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『番の呪い』前編

61 やっと、俺のものになれるね

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「ヴィー、開けて。俺だよ」

『ヴィー』とは、幼い頃里の者たちから呼ばれていた愛称だ。流血事件が起こってからは誰も呼ばなくなったが。

 俺だよって言われても、扉を開けられるわけがない。誰なのかはわかっているが、自分たちは気安い関係ではない。幼い頃は共に過ごしたこともあったが、シドの執着が始まって以降の交流は皆無で、ほとんど他人同然だった。

「ヴィー」

 扉の向こうから自分を呼ぶ声がする。ヴィクトリアはごくりと唾を飲み込んで、口を開いた。

「何しに来たのよ…… アル」

 ヴィクトリアはシドに執着される前からこの男――アルベールのことが嫌いだった。できれば関わり合いになりたくない。

「迎えに来たよ」

(迎えに来た? 意味がわからない)

 ヴィクトリアはアルベールに過去にされた仕打ちを思い出して困惑していた。

「ヴィクトリア!」

 後ろからリュージュが飛んで来た。

「リュージュ!」

 ヴィクトリアは安堵してリュージュの腕にしがみついた。

 ガン! と扉から一際大きな音がした。見れば木製の扉が壊されて枠から外れ床に倒れる所だった。暗闇の中から金色の髪の男がスッと足を踏み出す。一見すると虫も殺せないような優しそうな風貌をしているが、その実、人間を殺すことに全く躊躇いを見せない残忍な男だ。

 結局アルベールは自分で扉を破壊して中に押し入った。

「リュージュ、離れろ。ヴィーに触るな」

 アルベールの表情はさほど変わらないが、声に苛立ちが含まれていた。

「何の用だ? アルベール」

 リュージュはヴィクトリアの身体に手を回したまま離さず、警戒心も顕に問いかけた。

「ヴィーを俺の番にする」

「い、嫌よ!」

 ヴィクトリアは思わず声を上げた。アルベールと番になるなんて冗談じゃない。

「嫌だそうだ。わかったらさっさと帰れ」

 リュージュが凄みを効かせた声で告げる。

「お前は関係ないからすっこんでろ。目障りだ。消えろゴミクズ。死ね」

 穏やかそうな顔からは想像できないような過激な言葉を発したアルベールが腰の剣を抜き襲い来るが、いつの間にかアルベールに肉薄していたリュージュが間合いに入り斬撃を繰り出す。

 リュージュはこうなることがわかっていたのか、アルベールよりも早く鞘から剣を抜き、先制攻撃を仕掛けていた。

 アルベールは攻撃に転じる前の力が入りきっていない剣でリュージュの初撃を受け止めた。これ以上近付くことは許さないといったリュージュの気迫を感じさせる鋭い一撃を受け、アルベールは押されて後退する。

 月明かりの下、外へ出た二人が打ち合う剣戟から火花が散る。

 最初こそはリュージュが優勢に見えた。けれど次第に優劣が逆転していく。アルベールが余力を残しているように見えるのに対し、リュージュの動きは精彩さを欠いていた。

 ヴィクトリアはリュージュの戦い方を見て気付く。肋骨だけじゃない。骨を折るまではいっていないが、手も足も痛めている。シドと戦った時の傷痕がまだ深く身体に残っている。

 自分の思った通りに身体が動かないのだろう。リュージュはアルベールと打ち合いながらずっと悔しそうな顔をしている。

(負けていない。いつものリュージュだったらアルにも引けを取らない。でも……)

 攻撃をしているのはアルベールで、リュージュは防戦一方だ。斬撃を紙一重でかわしながらも剣で受け止める度にリュージュの身体に衝撃が蓄積されていく。リュージュは必死に食らいついていたが、身体に浅い刀創が増えていく。

 リュージュの血の匂いが漂ってきて、ヴィクトリアの心臓は押し潰されそうだった。

 アルベールがいきなり戦い方を変えた。斬撃の最中に足蹴りが出る。リュージュは直前の剣撃は凌いだものの、蹴りをまともに胴体に食らって吹っ飛ばされた。

 地面に転がるリュージュの元まで一瞬で移動したアルベールが剣を振り下ろす。

 不利な体勢で斬撃を受けたリュージュの手から剣が弾け飛び、離れた地面に突き刺さった。

 玄関口に寄りかかるようにして二人の戦いを見ていたヴィクトリアは、力が抜けたようにずるずるとその場に膝を突いた。

(リュージュが、負けた……)

 アルベールは地面に倒れたままのリュージュの肩口に剣を突き刺した。リュージュが苦悶の叫びを上げる。

「リュージュ!」

「来るな! 逃げろヴィクトリア!」

 アルベールがリュージュの胸に足を振り下ろす。ごきりと嫌な音が響いて肋骨がさらに折れた。リュージュの口から血飛沫が舞う。

 ヴィクトリアは悲鳴を上げた。

 アルベールが横向きに蹴るとリュージュは転がって、そのまま動かなくなった。

 ヴィクトリアがリュージュの元へ駆けて行こうとすると、アルベールが目の前に立ちはだかる。

「死んでないから安心しなよ。加減はしてある。あんな奴でも死んだらヴィーが悲しむから」

 アルベールはニコニコと微笑んで機嫌が良さそうだった。潤んだ金色の瞳がヴィクトリアを見つめている。

(知らなかった……)

 幼すぎてあの時はわからなかったが、昔と同じようにヴィクトリアを見つめるその瞳は、シドが欲情した時とそっくりじゃないか。

 ヴィクトリアは戦慄していた。優しそうなこの笑顔に騙されてはいけない。この男は、この男は――――

 かつて、ヴィクトリアの血を飲んでいた。

 アルベールを前にしたヴィクトリアは蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった。

 アルベールとの距離が近い。腕が伸びてきて胸の中にがっちりと抱き込まれた。

「やっと、俺のものになれるね」
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