ワンナイトパラダイス

中頭かなり

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私は夢を見ない

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 夕陽が沈み、街はすでに闇に沈んでいた。街灯やマンションに明かりが灯り、それが何処か哀愁を漂わせる。鼻腔を擽る夕食の匂いに、満腹になった胃を刺激された私は腹を撫でながら歩みを進めた。
 ママぁ、と甲高い子供の声が鼓膜を弾く。視線を上げると、アパートの一室が見えた。開け放たれたテラス戸に視線が釘付けになる。角度的に中は見えないが、優しげな母の声と、そんな母に話しかける娘の声が聞こえた。
 私はその場で呆然と立ち尽くし、声に耳を澄ませる。
 あのね、今日はね学校で。あら、そうなの。それでね、それでね。あはは、うふふ。
 二人の会話が耳を通り抜け、闇夜へ消える。肩にかけていたバッグを持ち直し、ゆっくりと歩みを進めた。

「……良いなぁ」

 ポツリと呟いた言葉が風に飛ばされる。宙を舞い、やがて霧のように消えていく言葉の端を目で追い、唇を舐める。
 頭上に設置された街灯が、カチカチと音を立てた。光に群がる羽虫が、何故だかとても虚しく見える。どうして彼らはあの光に群がるのだろうか。そんなどうでも良いことを考えながら、歩みを進めた。
 ふと、真横にある公園に目を遣る。広々としたそこは、遊具らしい遊具が置いていない。あるとすれば、隅にポツンとブランコがあり、その横に鉄棒がある程度だ。しかし、どれもが錆びれていて、わざわざ遊ぶ子供もいないだろうと思わせる。

「……あれ?」

 公園内に設置された街灯が照らすブランコ。その遊具に目が釘付けになった。今にも底が抜けそうな座板に腰を下ろし、チェーンを握った女性。ゆらゆらとブランコを漕ぎながら、地面を見つめる顔に見覚えがある。
 私は確信半分、疑い半分といった心境で公園内へ入り、女性に近づいた。彼女はグレーのパーカーに、ピッタリとした黒のスキニー、そして履き潰したスニーカーを身につけていた。
 その整った顔とは裏腹のラフな格好に、息を呑む。
 ────どうしてここに? あの子は今頃、東京で……。
 近づくたびに、その輪郭がくっきりと現れる。真白く、まろい頬は当時と変わらない。思わず小走りになった。と、同時に女性が顔を上げる。キョトンとこちらを見つめ、やがて何かを思い出したかのように声を漏らし、座板から立ち上がった。チェーンが揺らめき、うねうねと蠢いている。

「椎名!?」
「やっぱり、美優だ……」

 人違いではなかったことにホッと胸を撫で下ろす。美優はその黒々としたまん丸の目を溢れんばかりに見開き、口を開閉させていた。指をこちらへ差しながら、震える唇から言葉を紡ぐ。

「あ、あんた。地元から離れなかったの?」
「うん。ま、ここ暮らしやすいし。ところで美優、東京に行ってアイドルやってるんじゃなかったの?」

 田中美優は────彼女は高校を卒業後、アイドルになると啖呵を切り東京へ飛んでしまった。後に、デビューを果たしたとは聞いていたがパッとする情報が流れてくることはなく、彼女の存在が記憶から消えていた。
 美優は目を泳がせ、あぁーと言葉を漏らした後、首へ手を回し撫でるように何度も摩っていた。やがて再度、座板へ腰を下ろす。

「……椎名も座りなよ。いろいろ話したいこと、あるし」

 美優に促され、隣で風に揺れているブランコへ腰を下ろす。ギシリと軋んだそれに、これ崩れたりしないよね? と声を震わせた。こういうのを壊した場合、責任ってどっちにあるんだろうね? 公園の管理者? 壊した私たち? そう不思議そうに語る彼女に、そんなの知らないよと吐き捨て、恐る恐るチェーンを握った。錆びたそれに眉を顰め、ため息を漏らす。

「いつ頃、帰ってきたの?」
「うーん、三日前ぐらい?」
「めっちゃ最近じゃん」
「そうだね」
「休暇もらったの?」

 彼女はブランコを漕ぎ始めた。やめてよ、壊れたらどうすんのと唇を尖らせて警告する私を無視し、美優が続ける。

「実はさ、卒業したんだよね」

 え? と聞き返す前に彼女がブランコを漕ぐのを止めた。ザザザ、と履き潰したスニーカーの底と砂利が擦れる。

「で、それを機にゲーノー界からも足を洗った」
「そうなんだ……」

 なんといって良いか分からず固まる。彼女は昔から顔もよくダンスもできて、歌も上手かった。故にアイドルとして成功すると誰もが思っていたに違いない。少なくとも友達であった私はそう確信していた。

「えっと、なんだっけ? グループ名」
「らいちー・ライチー」
「名前は……」
「……女神まろん」

 あーっぽいね。あんたっぽい。そう言うと、美優がむっと唇を歪めて私を睨んだ。バカにしてんの? と言われ、首を横に振る。

「バカにするわけない。大体、アイドルとして舞台に立ててたこと自体、凄いことなのに」
「っていっても、古臭い小さなライブハウスにしか立ったことないよ。イベントごとに呼ばれても、大体は大物アイドルと大物アイドルの繋ぎでダンスを披露する程度」

 美優は遠くを見つめ、ぼんやりと呟いた。その横顔はとても清らかで、彼女が愛くるしい衣装に身を包み、ステージに立ち、ファンの前で華麗に踊る姿が安易に想像できた。

「でもさ、結構長い間、アイドルやってたんだよね? それなりに人気だったんじゃない?」
「デビュー五年目でようやくデイリーシングルランキング二十一位」

 抑揚のない声音でそう言われ、私はどんな反応をして良いか分からず固まる。頬を引き攣らせ、言葉を続けた。

「デイリーシングルランキングに入るだけでも、すごくない?」
「このご時世、CDが数百枚買われるだけで上位に食い込むんだよ? 全然すごくないよ」

 そ、そうなんだ。難しい世界なんだね。私はひとりごち、ブランコを漕ぐ。おおう、と彼女が驚いた表情を浮かべ、私を見た。

「ちょっと、漕がないでよ」
「え? なんで?」
「いや、振動がこっちにまで来る。怖い!」

 あんた、さっきまで平気な顔して漕いでたじゃん。そう言うと、美優は白い歯を見せて笑った。このブランコ
、ヤバいよ。いつ崩れるか分かんない。まるで学生時代の時のようにきゃらきゃらと笑い声を漏らす彼女に何処かホッとする。

「……未練とかないの?」
「ないって言ったら嘘になるね。もっと大きな舞台に立ちたかったし、もっといろんな人にパフォーマンスや歌を聞いてほしかった」

 でも、しょうがないよ。この世界だけに限らず、運がなけりゃ誰にも見てもらえないんだ。どれだけ絵が上手くても、綺麗な文章を書けても、美しい音楽を奏でても、誰もがハッとする美貌を持ってても、人を惹きつける演技力があっても、誰かが見てくれなきゃ価値がつかない。そういうもんでしょ。

「まぁ、だからと言って私にその価値があったかどうかは定かじゃないね。でも、あとほんの少しだけの運が欲しかったなぁ」

 遠くで犬が吠えた。キャンキャンと甲高い音が夜の住宅街に響く。空を見上げると飛行機が飛んでいた。あの小さな光を放つ豆粒の中にたくさんの人が乗っているのだと思うと、妙な気分に陥る。

「……武道館に、立ちたかったなぁ」
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