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『番の呪い』前編

71 戦い

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 リュージュが唸るような怖ろしい声を出した。ヴィクトリアはこれまでリュージュがそんな声を出しているのは聞いたことがなかった。

 リュージュが腰の剣を抜刀しアルベールに襲い掛かる。アルベールはその一太刀をかわし、寝台脇に立て掛けておいた剣を手にする。

 アルベールが鞘から抜く前にリュージュの素早い斬撃が放たれ、アルベールが鞘で受ける。

 リュージュは怒りの形相のままだ。動きが先程と全く違う。怒りで身体の痛みを忘れているらしい。

 アルベールはリュージュの一撃を押し返し飛び退ると抜刀した。

 リュージュの容赦のない斬撃の嵐がアルベールに襲いかかるが、アルベールは冷静にその全てを捌いていく。アルベールも攻撃を繰り出しリュージュがそれを受け止める。二人の力量は拮抗しているように見えた。

 剣戟の合間にアルベールの足技も入るが、リュージュは見切ったとばかりに剣先を壁に突き刺すと柄を軸に回転して避け、その勢いで頭を狙い蹴りを放つ。

 アルベールは体勢を低くしてそれを避けると剣を突き上げてリュージュを串刺しにしようとした。

 リュージュは瞬時に壁から抜いた剣でそれを防ぎ、鍔迫り合いをしながら二人して床を転がる。

 戦うには室内は狭すぎた。床や壁はもちろん、ソファや寝台にも切れ込みが入り、本棚は倒れ込みテーブルも脚が折れて破壊されたりしている。それでも二人は争いをやめない。

 ヴィクトリアは巻き込まれないように寝台の端に寄って縮こまっていた。

 それに先に気付いたのはアルベールだった。

「おい馬鹿、ヴィーが怪我する。表へ出るぞ」

「望む所だこの吸血色魔が!」

 勇んだリュージュが先に窓から飛び出して行く。アルベールも続いて窓枠に足をかけた所で、くるりとヴィクトリアがいる方向を向いた。

「すぐ終わらせるから、大人しく待っててね。愛してるよ、俺のヴィー」

 劣情の残る顔でヴィクトリアにフッと笑いかけると、アルベールは外に飛び出して行った。

 笑いかけられたヴィクトリアはぶるぶると震えた。アルベールの匂いと血を飲み下す音、身体には手や唇の感触がありありと残っていて、まだ触られ続けているように錯覚した。

 外から剣戟の音とリュージュの怒声が聞こえてくる。

(リュージュ…… 酷い怪我をしているのに……

 駄目だ、震えていたら駄目だ。何とかしなきゃ……)

 ヴィクトリアは気持ちを奮い立たせた。とにかく身支度を整えるべく脱がされた下着に手を伸ばした。

 窓際に寄り、眼下を見下ろす。剣から火花を散らしながら二人が戦っていた。

 リュージュは鍛錬の時のようないつも通りの動きをしているが、怒りで我を忘れているだけだ。本当は身体が悲鳴を上げているはず。いつまで保つか。

 アルベールはリュージュが怪我をしている所を敢えて狙っているようだった。抜け目がないが、戦闘において情けは無用。弱点を突くのは戦いの定石だ。

 アルベールは、リュージュが肩を痛めている左側へ打ち込む攻撃が多い。

 リュージュもわざと左側からの蹴りを身体で受けて引き付けた後に、至近距離からの斬撃を食らわせる。
 その一撃は防がれてしまったが、あんな戦い方をしていたら身体が壊れてしまう。

(このままでは疲弊した結果、リュージュが負ける)

 どうしたらリュージュを助けられるのか、ヴィクトリアは必死に頭を働かせた。

 ヴィクトリアが助太刀に入ったところでアルベールには勝てない。

(誰か助けを呼びに行こう)

 踵を返しかけて、ヴィクトリアは止まった。

(でも、誰に?)

 リュージュ以外でこの里にヴィクトリアが頼れる相手はいない。

 頼むならリュージュの関係者だが、ウォグバードは医療棟に入院しているという。大怪我をしている人に助力は頼めない。

(あとはリュージュの友達。だけど、アルベールに勝てるような人でないと……)

 アルベールは十代でシドの臣下に任命されるくらいに強い。並の相手では勝てないだろう。

 八方塞がりに近い状態で焦りながら考えを巡らせていたヴィクトリアは、はっと閃いた。

(そうだ、あの人だったら、もしかしたら助けてくれるかもしれない。

 あの人、ものすごく強いし)

 ヴィクトリアは調理室で時折助言を受けたことのある、とある獣人を脳内に思い描いていた。

 ヴィクトリアが調理室で料理本とにらめっこして困ったように手を止めていると、よく別の部屋で仕事をしている彼から、下働きの人間の少女経由で調理の詳しいやり方を書いた紙を渡されることがあった。

 彼自身からは、調理室を利用し始めた初回に、『嬢ちゃんへの接触や会話の一切を族長から禁じられているけど、俺がいなくても設備は自由に使っていいから』と書かれた紙を示されたのみで、会うのはそれっきりだった。

 けれど、紙媒体ではあったが料理の進め方がわからない時は進んで教えてくれたし、ヴィクトリアを気にかけてくれているらしき数少ない人物の一人だ。

 ヴィクトリアは身を翻すと、床に転がったままだった短剣を拾い上げて血を拭い、ガーターホルダーに収めた。急いで階段を駆け降りてアルベールの家の裏口へ向かう。昔遊びに来たことがあるので裏口の位置は把握していた。

 しかし裏口の扉を開けて飛び出した途端、数歩も行かないうちに腕を掴まれて止められた。

 アルベールだった。

「どこに行くの? 大人しく待っててって言ったよね?」

 月明かりしかない夜闇の中で、不機嫌そうな金色の瞳に絡め取られる。

「逃げるの? その気にさせておいて今更許さないよ。ヴィーは俺のものだ」

 身体にアルベールの腕がまとわりついてきたかと思うと、未だ血を流し続ける首筋に唇が寄せられ、舐められて吸われる。

 恐怖と嫌悪感に支配されたヴィクトリアは悲鳴を上げた。

「ヴィクトリアから離れろ! このド変態!」

 やって来たリュージュが剣を振り上げる。

 アルベールは唇を離すと舌打ちし、後ろにヴィクトリアを隠すように立ちながら剣を握ってリュージュの攻撃を受け止めた。

「ああ忌々しい! いい加減にしろよリュージュ! 俺たちの邪魔をするな!」

 剣を合わせて押し合いをする二人が睨み合う。

「邪魔もクソもあるか! ヴィクトリアがめちゃくちゃ嫌がってるだろうが!」

「すぐに俺しか愛せないようにしてやるからいいんだよ!」

「ヴィクトリアの気持ちを無視したそんな方法が許せるわけないだろ!」

 リュージュが剣を押し返して斬撃を放つ。

「気持ちだと? お前がそれを言うのか?」

 アルベールは斬撃を受け流し、自身も攻撃を仕掛ける。

「散々ヴィーの気持ちを弄んでいたのはどこのどいつだ? 真実に気付きもしないで、だからお前は馬鹿だというんだ!」

 リュージュが攻撃を受ける。再び激しい剣戟が始まった。

「は? どういう意味だ?」

「さあな! 地獄へ送ってやるからそこで一人で考えてろ! ヴィーは俺が貰う!」

 アルベールの蹴りが出る。先程までなら確実に避けていたのに、リュージュの動きには陰りが出始めていた。完全には避けきれずにリュージュが後方へ吹っ飛ぶ。

「リュージュ!」

(もう限界だ。リュージュの身体はもう限界を超えている。これ以上はもう……)

「リュージュ! もういい! もういいから!」

 ヴィクトリアは泣きそうになりながら制止の声をかけた。

 アルベールと番になってもいい。戦いをやめさせなければ、リュージュが壊れてしまう。

「いいわけあるか!」

 リュージュは剣を地面に突き刺し、それを支えにするようにしてよろけながら立ち上がった。

「こんな奴と一緒になって幸せになれるわけがないだろう! 渡さない! お前なんかにヴィクトリアは渡さない!」

 アルベールがリュージュの元まで疾風のように駆け抜けた。

「言ってくれるじゃないか! お前に何がわかる! ヴィーは俺の唯一だ! 狂おしいほどに愛しているんだ!」

 跳び上がったアルベールがリュージュに向かって斬撃を振り下ろす。

「何が愛してるだ!」

 剣と剣がぶつかり合う重い音が響いた。

「お前はヴィクトリアが苦しんでいる間一体何をしていた? お前は一度でもヴィクトリアに手を差し伸べたことがあるのか? 惚れた女一人守ろうとしなくて何が愛だ!」

 アルベールは答えない。リュージュに向かって幾度も斬撃を繰り出す。

「お前がシドに目を付けられていたことは知ってる、だがな、そこで諦めたお前にヴィクトリアは渡せない!」

 リュージュの瞳に強い光があった。リュージュがアルベールの剣を払う。

「結局お前が一番可愛いのは自分自身だ! そんな奴にヴィクトリアは任せられない!」

 リュージュの剣が動く。それは二年前、シドに致命傷を与えかけた時と同等の動きだった。

 リュージュはアルベールの速度を超えた。

「お前じゃない! ヴィクトリアは!」

 アルベールが目を見開いた。リュージュの剣がアルベールの懐に入る。

「俺が守る!」

 リュージュの一閃がアルベールの身体に走った。血飛沫が舞い、アルベールが後方に倒れた。
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