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対銃騎士隊編
37 口付け ✤
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「好きだ」
レインが切羽詰まったような声と表情で告げてくる。腕から抜け出そうとしていたヴィクトリアは頭が真っ白になった。
「好きだ、ヴィクトリア」
動きの止まったヴィクトリアをレインが寝台に押し倒した。レインの顔が近い。
「どうして? あなたは私が嫌いではなかったの?」
嫌われていると思っていた相手に実は好かれていたという展開についていけない。もしかしたら一夜の火遊びのつもりでそんなことを言っているのではないかと思った。人間にとっては遊びでも、獣人にとっては一生を左右する大事な問題だ。
「嫌いなもんか。俺は君が好きだよ。一目惚れだ」
一目惚れ。どこかで聞いた言葉だ。
「一体いつから?」
「最初から。出会った時から」
「どうして冷たくしたの? どうして私と話そうとしなかったの?」
「ごめん、できるだけ優しくするよ」
レインの声もヴィクトリアを見つめる瞳も、ひどく優しい。あれほど冷たい目をしてたというのに。
――どうしてあの時に抱かないって言ったの?
勢いで出かかった言葉を喉元で押し留める。そんなことを聞くのはいくら何でも恥ずかしすぎた。なのに、戸惑った顔をしていたせいか、言いたいことは伝わったらしい。
「シドの処刑が済むまでは君に手を出すなと止められていたんだ。ごめんね、あれは本心じゃないから」
レインの手がヴィクトリアの髪を撫でていく。
「大好きなんだ。本当はずっとずっと好きで、君のことを考えない日は一日だってなかった。口を開いたら思いの丈をぶちまけてしまいそうだったから、できるだけ話をしないようにしていたんだ。我慢してた。本当は愛し合いたい」
レインが口付けようとしてくるので咄嗟に横を向いて避けた。どくどくと跳ねるみたいにヴィクトリアの心臓がわめいている。レインの手が顎にかかり、正面を向かせられる。瞳に熱がこもっていて、強い視線に晒された。
顔が再び近付いてくる。レインは口付けた。
ヴィクトリアの手の平に。
ヴィクトリアは真っ赤になりながらも自分の手を差し込んで口付けを拒んだ。
レインはヴィクトリアを不思議そうに見下ろしている。
「なんで拒む? 自分から誘ったくせに」
「なっ、何てことを言っているのよ! 誘ったりなんてしていないわ!」
ヴィクトリアは心外だとばかりに言い返す。
「君がそう思っていなくても誘っているようにしか見えない。男が側にいるのにシャワーなんか浴びるんじゃない」
「だ、だってあなたは女嫌いだって聞いてたし、私になんて興味がないのだと思ったわ」
「女嫌い?」
レインが鼻で笑う。
「そんなわけないだろう」
何かがおかしい。聞いていた前情報も他のことも色々違う。
「でもジュリアスは、私がシャワーを浴びても襲ったりなんてしなかったわ」
ぐっと眉根を寄せたレインの表情が急に険しくなる。
「嫌だ」
「え?」
「もう嫌だ。他の奴らもヴィクトリアヴィクトリアって…… 君は俺のものなのに」
(俺のもの? いつなった?)
もうよくわからなくて泣きたい。
腕を掴まれて抑え込まれる、ヴィクトリアは顔を強張らせて得体の知れなくなった男を見上げた。
「レイン、色々と誤解や行き違いがあったみたいよ。ひとまず落ち着きましょう」
「俺は落ち着いているよ」
レインはヴィクトリアから手を離さない。このままヴィクトリアを無理矢理どうにかするつもりだ。
「……差し入れの手紙を盗ったのはあなたね?」
「他の男の愛の言葉なんか読みたかった? あんなもの目が腐るから読まなくていい。未開封で本当によかったよ。愛の言葉が欲しいなら俺がいくらでも言うから、他の男は見るな」
愛の言葉、既に強烈なものを繰り出されている気がした。精神力を根こそぎへし折られて持っていかれそうだ。
ヴィクトリアはレインを睨み、毅然と言い放った。
「離れて。私の上からどきなさい」
レインはにこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。
「ヤダ」
ヴィクトリアは全力でレインの手を押し返した。総じて人間より獣人の方が筋力は上だ。それは性差があっても変わらない。
抑えようとするレインに力で勝ったヴィクトリアは上体を起こし、離れようと身をよじった。
レインが逃がすまいと手を伸ばす。
揉み合いのようになり、レインの手がそれを掴んだのは偶然だった。
「「あ」」
二人同時に声を出す。レインがヴィクトリアの胸の膨らみを鷲掴みにしていた。
ヴィクトリアは動きを止めて顔を真っ赤にしている。全身に羞恥が走った。
止まっていたはずのレインの手が形を確かめるように動き出す。
ヴィクトリアは目をかっと見開くと、手を振り上げてレインの顔を思いっきり張り飛ばした。平手が綺麗に頬に命中し、レインは寝台からずり落ちて背中を打った。
ヴィクトリアは寝台から飛び退り、鉄格子に寄ってレインから最大限距離を取った。
「この世のものとは思えない柔らかさ……」
レインは倒れたまま何か言っている。
ヴィクトリアは両腕で胸を抑えると涙目になって悔しさからぶるぶると震えた。
(揉まれた。こんなこと、誰にもされたことがない。シドにだってされたことがないのに)
「下着を着けていないだなんて。やっぱり誘ってる?」
ヴィクトリアは怒りで返事もできない。
レインはむくりと起き上がり、危うさを孕んだ目でこちらを見ていた。
(相手は人間。シドじゃない。単純に腕力だけなら私の方が上ね。大丈夫、勝てるわ。落ち着いて、落ち着くのよヴィクトリア)
しかしレインは武器を持っている。腰には剣を二本提げたままだし、火薬の匂いもする。ぱっと見ではわからないが銃を二、三丁くらい隠し持っているようだ。下手に反抗したら撃たれてしまう可能性もある。
闘って勝ちたいわけじゃない。ここから逃げたいだけだ。
(鍵…… 鉄格子を開ける鍵を手に入れないと)
ヴィクトリアはとある作戦を実行するべきか決めかねていた。ジュリアスに対しては婚約者に負い目を感じて諦めた作戦。
つまりは、誘惑。
誑かして隙をついて鍵を奪うか、もしくは完全にこちら側の味方につけて逃げ出す手助けをさせる。
なにせ、ヴィクトリアは魔性の女であるらしいので。
レインには完全に嫌われていると思い込んでいたのでこんな作戦効かないと思っていた。しかし元々こちらに好意を持っているなら半分成功したようなものだ。
宴会でシドにしていたようなこととだいたい同じことをやればいい。
それでも好きでもない男にしなだれかかるというのは抵抗があるし、できればやりたくない。
しかしその機会が向こうからやって来てしまった。
レインは熱のある瞳でヴィクトリアを見ている。彼が一歩踏み出した。
ヴィクトリアは腹をくくった。こちらが誘惑しなくても向こうからもう襲いに来ているようなものなのだから、この状況ならやってもやらなくても同じ。
(もうやるしかない)
レインに対しては仲間に引き込んで一緒に逃げるという選択肢は消した。レインは愛が重いというか怖い感じがするので、一緒にいるのは危険だ。
一瞬このままここにいて、ジュリアスの言う通りレインの獣人奴隷になる道もあるかもしれないと脳裏をかすめたが、すぐに打ち消した。
(ないないない。奴隷とか絶対嫌)
鍵を奪ってさっさと逃げよう。
ヴィクトリアは目を閉じた。
レインがヴィクトリアの目の前までやってきて、彼女に手を伸ばす。
(心の迷いを消す)
ヴィクトリアは目を開けて愛情に満ちた優しい表情を作った。腕を掴まれそうになるがその前に一歩距離を詰めてレインの頬に触れた。
「ごめんなさい。痛かったわよね」
頬を撫でながら顔を覗き込む。上目遣いに彼を見上げ、レインの瞳をじっと見つめて至近距離で微笑んだ。シドならいつもこうすると機嫌を良くして楽しそうにヴィクトリアを見返してくるのだが、レインはすぐさま顔を赤くして憑かれたようにヴィクトリアを見ている。シドより反応が良い。
ヴィクトリアはレインの首に手を回して自分から抱きついた。耳元で「私も好きよ」と囁いてから、レインの頬に自身の唇を押し付けた。
レインが抱きしめてくるので、逆らわずに彼の身体に手を回した。腰の辺りを探り、ベルトから音を立てないようにして鍵束を引き抜いた。
鍵を手にしたヴィクトリアは思わず笑みを漏らす。妖艶な笑みだった。レインが顔を傾けて口付けようとしてくるので即、足払いをかけた。重心が傾いだ所で床に投げ飛ばし、飛ぶように鉄格子の入口まで駆けた。
鍵束には鍵が四本。
ヴィクトリアは焦った。鍵穴に次々と試すがどれも合わない。
背後から不穏な空気を感じる。ヴィクトリアは振り返った。
レインが険しい顔でこちらを見ていた。瞳の奥が刃物で切りつけてくるように鋭い。
ヴィクトリアが怯んだのを見てレインがふっと笑った。レインは鉄格子の外のとある一点を指差す。
その先にあるのは椅子だ。
(椅子?)
ヴィクトリアは目を凝らして椅子をじっと見た。暗闇の中、月の光に反射して何かが光っている。何か――――よく見るとそれは鍵だった。
鍵。おそらくはヴィクトリアが喉から手が出るほど欲しかった鉄格子の扉を開ける鍵。
「嘘……」
なぜあんな所にあるのだろう。椅子は壁際に寄った所にあるから手を伸ばしても届かない。
(まさか、さっき灯りを落として鍵を締めた直後に椅子の所まで放り投げた?)
「一体何を考えているのよ! これじゃあなただって外に出られないじゃない!」
「そうだな。二人してこの密室から朝まで出られないな」
ヴィクトリアの顔が引き攣った。
「朝になって発見された時、君が俺のものになったという話がこの砦中に広がるんだ」
レインが笑う。悪いことをやっているのを自覚している顔だ。
(逃げ場の無い檻の中で、朝になるまでこの人からずっと逃げ回るの?)
もうだめだ、これもうだめだ。
打ちひしがれるヴィクトリアを近付いてきたレインが抱え上げて寝台まで運ぶ。
「責任は取る。一生一緒にいよう」
ヴィクトリアは寝台に放り投げるように落とされた。
何をするのと抗議しようとしてレインを見れば、彼は真剣な表情をしていた。
「さっき言った事は本当か?」
さっきとはどのことだろう。
「俺のことを好きって本当?」
(好き…… 私が好きなのは……)
脳裏には赤茶髪の少年の姿しか思い浮かばない。弟だとわかったからといってそう簡単に気持ちが切り替えられるはずもなかった。
ヴィクトリアは沈黙している。
「……そうか。俺を騙したんだな」
ヴィクトリアを見つめるのは鉄格子の外から見ていた時と同じ冷たい瞳だ。
レインが背中に手を回す。手が戻された時、握られていたのは拳銃だった。ヴィクトリアは戦慄した。
「お願い、撃たないで」
「俺も撃ちたくはないよ」
銃口がこちらを向いている。ヴィクトリアは背中にじっとりと嫌な汗を掻いた。
「服を脱いで」
ヴィクトリアは首を振った。しかしレインが了承するはずもなく、ヴィクトリアの身体に銃口を押し付けた。
「……っ」
ヴィクトリアは息を呑んだ。レインが冷え切った目で見下ろす。何をするかわからない、そんな雰囲気だった。
ヴィクトリアは震える手でリボンを外し、ボタンに手をかけた。ゆっくりと外していく。
ボタンを全部外しきったが、服を掴んだまま脱ぐことができずに止まる。
(身体を見られてしまう)
俯いたヴィクトリアの目から涙が溢れて膝の辺りの衣服を濡らしていく。
「泣いてもやめないから。身体を繋げないと、君は完全に俺のものにならない」
ブラウスの開いた隙間からレインの手が入り込んできて、ヴィクトリアはびくりと身体を震わせた。レインが直接肌に触れていく。
レインが口付けようとする。ヴィクトリアは身動きが取れなかった。腹部には拳銃が突きつけられている。目を閉じると頬を涙が伝った。
ヴィクトリアは観念した。
唇が触れ合う寸前、地鳴りのような音が響き渡った。二人は目を開ける。
ヴィクトリアは胸騒ぎがして嫌な予感を覚えた。レインも張り詰めた顔をして周囲を警戒している。
ヴィクトリアを寒気が襲った。ずっと固定されていたはずのシドの気配が動いている。
(まさか、シドの鎖が外れた?)
途中で動きが止まって停滞したかと思えばまた動く。進路はこちらに向いている。最短距離でここに来ようとしている。
ヴィクトリアはレインの胸に逃げた。激しく震えるヴィクトリアの身体にレインが腕を回す。
「レイン、お願い」
ヴィクトリアは顔を上げてレインを見つめた。
「私を抱いて――」
言い終わらないくらいのうちに、レインはヴィクトリアの唇に自分のそれを重ねた。
レインが切羽詰まったような声と表情で告げてくる。腕から抜け出そうとしていたヴィクトリアは頭が真っ白になった。
「好きだ、ヴィクトリア」
動きの止まったヴィクトリアをレインが寝台に押し倒した。レインの顔が近い。
「どうして? あなたは私が嫌いではなかったの?」
嫌われていると思っていた相手に実は好かれていたという展開についていけない。もしかしたら一夜の火遊びのつもりでそんなことを言っているのではないかと思った。人間にとっては遊びでも、獣人にとっては一生を左右する大事な問題だ。
「嫌いなもんか。俺は君が好きだよ。一目惚れだ」
一目惚れ。どこかで聞いた言葉だ。
「一体いつから?」
「最初から。出会った時から」
「どうして冷たくしたの? どうして私と話そうとしなかったの?」
「ごめん、できるだけ優しくするよ」
レインの声もヴィクトリアを見つめる瞳も、ひどく優しい。あれほど冷たい目をしてたというのに。
――どうしてあの時に抱かないって言ったの?
勢いで出かかった言葉を喉元で押し留める。そんなことを聞くのはいくら何でも恥ずかしすぎた。なのに、戸惑った顔をしていたせいか、言いたいことは伝わったらしい。
「シドの処刑が済むまでは君に手を出すなと止められていたんだ。ごめんね、あれは本心じゃないから」
レインの手がヴィクトリアの髪を撫でていく。
「大好きなんだ。本当はずっとずっと好きで、君のことを考えない日は一日だってなかった。口を開いたら思いの丈をぶちまけてしまいそうだったから、できるだけ話をしないようにしていたんだ。我慢してた。本当は愛し合いたい」
レインが口付けようとしてくるので咄嗟に横を向いて避けた。どくどくと跳ねるみたいにヴィクトリアの心臓がわめいている。レインの手が顎にかかり、正面を向かせられる。瞳に熱がこもっていて、強い視線に晒された。
顔が再び近付いてくる。レインは口付けた。
ヴィクトリアの手の平に。
ヴィクトリアは真っ赤になりながらも自分の手を差し込んで口付けを拒んだ。
レインはヴィクトリアを不思議そうに見下ろしている。
「なんで拒む? 自分から誘ったくせに」
「なっ、何てことを言っているのよ! 誘ったりなんてしていないわ!」
ヴィクトリアは心外だとばかりに言い返す。
「君がそう思っていなくても誘っているようにしか見えない。男が側にいるのにシャワーなんか浴びるんじゃない」
「だ、だってあなたは女嫌いだって聞いてたし、私になんて興味がないのだと思ったわ」
「女嫌い?」
レインが鼻で笑う。
「そんなわけないだろう」
何かがおかしい。聞いていた前情報も他のことも色々違う。
「でもジュリアスは、私がシャワーを浴びても襲ったりなんてしなかったわ」
ぐっと眉根を寄せたレインの表情が急に険しくなる。
「嫌だ」
「え?」
「もう嫌だ。他の奴らもヴィクトリアヴィクトリアって…… 君は俺のものなのに」
(俺のもの? いつなった?)
もうよくわからなくて泣きたい。
腕を掴まれて抑え込まれる、ヴィクトリアは顔を強張らせて得体の知れなくなった男を見上げた。
「レイン、色々と誤解や行き違いがあったみたいよ。ひとまず落ち着きましょう」
「俺は落ち着いているよ」
レインはヴィクトリアから手を離さない。このままヴィクトリアを無理矢理どうにかするつもりだ。
「……差し入れの手紙を盗ったのはあなたね?」
「他の男の愛の言葉なんか読みたかった? あんなもの目が腐るから読まなくていい。未開封で本当によかったよ。愛の言葉が欲しいなら俺がいくらでも言うから、他の男は見るな」
愛の言葉、既に強烈なものを繰り出されている気がした。精神力を根こそぎへし折られて持っていかれそうだ。
ヴィクトリアはレインを睨み、毅然と言い放った。
「離れて。私の上からどきなさい」
レインはにこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。
「ヤダ」
ヴィクトリアは全力でレインの手を押し返した。総じて人間より獣人の方が筋力は上だ。それは性差があっても変わらない。
抑えようとするレインに力で勝ったヴィクトリアは上体を起こし、離れようと身をよじった。
レインが逃がすまいと手を伸ばす。
揉み合いのようになり、レインの手がそれを掴んだのは偶然だった。
「「あ」」
二人同時に声を出す。レインがヴィクトリアの胸の膨らみを鷲掴みにしていた。
ヴィクトリアは動きを止めて顔を真っ赤にしている。全身に羞恥が走った。
止まっていたはずのレインの手が形を確かめるように動き出す。
ヴィクトリアは目をかっと見開くと、手を振り上げてレインの顔を思いっきり張り飛ばした。平手が綺麗に頬に命中し、レインは寝台からずり落ちて背中を打った。
ヴィクトリアは寝台から飛び退り、鉄格子に寄ってレインから最大限距離を取った。
「この世のものとは思えない柔らかさ……」
レインは倒れたまま何か言っている。
ヴィクトリアは両腕で胸を抑えると涙目になって悔しさからぶるぶると震えた。
(揉まれた。こんなこと、誰にもされたことがない。シドにだってされたことがないのに)
「下着を着けていないだなんて。やっぱり誘ってる?」
ヴィクトリアは怒りで返事もできない。
レインはむくりと起き上がり、危うさを孕んだ目でこちらを見ていた。
(相手は人間。シドじゃない。単純に腕力だけなら私の方が上ね。大丈夫、勝てるわ。落ち着いて、落ち着くのよヴィクトリア)
しかしレインは武器を持っている。腰には剣を二本提げたままだし、火薬の匂いもする。ぱっと見ではわからないが銃を二、三丁くらい隠し持っているようだ。下手に反抗したら撃たれてしまう可能性もある。
闘って勝ちたいわけじゃない。ここから逃げたいだけだ。
(鍵…… 鉄格子を開ける鍵を手に入れないと)
ヴィクトリアはとある作戦を実行するべきか決めかねていた。ジュリアスに対しては婚約者に負い目を感じて諦めた作戦。
つまりは、誘惑。
誑かして隙をついて鍵を奪うか、もしくは完全にこちら側の味方につけて逃げ出す手助けをさせる。
なにせ、ヴィクトリアは魔性の女であるらしいので。
レインには完全に嫌われていると思い込んでいたのでこんな作戦効かないと思っていた。しかし元々こちらに好意を持っているなら半分成功したようなものだ。
宴会でシドにしていたようなこととだいたい同じことをやればいい。
それでも好きでもない男にしなだれかかるというのは抵抗があるし、できればやりたくない。
しかしその機会が向こうからやって来てしまった。
レインは熱のある瞳でヴィクトリアを見ている。彼が一歩踏み出した。
ヴィクトリアは腹をくくった。こちらが誘惑しなくても向こうからもう襲いに来ているようなものなのだから、この状況ならやってもやらなくても同じ。
(もうやるしかない)
レインに対しては仲間に引き込んで一緒に逃げるという選択肢は消した。レインは愛が重いというか怖い感じがするので、一緒にいるのは危険だ。
一瞬このままここにいて、ジュリアスの言う通りレインの獣人奴隷になる道もあるかもしれないと脳裏をかすめたが、すぐに打ち消した。
(ないないない。奴隷とか絶対嫌)
鍵を奪ってさっさと逃げよう。
ヴィクトリアは目を閉じた。
レインがヴィクトリアの目の前までやってきて、彼女に手を伸ばす。
(心の迷いを消す)
ヴィクトリアは目を開けて愛情に満ちた優しい表情を作った。腕を掴まれそうになるがその前に一歩距離を詰めてレインの頬に触れた。
「ごめんなさい。痛かったわよね」
頬を撫でながら顔を覗き込む。上目遣いに彼を見上げ、レインの瞳をじっと見つめて至近距離で微笑んだ。シドならいつもこうすると機嫌を良くして楽しそうにヴィクトリアを見返してくるのだが、レインはすぐさま顔を赤くして憑かれたようにヴィクトリアを見ている。シドより反応が良い。
ヴィクトリアはレインの首に手を回して自分から抱きついた。耳元で「私も好きよ」と囁いてから、レインの頬に自身の唇を押し付けた。
レインが抱きしめてくるので、逆らわずに彼の身体に手を回した。腰の辺りを探り、ベルトから音を立てないようにして鍵束を引き抜いた。
鍵を手にしたヴィクトリアは思わず笑みを漏らす。妖艶な笑みだった。レインが顔を傾けて口付けようとしてくるので即、足払いをかけた。重心が傾いだ所で床に投げ飛ばし、飛ぶように鉄格子の入口まで駆けた。
鍵束には鍵が四本。
ヴィクトリアは焦った。鍵穴に次々と試すがどれも合わない。
背後から不穏な空気を感じる。ヴィクトリアは振り返った。
レインが険しい顔でこちらを見ていた。瞳の奥が刃物で切りつけてくるように鋭い。
ヴィクトリアが怯んだのを見てレインがふっと笑った。レインは鉄格子の外のとある一点を指差す。
その先にあるのは椅子だ。
(椅子?)
ヴィクトリアは目を凝らして椅子をじっと見た。暗闇の中、月の光に反射して何かが光っている。何か――――よく見るとそれは鍵だった。
鍵。おそらくはヴィクトリアが喉から手が出るほど欲しかった鉄格子の扉を開ける鍵。
「嘘……」
なぜあんな所にあるのだろう。椅子は壁際に寄った所にあるから手を伸ばしても届かない。
(まさか、さっき灯りを落として鍵を締めた直後に椅子の所まで放り投げた?)
「一体何を考えているのよ! これじゃあなただって外に出られないじゃない!」
「そうだな。二人してこの密室から朝まで出られないな」
ヴィクトリアの顔が引き攣った。
「朝になって発見された時、君が俺のものになったという話がこの砦中に広がるんだ」
レインが笑う。悪いことをやっているのを自覚している顔だ。
(逃げ場の無い檻の中で、朝になるまでこの人からずっと逃げ回るの?)
もうだめだ、これもうだめだ。
打ちひしがれるヴィクトリアを近付いてきたレインが抱え上げて寝台まで運ぶ。
「責任は取る。一生一緒にいよう」
ヴィクトリアは寝台に放り投げるように落とされた。
何をするのと抗議しようとしてレインを見れば、彼は真剣な表情をしていた。
「さっき言った事は本当か?」
さっきとはどのことだろう。
「俺のことを好きって本当?」
(好き…… 私が好きなのは……)
脳裏には赤茶髪の少年の姿しか思い浮かばない。弟だとわかったからといってそう簡単に気持ちが切り替えられるはずもなかった。
ヴィクトリアは沈黙している。
「……そうか。俺を騙したんだな」
ヴィクトリアを見つめるのは鉄格子の外から見ていた時と同じ冷たい瞳だ。
レインが背中に手を回す。手が戻された時、握られていたのは拳銃だった。ヴィクトリアは戦慄した。
「お願い、撃たないで」
「俺も撃ちたくはないよ」
銃口がこちらを向いている。ヴィクトリアは背中にじっとりと嫌な汗を掻いた。
「服を脱いで」
ヴィクトリアは首を振った。しかしレインが了承するはずもなく、ヴィクトリアの身体に銃口を押し付けた。
「……っ」
ヴィクトリアは息を呑んだ。レインが冷え切った目で見下ろす。何をするかわからない、そんな雰囲気だった。
ヴィクトリアは震える手でリボンを外し、ボタンに手をかけた。ゆっくりと外していく。
ボタンを全部外しきったが、服を掴んだまま脱ぐことができずに止まる。
(身体を見られてしまう)
俯いたヴィクトリアの目から涙が溢れて膝の辺りの衣服を濡らしていく。
「泣いてもやめないから。身体を繋げないと、君は完全に俺のものにならない」
ブラウスの開いた隙間からレインの手が入り込んできて、ヴィクトリアはびくりと身体を震わせた。レインが直接肌に触れていく。
レインが口付けようとする。ヴィクトリアは身動きが取れなかった。腹部には拳銃が突きつけられている。目を閉じると頬を涙が伝った。
ヴィクトリアは観念した。
唇が触れ合う寸前、地鳴りのような音が響き渡った。二人は目を開ける。
ヴィクトリアは胸騒ぎがして嫌な予感を覚えた。レインも張り詰めた顔をして周囲を警戒している。
ヴィクトリアを寒気が襲った。ずっと固定されていたはずのシドの気配が動いている。
(まさか、シドの鎖が外れた?)
途中で動きが止まって停滞したかと思えばまた動く。進路はこちらに向いている。最短距離でここに来ようとしている。
ヴィクトリアはレインの胸に逃げた。激しく震えるヴィクトリアの身体にレインが腕を回す。
「レイン、お願い」
ヴィクトリアは顔を上げてレインを見つめた。
「私を抱いて――」
言い終わらないくらいのうちに、レインはヴィクトリアの唇に自分のそれを重ねた。
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