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息子を愛せない
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◇
飯島幸穂と出会ったのは、友人の紹介がきっかけだった。最初の頃は大人しく、控えめで目立たない女だった。話しかけても、軽い返事か相槌ぐらいしか打たず、俺の好みでは無かった。
が、友人の集まりで彼女と会うたびに、何故か徐々に惹かれていった。顔や体型は平均的だったが、その黒目がちな瞳がとても愛くるしかった。それに、彼女の内面に入り込もうと奮闘すればする程、彼女は緩やかに俺に心を開いていった。それはまるでゲームを攻略するような感覚に似ており、俺の話で彼女を腹の底から笑わせた日には、勇者が魔王を倒した時のような達成感を味わうことができた。
今まで経験したことのない恋愛をした俺は、幸穂にどっぷりだった。彼女も俺を好いており、大学卒業後に俺たちは交際をはじめ、無事、二十四歳の秋に結婚した。
彼女との結婚生活は順風満帆で、何不自由なく生活できていた。
俺がそんな生活に飽き始めたのは、二十八歳。会社に慣れ始め、後輩と呼べる人間ができ始めた頃。仕事を任される重圧に耐えきれず、ある女に手を出してしまった。
それが、柑奈だ。紫藤柑奈は俺の後輩にあたる女で、若く、とても艶やかだった。萎れた花とも言える幸穂との生活にうんざりしていた俺は、目の前に咲き誇る美しい花に、つい現を抜かしてしまった。
しかし、柑奈はとても真面目な性格だった。俺が既婚者なのを知っており、誘いを断った。が、彼女自身も俺の仕事っぷりや性格に惹かれていたらしい。つまり、両思いということだ。
けれど、彼女は俺が既婚者であるうちは絶対に関係を持とうとしなかった。強い女であると彼女を賛美するか、はたまた俺が弱い男だと蔑まれるべきか。
私に触れるなら、奥様を捨てる覚悟でお願いします。と、見つめる瞳に気圧され、俺は何も出来ずにいた。
野に咲く美しい花を摘むことのできない鬱憤を、俺は幸穂にぶつけ続けた。彼女を抱く際に、柑奈を思い浮かべた。幸穂さえ、この女さえいなければ俺は今頃、柑奈を────という思いを合法的に幸穂へ流し込む。幸穂はというと白い歯を見せながら、こういう行為、貴方から誘われるの久しぶりだから嬉しい、と呟く。俺は下手な笑みを浮かべつつ、彼女の言葉を流した。
そんなある日、幸穂が妊娠した。気をつけてはいたが、何処かで手違いがあったらしい。勿論、俺は困惑した。頃合いを見計らいつつ、離婚しようと思っていたからだ。その計画の歯車が狂い、子供ができてしまった。
俺は彼女に堕ろせるか、と持ちかけようとした。が、時既に遅し。彼女は自身の両親、及び俺の両親にまで報告をしていたのだ。先手を取られ、俺は後に引けなくなった。
幸穂さんに聞いたわよ。おめでとうね、と喜ぶ母親の溌剌とした声に、胃液が込み上げるのを我慢していた。
俺は自分の馬鹿さ加減と、幸穂の強かさに絶望した。(幸穂の場合、強かさというより純粋に妊娠したことが嬉しかったのかもしれない)
逃げられない。柑奈と俺は、永遠に結ばれることはないのだ。そう考えるだけで、勝手に子供を孕んでしまった幸穂が憎くて仕方がなかった。
しかし、そんなことを考えていても、幸穂の腹は大きくなり続ける。時間は止まらないし、巻き戻しもできない。俺は、この鎖から、逃れることはできないのだ。
そんな思いを抱え込んでいた俺の前に、更なる悲劇が舞い込む。
それは、幸穂の死だ。
マンションの階段から転落した。頭を強く強打し、彼女は亡くなった。それも、俺の目の前で。窮地に立たされていながら、彼女は懸命に腹だけを庇っていた。頭から垂れる血、股から漏れ出た液体。薄らと開いた瞳が俺を見ていた。
黒目がちな、あの瞳が。
飯島幸穂と出会ったのは、友人の紹介がきっかけだった。最初の頃は大人しく、控えめで目立たない女だった。話しかけても、軽い返事か相槌ぐらいしか打たず、俺の好みでは無かった。
が、友人の集まりで彼女と会うたびに、何故か徐々に惹かれていった。顔や体型は平均的だったが、その黒目がちな瞳がとても愛くるしかった。それに、彼女の内面に入り込もうと奮闘すればする程、彼女は緩やかに俺に心を開いていった。それはまるでゲームを攻略するような感覚に似ており、俺の話で彼女を腹の底から笑わせた日には、勇者が魔王を倒した時のような達成感を味わうことができた。
今まで経験したことのない恋愛をした俺は、幸穂にどっぷりだった。彼女も俺を好いており、大学卒業後に俺たちは交際をはじめ、無事、二十四歳の秋に結婚した。
彼女との結婚生活は順風満帆で、何不自由なく生活できていた。
俺がそんな生活に飽き始めたのは、二十八歳。会社に慣れ始め、後輩と呼べる人間ができ始めた頃。仕事を任される重圧に耐えきれず、ある女に手を出してしまった。
それが、柑奈だ。紫藤柑奈は俺の後輩にあたる女で、若く、とても艶やかだった。萎れた花とも言える幸穂との生活にうんざりしていた俺は、目の前に咲き誇る美しい花に、つい現を抜かしてしまった。
しかし、柑奈はとても真面目な性格だった。俺が既婚者なのを知っており、誘いを断った。が、彼女自身も俺の仕事っぷりや性格に惹かれていたらしい。つまり、両思いということだ。
けれど、彼女は俺が既婚者であるうちは絶対に関係を持とうとしなかった。強い女であると彼女を賛美するか、はたまた俺が弱い男だと蔑まれるべきか。
私に触れるなら、奥様を捨てる覚悟でお願いします。と、見つめる瞳に気圧され、俺は何も出来ずにいた。
野に咲く美しい花を摘むことのできない鬱憤を、俺は幸穂にぶつけ続けた。彼女を抱く際に、柑奈を思い浮かべた。幸穂さえ、この女さえいなければ俺は今頃、柑奈を────という思いを合法的に幸穂へ流し込む。幸穂はというと白い歯を見せながら、こういう行為、貴方から誘われるの久しぶりだから嬉しい、と呟く。俺は下手な笑みを浮かべつつ、彼女の言葉を流した。
そんなある日、幸穂が妊娠した。気をつけてはいたが、何処かで手違いがあったらしい。勿論、俺は困惑した。頃合いを見計らいつつ、離婚しようと思っていたからだ。その計画の歯車が狂い、子供ができてしまった。
俺は彼女に堕ろせるか、と持ちかけようとした。が、時既に遅し。彼女は自身の両親、及び俺の両親にまで報告をしていたのだ。先手を取られ、俺は後に引けなくなった。
幸穂さんに聞いたわよ。おめでとうね、と喜ぶ母親の溌剌とした声に、胃液が込み上げるのを我慢していた。
俺は自分の馬鹿さ加減と、幸穂の強かさに絶望した。(幸穂の場合、強かさというより純粋に妊娠したことが嬉しかったのかもしれない)
逃げられない。柑奈と俺は、永遠に結ばれることはないのだ。そう考えるだけで、勝手に子供を孕んでしまった幸穂が憎くて仕方がなかった。
しかし、そんなことを考えていても、幸穂の腹は大きくなり続ける。時間は止まらないし、巻き戻しもできない。俺は、この鎖から、逃れることはできないのだ。
そんな思いを抱え込んでいた俺の前に、更なる悲劇が舞い込む。
それは、幸穂の死だ。
マンションの階段から転落した。頭を強く強打し、彼女は亡くなった。それも、俺の目の前で。窮地に立たされていながら、彼女は懸命に腹だけを庇っていた。頭から垂れる血、股から漏れ出た液体。薄らと開いた瞳が俺を見ていた。
黒目がちな、あの瞳が。
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