ななかった。
「どうだ? うまいだろ?」
ハッと我にかえる。目の前にはテーブルに置かれた夕食が並び、向かいには父が座っていた。満面の笑みを浮かべ、私の反応を伺う目と搗ち合う。弧になった瞳に応えるべく、美味しいよと言った。
父は知らない。あの日、私と母の間に何があったのか。何故、あんな時間にコンビニへ向かったのか。どうして、ショートケーキを買っていたのか。
私は伝えるつもりはない。あの日以降、父は浮気していた過去をまるでなかったかのように振る舞い、私へ対応する。私も同様、私と母の間に何があったのかをひた隠しにする。
そうやって、何もかも曖昧にしながら私たちは良好な親子のように笑いあうのだ。
手の上に置かれた錠剤を見つめ、早三十分。何度も口に運ぼうとしては止め、手のひらに転がし眺める行為を繰り返している。
────美優に感化されてしまった。
母の夢を見ないのかと彼女に聞かれた時から、私は母のことばかりを考えていた。
私は母の夢を見ない。それはONP錠とは関係なく、通常でも夢を見ない。見たとしても、記憶が残すことを拒絶しているのか、起きた時には抹消されているのだ。
────だって、夢で会えたところで所詮それは……。
夢でしかない。幻の母を見たところで、一体、なんになる。
私はふと、父のことを思い浮かべた。彼は母の夢を、見るのだろうか。見るのだとしたら、一体どんな内容なのだろうか。
そんなどうでもいいことを考える。ベッドサイドに置かれた時計へ視線を遣った。じわじわと削られていく睡眠時間。焦りを感じながら、もう一度、錠剤へ視線を投げる。
────半信半疑な部分もあるんだよな。
こんなちっぽけな塊が、人間をコントロールする力を持っているのか疑問でもある。
私はコップを手に持ち、錠剤を口に含んだ。
────私は母に会いたいわけじゃない。この錠剤の力を確かめたいだけだ。
そんな言い訳じみた言葉を脳内で吐き、水を嚥下する。共に流れた錠剤が喉の奥へおさまった。ふぅ、と一息吐き、ベッドへ潜り込む。
どうせ、みんな大袈裟に言い過ぎなのだと思いながら目を瞑った。不意に、脳裏に母が過る。悲しげに微笑む彼女が、霞んで消えた。
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