93 / 220
『番の呪い』前編
77 初恋の行方 2(ウォグバード視点→ヴィクトリア視点)
しおりを挟む
リュージュは先程の治療された部屋にいた。寝台に寝転んだままだが、ウォグバードが現れても天井をじっと見たまま微動だにせず、何事かを考えている様子だった。
それまでの意見を覆し入院すると言い出したのはリュージュ本人だ。もうすぐ入院用の部屋に移動になるだろう。
「リュージュ、サーシャと暮らすはずだった新居の鍵を借りるぞ。今日はヴィクトリアをそこに泊まらせる」
ウォグバードに目を向けたリュージュは、ぎょっとした顔をして寝台から上体を起こしていた。
「ウォ、ウォグ! ちょっと待て!」
一言だけ声をかけた後、やけにゆっくりと踵を返しかけたウォグバードを、リュージュは必死で呼び止めた。
「何だ? ヴィクトリアのことなど別にどうでもいいのだろう? 新居に残る『サーシャとの残り香』を嗅がれたところで、痛くも痒くもあるまい」
リュージュは青褪めた。リュージュが危惧しているのはまさにそれだった。
(ヴィクトリアには嗅がせたくないし知られたくもない!)
他の女性と懇ろにしていた現場の匂いなんて嗅がれたら、完全に恋愛対象から外れて二度と回復しないおそれがある。
「どうでもいいなんて言ってないだろ!」
「同じことだ。『俺が守る』と言ったくせに姉ではないとわかった途端放り投げたじゃないか」
「放り投げたわけじゃない! ただちょっと、顔を合わせづらくなっただけで……」
「お前はいつも肝心な所で決めきれない奴だな」
だからサーシャにも逃げられたんだ、という言葉は流石に辛辣だと思い言わないでおいた。
「お前が護衛しないのであれば彼女は今晩一人でいるしかない。他の男に取られても知らんぞ」
「姉じゃないんだから一晩一緒になんて過ごせるわけないだろ。俺の代わりにウォグが守ってくれよ」
「俺は入院中の身だ」
「医者もびっくりするくらいの回復力で明日には退院するかもとか言われてたじゃないか」
「いや、まだ色々と節々が痛い。歳かな」
「嘘つけ! さっきめちゃくちゃ機敏に動いて戦ってただろうが!」
「それでもアルベールを取り逃がした。万全ではない。お前も同様かもしれないが、彼女がそばにいてほしいのは俺ではなくてお前のはずだ」
「違う。あいつが思っているのは俺じゃなくて人間の男だ」
「『番の呪い』を気にしているのか? あれのほとんどは紛い物だ。稀に本物もあるが…… まあ、大丈夫だろう。
『呪い』のせいで嫌がられて抵抗されるかもしれないが、困ったら鼻をつまんでみろ」
「何の話だ?」
「床の話だ」
「……」
リュージュは呆れたようにため息を吐いた。
「ヴィクトリアは今傷心している。シドに襲われ、人間の男にも襲われたようだし、その上アルベールにまで襲われて、なのに寄り添う者は誰もおらず、孤独に一人きりで過ごさねばならない。
ヴィクトリアの孤独を救い続けたのはお前だろう。お前がそばにいてやらなくてどうする?」
「俺だってあいつの力にはなってやりたいさ。でも、だからってヴィクトリアを抱けっていうのは無茶苦茶だろ」
「彼女は『番の呪い』の相手である人間の男とは番になるつもりはないと言っていた。結ばれないのに囚われ続けるのは蛇の生殺しと一緒だ。早めに解いてやった方がいい。適任者にお前以外の誰がいる?」
「無茶言うなよ。サーシャと別れたばかりなんだぞ?」
「リュージュ、どんなにサーシャに操を立てても、彼女はもう戻って来ない。お前だって本当はわかっているんじゃないのか?」
リュージュは押し黙り、その場に沈黙が降りた。
「…………俺はあいつじゃなくてサーシャを選んだんだぞ? 今更、どの面下げて俺と番になってくれなんて言えばいいんだ? そもそもあいつの気持ちは? ヴィクトリアは俺のことなんか何とも思ってない」
「それはお前の思い込みだ。本人に直接聞いたことはあるのか?」
「それは……」
「ヴィクトリアとちゃんと話し合って気持ちを確かめてみろ」
「無理だよ……」
「怖じ気付くな。彼女を失ってから後悔しても遅いぞ?」
「無理だ……」
首を振るリュージュにウォグバードはため息を吐く。
サーシャとの失恋がリュージュを臆病にさせていた。
「リュージュ、とにかく朝までヴィクトリアと一緒にいろ。今日無理に抱かなくてもいいんだ。
彼女は今とても傷ついているはずだ。一緒にいてやれ」
リュージュは首を振るばかりだ。
「このままだとヴィクトリアを新居に案内するしかなくなるが、本当にいいのか?」
リュージュは黙ってしまった。
「リュージュ」
リュージュからの返答はない。
その後もウォグバードが声をかけたが、リュージュは俯いて全く反応しなくなってしまった。
******
ウォグバードはなかなか戻って来なかった。ヴィクトリアは何も考えないようにしようと努めた結果、眠気に襲われうつらうつらしながら船を漕ぎかけていた。
眠りの国の住人になりかけた頃、扉が叩かれた音でヴィクトリアは目を開けた。
「遅くなってすまないな」
目に包帯を巻きつけたウォグバードは表情がわかりにくくなってはいるものの、少しだけ疲れているように見えた。
「大丈夫よ。リュージュの具合があまり良くないのかしら?」
「いや、身体の傷はそう深刻なものでもないと思うが…… あいつにも時間が必要なんだろうな」
ウォグバードの言葉が意味する所は…… サーシャのことだろうか。
「では行くか」
ヴィクトリアはウォグバードに促されて小部屋を出た。
夜道をウォグバードと連れ立って歩く。
ヴィクトリアはたとえ里の中でも夜に外を出歩くことはしなかったので、里の夜の風景は新鮮だった。
否応なく、シドから逃れるために里の中を走ったあの夜のことを思い出してしまう。
やがてリュージュたちの新居が見えてくる。
(あの時も、必死でこの家を目指しながら走っていたっけ……)
「ヴィクトリア!」
突然背後からリュージュの呼び声がして、ヴィクトリアは振り返った。
「やっと来たか……」
隣からウォグバードがほっとしたように呟く声が聞こえる。まるで、リュージュが来ることを予想していたかのような声だった。
立ち止まる二人の前に、息急き切ったリュージュが辿り着く。
「どうしたの?」
「新居へ行くのはちょっと待ってくれないか」
「待つのは構わないけれど、入院するような身体なのに走ってきて大丈夫なの?」
「このくらい走ったって平気だ。そんなやわじゃない。それに今夜はヴィクトリアの護衛をやることにしたから、入院はしない」
「え? 身体は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。全然問題ない」
心配するヴィクトリアの手を掴むと、リュージュは新居とは反対方向へ向かって歩き出した。
「リュージュ、でも……」
「お前を一人にはできない。守るって言ったろ?」
リュージュはどこかさっぱりしたような顔で力強く言って笑った。
リュージュに手を引かれて歩くヴィクトリアは困惑したようにウォグバードを振り返ったが、ウォグバードは遠ざかる二人に向かってただ微笑んでいるだけだった。
それまでの意見を覆し入院すると言い出したのはリュージュ本人だ。もうすぐ入院用の部屋に移動になるだろう。
「リュージュ、サーシャと暮らすはずだった新居の鍵を借りるぞ。今日はヴィクトリアをそこに泊まらせる」
ウォグバードに目を向けたリュージュは、ぎょっとした顔をして寝台から上体を起こしていた。
「ウォ、ウォグ! ちょっと待て!」
一言だけ声をかけた後、やけにゆっくりと踵を返しかけたウォグバードを、リュージュは必死で呼び止めた。
「何だ? ヴィクトリアのことなど別にどうでもいいのだろう? 新居に残る『サーシャとの残り香』を嗅がれたところで、痛くも痒くもあるまい」
リュージュは青褪めた。リュージュが危惧しているのはまさにそれだった。
(ヴィクトリアには嗅がせたくないし知られたくもない!)
他の女性と懇ろにしていた現場の匂いなんて嗅がれたら、完全に恋愛対象から外れて二度と回復しないおそれがある。
「どうでもいいなんて言ってないだろ!」
「同じことだ。『俺が守る』と言ったくせに姉ではないとわかった途端放り投げたじゃないか」
「放り投げたわけじゃない! ただちょっと、顔を合わせづらくなっただけで……」
「お前はいつも肝心な所で決めきれない奴だな」
だからサーシャにも逃げられたんだ、という言葉は流石に辛辣だと思い言わないでおいた。
「お前が護衛しないのであれば彼女は今晩一人でいるしかない。他の男に取られても知らんぞ」
「姉じゃないんだから一晩一緒になんて過ごせるわけないだろ。俺の代わりにウォグが守ってくれよ」
「俺は入院中の身だ」
「医者もびっくりするくらいの回復力で明日には退院するかもとか言われてたじゃないか」
「いや、まだ色々と節々が痛い。歳かな」
「嘘つけ! さっきめちゃくちゃ機敏に動いて戦ってただろうが!」
「それでもアルベールを取り逃がした。万全ではない。お前も同様かもしれないが、彼女がそばにいてほしいのは俺ではなくてお前のはずだ」
「違う。あいつが思っているのは俺じゃなくて人間の男だ」
「『番の呪い』を気にしているのか? あれのほとんどは紛い物だ。稀に本物もあるが…… まあ、大丈夫だろう。
『呪い』のせいで嫌がられて抵抗されるかもしれないが、困ったら鼻をつまんでみろ」
「何の話だ?」
「床の話だ」
「……」
リュージュは呆れたようにため息を吐いた。
「ヴィクトリアは今傷心している。シドに襲われ、人間の男にも襲われたようだし、その上アルベールにまで襲われて、なのに寄り添う者は誰もおらず、孤独に一人きりで過ごさねばならない。
ヴィクトリアの孤独を救い続けたのはお前だろう。お前がそばにいてやらなくてどうする?」
「俺だってあいつの力にはなってやりたいさ。でも、だからってヴィクトリアを抱けっていうのは無茶苦茶だろ」
「彼女は『番の呪い』の相手である人間の男とは番になるつもりはないと言っていた。結ばれないのに囚われ続けるのは蛇の生殺しと一緒だ。早めに解いてやった方がいい。適任者にお前以外の誰がいる?」
「無茶言うなよ。サーシャと別れたばかりなんだぞ?」
「リュージュ、どんなにサーシャに操を立てても、彼女はもう戻って来ない。お前だって本当はわかっているんじゃないのか?」
リュージュは押し黙り、その場に沈黙が降りた。
「…………俺はあいつじゃなくてサーシャを選んだんだぞ? 今更、どの面下げて俺と番になってくれなんて言えばいいんだ? そもそもあいつの気持ちは? ヴィクトリアは俺のことなんか何とも思ってない」
「それはお前の思い込みだ。本人に直接聞いたことはあるのか?」
「それは……」
「ヴィクトリアとちゃんと話し合って気持ちを確かめてみろ」
「無理だよ……」
「怖じ気付くな。彼女を失ってから後悔しても遅いぞ?」
「無理だ……」
首を振るリュージュにウォグバードはため息を吐く。
サーシャとの失恋がリュージュを臆病にさせていた。
「リュージュ、とにかく朝までヴィクトリアと一緒にいろ。今日無理に抱かなくてもいいんだ。
彼女は今とても傷ついているはずだ。一緒にいてやれ」
リュージュは首を振るばかりだ。
「このままだとヴィクトリアを新居に案内するしかなくなるが、本当にいいのか?」
リュージュは黙ってしまった。
「リュージュ」
リュージュからの返答はない。
その後もウォグバードが声をかけたが、リュージュは俯いて全く反応しなくなってしまった。
******
ウォグバードはなかなか戻って来なかった。ヴィクトリアは何も考えないようにしようと努めた結果、眠気に襲われうつらうつらしながら船を漕ぎかけていた。
眠りの国の住人になりかけた頃、扉が叩かれた音でヴィクトリアは目を開けた。
「遅くなってすまないな」
目に包帯を巻きつけたウォグバードは表情がわかりにくくなってはいるものの、少しだけ疲れているように見えた。
「大丈夫よ。リュージュの具合があまり良くないのかしら?」
「いや、身体の傷はそう深刻なものでもないと思うが…… あいつにも時間が必要なんだろうな」
ウォグバードの言葉が意味する所は…… サーシャのことだろうか。
「では行くか」
ヴィクトリアはウォグバードに促されて小部屋を出た。
夜道をウォグバードと連れ立って歩く。
ヴィクトリアはたとえ里の中でも夜に外を出歩くことはしなかったので、里の夜の風景は新鮮だった。
否応なく、シドから逃れるために里の中を走ったあの夜のことを思い出してしまう。
やがてリュージュたちの新居が見えてくる。
(あの時も、必死でこの家を目指しながら走っていたっけ……)
「ヴィクトリア!」
突然背後からリュージュの呼び声がして、ヴィクトリアは振り返った。
「やっと来たか……」
隣からウォグバードがほっとしたように呟く声が聞こえる。まるで、リュージュが来ることを予想していたかのような声だった。
立ち止まる二人の前に、息急き切ったリュージュが辿り着く。
「どうしたの?」
「新居へ行くのはちょっと待ってくれないか」
「待つのは構わないけれど、入院するような身体なのに走ってきて大丈夫なの?」
「このくらい走ったって平気だ。そんなやわじゃない。それに今夜はヴィクトリアの護衛をやることにしたから、入院はしない」
「え? 身体は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。全然問題ない」
心配するヴィクトリアの手を掴むと、リュージュは新居とは反対方向へ向かって歩き出した。
「リュージュ、でも……」
「お前を一人にはできない。守るって言ったろ?」
リュージュはどこかさっぱりしたような顔で力強く言って笑った。
リュージュに手を引かれて歩くヴィクトリアは困惑したようにウォグバードを振り返ったが、ウォグバードは遠ざかる二人に向かってただ微笑んでいるだけだった。
0
お気に入りに追加
140
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
オネエなエリート研究者がしつこすぎて困ってます!
まるい丸
恋愛
獣人と人の割合が6対4という世界で暮らしているマリは25歳になり早く結婚せねばと焦っていた。しかし婚活は20連敗中。そんな連敗続きの彼女に1年前から猛アプローチしてくる国立研究所に勤めるエリート研究者がいた。けれどその人は癖アリで……
「マリちゃんあたしがお嫁さんにしてあ・げ・る♡」
「早く結婚したいけどあなたとは嫌です!!」
「照れてないで素直になりなさい♡」
果たして彼女の婚活は成功するのか
※全5話完結
※ムーンライトノベルズでも同タイトルで掲載しています、興味がありましたらそちらもご覧いただけると嬉しいです!
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる