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死人に口なし
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◇
「あの……井本さん。昨日の話だけど……」
鹿島さんの声が静かな事務所内に響く。私はホワイトボードに書かれた働き蟻たちの今日のスケジュールを見ながら、小さく返事をした。
キーボードを叩く手を止め、彼女がチラリと私を見る。
「デリケートな話、だけど……その、掘り下げて話を聞いてもいい?」
視線を、鹿島さんへ向ける。彼女は気まずそうな顔をしていた。デスクに置かれたマグカップを手に取り、中に入った紅茶を啜る。
うわ、この茶葉って誰が買ってきたんですか? むっちゃ不味い。舌を出し、顔を顰める。
「あぁ、それ……お得意先のお客様から頂いたって、営業の山下さんが────」
「へぇ。で、どんな話が聞きたいんですか?」
頬杖をつき、鹿島さんへ問う。彼女はパソコンに向けていた目線を落とし、やがてゆっくりと口を開いた。
「……本当に理由って分からないの?」
「ですねぇ。一応、私も考えてみたんですよ。まず、家族関係。私と姉って、仲悪かったんです。でも、姉が社会人になってからは普通に会話できてたんで……理由にはなりそうにない。両親との関係も────あまり悪い方には見えませんでしたね。そもそも、実家を出てからあまり帰らなかったので……そこも違うのかなと。恋人関係はどうなんだろう? って思ったんですが、姉は恋人が居ないって言っていたし……会社でパワハラとかそういうのに巻き込まれてたんじゃないかって、母が会社に殴り込みに行ったことがあるんですが、会社側は何も無かったって」
「そ、そうなんだ……」
「自宅にある日記とか、スマホの中身も調べたんです。何か証拠になりそうなものがないか探したくて。でも、自宅やスマホの中身が綺麗に整頓されてて……」
「えっ」
「自宅は最低限の家具しか無かったんです。雑貨や服、私物などが無くて、殺風景でした。パソコンやスマホの中身が初期化されていて────姉の状況が知れそうなものは……多分、自殺する前に全て処分したんでしょうね。」
鹿島さんがなるほど……と頷く。
「それじゃ、理由が全く判明できないね……」
「事件の可能性も考えたんですけど……まぁ、明確な証拠がないので警察が動くはずもなく」
椅子の背もたれに全体重を預ける。軋んだ音が部屋に響いた。回転するそれをぐるりと回してみる。視界が歪んだ。
「首を、吊ってたらしいです」
「……」
「翌日、会社に出勤してこないからと、上司が不審に思い自宅を調べると……姉が死んでいた、と」
どんな服装で、どんな表情で。姉は死んでいたのだろうか。首吊りは死体の状態が醜いらしい。けど、私は見たかった。姉の最期がどんなものだったのか。
「あの日以降、ONP錠で姉の夢を見るんです。シチュエーションはいつも同じ。姉が運転する車に乗って、ドライブをする。助手席に座る私は、姉となんてことない会話を続けて……けど、姉は何も答えてくれない。ただ前を見て、何もない田舎道を運転するだけなんです」
いくらコントロールができる夢を見ることができるようになっても、姉は何も話してくれない。そのことが悲しくてたまらないのだ。
「……吹っ切りたいんですけどねぇ。でも、やっぱり何をしていても姉のことを考えてしまう。何が原因だったのか。それさえ教えてくれたら、私だってスッキリした気分で忘れることができるのに」
ふぅ、とため息を吐く。口から漏れ出たそれは、静かな事務所内で彷徨った。
◇
「ただいまぁ」
帰宅すると、母が仏壇の前に座って項垂れていた。私は見て見ぬふりをして、冷蔵庫から炭酸飲料を取り出す。蓋を開け、飲みながらリビングの椅子に腰を下ろした。
姉が死んでからというもの、母はまるで抜け殻のようになっていた。
そりゃあ、原因を知らせぬまま勝手にこの世から娘が去ったら、病むのは当然だろう。私は彼女に同情しつつ、ダイニングテーブルの上にあった菓子を食べる。
姉の死体が発見されて以降、うちの雰囲気はガラリと変わった。母は塞ぎ込むようになったし、相反して父はやけに明るく振る舞うようになった。私は────あまり変わっていないと思う。多分。……いや、ほんの少しだけ暗くなったかも知れない。
姉の話は禁句になった。何が理由で死んだのか? という疑問は、みんなの心の奥深くへ埋められ、掘り起こすことはタブー視された。
ふと、母の背中へ視線を投げる。
あの人も、父も。ONP錠で姉の夢を見ているのだろうか。姉が生存していた頃の夢を見ては、目覚めて泣いていたりするのだろうか。
そんな話さえも、私たちはしない。姉ちゃんとね、ドライブに行く夢を見るんだ。母さんの車を借りてね。田舎道をずっと走るの。そうなの? 私はね。愛菜とゆかり、そして私とお父さんで遊園地に行く夢を見るのよ。へぇ、楽しそう。私も来月、そういう夢を見ようかな。あははは。
そんな他愛のない会話を、私たちはもう出来ない。
「ねぇ」
薄い背中へ声をかける。反応はない。
「私より、姉ちゃんが生きてた方が良かった?」
その問いに、彼女は答えなかった。
「あの……井本さん。昨日の話だけど……」
鹿島さんの声が静かな事務所内に響く。私はホワイトボードに書かれた働き蟻たちの今日のスケジュールを見ながら、小さく返事をした。
キーボードを叩く手を止め、彼女がチラリと私を見る。
「デリケートな話、だけど……その、掘り下げて話を聞いてもいい?」
視線を、鹿島さんへ向ける。彼女は気まずそうな顔をしていた。デスクに置かれたマグカップを手に取り、中に入った紅茶を啜る。
うわ、この茶葉って誰が買ってきたんですか? むっちゃ不味い。舌を出し、顔を顰める。
「あぁ、それ……お得意先のお客様から頂いたって、営業の山下さんが────」
「へぇ。で、どんな話が聞きたいんですか?」
頬杖をつき、鹿島さんへ問う。彼女はパソコンに向けていた目線を落とし、やがてゆっくりと口を開いた。
「……本当に理由って分からないの?」
「ですねぇ。一応、私も考えてみたんですよ。まず、家族関係。私と姉って、仲悪かったんです。でも、姉が社会人になってからは普通に会話できてたんで……理由にはなりそうにない。両親との関係も────あまり悪い方には見えませんでしたね。そもそも、実家を出てからあまり帰らなかったので……そこも違うのかなと。恋人関係はどうなんだろう? って思ったんですが、姉は恋人が居ないって言っていたし……会社でパワハラとかそういうのに巻き込まれてたんじゃないかって、母が会社に殴り込みに行ったことがあるんですが、会社側は何も無かったって」
「そ、そうなんだ……」
「自宅にある日記とか、スマホの中身も調べたんです。何か証拠になりそうなものがないか探したくて。でも、自宅やスマホの中身が綺麗に整頓されてて……」
「えっ」
「自宅は最低限の家具しか無かったんです。雑貨や服、私物などが無くて、殺風景でした。パソコンやスマホの中身が初期化されていて────姉の状況が知れそうなものは……多分、自殺する前に全て処分したんでしょうね。」
鹿島さんがなるほど……と頷く。
「それじゃ、理由が全く判明できないね……」
「事件の可能性も考えたんですけど……まぁ、明確な証拠がないので警察が動くはずもなく」
椅子の背もたれに全体重を預ける。軋んだ音が部屋に響いた。回転するそれをぐるりと回してみる。視界が歪んだ。
「首を、吊ってたらしいです」
「……」
「翌日、会社に出勤してこないからと、上司が不審に思い自宅を調べると……姉が死んでいた、と」
どんな服装で、どんな表情で。姉は死んでいたのだろうか。首吊りは死体の状態が醜いらしい。けど、私は見たかった。姉の最期がどんなものだったのか。
「あの日以降、ONP錠で姉の夢を見るんです。シチュエーションはいつも同じ。姉が運転する車に乗って、ドライブをする。助手席に座る私は、姉となんてことない会話を続けて……けど、姉は何も答えてくれない。ただ前を見て、何もない田舎道を運転するだけなんです」
いくらコントロールができる夢を見ることができるようになっても、姉は何も話してくれない。そのことが悲しくてたまらないのだ。
「……吹っ切りたいんですけどねぇ。でも、やっぱり何をしていても姉のことを考えてしまう。何が原因だったのか。それさえ教えてくれたら、私だってスッキリした気分で忘れることができるのに」
ふぅ、とため息を吐く。口から漏れ出たそれは、静かな事務所内で彷徨った。
◇
「ただいまぁ」
帰宅すると、母が仏壇の前に座って項垂れていた。私は見て見ぬふりをして、冷蔵庫から炭酸飲料を取り出す。蓋を開け、飲みながらリビングの椅子に腰を下ろした。
姉が死んでからというもの、母はまるで抜け殻のようになっていた。
そりゃあ、原因を知らせぬまま勝手にこの世から娘が去ったら、病むのは当然だろう。私は彼女に同情しつつ、ダイニングテーブルの上にあった菓子を食べる。
姉の死体が発見されて以降、うちの雰囲気はガラリと変わった。母は塞ぎ込むようになったし、相反して父はやけに明るく振る舞うようになった。私は────あまり変わっていないと思う。多分。……いや、ほんの少しだけ暗くなったかも知れない。
姉の話は禁句になった。何が理由で死んだのか? という疑問は、みんなの心の奥深くへ埋められ、掘り起こすことはタブー視された。
ふと、母の背中へ視線を投げる。
あの人も、父も。ONP錠で姉の夢を見ているのだろうか。姉が生存していた頃の夢を見ては、目覚めて泣いていたりするのだろうか。
そんな話さえも、私たちはしない。姉ちゃんとね、ドライブに行く夢を見るんだ。母さんの車を借りてね。田舎道をずっと走るの。そうなの? 私はね。愛菜とゆかり、そして私とお父さんで遊園地に行く夢を見るのよ。へぇ、楽しそう。私も来月、そういう夢を見ようかな。あははは。
そんな他愛のない会話を、私たちはもう出来ない。
「ねぇ」
薄い背中へ声をかける。反応はない。
「私より、姉ちゃんが生きてた方が良かった?」
その問いに、彼女は答えなかった。
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