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対銃騎士隊編
42 買物攻防
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買い物に出掛けようとすると、レインが隊服の上着をヴィクトリアに掛けてきた。
はて、今日は寒いのだろうかと窓の外を見るが、暖かそうな陽の光が眩しい。天気はよく晴れている。
「着ておいて。揺れてるから」
その意味を理解するのに三秒ほどかかった。ヴィクトリアは頬に朱を走らせ胸を腕で覆う。
「も、もっと早く言って!」
レインは役得と言いながらニコニコ笑っている。
ヴィクトリアは急いで隊服を着込んだ。レインの匂いに包まれて、彼に抱きしめられているように錯覚する。隊服はヴィクトリアにはやや大きかったので、レインが袖を捲ってくれた。
「ねえ、レイン」
「何だい、俺の愛しい人」
小声で話しかけたのに、レインは普通よりもやや大きな声で、かつわざとらしい言い回しで答えてくる。
「恥ずかしいので降ろしてほしいんだけど」
レインの耳元に顔を寄せて小声で囁く。現在ヴィクトリアはレインに抱きかかえられて、宿屋の戸口前、大通りに面した場所にいた。道行く人たちが物珍しいものを見る目付きでこちらを見ている。
「足が汚れるだろ。少しの間だけなんだから我慢して」
ヴィクトリアは感覚がおかしくなっていたのか、部屋を出る際にその理由で抱きかかえられた時「まあ、ありがとう」などと言って普通に受け入れていた。密着しているのが嬉しかったし、むしろ何て優しい人なのだろうと思っていた。
だが、宿屋の受付で外出するがまた戻ると伝えている間、ご主人に始終驚いた顔を向けられていたので、あれ?と思い始めた。外に出れば通行人のほとんどに好奇の目を向けられて、これが普通でないことに気付く。お姫様抱っこをされて移動している者など誰もいない。歩く者は皆当然のように自分の足で歩いている。
「目立っているわ。すごく恥ずかしい」
「ヴィクトリアは俺のものだって宣伝できるからこれでいい」
「何その変な理由」
抗議をするがレインが聞き入れてくれる様子はない。そのうちに宿屋の建物の脇にある小道に入って大通りから逸れた。すぐに宿屋の裏手にある厩に辿り着く。
昨日乗った栗毛の馬の前まで行くと、馬丁が鞍を乗せて柵から出してくれた。レインはヴィクトリアを乗せると自身も後ろに跨がる。レインは片手で手綱を握り、もう片方の手をヴィクトリアの身体に回した。後ろに彼の体温を感じてとても心地よいが、ヴィクトリアは若干眉を顰めていた。
見れば宿屋には裏口があって中から厩まで抜けられるようになっていた。わざわざ表玄関を出て遠回りする必要はない。
「どうして裏口から出なかったのよ?」
「君とのことを少しでも多くの人に見せびらかしたかったんだ」
後ろを向くと近距離でレインが悪びれもせず相好を崩していた。怒ろうとしたのにその笑顔を見るとあまり強く出られない。
「とても恥ずかしかったわ」
「うん」
「わざと遠回りするなんて酷い人ね」
「うん」
「降ろしてくれないかったし」
「うん」
「ねえ、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ」
レインは優しい眼差しをヴィクトリアに向けている。
「君は俺のものだから手を出すなって世界中の人に叫びたい」
ヴィクトリアは無言で前に向き直った。
恥ずかしいことをさらっと言わないでほしい。
「俺今すごく幸せなんだ。ヴィクトリアがそばにいてくれるから。俺は君さえいてくれればいい。他には何もなくてもいい」
レインの好意は充分伝わってくるが、何と返したらよいものか。
ヴィクトリアは馬の背に揺られながら再び後ろを振り返った。真面目な顔になって、ある問い掛けをする。
たぶん、彼がその問い掛けに頷くことはない。でも、聞いておかねばならないと思った。
「レイン、私と一緒に里で暮らすつもりはない?」
ヴィクトリアにとってはそれが一番いい方法だ。
レインと人間社会で生きていくにはヴィクトリアが奴隷になるしかないのだろう。そこに恋愛感情が介在していて本人たちが思い合っていたとしても、正式には夫婦でも家族でもないし、子供は作れない。公には主人と奴隷の関係だ。
里なら人間の掟の範囲外だ。獣人に戸籍などはなく明確に管理されているわけではないが、生活していく上では問題なく伴侶だと認めてもらえるし、子供だって産める。
レインの表情に陰りが見えた。
「たとえ君と一緒でも、敵の本拠地で一生を過ごすことは俺の信念に反する」
(やっぱり……)
答えはわかっていたけど、ヴィクトリアは自分が案外落胆していることに気付く。
「ごめん」
頭の後ろから沈んだ声が落ちてくる。真摯な声だと思った。ヴィクトリアにはその一言だけで充分だった。
「……いいのよ。あなたの人生なんだから、受け入れられないことを抱えて生きた所で碌なことにはならないわ。今言ったことは忘れて」
馬を街路樹に繋ぎ、二人は婦人服や服飾雑貨を売っている店に入った。
「いらっしゃいま……」
やはり抱えられたヴィクトリアを見て店員は一様に目を見開いたが、何事もなかったかのように丁寧に案内してくれた。
レインは「服を――」と言いかけたが、ヴィクトリアはその声に被せるように「まずは靴! それから下着をお願い!」と女性店員に声高に告げた。
(とにかくレインから離れよう)
見本の衣服が並べられている硝子張りの窓の向こうから、ヴィクトリアが抱っこされているのを覗き込んでくる通行人もいて、好奇の視線が痛すぎる。
店員が見繕ってくれた靴を試着するために椅子に腰掛けると、なぜかレインが跪き、一段高くなった台の上でヴィクトリアに靴を履かせ始めた。両足を履かせるとヴィクトリアの手を取り一緒に歩いてくれる。
ヒールの高い靴で、鏡に映る姿を見れば背筋が伸びて品のある一品だが、レインから逃走する可能性を残しているヴィクトリアにとっては、もう少し走りやすい靴の方がいい。
ヴィクトリアはサイズが合わないと言ってまた別の靴を試着し始めた。
何足か履いてみてヴィクトリアは高さのない靴を選ぼうとするが、レインは反対にヒールが高く見た目は綺麗だが走りにくそうな靴ばかり勧めてくる。もしかすると逃走防止のために意図的にそんな種類の靴を推してくるのかと思わなくもなかった。
「綺麗だね」
白地の表面に蔦のような紋様が描かれ、硝子だと思うが宝石に似せた透明な粒があしらわれた靴を履かせながらレインが言う。硝子の粒が光を反射して靴が輝いていた。
「そうね、綺麗な靴ね」
「ううん、君の脚が」
レインは靴ではなくヴィクトリアの生足を見ている。発言が変態のそれに近い気がする。
もしヴィクトリアがレインに好意を持っていなかったら、全身に悪寒を走らせて鳥肌を立てていたことだろう。
レインはそこら辺はちゃんとわかっているのか、店員が物を取りに行っていない隙を突いて言ってくるのがせめてもの救いだった。
ヴィクトリアはレインの意見を突っぱねて、自分が一番動きやすいと思った靴にした。
下着はまずサイズを測りましょう、と店の奥側にある、入口にカーテンの掛かった小部屋に連れて行かれた。
隊服だけを脱ぎ、衣服の上から胸やお尻のサイズを測ってもらう。なぜ下着を着けていないのかは突っ込まれなかったのでありがたかった。
メジャーを身体に巻き付けられながら、ヴィクトリアは鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
測り終えた店員が「合った下着を持って參りますので少々お待ちください」と言って離れていく。ヴィクトリアはカーテンを少し開けて顔を出すと、店内を物色していたレインを見つけてちょいちょいと手招きした。気付いたレインが笑顔でこちらに寄ってくる。
「どうした? キスしてほしいのか?」
「違うわよ」
ヴィクトリアは発言を受け流しながら自身の首を指差す。首や鎖骨付近にはレインが付けた赤い痕があった。
「これ、恥ずかしいから消したいの。どうしたらいい?」
「どうしたらいいって…… そんなの時間が経つのを待つしかないだろ」
「でもほら、あなたに捕まって九番隊砦で目が覚めた時、昨日まであったはずの痕がなかったの。あの時私を着替えさせたのはあなたでしょう? 何か早く消せる裏技でも知っているんじゃないの?」
レインの眉間にぐっと皺が寄った。目付きが鋭くなり瞳の奥に不穏な光が宿る。急にレインの機嫌が悪くなってしまった。
「……私、何か変なこと言った?」
「嫌なことを思い出しただけだ。君の身体にあのクソ男が触れて痕まで付けたかと思うと虫唾が走る」
レインは『あのクソ男』の部分を吐き捨てるように言う。レインの目付きは険しくて、ヴィクトリアを睨んでいるようにも見える。その顔が、里から逃げた後林の中で見つかった時に見たレインの表情と被る。
(もしかしてあの時睨んでいたのは、シドに付けられた痕が残っているのが嫌だったから?)
「そうじゃなくても君は俺のものなんだから、俺以外の男に身体を触らせては駄目だよ」
「まだあなたのものじゃないわ」
「そうだね。『まだ』俺のものじゃないけど、そのうちなるから」
強く言い含められる。ヴィクトリアも否定はしない。レインの表情が少し柔らかくなった。
「あの時は魔法使いに消してもらったんだよ」
「魔法使い? もう、そんな冗談言って」
「冗談じゃないけどな。 ……わかった、何とかするから見せて」
ヴィクトリアは顔を上げて喉元を晒す。ヴィクトリアの肩を掴んだレインの顔が鎖骨の辺りに近付いて――
(ん?)
「増やしてどうするのよ!」
鏡を見て怒るヴィクトリアに対し、レインは笑いながら去っていく。
ヴィクトリアは、むう、とむくれながらも、頭の中に一つの言葉が引っかかった。
(魔法使い……)
そんなものは虚構の世界の話で、現実には存在しない。そのはずだった。
けれどあのオリオンという茶髪の少年は、ヴィクトリアの目の前で自分の能力を隠さずに使っていた。遠くの光景を見せたり、瞬時に姿を現したりした。
シドが九番隊砦でヴィクトリアの前に現れる直前、オリオンが小屋に来た時は口付けに夢中だったが、匂いが急に現れたのはわかった。
オリオンは外から扉を開けて入ってきたわけではなく、急にそこに出現したとしか言えないような登場の仕方だった。
そもそもあの時は鉄格子の扉には鍵が掛かっていて、出入りができる状態ではなかった。
オリオンが魔法使いで、魔法で全ての現象を起こしていたのだとすれば合点がいく。極め付きは手から雷のような光を放出したことだ。手品師でもあんなことはできない。
ヴィクトリアはやっと気付く。
この世界に魔法や魔法使いは存在していて、オリオンこそがその魔法使いなのではないか、と。
はて、今日は寒いのだろうかと窓の外を見るが、暖かそうな陽の光が眩しい。天気はよく晴れている。
「着ておいて。揺れてるから」
その意味を理解するのに三秒ほどかかった。ヴィクトリアは頬に朱を走らせ胸を腕で覆う。
「も、もっと早く言って!」
レインは役得と言いながらニコニコ笑っている。
ヴィクトリアは急いで隊服を着込んだ。レインの匂いに包まれて、彼に抱きしめられているように錯覚する。隊服はヴィクトリアにはやや大きかったので、レインが袖を捲ってくれた。
「ねえ、レイン」
「何だい、俺の愛しい人」
小声で話しかけたのに、レインは普通よりもやや大きな声で、かつわざとらしい言い回しで答えてくる。
「恥ずかしいので降ろしてほしいんだけど」
レインの耳元に顔を寄せて小声で囁く。現在ヴィクトリアはレインに抱きかかえられて、宿屋の戸口前、大通りに面した場所にいた。道行く人たちが物珍しいものを見る目付きでこちらを見ている。
「足が汚れるだろ。少しの間だけなんだから我慢して」
ヴィクトリアは感覚がおかしくなっていたのか、部屋を出る際にその理由で抱きかかえられた時「まあ、ありがとう」などと言って普通に受け入れていた。密着しているのが嬉しかったし、むしろ何て優しい人なのだろうと思っていた。
だが、宿屋の受付で外出するがまた戻ると伝えている間、ご主人に始終驚いた顔を向けられていたので、あれ?と思い始めた。外に出れば通行人のほとんどに好奇の目を向けられて、これが普通でないことに気付く。お姫様抱っこをされて移動している者など誰もいない。歩く者は皆当然のように自分の足で歩いている。
「目立っているわ。すごく恥ずかしい」
「ヴィクトリアは俺のものだって宣伝できるからこれでいい」
「何その変な理由」
抗議をするがレインが聞き入れてくれる様子はない。そのうちに宿屋の建物の脇にある小道に入って大通りから逸れた。すぐに宿屋の裏手にある厩に辿り着く。
昨日乗った栗毛の馬の前まで行くと、馬丁が鞍を乗せて柵から出してくれた。レインはヴィクトリアを乗せると自身も後ろに跨がる。レインは片手で手綱を握り、もう片方の手をヴィクトリアの身体に回した。後ろに彼の体温を感じてとても心地よいが、ヴィクトリアは若干眉を顰めていた。
見れば宿屋には裏口があって中から厩まで抜けられるようになっていた。わざわざ表玄関を出て遠回りする必要はない。
「どうして裏口から出なかったのよ?」
「君とのことを少しでも多くの人に見せびらかしたかったんだ」
後ろを向くと近距離でレインが悪びれもせず相好を崩していた。怒ろうとしたのにその笑顔を見るとあまり強く出られない。
「とても恥ずかしかったわ」
「うん」
「わざと遠回りするなんて酷い人ね」
「うん」
「降ろしてくれないかったし」
「うん」
「ねえ、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ」
レインは優しい眼差しをヴィクトリアに向けている。
「君は俺のものだから手を出すなって世界中の人に叫びたい」
ヴィクトリアは無言で前に向き直った。
恥ずかしいことをさらっと言わないでほしい。
「俺今すごく幸せなんだ。ヴィクトリアがそばにいてくれるから。俺は君さえいてくれればいい。他には何もなくてもいい」
レインの好意は充分伝わってくるが、何と返したらよいものか。
ヴィクトリアは馬の背に揺られながら再び後ろを振り返った。真面目な顔になって、ある問い掛けをする。
たぶん、彼がその問い掛けに頷くことはない。でも、聞いておかねばならないと思った。
「レイン、私と一緒に里で暮らすつもりはない?」
ヴィクトリアにとってはそれが一番いい方法だ。
レインと人間社会で生きていくにはヴィクトリアが奴隷になるしかないのだろう。そこに恋愛感情が介在していて本人たちが思い合っていたとしても、正式には夫婦でも家族でもないし、子供は作れない。公には主人と奴隷の関係だ。
里なら人間の掟の範囲外だ。獣人に戸籍などはなく明確に管理されているわけではないが、生活していく上では問題なく伴侶だと認めてもらえるし、子供だって産める。
レインの表情に陰りが見えた。
「たとえ君と一緒でも、敵の本拠地で一生を過ごすことは俺の信念に反する」
(やっぱり……)
答えはわかっていたけど、ヴィクトリアは自分が案外落胆していることに気付く。
「ごめん」
頭の後ろから沈んだ声が落ちてくる。真摯な声だと思った。ヴィクトリアにはその一言だけで充分だった。
「……いいのよ。あなたの人生なんだから、受け入れられないことを抱えて生きた所で碌なことにはならないわ。今言ったことは忘れて」
馬を街路樹に繋ぎ、二人は婦人服や服飾雑貨を売っている店に入った。
「いらっしゃいま……」
やはり抱えられたヴィクトリアを見て店員は一様に目を見開いたが、何事もなかったかのように丁寧に案内してくれた。
レインは「服を――」と言いかけたが、ヴィクトリアはその声に被せるように「まずは靴! それから下着をお願い!」と女性店員に声高に告げた。
(とにかくレインから離れよう)
見本の衣服が並べられている硝子張りの窓の向こうから、ヴィクトリアが抱っこされているのを覗き込んでくる通行人もいて、好奇の視線が痛すぎる。
店員が見繕ってくれた靴を試着するために椅子に腰掛けると、なぜかレインが跪き、一段高くなった台の上でヴィクトリアに靴を履かせ始めた。両足を履かせるとヴィクトリアの手を取り一緒に歩いてくれる。
ヒールの高い靴で、鏡に映る姿を見れば背筋が伸びて品のある一品だが、レインから逃走する可能性を残しているヴィクトリアにとっては、もう少し走りやすい靴の方がいい。
ヴィクトリアはサイズが合わないと言ってまた別の靴を試着し始めた。
何足か履いてみてヴィクトリアは高さのない靴を選ぼうとするが、レインは反対にヒールが高く見た目は綺麗だが走りにくそうな靴ばかり勧めてくる。もしかすると逃走防止のために意図的にそんな種類の靴を推してくるのかと思わなくもなかった。
「綺麗だね」
白地の表面に蔦のような紋様が描かれ、硝子だと思うが宝石に似せた透明な粒があしらわれた靴を履かせながらレインが言う。硝子の粒が光を反射して靴が輝いていた。
「そうね、綺麗な靴ね」
「ううん、君の脚が」
レインは靴ではなくヴィクトリアの生足を見ている。発言が変態のそれに近い気がする。
もしヴィクトリアがレインに好意を持っていなかったら、全身に悪寒を走らせて鳥肌を立てていたことだろう。
レインはそこら辺はちゃんとわかっているのか、店員が物を取りに行っていない隙を突いて言ってくるのがせめてもの救いだった。
ヴィクトリアはレインの意見を突っぱねて、自分が一番動きやすいと思った靴にした。
下着はまずサイズを測りましょう、と店の奥側にある、入口にカーテンの掛かった小部屋に連れて行かれた。
隊服だけを脱ぎ、衣服の上から胸やお尻のサイズを測ってもらう。なぜ下着を着けていないのかは突っ込まれなかったのでありがたかった。
メジャーを身体に巻き付けられながら、ヴィクトリアは鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
測り終えた店員が「合った下着を持って參りますので少々お待ちください」と言って離れていく。ヴィクトリアはカーテンを少し開けて顔を出すと、店内を物色していたレインを見つけてちょいちょいと手招きした。気付いたレインが笑顔でこちらに寄ってくる。
「どうした? キスしてほしいのか?」
「違うわよ」
ヴィクトリアは発言を受け流しながら自身の首を指差す。首や鎖骨付近にはレインが付けた赤い痕があった。
「これ、恥ずかしいから消したいの。どうしたらいい?」
「どうしたらいいって…… そんなの時間が経つのを待つしかないだろ」
「でもほら、あなたに捕まって九番隊砦で目が覚めた時、昨日まであったはずの痕がなかったの。あの時私を着替えさせたのはあなたでしょう? 何か早く消せる裏技でも知っているんじゃないの?」
レインの眉間にぐっと皺が寄った。目付きが鋭くなり瞳の奥に不穏な光が宿る。急にレインの機嫌が悪くなってしまった。
「……私、何か変なこと言った?」
「嫌なことを思い出しただけだ。君の身体にあのクソ男が触れて痕まで付けたかと思うと虫唾が走る」
レインは『あのクソ男』の部分を吐き捨てるように言う。レインの目付きは険しくて、ヴィクトリアを睨んでいるようにも見える。その顔が、里から逃げた後林の中で見つかった時に見たレインの表情と被る。
(もしかしてあの時睨んでいたのは、シドに付けられた痕が残っているのが嫌だったから?)
「そうじゃなくても君は俺のものなんだから、俺以外の男に身体を触らせては駄目だよ」
「まだあなたのものじゃないわ」
「そうだね。『まだ』俺のものじゃないけど、そのうちなるから」
強く言い含められる。ヴィクトリアも否定はしない。レインの表情が少し柔らかくなった。
「あの時は魔法使いに消してもらったんだよ」
「魔法使い? もう、そんな冗談言って」
「冗談じゃないけどな。 ……わかった、何とかするから見せて」
ヴィクトリアは顔を上げて喉元を晒す。ヴィクトリアの肩を掴んだレインの顔が鎖骨の辺りに近付いて――
(ん?)
「増やしてどうするのよ!」
鏡を見て怒るヴィクトリアに対し、レインは笑いながら去っていく。
ヴィクトリアは、むう、とむくれながらも、頭の中に一つの言葉が引っかかった。
(魔法使い……)
そんなものは虚構の世界の話で、現実には存在しない。そのはずだった。
けれどあのオリオンという茶髪の少年は、ヴィクトリアの目の前で自分の能力を隠さずに使っていた。遠くの光景を見せたり、瞬時に姿を現したりした。
シドが九番隊砦でヴィクトリアの前に現れる直前、オリオンが小屋に来た時は口付けに夢中だったが、匂いが急に現れたのはわかった。
オリオンは外から扉を開けて入ってきたわけではなく、急にそこに出現したとしか言えないような登場の仕方だった。
そもそもあの時は鉄格子の扉には鍵が掛かっていて、出入りができる状態ではなかった。
オリオンが魔法使いで、魔法で全ての現象を起こしていたのだとすれば合点がいく。極め付きは手から雷のような光を放出したことだ。手品師でもあんなことはできない。
ヴィクトリアはやっと気付く。
この世界に魔法や魔法使いは存在していて、オリオンこそがその魔法使いなのではないか、と。
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