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猫
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◇
ONP錠で見せてくれる夢はどれも甘美なものだった。ペット禁止の家に住まう私にとって、猫カフェと人懐っこい野良猫と、ONP錠だけが夢を見せてくれる。
勿論、窓際に佇むあの子も。
その日の帰り道も「あの」アパート前を通る。光の漏れたカーテン、綺麗な窓ガラス。佇む猫。私は期待をしながら視線を投げる。
しかし、彼(彼女)はいなかった。私は目を見開き、え? と声を漏らす。だって、あの子がいないことなど今までなかったのだ。通り過ぎる犬を見下ろし、空を飛ぶ鳥を見上げ、外へ想いを馳せていたというのに。私はその日、落胆したままベッドへ潜り込んだ。どうしたのだろう、あの子に何が。私はモヤモヤとした気持ちで夜を過ごした。
次の日、バイトが無かった。「あの」アパートへ行く理由など無かったが私は着替え、支度をし、散歩がてら「あの」アパートへ向かう。不審者に思われないよう注意しつつ、前を通り過ぎた。
────誰かがいる。
私は窓から目を逸らし、顔を俯けた。あの窓際に、誰かが頬杖をついて外を見ていた。憂いた表情で空を見上げていたのは、自分と同い歳……二十代前半のショートヘアがよく似合う、女性がいた。私はもう一度、窓辺を見る。彼女は変わらず空を見上げている。私はそのまま「あの」アパート前を通り過ぎた。
もしかして。あの猫が、女性に? と馬鹿げた考えまで至り、いやいやとかぶりを振る。そんなわけない。明日、また来よう。そう心に決め、私は自宅へ戻った。
次の日も同様「あの」アパート前に訪れる。バイト帰り、クタクタの体をなんとか引きずり、私は窓辺を見上げた。
────また、あの女性だ。
私は頬杖をつき、空を見上げている女性を再び目にする。彼女は相変わらず憂いたような、寂しそうな顔で空を眺めていた。時折、空を舞う鳥を目で追っている。
まさか。本当に? 想像していた馬鹿な考えが再び頭を駆け巡る。ふと、彼女と目が合った。私は小さな悲鳴をあげそうになり、なんとかそれを飲み込む。やばい、変質者と通報される前に逃げねば、と早歩きで立ち去ろうとしたその時、窓が開いた。
「あの」
「は、はい!」
裏返る声が恥ずかしくて私は顔を上げることが出来ず、その場に固まった。彼女は私を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「メイくんの」
「は?」
「メイくんの知り合いですか?」
私は顔を上げ、視線を投げた。彼女は切実という言葉がピッタリの表情を浮かべ真剣に私の目を見ていた。メイくんとは一体……。
途端、私は声を張り上げた。
「あ、あの斑柄の子……?」
「そうです、メイくん」
あぁ。あの子、オスだったのか。私はへぇと声を漏らす。初めて知った情報を脳で噛み砕いていると、再び彼女が声を上げた。
「あの子の情報、何か教えてもらえませんか?」
彼女は目を伏せ、悲しそうな顔をした。口の中に溜まった唾液を嚥下し、乾いた喉から声を絞り出す。
「……彼、私がここを通るときはずっとそこにいました。そこで、空を飛んでいる鳥とか、散歩している犬とかを眺めてて……でも、私には一切興味がないように、目も合わせてくれなくて、それがまるで世界を牛耳る王のようで……すごく素敵な子でしたよ」
私の言葉にそうですか、と嬉しそうに微笑み、彼女は言いづらそうに言葉を漏らす。
「……あの子、この間、亡くなったんです」
「え!?」
私は自分でも予想できないほどの大きな声をあげ、手で口を押さえた。あまりの恥ずかしさに耳が熱くなる。あはは、と彼女は軽く笑い、話を続けた。
「もう、歳で……おじいちゃんだったんです。いつも窓辺に佇んでいるのは知っていたのですが、窓の外から見たことがなかったので、情報が聞けてよかった」
真後ろをバイクが一台通り過ぎる。私はその後ろ姿を目で追った。
「……今更、あの子のことが愛おしく思えてきちゃって。あの子がどんな景色を見てたのか、この窓から眺めたら、分かるかなぁって」
彼女はショートヘアを風に靡かせながら、頬杖をつき、再び空を見上げた。私もつられて空を見上げる。朱に染まる夕焼けが目に染みた。
不意に猫の鳴き声が耳に届く。頬杖をついてた彼女が振り返り、はぁいと応答した。私は咄嗟に声をあげる。
「猫、いるんですか?」
「え?うん、いますよ。保護猫があと二匹」
実際はこのアパート、猫一匹までの契約で借りてるので、大きな声で言えないですけど、と声を顰めた。そして私の期待に満ちた顔を見て、笑う。
「ごめんなさい、立たせたままで。家に入って下さい。お茶、出しますよ」
ONP錠で見せてくれる夢はどれも甘美なものだった。ペット禁止の家に住まう私にとって、猫カフェと人懐っこい野良猫と、ONP錠だけが夢を見せてくれる。
勿論、窓際に佇むあの子も。
その日の帰り道も「あの」アパート前を通る。光の漏れたカーテン、綺麗な窓ガラス。佇む猫。私は期待をしながら視線を投げる。
しかし、彼(彼女)はいなかった。私は目を見開き、え? と声を漏らす。だって、あの子がいないことなど今までなかったのだ。通り過ぎる犬を見下ろし、空を飛ぶ鳥を見上げ、外へ想いを馳せていたというのに。私はその日、落胆したままベッドへ潜り込んだ。どうしたのだろう、あの子に何が。私はモヤモヤとした気持ちで夜を過ごした。
次の日、バイトが無かった。「あの」アパートへ行く理由など無かったが私は着替え、支度をし、散歩がてら「あの」アパートへ向かう。不審者に思われないよう注意しつつ、前を通り過ぎた。
────誰かがいる。
私は窓から目を逸らし、顔を俯けた。あの窓際に、誰かが頬杖をついて外を見ていた。憂いた表情で空を見上げていたのは、自分と同い歳……二十代前半のショートヘアがよく似合う、女性がいた。私はもう一度、窓辺を見る。彼女は変わらず空を見上げている。私はそのまま「あの」アパート前を通り過ぎた。
もしかして。あの猫が、女性に? と馬鹿げた考えまで至り、いやいやとかぶりを振る。そんなわけない。明日、また来よう。そう心に決め、私は自宅へ戻った。
次の日も同様「あの」アパート前に訪れる。バイト帰り、クタクタの体をなんとか引きずり、私は窓辺を見上げた。
────また、あの女性だ。
私は頬杖をつき、空を見上げている女性を再び目にする。彼女は相変わらず憂いたような、寂しそうな顔で空を眺めていた。時折、空を舞う鳥を目で追っている。
まさか。本当に? 想像していた馬鹿な考えが再び頭を駆け巡る。ふと、彼女と目が合った。私は小さな悲鳴をあげそうになり、なんとかそれを飲み込む。やばい、変質者と通報される前に逃げねば、と早歩きで立ち去ろうとしたその時、窓が開いた。
「あの」
「は、はい!」
裏返る声が恥ずかしくて私は顔を上げることが出来ず、その場に固まった。彼女は私を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「メイくんの」
「は?」
「メイくんの知り合いですか?」
私は顔を上げ、視線を投げた。彼女は切実という言葉がピッタリの表情を浮かべ真剣に私の目を見ていた。メイくんとは一体……。
途端、私は声を張り上げた。
「あ、あの斑柄の子……?」
「そうです、メイくん」
あぁ。あの子、オスだったのか。私はへぇと声を漏らす。初めて知った情報を脳で噛み砕いていると、再び彼女が声を上げた。
「あの子の情報、何か教えてもらえませんか?」
彼女は目を伏せ、悲しそうな顔をした。口の中に溜まった唾液を嚥下し、乾いた喉から声を絞り出す。
「……彼、私がここを通るときはずっとそこにいました。そこで、空を飛んでいる鳥とか、散歩している犬とかを眺めてて……でも、私には一切興味がないように、目も合わせてくれなくて、それがまるで世界を牛耳る王のようで……すごく素敵な子でしたよ」
私の言葉にそうですか、と嬉しそうに微笑み、彼女は言いづらそうに言葉を漏らす。
「……あの子、この間、亡くなったんです」
「え!?」
私は自分でも予想できないほどの大きな声をあげ、手で口を押さえた。あまりの恥ずかしさに耳が熱くなる。あはは、と彼女は軽く笑い、話を続けた。
「もう、歳で……おじいちゃんだったんです。いつも窓辺に佇んでいるのは知っていたのですが、窓の外から見たことがなかったので、情報が聞けてよかった」
真後ろをバイクが一台通り過ぎる。私はその後ろ姿を目で追った。
「……今更、あの子のことが愛おしく思えてきちゃって。あの子がどんな景色を見てたのか、この窓から眺めたら、分かるかなぁって」
彼女はショートヘアを風に靡かせながら、頬杖をつき、再び空を見上げた。私もつられて空を見上げる。朱に染まる夕焼けが目に染みた。
不意に猫の鳴き声が耳に届く。頬杖をついてた彼女が振り返り、はぁいと応答した。私は咄嗟に声をあげる。
「猫、いるんですか?」
「え?うん、いますよ。保護猫があと二匹」
実際はこのアパート、猫一匹までの契約で借りてるので、大きな声で言えないですけど、と声を顰めた。そして私の期待に満ちた顔を見て、笑う。
「ごめんなさい、立たせたままで。家に入って下さい。お茶、出しますよ」
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