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対銃騎士隊編

39 ためらい ✤

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 二人は馬に乗り長い時間走り続けた。その間背後のレインに話かけようとしたが、舌を噛むからしゃべるなと言われてお互いずっと無言だった。
 ヴィクトリアは太ももを締めて鬣を掴み、疾走する駿馬から振り落とされないようにしていた。

 レインが速度を緩めた。そろそろ馬を休ませないといけないと言う。二人を乗せて走っていたのだから馬も疲れただろう。
 街道を逸れて樹木の中に入った。川のせせらぎが聞こえ、小川が見えた所でレインは馬を止めた。川の近くの木に手綱をくくりつけると馬は勝手に水を飲み始めた。

 途中人里もあったがレインはそこで休むことを選択しなかった。理由を聞けば、街にいてシドがやって来たら住民を巻き込むことになってしまうからだと言う。

 二人は近くの木の根本に隣り合って腰を下ろした。驚くことにレインは荷物を持ってきていた。袋状の荷物入れの中からカンテラや水筒が出てくる。小屋でヴィクトリアの見張りをしていた時から持ってきていたのは見ていたが、「よく準備をしていたわね」と言うと、「不測の事態に備えていた」と答えが帰ってきた。「万が一君が逃げ出したらすぐに追いかけるつもりだった」と。

 水筒の水を貰いながら、ヴィクトリアのすぐ近くで話すレインから目が離せない。特に彼の唇に目がいってしまう。不躾に見ていてもはしたないので、彼の唇からは意識して視線を外すようにしていた。

 ヴィクトリアが口をつけた水筒にレインも口をつける。

 レインは繊細さを感じさせる綺麗な顔立ちをしているが、水筒を持つ手や水を飲み下す喉は骨ばっていて男っぽい。

 レインが荷物袋の中を探っている。袋の中に母の形見の短剣が入っているのが見えた。

 レインは薄い布を取り出すとヴィクトリアを抱えて小川の側まで連れて行った。彼女を平らな石の上に座らせると、川の水でヴィクトリアの泥で汚れた素足を洗い流してくれた。

「冷たい?」

 ヴィクトリアが浮かない顔をしているのでレインが問い掛けた。ヴィクトリアは首を横に振る。

「シドが来たらどうしようと思って……」

「まあ、そうだな……」

 レインはヴィクトリアの足を布で拭きながら、何事かを考えている。
 
「もしオリオンたちが捕縛に失敗してシドが現れたら、万事休すだな」

 ヴィクトリアが思い詰めた顔をする。レインはヴィクトリアの頭を撫でて、抱き寄せた。

「君が殺されることはないと思う。酷い目にはあわされてしまうかもしれないけど……」

「あなたは?」

「俺は君に手を出してしまったから、見つかり次第惨殺されるだろうな」

 ヴィクトリアは泣きそうな顔になった。

「俺が死んでも、君が俺のことを思ってずっと生き続けてくれるなら、それでいい」

 ヴィクトリアはレインを見つめた。レインもヴィクトリアに視線を合せてくる。

「する?」

 ヴィクトリアは頷いた。





 小川があったのは少し街道を逸れた小さな渓谷になっている場所で、近くに洞穴があった。レインに導かれて穴の中に入れば、月の光も届かず奥は真っ暗だった。動物の住処のようだが近くにいる匂いは感じなかった。

 カンテラの灯りだけが二人を照らす。

 抱きしめられて口付けられる。口内に入り込むレインの舌に自分のものを重ねて応えた。

 触れた柔らかな部分から全身に喜びが広がっていく。思考が麻痺して何も考えられなくなっていった。

(もっとしてほしい……)

 柔らかい土の上に隊服の上着を広げられて、ヴィクトリアはそこに寝かされた。

「覚えておいてね。君は俺のものだよ。これからもずっと、俺だけのものだよ」

 ブラウスのリボンを外される。レインはヴィクトリアの喉や鎖骨の辺りに口付けた。

 のしかかられても嫌な感じはしない。むしろレインの匂いを近くで嗅ぐことができて心が踊った。レインの身体からとてもいい匂いがする。

(もっと嗅いでいたい)

 匂いに当てられて、身体の力がだんだんと抜けてくる。酒を飲んだことはないが、気分が高揚していてまるで酔ってるみたいだと思った。

 レインがブラウスのボタンを外していく。洞穴の天井をぼうっと眺めていたヴィクトリアは、洞穴の入口から一羽の黒い鳥が入ってくるのが見えた。

「鳥……」

 何気なく呟いたヴィクトリアの言葉にレインの身体がぴくりと反応する。しかしレインはヴィクトリアの視線の先を見ようとはせず、ボタンを外す手も止めない。

 黒鳥は二人の近くに降りた。跳ねるような足取りでこちらに近づいてきて止まる。

(随分と人懐っこい鳥……)

「レイン、鳥がいるわ」

「鳥くらいいるだろう」

 レインは仏頂面になっている。ヴィクトリアは何か変だと思った。黒鳥の足には何か白いものがくくりつけられている。

 ヴィクトリアはブラウスの前面を開こうとしたレインの手を掴んで止めた。

「ちょっと待って」

「待ちたくない」

「鳥に何かついてるわよ」

 上体を起こしたヴィクトリアが鳥を指差す。促されてようやくレインは鳥に視線をやったが、その眉間には皺が寄っていた。レインは、はあ、とため息を吐き出した。

「嫌がらせか……」

 レインはそう呟くと、鳥に近付いて足にある白いものを抜き取った。鳥はすぐに羽ばたいて洞穴から出て行ってしまった。

 白いものは丸められた小さな紙片だった。レインが引っ張ると広がり、中に文字が書かれているのが見えた。ヴィクトリアが覗きこもうとすると、それに気付いたレインが紙片を破って捨てた。二つになった紙片は地面に落下する間にどんどん縮んで小さくなり、最終的には跡形も無くなって消えた。

「?」

 ヴィクトリアは小首を傾げた。

(今の現象は一体何?)

「あなたは手品師か何かなの?」

「俺は違う。機密文書だから細工がしてあるだけだ」

 機密文書。伝令か何かだろう。

「何て書いてあったの?」

「君が気にするようなことは何も」

 レインが近付いてくる。その分だけヴィクトリアは後退して距離を取った。レインが立ち止まる。

「ヴィクトリア、なぜ逃げる?」

「だってそれ、嘘よね? 私にとっては大いに気になる事よ。『シドは取り押さえた』んでしょ? どうして嘘をつくの?」

「見えたのか?」

「最初の一文だけ」

 二人の間に沈黙が降りる。

「ヴィクトリア、好きなんだ。俺のものになって」

「嫌よ」

 ヴィクトリアは首を振った。

「あなたのことは信用できないわ」

 ヴィクトリアはじり、じり、とレインから距離を取っていく。

 今ならレインから、銃騎士隊から逃げられる。

(逃げられるけど、逃げられるのに……)

 ヴィクトリアはレインから一定の距離を取ったまま動けなくなってしまった。

 何度も口付けて彼の匂いを特別だと感じるようになってしまったせいなのか、番になったわけでもないのにレインと離れ難く感じている。

(わかってる。本当は気付いている)

 レインへの思いが芽生えている。たぶん好きだと思う。一緒にいたら、もっともっと彼のことが好きになる。

 シドの脅威が去り必要がなくなったというのに、レインに身体を委ねてもいいと思っている。

 口付けだけであれほどの幸福に包まれたのだ。身体を重ねたらもっと心地良いのだろう。

(嘘付きは私も一緒……)

 本当は、理性も立場も全部放り投げてレインの胸に飛び込みたい。

 でも、ヴィクトリアが自分の心に誰か好きかと問い掛けてみて、一番最初に思い浮かぶのはリュージュだ。

 リュージュは弟で自分の思いが実を結ぶことは永遠にない。それはわかっている。でも、リュージュへの気持ちはまだこの胸に燻っているというのに、レインに抱かれてもいいと思っている。

(何て事……)

『気持ちの繋がりよりも身体の繋がりを優先する』

 シドの言葉が蘇る。

 自分がそんな生き物だなんて、認めたくなかった。

(男女の営みをするのは、レインのことをもっと好きになってからじゃないと嫌)

 少なくとも、リュージュよりも好きだと確信が持てなければ身体を開いてはいけない気がする。

 まだレインと一緒にいたいという気持ちと、彼からは離れたほうが安全だという気持ちがせめぎ合う。

 次の一歩を踏み出せずに迷っていると、はあ、とレインがため息をついた。

「わかったから、このままいなくなるとかやめてくれ。こんな夜中に一人で動くのは危ない。君みたいな綺麗な子、男は見ただけですぐに襲うぞ。変な奴に捕まったらどうするつもりなんだ? とにかく朝までは一緒にいよう。その間手は出さない。約束するから」










 ヴィクトリアはレインに連れられて近くの街まで来ていた。女の子に野宿はきついだろと言われて宿屋を探しに来ていた。シドが来ないのであれば街に降りて来ても問題はない。

 日付を跨ぐくらいの時間帯ではあったが、宿屋には明かりが灯っていて部屋も空いていた。 

 ただし、レインと同室だった。「君は獣人で監視対象者なんだから別室なんてありえないし、そもそも金はあるのか?」と言われてぐうの音も出なかった。

(そうだ、人間社会は何をするにもまずお金が必要だった)

 本当は里から出る時には宝石や装飾品を持って出て換金しようと思っていたが、成り行きで形見の短剣しか持たずに出奔したため、ヴィクトリアがそんなものを持っているはずがなかった。















『シドは取り押さえた。五人掛かりでやっとだ。シドを刺激したくない。こちらには戻るな。処刑が済むまで新婚旅行気分でも味わっていろ。シドとヴィクトリアを接触をさせるな。詳細は任せる。逃がすなよ J』
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