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死人に口なし
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◇
「愛菜は、許されてていいよね」
姉が高校生の頃、私に言ったセリフだ。愛菜は、許されてていいよね。その言葉を脳内で噛み砕き、私は手の中にあるブランド物の鞄をぎゅうと握りしめる。
姉の自室。淡い桃花色をしたカーペットの上に彼女は座り、項垂れていた。口から漏れる言葉が怖くて、私は唾液を嚥下する。
「愛菜は夜更かししても、寝坊しても。好き嫌いしても、わがまま言っても。お父さんやお母さんに許してもらえて、いいよね。嫌だっていえば、言うこと聞いてもらえるもんね。欲しいって言えば、買ってもらえるもんね」
姉は手に持っていたバッグを放り投げる。壁にぶつかったそれを目で追い、姉へ視線を戻す。私の手の中には、姉が投げたバッグと同様のものが握られており、それを強く抱きしめた。
────姉が数ヶ月前からバイトをしていることは知っていた。理由は、好きなブランドのバッグを買うためだ。友達が親に買ってもらったのを見て、自分も欲しくなったらしい。しかし、うちは裕福ではない。それを知っていて、姉は自分で金を稼ぎ、欲しいものを手に入れたのだ。
それに、反応してしまったのが私だ。私は、姉が持っているブラックの小ぶりなショルダーバッグが欲しくなった。両親に頼み込むと、父は困った顔をしながら「しょうがないなぁ」と言って買ってくれた。
「愛菜はさ、うちが裕福じゃないの知ってるよね。それを承知の上で、無理して買って欲しいって強請ったんでしょ」
姉がやけに暗い声で言った。覇気のないその声に頷く。
「……いいよね。それで買ってもらえて。私が必死にバイトしてたこと、アンタもあの人たちも知ってた癖に。私が数ヶ月かけて手に入れたものを、アンタはあっさり手に入れちゃうんだもんね。羨ましいなぁ」
部屋に入り込む夕日が姉を照らす。頬にかかった髪が、やけに黒々と鈍く光っていた。
「私があの時、欲しいって強請ったら買ってくれたのかなぁ」
ポツリと呟く。その声が、妙に鼓膜にこびりついた。
「……なんでアンタばっかなの」
姉が私へ目を遣る。その瞳には憎しみが滲んでいた。
◇
今になって思う。私は愚かなことをした。
姉は、とても手のかからない子だった。それは妹の私から見ても明確だった。
相反して、私は手のかかる子だった。わがままを通してもらえたし、言うことは大抵のことなら聞き入れてもらえていた。
だから薄々、姉は私のことを嫌いなのだなと知っていた。しかし、私も姉が嫌いだった。勉強も出来て、スポーツもそこそこに出来て。両親からは手のかからない良い子と称されて。逆に私はダメな子認定されていた。(明確に言われたことはないが、姉が近くにいると嫌でもその雰囲気を感じ取ることができるのだ)
そんな姉と、私は腹を割って話したことがない。
姉と仲が悪い時期があったが、姉が成人して家を出てからというもの、私たちは普通の姉妹並みに会話ができるようになっていた。
けれど、それでも、腹を割って話したことはない。
いつか、そんな日が来るかもしれない。あの時は、あれが嫌だった。アンタばかり優先されてた。いや、姉ちゃんの方が愛されてた。いいや、アンタの方が。いいや、姉ちゃんの方が。
来ると思ってたんだ。そんな言い合いを、出来る日が。
「まさか、死ぬなんて思わないじゃん」
ポツリと呟く。
私は姉が使っていた部屋で、壁にかけられたブランド物のバッグをぼんやりと眺める。あの日以降、姉がこのバッグを使っているところを見たことがない。故に、そのブラックのショルダーバッグは綺麗なままだ。
姉が実家を出て以降。この部屋は手付かずのままだったが、姉が死んでから余計に手付かずのままだ。
母は故意にこの部屋へ入ることを避けていたし、父は口にもしない。
きっと、姉が生前過ごしていたままの形で保っておきたいのだろう────そんな部屋にこっそりと侵入している私は、きっと罰当たりだ。
壁にかけられたショルダーバッグへ、私は唾を吐きかける。
「文句があるなら、出てこいよ」
電気のついていない部屋の中。闇にそう問いかける。
答えてくれる人は、誰もいない。
「愛菜は、許されてていいよね」
姉が高校生の頃、私に言ったセリフだ。愛菜は、許されてていいよね。その言葉を脳内で噛み砕き、私は手の中にあるブランド物の鞄をぎゅうと握りしめる。
姉の自室。淡い桃花色をしたカーペットの上に彼女は座り、項垂れていた。口から漏れる言葉が怖くて、私は唾液を嚥下する。
「愛菜は夜更かししても、寝坊しても。好き嫌いしても、わがまま言っても。お父さんやお母さんに許してもらえて、いいよね。嫌だっていえば、言うこと聞いてもらえるもんね。欲しいって言えば、買ってもらえるもんね」
姉は手に持っていたバッグを放り投げる。壁にぶつかったそれを目で追い、姉へ視線を戻す。私の手の中には、姉が投げたバッグと同様のものが握られており、それを強く抱きしめた。
────姉が数ヶ月前からバイトをしていることは知っていた。理由は、好きなブランドのバッグを買うためだ。友達が親に買ってもらったのを見て、自分も欲しくなったらしい。しかし、うちは裕福ではない。それを知っていて、姉は自分で金を稼ぎ、欲しいものを手に入れたのだ。
それに、反応してしまったのが私だ。私は、姉が持っているブラックの小ぶりなショルダーバッグが欲しくなった。両親に頼み込むと、父は困った顔をしながら「しょうがないなぁ」と言って買ってくれた。
「愛菜はさ、うちが裕福じゃないの知ってるよね。それを承知の上で、無理して買って欲しいって強請ったんでしょ」
姉がやけに暗い声で言った。覇気のないその声に頷く。
「……いいよね。それで買ってもらえて。私が必死にバイトしてたこと、アンタもあの人たちも知ってた癖に。私が数ヶ月かけて手に入れたものを、アンタはあっさり手に入れちゃうんだもんね。羨ましいなぁ」
部屋に入り込む夕日が姉を照らす。頬にかかった髪が、やけに黒々と鈍く光っていた。
「私があの時、欲しいって強請ったら買ってくれたのかなぁ」
ポツリと呟く。その声が、妙に鼓膜にこびりついた。
「……なんでアンタばっかなの」
姉が私へ目を遣る。その瞳には憎しみが滲んでいた。
◇
今になって思う。私は愚かなことをした。
姉は、とても手のかからない子だった。それは妹の私から見ても明確だった。
相反して、私は手のかかる子だった。わがままを通してもらえたし、言うことは大抵のことなら聞き入れてもらえていた。
だから薄々、姉は私のことを嫌いなのだなと知っていた。しかし、私も姉が嫌いだった。勉強も出来て、スポーツもそこそこに出来て。両親からは手のかからない良い子と称されて。逆に私はダメな子認定されていた。(明確に言われたことはないが、姉が近くにいると嫌でもその雰囲気を感じ取ることができるのだ)
そんな姉と、私は腹を割って話したことがない。
姉と仲が悪い時期があったが、姉が成人して家を出てからというもの、私たちは普通の姉妹並みに会話ができるようになっていた。
けれど、それでも、腹を割って話したことはない。
いつか、そんな日が来るかもしれない。あの時は、あれが嫌だった。アンタばかり優先されてた。いや、姉ちゃんの方が愛されてた。いいや、アンタの方が。いいや、姉ちゃんの方が。
来ると思ってたんだ。そんな言い合いを、出来る日が。
「まさか、死ぬなんて思わないじゃん」
ポツリと呟く。
私は姉が使っていた部屋で、壁にかけられたブランド物のバッグをぼんやりと眺める。あの日以降、姉がこのバッグを使っているところを見たことがない。故に、そのブラックのショルダーバッグは綺麗なままだ。
姉が実家を出て以降。この部屋は手付かずのままだったが、姉が死んでから余計に手付かずのままだ。
母は故意にこの部屋へ入ることを避けていたし、父は口にもしない。
きっと、姉が生前過ごしていたままの形で保っておきたいのだろう────そんな部屋にこっそりと侵入している私は、きっと罰当たりだ。
壁にかけられたショルダーバッグへ、私は唾を吐きかける。
「文句があるなら、出てこいよ」
電気のついていない部屋の中。闇にそう問いかける。
答えてくれる人は、誰もいない。
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