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『番の呪い』前編

【挿話】 アモラル

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ウォグバードの過去話です

注)近親相姦の内容があります(R18無し)


***

 ウォグバードは元々シドが治める里の出身ではなく、東の方にある別の小さな里の出身だった。

 父は幼い頃に人間に狩られ、母と妹との三人暮らしだった。族長の側近でもある母方の伯父が父親代わりになってくれて、剣術は彼から教わった。

 妹は生まれつき病弱で、寝込むことが多かった。ウォグバードは妹が伏せる度に必ずそばに付添って看病した。

 ある時妹が死の淵を彷徨った。もう助からないだろうと医師に宣告までされた。

「兄さま……」

 熱に浮かされた妹が手を伸ばし、ウォグバードを呼んでいた。

 妹の気持ちには気付いていた。そして自分の気持ちにも。

「兄さま…………」

 ウォグバードはその手を取った。

 ウォグバードは二十歳を過ぎても番を持たず、ずっと妹だけを愛していた。

 一緒に死ぬつもりだった。ウォグバードは妹が死んだ後に自分も後を追って死ぬつもりで、最後に本懐を遂げた。

 だが妹の病状は翌朝、嘘のように回復していた。

 妹はウォグバードとどうしても離れたくなかったと言って病み上がりの青白い顔に涙を浮かべていた。ウォグバードは妹と抱き合いながら奇跡に感謝したが、そこからまた別の苦しみが始まった。

 お互いの身体には番となった匂いがこびりついている。匂いを取り繕うこともできず、二人の関係はすぐに露呈した。周囲が二人を祝福するはずがなかった。

 母は自害した。

 里の者たちは二人を許さなかった。特に伯父は鬼気迫る勢いで二人に刃を向けた。ウォグバードは妹を連れて命からがら里を出たが、二人を狩るために伯父が仲間を引き連れて追いかけてきた。

「許してください、俺はフィリアを愛しているんです。里にはもう一切近付きませんから、どうか俺たちを見逃してください」

「私も兄さまを愛してます。兄さまがいてくださったから私は死なずにこうしてまだ生きていられるのです。どうか私たちを許してください」

「黙れ! していいこととならんことの区別もつかんのか! お前たちを悪魔に育てた覚えは無い! ケダモノどもが! 恥を知れ! せめてお前たちを無に還す! それが俺の役目だ!」

 二人は逃げた。逃げ続けた。だが伯父たちはどこまでも二人を追い続けた。国の東に位置する里を出た彼らは、やがて西側の、別の獣人族の縄張りに入っていた。

 ウォグバードたちは木々が多い茂る広大な森の中に逃げ込んだ。

 フィリアを庇いながらの複数を相手取った戦いは圧倒的に不利だった。そこまで傷一つ負わずによく防ぎきれたものだった。

 終わりの見えない逃走劇はウォグバードの体力を確実に奪っていた。伯父の容赦無い一撃が走り、ウォグバードは避けきれずに右眼を負傷した。

「兄さま!」

 続け様にウォグバードを絶命させるべく伯父の攻撃が放たれる。

 フィリアがウォグバードの盾になろうと飛び出すが、ウォグバードはフィリアの身体を抱え込んで守ろうとした。

 二人はきつく抱き合った。このまま二人で一緒に死ねるのなら、本望だった。

 しかし覚悟した衝撃も痛みもやって来なかった。

 ウォグバードは誰か見知らぬ者の匂いを嗅いだ。

(しかしこの匂いは――――)

 ウォグバードは血濡れた右眼を抑えながらもう片方の眼を開けて周囲を確認した。

 伯父と自分たちとの間に、赤に近い、明るい茶色の髪を持つ少年が立ちはだかっていた。

 信じられないことに、少年は伯父の剣を片手でつまんで止めていた。

「ここは俺たちの縄張りだ。他の部族がうちに何の用だ?」

 少年が落ち着き払った声を出す。およそ年齢に似つかわしくない、人の上に立つことを常態としているようなそんな印象の話し方だった。

 伯父は自分よりもかなり年下の少年に渾身の一撃を止められて驚いていた。剣を引こうとするが、剣は少年がつまんだまま空中で静止していて、びくともしない。

 少年と対する伯父の額から冷や汗が流れていた。伯父はこの少年に向かって畏怖に近い感情を顔に浮かべている。

 少年は伯父が自分の問いかけに答えるまでは放すつもりがないようだった。

「申し訳ありません。我が里の罪人を追い詰めていた所、あなた様の縄張りに侵入してしまったようです。平にご容赦を」

 伯父が謝るとようやく少年は剣から手を放した。伯父はその場に膝を突き礼を取り、連れてきた仲間たちにも同様に礼をするよう促す。

 伯父の態度と敬語を使っていることから、ウォグバードはこの少年の正体に思い至った。

 噂話で、西の獣人族に十代前半で族長になった怪物がいるらしいと聞いたことがあった。ウォグバードは与太話だと信じていなかったが、おそらくはこの少年が――――

 周囲に何人か、この少年と同郷だと思われる獣人たちが姿を現し始めた。

「罪とは何だ?」

「この二人は実の兄妹でありながら浅ましくも関係を持ち、番となったのです」

 少年が振り返って抱き合ったままのウォグバードとフィリアを見た。凛々しく美しい顔をした少年の鋭い眼光が二人に向けられる。

 少年の黒い瞳は僅かに赤みがかっていた。茶色の髪が風に揺れ、一部が陽の光に透けて鮮やかな赤に見える。

「そんなことか」

 少年が興味無さそうに呟いた。

(そんなこと……)

 母が命を絶ち、伯父が決して許さず、ウォグバードたちが命がけで貫こうとしている思いを、「そんなこと」呼ばわりとは。

 少年の身体から複数の女の匂いがする。少年が現れた時からウォグバードが気になっていたのはそれだった。

 少年はその年齢で何人もの相手と関係を持っているようだった。

(彼は鼻を焼いているのだろうか?)

 妹と関係したウォグバードが思うのもおかしな話だが、この少年は鼻を焼いていたとしても倫理観が著しく欠如しているのではないかと思ってしまう。

 獣人は一途な生き物であり、通常、生涯でたった一人としか番わない。二人目と関係するにしても一人目と死別した場合のみだろう。

 同時期に複数と関係できる獣人がいるとは話に聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。

(この少年は普通じゃない)

 この少年から得体の知れない不気味さを感じていたウォグバードはしかし、彼の次の言葉でその認識を一変させた。

「惚れた相手が血を分けた兄妹だっただけのこと。取り立てて騒ぐほどのことではない」

 目から鱗が落ちたような感覚だった。母を死に追いやり、伯父を激高させた自分たちの行為を、この少年はあっさりと容認した。

「だ、だが……」

 真面目な伯父はそのような考えはとても受け入れられないだろう。伯父は反論しようとしたが、少年に睨まれて押し黙る。

「お前たちの些末な揉め事など知らん。だが俺たちの縄張りに許可なく侵入したのは事実だ。対価を支払え」

 少年は持ち物を全て寄越すように要求してきた。装飾品はもちろん剣士の命である剣まで差し出すことになり、衣服までは取られなかったがまるで追い剥ぎだった。

 伯父が連れてきた同郷の若い者は、最初納得していない様子で争うことも辞さないような態度を見せていたが、伯父にたしなめられて抵抗を止めていた。

 おそらく伯父の判断は正しい。歯向かえば、少年は容赦なく全員を殺しただろう。

 ウォグバードたちも故郷を出る際にいくらか貴金属を持ち出していたが、すべて巻き上げられてしまった。

 対価を支払うと少年たちは去って行った。

 執拗にウォグバードたちを追い回していた伯父は少し頭が冷えたようだった。他の部族の縄張りにまで侵入してしまったのは迂闊だった。

「絶縁だ」

 伯父はウォグバードたちに強い嫌悪感を示していた。

「お前たちを追放する。もう同族ではないし親族でも何でもない。二度と姿を見せるな。どこぞへ行って野垂れ死ね」

 伯父はそれだけ言うとウォグバードとフィリアに背中を向け、仲間を連れて去って行った。

 伯父に会ったのはそれが最後だった。

 ウォグバードは切り株に腰を降ろし、服を裂いて布を作るとそれでフィリアに右眼の止血をしてもらった。フィリアは泣いていた。

「怖かったか?」と聞くと、フィリアは首を振った。

「死ぬこと自体は怖くない。叔父さまもあの少年も怖くはなかった。何度も死の淵をさ迷ったから覚悟はできている。でも兄さまが死んでしまうと思った時は怖かった。私の唯一。死ななくて良かった」

 フィリアはそんなことを言っていた。

「俺たちにはもう何もない。お互いしかいない」

「私も兄さまへの愛しかないわ。愛でお腹が膨れたらいいのにね」

 肩を抱くとフィリアの身体が熱を持ち始めていることに気付く。逃げるために随分と無理をさせてしまった。

 少年たちに金品を全てを巻き上げられてしまったのは痛かった。金目のものはフィリアの治療や薬のために必要になるはずだった。

 獣人を診てくれるような医者がいればだが。

 元々里は追われて飛び出した。無計画もいい所だ。

 山や森の中で人間たちから隠れて暮らすにしても、病弱なフィリアにはとてもそんな生活は耐えられないだろう。

(野垂れ死ぬつもりは無い)

 自分たちが助かる方法なら頭に浮かんでいる。

 そしてその方法は、向こうからやって来た。

「助けてやろうか?」

 フィリアの熱が上がってしまい、ぐったりした彼女をできるだけ柔らかそうな草の上に横たえて上着をかけてやった所で、あの少年が再び現れた。

 ウォグバードが困窮しきった所を見計らったかのようだった。

「その女は病弱なのだろう? 適切に処置してやらないとすぐに死ぬぞ。俺ならお前たちを助けてやれる」

「助けてくださるのですか?」

「それはお前次第だ。さあ、自分たち以外に最早何も持たないお前は愛する者のために何を差し出す? お前は俺に何を見せてくれるんだ?」

「永遠の忠誠を」

「月並みだな。つまらん」

「真面目さしか取り柄がないのです」

「実の妹に手を出した男が真面目なわけがないだろう。馬鹿め。お前は妹に欲情した醜い獣だ。自覚しろ」

「心に刻みます」

 ウォグバードは地面に膝を突き、最敬礼を取る。

「私はあなた様に、妹と妹への愛以外のものは全て差し上げます。私のこれからの人生も、未来も、私の命も全てはあなた様のものです。この場で死ねと言うなら死にます」

「まあいいだろう。それで許してやる。お前はまだ強くなる余地がある。多少は使えそうだからそれで免じてやろうじゃないか。お前たちが里で暮らすことを許可しよう。妹の治療に必要なものは俺が全て手配してやる。里の中での安全な暮らしも保証しよう。一生を俺のために尽くせ」 

「ありがたき幸せ」

 少年は、シドと名乗った。

 ウォグバードはシドの足元に額突いた後、服の上から彼の膝に恭しく口付けた。ウォグバードの故郷では主人に忠誠を表す時にしばしば行われる。

 シドが嫌そうな顔をした。

「男にされても気色悪いだけだな。金輪際やるな」

「御意」

「東の流儀は忘れろ。ここは西だ」

「仰せのままに」





 シドは言葉通りフィリアに治療を受けさせ、二人が住む家を用意してくれた。

 里の中に二人が兄妹であるという噂が流れたが、シドがそれを否定したため、彼らは表向きはただの番同士として過ごすことができた。

 シドに初めて会った時、シド以外にも伯父の話を何人かが聞いていたから、真実を知る者もいたはずだが、シドは黒を白にしてしまった。

 フィリアとは十年にも満たない間だったが、この上なく幸せに過ごすことができた。

 寒い冬の日に、彼女は風邪をこじらせて呆気なく逝ってしまったが、最期の瞬間まで自分たちは幸せだった。

 彼女を埋葬した後、ウォグバードは後を追うつもりだったが、その寸前にシドが現れて、心臓に突き立てようとした剣を真っ二つに折った。

「お前の人生も命も全ては俺のものだろう。俺の許可なく死ぬことは許さん。俺への誓いを違えるな」

 フィリアが死んでからのウォグバードは、より一層シドのために生きるようになった。

 以前は「狩り」にも出ていたし、シドのためなら罪無き人間を殺すことも厭わなかった。

 ウォグバードがシドの命令に背いたのは、たった一度だけ。

 ヴィクトリアが里から逃げ出した日、『リュージュを殺せ』という命令に背いた、その一度だけだった。
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