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猫
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◇
家の中は外から見るより広々としており、部屋の隅に置かれたキャットタワーが堂々たる存在を誇っていた。彼女は汚くてごめんなさいとひとりごち、キャットタワーの一番上に声をかけた。
「モイちゃん、降りておいで」
んなぁと抜けた声が聞こえる。私は全身が震え、頬が緩んだ。その姿に彼女は笑い、キッチンへ消えていく。私は忍び足でキャットタワーへ近づいた。一番上のハンモックがもぞもぞと動く。漏れそうになる喘ぎを抑え、見上げた。爪先で立ち、なんとかその姿を見たいと願った。
ふと、足元に何かが絡みつく。まさかと思い目線を下すと、黒々とした華奢な猫が尻尾を私の足に巻きつけていた。
歓喜の悲鳴をあげる前にこの家の主がトレーを持ち、部屋へ入ってきた。
「チュニちゃん、あまりすりすりしないの。毛がついちゃうでしょう」
私はそんなの気にしません、と声を上げ、しゃがみ込み、チュニちゃんと呼ばれた黒猫を撫でる。ごろり、と喉を鳴らし手に擦り寄ってくる黒毛に笑みが止まらない。人懐っこいその仕草は、窓から世界を見下ろしていた彼とは一味違う愛くるしさがある。
「ここにミルクティー置いておきますね。あ、ミルクティー飲めますか?」
「は、はい」
私はチュニちゃんから目を逸らし、テーブルに向き合う。家の主は氷の入ったアイスミルクティーを飲み、息を吐いた。
「猫、好きなんですか?」
「は、はい。好きなんですけど、マンション、ペット禁止で……それで、このアパートの前を通るたび、えっと、メイくんがいて……ずっと見てたんです、私」
そこまで言いかけて、私は口元を手で押さえた。やばい。ちょっと言い方、キモかったかも。全身の血の気が引くのを感じながら、目線を上げる。彼女は泣きそうな顔で私を見ていた。
「……あの子を知ってくれて、ありがとうございます」
深々と頭を下げた彼女は、自身を森永だと名乗った。
メイくんとの出会いは、車が行き交う大通り。ヨレヨレとおぼつかない足取りで歩いていたところを彼女が保護したらしい。まだ子猫だった彼を拾い、育て、今まで共に過ごしてきた────モイちゃんとチュニちゃんは姉妹で、里親を探していた知り合いから譲り受けたそうだ。彼らの初めての対面や、姉妹の破天荒っぷりに惑わされるメイくんの話を聞く。
最初はあまり仲良くなくてね。でも、徐々にメイくんが二人に心を開いて。そう幸せそうに語る森永さんを見つめ、キャットタワーから降りてきたチュニちゃんを撫でた。
一通り話を終え、口を開く。
「あの」
「はい?」
「私も、あの窓辺から外を眺めてもいいですか?」
窓辺を指差した私を見た森永さんは、えぇと頷き、二人で窓辺から外を見る。外は既に夕方から夜へ移り変わっていた。刺すような冷たい風が部屋に舞い込み、薄いカーテンを揺らす。私はインディゴブルーに染まった空に散りばめられた星屑を眺めた。まんまるい月が浮かんでいる。前に通る小道は窓から見ると違う印象を与えた。防犯灯がコンクリートをぼんやり照らしていた。私はメイくんの眺めた風景を目に焼き付け、夜風に思いを馳せる。
一度、撫でてみたかったなぁ。窓際に頬杖をつき、ふぅと一息吐いた。
「あの」
「なんですか?」
私の隣で同じように漆の薄いヴェールに覆われた外を眺めている森永さんに声をかけた。彼女はモイちゃんを撫でながら答える。
「……また、来てもいいですか」
「えぇ、勿論」
森永さんは薄茶色の瞳を猫のように細め、小さく頷いた。
後ろでチュニちゃんが、なぉと鳴く。
もう、ONP錠で夢を見なくていいかもしれない。私はチュニちゃんへ振り返り、同じように鳴いてみせた。
家の中は外から見るより広々としており、部屋の隅に置かれたキャットタワーが堂々たる存在を誇っていた。彼女は汚くてごめんなさいとひとりごち、キャットタワーの一番上に声をかけた。
「モイちゃん、降りておいで」
んなぁと抜けた声が聞こえる。私は全身が震え、頬が緩んだ。その姿に彼女は笑い、キッチンへ消えていく。私は忍び足でキャットタワーへ近づいた。一番上のハンモックがもぞもぞと動く。漏れそうになる喘ぎを抑え、見上げた。爪先で立ち、なんとかその姿を見たいと願った。
ふと、足元に何かが絡みつく。まさかと思い目線を下すと、黒々とした華奢な猫が尻尾を私の足に巻きつけていた。
歓喜の悲鳴をあげる前にこの家の主がトレーを持ち、部屋へ入ってきた。
「チュニちゃん、あまりすりすりしないの。毛がついちゃうでしょう」
私はそんなの気にしません、と声を上げ、しゃがみ込み、チュニちゃんと呼ばれた黒猫を撫でる。ごろり、と喉を鳴らし手に擦り寄ってくる黒毛に笑みが止まらない。人懐っこいその仕草は、窓から世界を見下ろしていた彼とは一味違う愛くるしさがある。
「ここにミルクティー置いておきますね。あ、ミルクティー飲めますか?」
「は、はい」
私はチュニちゃんから目を逸らし、テーブルに向き合う。家の主は氷の入ったアイスミルクティーを飲み、息を吐いた。
「猫、好きなんですか?」
「は、はい。好きなんですけど、マンション、ペット禁止で……それで、このアパートの前を通るたび、えっと、メイくんがいて……ずっと見てたんです、私」
そこまで言いかけて、私は口元を手で押さえた。やばい。ちょっと言い方、キモかったかも。全身の血の気が引くのを感じながら、目線を上げる。彼女は泣きそうな顔で私を見ていた。
「……あの子を知ってくれて、ありがとうございます」
深々と頭を下げた彼女は、自身を森永だと名乗った。
メイくんとの出会いは、車が行き交う大通り。ヨレヨレとおぼつかない足取りで歩いていたところを彼女が保護したらしい。まだ子猫だった彼を拾い、育て、今まで共に過ごしてきた────モイちゃんとチュニちゃんは姉妹で、里親を探していた知り合いから譲り受けたそうだ。彼らの初めての対面や、姉妹の破天荒っぷりに惑わされるメイくんの話を聞く。
最初はあまり仲良くなくてね。でも、徐々にメイくんが二人に心を開いて。そう幸せそうに語る森永さんを見つめ、キャットタワーから降りてきたチュニちゃんを撫でた。
一通り話を終え、口を開く。
「あの」
「はい?」
「私も、あの窓辺から外を眺めてもいいですか?」
窓辺を指差した私を見た森永さんは、えぇと頷き、二人で窓辺から外を見る。外は既に夕方から夜へ移り変わっていた。刺すような冷たい風が部屋に舞い込み、薄いカーテンを揺らす。私はインディゴブルーに染まった空に散りばめられた星屑を眺めた。まんまるい月が浮かんでいる。前に通る小道は窓から見ると違う印象を与えた。防犯灯がコンクリートをぼんやり照らしていた。私はメイくんの眺めた風景を目に焼き付け、夜風に思いを馳せる。
一度、撫でてみたかったなぁ。窓際に頬杖をつき、ふぅと一息吐いた。
「あの」
「なんですか?」
私の隣で同じように漆の薄いヴェールに覆われた外を眺めている森永さんに声をかけた。彼女はモイちゃんを撫でながら答える。
「……また、来てもいいですか」
「えぇ、勿論」
森永さんは薄茶色の瞳を猫のように細め、小さく頷いた。
後ろでチュニちゃんが、なぉと鳴く。
もう、ONP錠で夢を見なくていいかもしれない。私はチュニちゃんへ振り返り、同じように鳴いてみせた。
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