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アンドロイド
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それから彼は私の要望でコンタクトへ変えた。眼鏡を取った姿はやはりRXくんそのものだった。似合いますか、と無表情で聞いてくる彼に私は大袈裟に頷いた。
彼は、やはりそこら辺の男たちとは違った。安易に手を握ってきたり、肩を抱いたり、腰に手を回したり、キスを迫ったりしなかった。時折、不意に手が触れることがあるが、それでも彼は顔色ひとつ変えなかった。触れた指先の冷たさに歓喜の雄叫びをあげそうになる。全くと言っていいほど温かみのない彼が愛おしかった。
彼と交流を深める内に、私は少しずつ「機械のような彼」ではなく「涼宮蔡樹」を愛し始めていた。デートは必ず映画館へ行く。騒がしいアクション映画が苦手で、雨上がりの早朝の様な映画を好む。音楽はクラシックしか聴かない。ファストフードを食べたことがなく野菜中心の食生活らしい。
私とは全然違う趣味だが、それこそが彼らしさを引き出していて私を惹いた。時折、彼は私に、自分といて楽しいか? と聞いてくる。私はすかさず楽しい、と答える。
翌月、ONP錠を飲まなかった。私は夢に頼らず────RXくんに頼らず生きていけるようになったのだ。これで「まとも」な人間の部類に溶け込めるようになれる。私は自分が変わっていくことに安堵を感じた。機械仕掛けの男を愛さずに済む。私は確実に「人間」である「涼宮蔡樹」を愛していた。
私は生まれ変わったのだ。
「京子さん」
「なぁに」
「……今から僕の家、来ませんか」
日曜日。ミニシアターからの帰り道、私は炭酸飲料の入ったコップに刺さったストローを咥えながらその言葉を聞いていた。夕方から夜に差し掛かる途中の独特な雰囲気が二人を飲み込もうとしている。強い風にかき消されそうになったその声を拾い上げ、脳内で何度か刻み、処理した。家に来ませんか。家に来ませんか。家に来ませんか。何度も咀嚼した。
ゴクン。炭酸飲料を嚥下し、え? と素っ頓狂な声を上げる。額に汗が滲む。緊張しているのだと、その時初めて実感した。サイキくんが俯けていた顔をあげ、私を見た。いつも通り、読み取りづらさを孕んだ瞳をしていた。欲など一切感じられない眼差し。私は目を見て、緊張が解れる。
あぁ、そうだった。彼はそこら辺の凡愚たちとは違うんだった。彼には欲が無い。だから変な心配をしなくていい。
私は、いいよ。と、ワントーン明るい声を上げた。彼は、じゃあここから近いので。と、踵を返した。私はその背中を急足で追う。
ここです、と連れてこられたマンションはどこにでもある平凡的な佇まいをしていた。無機質なエントランスへ入り、エレベーターへ乗る。その間、彼はいつも通りだった。無駄話はしないし、でも、必要なことはボソリとひとりごちる。ボタンを押しつつ、五階です。と、呟いた。エレベーター特有の妙な感覚を味わいつつ、五階へ到着する。コンクリートで描かれた廊下を歩き、端から二番目のドアの前に辿り着く。 サイキくんが背負っていたリュックから鍵を抜き取り、ドアを開けた。中から微かな柑橘系の匂いが漂う。お邪魔します、と入りこんだ玄関は彼の性格を反映させたかのように綺麗に整頓されていた。一足の黒いスニーカーがあるだけで、あとは何もない玄関でパンプスを脱ぎ、廊下を歩く。突き当たりのドアを開け、中に入る。白と黒で統一された部屋内は彼らしさ満載だった。ソファを指差し、座っててください、と指示される。スカートに皺がつかないようにゆっくりと座り、部屋をぐるりと見回す。
余計なものがない部屋は寂しささえ感じられる。キッチンからコップを二つ持ってきたサイキくんは、ソファ前に置かれたテーブルにマグカップを乗せた。中身はブラックコーヒーだった。飲めないなぁ。私はそう思ったが、サイキくんの行為を無碍に出来ず、マグカップを手に持ち一口飲んだ。苦さに思わず顔を顰める。彼はテレビの電源をつけ、テラス戸を少し開けた。夜風が入りこみ、空気が巡回する。そのまま彼は、隣に腰掛けた。顔を歪めている私に目もくれず、テレビをぼんやり見ている。
「招いてくれてありがとう。すごく綺麗な部屋だね」
「……」
何も返さない彼に私は疑問を感じた。先ほどから口数が少ない。いや、いつも少ないのだが、今日は余計に────。
私はテレビを見ながらもう一口、コーヒーを飲む。やはり苦い。舌に広がる渋さが全身を駆け巡る。苦手なものは無理にして飲むのは良くないな。そう思いコーヒーをテーブルに置いた。
彼は、やはりそこら辺の男たちとは違った。安易に手を握ってきたり、肩を抱いたり、腰に手を回したり、キスを迫ったりしなかった。時折、不意に手が触れることがあるが、それでも彼は顔色ひとつ変えなかった。触れた指先の冷たさに歓喜の雄叫びをあげそうになる。全くと言っていいほど温かみのない彼が愛おしかった。
彼と交流を深める内に、私は少しずつ「機械のような彼」ではなく「涼宮蔡樹」を愛し始めていた。デートは必ず映画館へ行く。騒がしいアクション映画が苦手で、雨上がりの早朝の様な映画を好む。音楽はクラシックしか聴かない。ファストフードを食べたことがなく野菜中心の食生活らしい。
私とは全然違う趣味だが、それこそが彼らしさを引き出していて私を惹いた。時折、彼は私に、自分といて楽しいか? と聞いてくる。私はすかさず楽しい、と答える。
翌月、ONP錠を飲まなかった。私は夢に頼らず────RXくんに頼らず生きていけるようになったのだ。これで「まとも」な人間の部類に溶け込めるようになれる。私は自分が変わっていくことに安堵を感じた。機械仕掛けの男を愛さずに済む。私は確実に「人間」である「涼宮蔡樹」を愛していた。
私は生まれ変わったのだ。
「京子さん」
「なぁに」
「……今から僕の家、来ませんか」
日曜日。ミニシアターからの帰り道、私は炭酸飲料の入ったコップに刺さったストローを咥えながらその言葉を聞いていた。夕方から夜に差し掛かる途中の独特な雰囲気が二人を飲み込もうとしている。強い風にかき消されそうになったその声を拾い上げ、脳内で何度か刻み、処理した。家に来ませんか。家に来ませんか。家に来ませんか。何度も咀嚼した。
ゴクン。炭酸飲料を嚥下し、え? と素っ頓狂な声を上げる。額に汗が滲む。緊張しているのだと、その時初めて実感した。サイキくんが俯けていた顔をあげ、私を見た。いつも通り、読み取りづらさを孕んだ瞳をしていた。欲など一切感じられない眼差し。私は目を見て、緊張が解れる。
あぁ、そうだった。彼はそこら辺の凡愚たちとは違うんだった。彼には欲が無い。だから変な心配をしなくていい。
私は、いいよ。と、ワントーン明るい声を上げた。彼は、じゃあここから近いので。と、踵を返した。私はその背中を急足で追う。
ここです、と連れてこられたマンションはどこにでもある平凡的な佇まいをしていた。無機質なエントランスへ入り、エレベーターへ乗る。その間、彼はいつも通りだった。無駄話はしないし、でも、必要なことはボソリとひとりごちる。ボタンを押しつつ、五階です。と、呟いた。エレベーター特有の妙な感覚を味わいつつ、五階へ到着する。コンクリートで描かれた廊下を歩き、端から二番目のドアの前に辿り着く。 サイキくんが背負っていたリュックから鍵を抜き取り、ドアを開けた。中から微かな柑橘系の匂いが漂う。お邪魔します、と入りこんだ玄関は彼の性格を反映させたかのように綺麗に整頓されていた。一足の黒いスニーカーがあるだけで、あとは何もない玄関でパンプスを脱ぎ、廊下を歩く。突き当たりのドアを開け、中に入る。白と黒で統一された部屋内は彼らしさ満載だった。ソファを指差し、座っててください、と指示される。スカートに皺がつかないようにゆっくりと座り、部屋をぐるりと見回す。
余計なものがない部屋は寂しささえ感じられる。キッチンからコップを二つ持ってきたサイキくんは、ソファ前に置かれたテーブルにマグカップを乗せた。中身はブラックコーヒーだった。飲めないなぁ。私はそう思ったが、サイキくんの行為を無碍に出来ず、マグカップを手に持ち一口飲んだ。苦さに思わず顔を顰める。彼はテレビの電源をつけ、テラス戸を少し開けた。夜風が入りこみ、空気が巡回する。そのまま彼は、隣に腰掛けた。顔を歪めている私に目もくれず、テレビをぼんやり見ている。
「招いてくれてありがとう。すごく綺麗な部屋だね」
「……」
何も返さない彼に私は疑問を感じた。先ほどから口数が少ない。いや、いつも少ないのだが、今日は余計に────。
私はテレビを見ながらもう一口、コーヒーを飲む。やはり苦い。舌に広がる渋さが全身を駆け巡る。苦手なものは無理にして飲むのは良くないな。そう思いコーヒーをテーブルに置いた。
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