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対銃騎士隊編

34 囚人と看守 1

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 何事もなく一夜が過ぎた。朝、朝食の訪れと共にジュリアスがやってきて、レインと見張りを交代する。

 朝食の後すぐにシャワーを浴びさせてもらった。昨日はシャワーを浴びる気にすらなれなかったので、何年かぶりくらいに一日湯浴みをしなかった。石鹸を泡立て身体を洗い流せばさっぱりとして清々しい気分になれた。

 シャワーの後は差し入れの本を読み始めた。昨日ヴィクトリアは興味を示さなかったが、夕方頃に銃騎士隊員たちが何人かやって来て差し入れを置いていった。本や花束や服も何着かと、保存の効く干し肉、チェス盤と駒、手紙まであった。昨日は何もする気が起きず、気分が持ち直した時には既に夜だった。差し入れを確認するのは翌日にしようと思っていたのだが、改めて見てみれば、暇を潰すためだろうがチェスなんて一人でどう遊べと言うのだろう。

 ヴィクトリアが今一番必要としているものも差し入れの中にはなかった。あれは希望しない限り普通は差し入れないだろう。手紙に関しては朝になったら消えていた。

「ヴィクトリアは優秀だね。獣人の識字率はそれほど高くない。本が丸々一冊読める獣人はそんなにいないだろう」

 本を一冊読み終わってテーブルの上に置くと、鉄格子の外で椅子に座り書類に目を通していたジュリアスから声をかけられた。

 里には図書棟があったし、シドや側近のうちの何人かは不自由しないくらいに本が読めた。薬師や医師といった知識が多く必要な者たちも本は読めたが、その他の者は職務上必要がない限り読めない者の方が圧倒的に多かった。リュージュも簡単な読み書きはできたが、頭が痛くなるから本を読むのは難しいと言っていた。

「暇だったのよ。本を読むくらいしかすることがなかったの。最初は私もよくわからなかったけど、文字は母から教えてもらったわ」 

 母の番は人間だったそうだから、彼から教えてもらったと言っていた。

「ほとんどの人間は学校で教育を受けるからね。獣人も全員が学べるような仕組みを作ればいいんだ」

 ヴィクトリアはくすくすと笑う。

「あなたは本当におかしな人ね。敵の能力を向上させてどうするつもりなの?」

「言っただろう? 俺の理想は人間と獣人が共に生きられる社会を作ることだ。ゆくゆくはそうなるべきだと思うよ」

 ジュリアスはなんだか真面目に語っている。本当に変な人。

 ジュリアスが手元に視線を落とし、書類をぺらりと捲っていく。ヴィクトリアはふと気になったことを聞いてみた。

「ジュリアスは隊長代行って言ってたけど、隊長さんはいないの?」

「ああ、あの人は自由人だから、ふらふらしてるのが性に合ってるらしくて、一ヶ所にじっとしていることがあまりないんだ」

 もしかしたら二番隊の隊長は空席なのではと思っていたが、風来坊のような人物が隊長としてちゃんと存在しているらしい。

「俺が隊長代行に就いてからはより酷くなったよ。事務仕事みたいなのは全部俺に回ってくる」

 ジュリアスはそう言って苦笑していた。





 ヴィクトリアは鉄格子の小窓の前まで移動させた椅子に座っていた。小窓を挟んだ向かい側に同じように椅子を移動させたジュリアスが座っている。

 小窓の下部、平らになった部分にチェス盤が置かれていた。会話の流れで昔やったきりだと言ったら、せっかくあるからやってみようという話になった。
 
 囚人と看守なのに一緒にチェスをしている。随分と気安い男だ。

 柵の小窓が空いている状態で見張りはジュリアスだけ。建物の周りには誰もいない。

「……妙なこと考えてるだろ」

 言われてぎくりとするが、持ち前の特技で顔には一切出さない。
 ジュリアスもシドのように人の心を見透かすのが得意なのだろうかと、内心冷や汗を掻いていた。

「俺を倒していこうとしても無駄だよ。俺、君より強いから」

 釘を刺された。

 ジュリアス一人だけで成し遂げたわけではないと思うが、あのシドをほぼ無傷で拘束することに成功したのだ。強いに決まっている。
 人間がシドを捕まえられたことは未だに信じられないが。

 ヴィクトリアはジュリアスの言葉を否定しようとして――――やめた。

 里にいた頃は取り繕ってばかりいた。正直、自分の本心を隠して生きることにはもう嫌気が差していた。

 偽りの自分ばかり演じていた元凶の一つであるシドは動きを封じられている。不思議な力を持つあのオリオンという少年はヴィクトリアに指一本触れさせないと言っていた。銃騎士隊がシドに勝てるだけの力があることは信じてみようと思う。それに――

『もう何も我慢するな』

 昨日言われたことも効いてた。
 
「自由を奪われているのよ? 逃げ出す事くらい考えるわ」

「逃さないよ」

 普段は聖人君子みたいな顔をしているくせに、頬杖を突いて斜めにこちらを見るジュリアスが値踏みするような視線と悪ぶった微笑みを見せてくる。状況が違えば甘ったるい台詞に聞こえなくもない。

 女性と関係したことのあるジュリアスは恋愛対象では全くないが、不覚にもほんの少しだけときめいてしまった。

「……あなたが私にすごく良くしてくれてるのはわかってるし、シドから守ってくれてることもわかってる。でも、奴隷は嫌よ。だってそうでしょう? 物扱いされるのよ? それに明日から知らない人と一緒に暮らしなさいって言われて暮らせる? そんなの無理よ」

「じゃあ知ってる奴ならいい? レインなんてどう?」

 ジュリアスが爆弾を投げてきた。

 ヴィクトリアは驚いて閉口している。

 初日にも思ったがなぜこの人はレインと自分をくっつけようとするのだろう。だが、思い当たる節はあった。シドが襲来した時にレインに言った、抱いてほしい云々のアレだ。ジュリアスは知っているのではないだろうか。レイン本人は口が堅そうだが、あの時小屋の周りには大勢の銃騎士隊員がいたのだから、聞き耳を立てていた者がいたとしてもおかしくはない。

(絶対にそうだ。でなければこんなこと言い出すはずがない)

 ヴィクトリアが黙っていると、ジュリアスが話を続ける。

「法律では『貴人またはそれに相当する者に限り獣人奴隷を所持可能』となってるけど、銃騎士も社会的信用が高い職業だから総隊長の許可さえ下りれば可能なんだ。俺としてもよく知らない相手に君を渡したくはないし、できれば銃騎士隊員の誰かに任せたいと思っている。レインなら女嫌いだし、何回か美人に言い寄られたこともあったけど全然靡かなかったから、浮気もしないと思う。責任感もあるし、君のことを手放したりしないはずだ。どう?」

「嫌よ」

 ヴィクトリアは即答した。

「なぜ? 理由は?」

「だってあの人、私のこと嫌ってるじゃない」

「そんなことない。レインは君を好きだと思う」

「それはあなたの思い込みだわ。あの人ほとんど私と会話をしたがらないのよ」

 昨晩から朝にかけてレインと会話が成立したのは数えるほどだ。ヴィクトリアはそのうちの一つを思い出していた。内容はリュージュの外套についてだ。

『私をここに連れてきた時に外套がなかった? あれは大切な人のものだから、もしあなたが持っていたら返して欲しいの』

『捨てた』

『え?』

『燃やした』

『燃やしたって…… どうして?』

 レインからの返答はなく、会話はそこで途切れた。服を勝手に燃やすとは、だいぶ怖い。かなり憎まれているようだ。

 ジュリアスにそのことを話すと、なぜだか口元を手で抑えて笑いを堪えている。

 ヴィクトリアはジュリアスの反応に少しむっとして、「笑い事じゃないわ」と言いながらチェスの駒を動かした。

「ああ、笑ってすまないな。あいつ本当はそれなりによくしゃべるよ。そのうち話すようになるさ。夜だから寝てるのを見張るだけだし、会話をする機会もそんなにないだろ。まあ、ちょっと苛烈な所はあるが」

「私としては、その『ちょっと苛烈』の部分が大変問題だわ」

 ジュリアスがチェスの駒を持ち上げて移動させた。

「噂になってるんだ。最初にレインがこの小屋に来た時、君はレインを見た途端嬉しそうに寄って来て、その後もずっとレインばっかり見て何かを話したそうにしていたと。獣人姫がレインを見初めたのではないかともっぱらの噂だ。俺にもそんな風に見えた」

 ヴィクトリアは驚いて目を瞬かせる。

「やっぱり俺の見立てに間違いはなかった?」

 見立て。初日に「一目惚れ?」と言っていたことか。

「レインを見ていたのは、そういうのではないわ」

「じゃあどういうこと?」

「それは……」

「素直になった方がいいんじゃない?」

「……」

 ヴィクトリアは押し黙ったまま、駒を動かした。駒の行き先を見たジュリアスの眉が、む、と動く。ヴィクトリアはふふふと笑った。

「ほら、くだらないおしゃべりなんかしてるからよ。注意力が散漫なのではなくて?」

 ヴィクトリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。ジュリアスは顎に手を置き、考え込むような仕草をした。

「実は君がこの砦に来てからの間、結構な人数の隊員から君を身請けしたいと真剣に相談を持ちかけられたよ。問題は、そのほとんどが恋人や婚約者がいることだ。妻子持ちもいたな」

「何それ、最低ね」

「君のために別れようと思うと口々に言うんだ。獣人の相手になるには完全に身綺麗でないと無理だと言って説得はしているが、次から次へと湧いてくる。噂が本当になれば恋人と別れようと考える奴も減ると思うんだ。ヴィクトリア、レインと番になってくれ」

 ヴィクトリアは首を振った。

「それとこれとは話が別だと思うわ」

「レインのどこが駄目なんだ? 見目もいいし悪くないと思うが」

「ねえ、この話いつまで続けるの? もうやめましょう」

「君のこれからが決まるんだ。大事な話だろう?」

「……レインは絶対、私を引き受けたりなんてしないわ」

「隊命だと言えば聞くさ。あいつは命令には絶対服従する」

「本人の気持ちは無視なの? そんなの無理矢理じゃない」

 だがなヴィクトリア、と言ってジュリアスは言葉を続ける。

「この国はただでさえ獣人からの被害を防ぐために早くから婚約や婚姻をする風習があって、国民のほとんどが早熟傾向にある。銃騎士隊員は女性に人気が高いし、こんな仕事をしてると人肌が恋しくなるものなんだ。銃騎士隊員で女を抱いたことのない奴となると結構限られてくる。レインで手を打ってくれないか? その方向で話を進めたい」

 ジュリアスが強引に話を纏めようとしてくる。ヴィクトリアは真剣な顔でジュリアスに向き合った。

「ねえジュリアス、もし銃騎士隊員の中から私の引き取り手を選ぶとしても、レインだけは外してほしいの」

「それはまた、どうして?」

「どうしても。それだけはお願いよ」

 ジュリアスは詳細を説明しようとしないヴィクトリアをじっと見つめた。





 その後ジュリアスが何度聞いても、ヴィクトリアが理由を話すことはなかった。
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