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『番の呪い』前編

76 初恋の行方 1

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「あなたは……」

 ウォグバードは代わりに別のことを話し出そうとしたようだったが、また言葉を止め、ゆっくりと時間を置いてから口を開く。

「あなたは、自分がシドの娘ではないことは知っているか?」

 涙を止めたヴィクトリアはウォグバードを見上げた。

「どうしてそれを?」

「知っていたのか。いつ知った?」

「知ったのは今日よ。里から逃げた先で、ある銃騎士隊員から聞いたの」

 ヴィクトリアはまたレインのことを思い出す。

「そうか。知っていたのなら話は早い。あなたの番になるのは、リュージュでは駄目だろうか?」

 ヴィクトリアは驚いてウォグバードを見つめる。ヴィクトリアの涙は完全に引っ込んだ。

「あなたはずっとリュージュを愛してくれていただろう?」

「ウォグバードにまでバレていたのね……」

 これまでの発言などを踏まえると、シド、レイン、アルベール、ウォグバードの四人にはヴィクトリアの気持ちを知られていたようだ。結構な人数である。

 当の本人は全然気付いていなかったが。

 人の気持ちを読むのが上手いシドと、『番の呪い』によりヴィクトリアを注視していたらしきアルベールが勘付くのはわからくもない。

 レインに関しては諜報員から聞いたのだろう。だとすると、諜報員をしていたらしきオリオンはもちろん、ジュリアスだってヴィクトリアがリュージュを好きなことを知っていたかもしれない。

 ただ、ウォグバードにまで気付かれていたとなると、表情操作による自分の気持ちの隠し方が上手かったというよりは、リュージュが相当鈍感だったのではないかと思ってしまう。

「あれは人の気持ちに疎いところがある。許してやってくれ」

「そうね…… そうだったわね……」

 出会った頃のリュージュはこちらの戸惑いなどお構いなしで、何度もヴィクトリアのそばにやって来ては、幼気な笑顔を常に振りまいていた。

 ヴィクトリアはその親しみやすさと可愛らしさにいつの間にかメロメロになっていたが、リュージュはほぼ距離感ゼロのまま、ヴィクトリアの孤独な心に遠慮なく踏み込んで来た稀有な存在だった。

「リュージュのことは今でも好きよ。リュージュと番になれたら、きっとこれから先ずっと幸せに暮らしていけると思うわ。

 でも私、今『番の呪い』にかかっているの。リュージュにもこのことは話してあるけど、相手はリュージュじゃないわ。

『呪い』を解かない限り、リュージュと番になんてなれない」

「『番の呪い』か…… それはまた厄介だな。相手は誰だ?」

「私がシドの娘ではないことを教えてくれた銃騎士よ。人間の男。でもその人は私を罠に嵌めて奴隷にしようとした酷い人だったから、その人と一緒になるつもりはないの。

 私だってできることなら、リュージュと番になりたいわ」

「『番の呪い』はきっかけがあればあっさり解けることもあるようだが、こじらせるとなかなか解けずに長引くぞ」

「そうね、時間を置けばと思ったけど、長くかかることもあるみたいね」

 アルベールは七年経っても解けずにいる。

「一つのきっかけとしては別の相手と性交渉をすることだ。リュージュに抱かれればいい」

「いや…… あの…… それはちょっと……」

 ヴィクトリアは顔を赤くして俯いてしまった。

 ウォグバードは真面目そうなのに「性交渉」だの「抱かれろ」だの、そんな言葉が口から出てくるとは驚きだ。

 リュージュに片思いをしていた頃、リュージュと口付けできたらどんなに幸せだろうと夢想したことはあったが、抱かれるとかそこまでのことを考えたことはない。

 リュージュとサーシャがそうなる場面なら想像したことはあるが。

 自分と誰かが交わるとしたら、嫌な想像としてシドと、ときめくような甘い想像としてレインとのことは考えたことがある。

 アルベールとのこともさっき想像してしまったが、嫌な方に分類される。

 レインを好きになってしまったヴィクトリアにとって、今やリュージュは弟のような存在だった。

 手を出してはいけないような、リュージュだけは自分にとって神聖な場所にいてほしいというような思いがあった。

「嫌か?」

「い、いきなりすぎてそんなことを言われても困るわ。それにリュージュだってまだサーシャのことを引きずっているでしょうに」

 先程のリュージュは地獄の底にいるかのように落ち込んでいた。

「だからこそだ。放っておいたらあいつは一生誰とも番にならないとか言い出しかねない。

 あなたとならリュージュだってサーシャのことを忘れられるはずだ。リュージュにとってサーシャを超える存在はあなたしかいない」

 ヴィクトリアは黙ってしまった。沈黙が周囲を支配する。ウォグバードは息を一つ吐き出した。

「すまない。先走りすぎたな。いずれにせよ無理強いするつもりはない。時間はあるのだから、リュージュとのことはこれからゆっくりと、だが、真剣に考えてほしい」

 ヴィクトリアは、「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。

「ところで、今日はこれからどうするつもりだ? あなたの部屋は窓が壊れていると聞いている。諜報員の件もあるし、誰が入ってくるかわからない場所で一晩を明かすのは避けた方がいいと思うが」

「そうね…… 戸締まりがきちんとできない所にいるのは不安だわ。
 それに自分の部屋はシドとのことを思い出してしまうから帰りたくないのよ。

 急だけれど、今日他に泊まれそうな場所はあるかしら?」

「それなんだがな、あなたが了承してくれるのなら一つだけ場所がある。リュージュとサーシャの新居だ」

 ヴィクトリアは驚いて目を瞬かせた。

「空き家や空き部屋はいくつかあるが、長年誰も住んでいないせいでとても泊まれる状態じゃない。今から準備をするのは無理だ。リュージュたちの家が嫌なら、戸が壊れているのを覚悟で俺の家に泊まってもらうしかない」

 ヴィクトリアは返答に窮した。

(リュージュとサーシャの家…… 新婚の二人が共に暮らして愛を育むはずだった場所……)

 少々どころか、かなり引っかかりを覚える。

 けれど、寝る場所があるだけでもありがたいと思おう。きっと今日一晩だけだ。明日の寝る場所については、また明日の日中にでも空き部屋を掃除して住めるようにしたらいい。

「わかったわ。こんな夜更けに急に私の寝る場所を用意しろと言われても困るわよね。そこでいいわ」

 リュージュが入院になるのなら、不安だけれども今夜は彼から離れて一人で過ごすしかない。最初から安全が損なわれている場所にはいたくなかった。

 今日は色々なことが有りすぎて心も身体もへとへとだった。

(深いことを考えるのはもうやめよう。早く横になって休みたい)

「夜道は危ないから新居までは俺が送って行く。その前にリュージュに話を通してくるから、あなたはもう少しだけここで待っていてくれ」

 ウォグバードはそう言って小部屋から出て行った。

 本当はリュージュの様子を見にヴィクトリアも一緒に行っても良かったのだが、ウォグバードに先程言われたことが尾を引いていて、リュージュの顔を見るのが恥ずかしくなってしまったヴィクトリアは、ウォグバードの背中をただ見送った。
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