FALL

渡里あずま

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好きだからこそ

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 会うのは、日向のアパートで。
 同じ地下鉄だが、職場からは日向のアパートの方が近い。そして早生は夕方からのシフトなので、最終の十一時まで。日勤もある日向より、遅くなる事が多いのだ。
 だから日向は、合わない時間と仕事帰りの寄り易さを理由にして、早生と自分のアパートで会っていた。
 ……会って、早生に抱かれていた。

「日向、さん……好きです、日向さん……」
「……俺、も」

 直に触れて、重なる肌。情けないが、それだけで息が上がる。
 降ってくる囁きと唇に何とかそれだけ答えながら、日向はシーツへと手を伸ばした。
 好きと言ってくれる、早生のその気持ち自体は否定しない。だが、その気持ちがずっとは続かないと日向は思っている。
 今は自分を「好き」だと言ってくれているが、早生には元々別に好きな相手がいて。一途に、真っ直に想っていた事を日向は知っている。
(その相手が、振り向いてくれなくて……寂しかったところに、俺が割り込んじゃったんだよな)
 そうだとすれば、今だけだ。いつか、早生の目も覚める――早生の暴走により、彼への恋心を自覚させられた日向は別だけれど。
 だから日向は早生と、告白された時の言葉を借りれば『最後まで』した。
 羞恥と早生への気持ちが溢れて内心、悶絶していたが。好きだからこそ、早生に最後まで許した。
(好きだよ、早生……大好きだ)
 照れてしまいがちだが、出来る限り自分の気持ちを伝えようと日向は思う。そうじゃなければ、いっそ不思議なくらい自分に自信がない早生は不安がって泣いてしまうだろうから――けれど。
 そこまで考えたところで、日向は隣で眠る早生へと目をやった。

(良かった、今日も無事だ)

 綺麗な、傷一つ無い背中。早生の背中や肩を守れた事に、日向は安堵の息を吐いた。
(好きだよ、早生)
 間違っても傷つけないように爪を切り、抱き合っている最中も腕を回す代わりにシーツを掴み。
 日向の家で会い、絶対に早生に痕をつけないようにしているのは、いつでも『なかった事』に出来るようにだった。



「今日は、インターネット接続不可について」

 今回の新人研修は、日勤メインのシフトという事もあって日向がメインで担当するようになった。
 日向のその言葉と共に、研修室に集まった二十代から四十代とバラバラの年代の男女が、一斉にパソコンの画面を見る。エコの目的もあるが情報漏洩を防ぐ為、最近は紙資料ではなくこうして端末で資料用のデータを確認するのだ。
 とは言え、経験者ならまだしも初心者で一から覚えるのは難しい。だから日向は、持ち出しは不可だが個別にノートを取る事を許していた。
(俺も、書かないと覚えられなかったからな)
 も、と思うのは新人の中で毎回、キチンとノートを取っている娘がいるからである。
 山下茜やましたあかねは前職がショップ店員だった為、声だけでも説明・案内は出来るのだが――どうも、パソコンやインターネットは不慣れらしく。華やかな容姿に反し、真面目にそして熱心に研修に取り組んではいるが、小テストの結果は芳しくない。
(喋りが出来れば、テクニカルは何とかなる……けど)
 解らない事があれば、最初のうちはリーダーに聞けば良い。その為に、自分達はいると思っている。
 しかし、テレホンオペレーターにはプロバイダだけではなく、通信販売や旅行社の注文などもあるし。若くて綺麗な女性ならそれこそ電話ではなく、対面の接客業に戻る事も可能だろう。そう思うと、無理をさせるのも躊躇った。



「井原君、それマズいって」
「えっ、悪い。セクハラだったか?」
「……じゃなくて」

 始業時間から終業時間までの通しの時は、昼休憩の他に夕方にも少し長めの休憩が入る。
 休憩室で一緒になった未来に茜の事を話していたら、何故かそうたしなめられてしまった。同じ女性からすると、いくら苦手でも若い女性だからと言うだけで他の道をと思うのは失礼だったか――そう思って謝ったが、そんな日向にやれやれと未来がため息を吐く。

「そんな風に気遣ってたら、山下さんに惚れられちゃうよ?」
「えっ!?」
「久賀君程じゃないけど井原君も、見た目はまずまずで性格も良いんだから……まあ、だからそうやって色々、考えちゃうんだろうけど」
「そ……久賀だって、いい奴だぞっ!」
「ちょっと、突っ込むところそこ?」

 クスクスと未来に笑われてしまったが、咄嗟に下の名前を呼びそうになった日向は、何とか踏み止まった事にこっそり胸を撫で下ろしていた。
(何、言ってるんだか。俺みたいなのを、相手にする訳ないだろ?)
 我ながら卑屈だと思うが、いくらリーダーなんて役職付きでも所詮は派遣社員である。女性ならまだしも、そんな将来が不安定な男なんて対象外だろう。現に未来だって付き合っているのは教師、つまりは公務員だ――それが日向の、高校の時からの同級生で友人だったりするのだけれど。
 ……そこまで考えたところで、日向は背後から視線を感じた。
 ふと振り向いた先、休憩室の入り口に早生の姿を見つけてドキリとする。私物を置くロッカーと、休憩室は繋がっていて。日向は、壁にかかった時計へと目をやった。
(あぁ、もう出勤してくる時間か)

「煙草、吸ってくるね」
「ん」

 喫煙者である未来が席を立つのに、返事をした。煙草の入ったポーチだけを持ち、最低限の私物を持ち込む為のビニールバックは置いていったのですぐに戻ってくるだろう。

「……日向さん」
「なっ……」

 そんな中、近付いてきた早生に声を掛けられる。休憩室とは言え、職場で下の名前を呼ばれたのに焦って、思わず周囲を見回した日向だったが。

「今夜、あなたの家に行きます」

 それだけ言って、踵を返した早生の背中を日向は呆然として見送った。
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