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故郷編

19 失恋(ヴィクトリア視点→三人称)

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 その日はよく晴れた日だった。

 長めの春が終わり、季節は苛烈な夏に向かおうとしている。

 ヴィクトリアはようやく、シドに捕まることなくリュージュを見つけることができた。

 ヴィクトリアは草原に座り込むリュージュを見つけて安堵の笑みを浮かべる。

 会いに行くと約束したのに思ったより時間が過ぎてしまった。怒ってやしないかと思ったが、リュージュはヴィクトリアに気付くと満面の笑みを浮かべた。リュージュはいつでも自分を温かく迎えてくれる、そう思った。

 けれど、違う。

(匂いが違う)

 ヴィクトリアは足を止めた。

 リュージュから、サーシャの匂いがする。

 会っただけ、手を繋いだだけ、ただ抱き締め合っただけ、その程度では付かない濃いめの匂いがこびりついている。だからといって、身体を契ったほどではない。とある行為をした時にだけ付く、独特の濃さの匂い。

(これは、口付けしてる)

 目の前が真っ暗になって立ち尽くしていると、リュージュの方から走り寄ってきた。

 ヴィクトリアは咄嗟に下を向いた。

 笑顔で、返す――――多分それが正しいのだろう。けれどヴィクトリアは、上手く表情を作ることができなかった。

「ヴィクトリア?」

 リュージュが怪訝そうな様子で、長い銀髪に隠れたヴィクトリアの顔を覗き込もうとしてくるので、彼女は痛みを堪えるような表情を浮かべて、顔を上げた。

「ごめん、ちょっと足が痛くなっちゃって」

「そうなのか? 大丈夫か?」

「たいしたことないから大丈夫よ」

 そう言ったのに、リュージュは屈んで、「足のどこが痛いんだ?」と言いながら心配してくる。

(嘘なのに、優しくしないで。泣きそうよ)

 ヴィクトリアはリュージュを振り切るように、その場からスタスタと歩いてみせた。

「ほら、歩けるから大丈夫みたい。気のせいだったのかも」

 そう言って、ヴィクトリアは今度こそ笑顔を貼り付けた。

「本当か? 痛かったら無理するなよ。そうだ、この後サーシャに会うんだ。足の状態を診てもらったらどうだ? 何か薬もらっとけよ」

 ヴィクトリアは頭をぶんぶんと思いっきり左右に降った。

「いい! それはいいから! 本当に大丈夫!」

「そうか? ならいいんだけどさ」

「えと…… サーシャに会うのね。それじゃ私はお邪魔かな。リュージュの顔を久しぶりに見られて良かったわ。私は部屋に戻るね」

「ちょっと待て」

 踵を返して足早に歩み去ろうとしたが、リュージュに腕を掴まれた。

 ヴィクトリアは振り返ることができない。

「実はさ、昨日ようやくサーシャから返事がもらえたんだ。俺の番になってくれるって」

(胸が苦しい。助けて。誰か助けて)

「もちろん今すぐってわけじゃなくて、もっとお互いをよく知ってからにしようってなったんだけどさ。ヴィクトリアに一番に知らせたかったんだ。本当は今日またお前の部屋に行こうと思ってたんだけど、会えてよかったよ」

 ヴィクトリアは泣きそうになるのを耐えていた。早く一人になりたかった。

「ヴィクトリア?」

 ヴィクトリアはリュージュに背を向けて黙ったままだったが、やがて顔を上げ、振り向いた。

「おめでとう! よかったね! もう、いきなりだったから本当にびっくりした! 二人のこと祝福するわ! お幸せに!」

 ヴィクトリアは今できる最大限の笑顔を貼り付けてリュージュを見上げた。こんな時でも笑顔を作れてしまうことが悲しい。

 祝いの言葉を紡ぐヴィクトリアの瞳が少しだけ潤んでいた。

 リュージュもヴィクトリアの表情を見て、弾けるような輝く笑顔を返した。

「ありがとう、ヴィクトリア。諦めなくて良かった。お前のおかげだ」










 逃げるようにリュージュの元から去り、闇雲に走った。できるだけ人気のない所に行こうとして、気付けば里の端の方にある草むらの中に座り込んでいた。この辺は魔の森の近くで、あまり手入れがされていない。人の目からヴィクトリアを隠してくれる。

「うっ……っ……ううっ………」

 際限なく涙が溢れて止まらない。

(心のどこかで、結局最後にリュージュは私を選んでくれるのではないかと思っていた)

 仲の良さは自覚していたし、自惚れていたのかもしれない。

 リュージュに恋焦がれながら、でも同時に、いつかリュージュから離れるつもりでもいた。

 リュージュはどこかでそれをわかっていたんじゃないだろうか。

 これは当然の結果だ。

 本当に欲しいと思って行動しなかった。いつか逃げ出すつもりで、リュージュと真剣に向き合ってこなかった。「俺を頼れ」と言ってくれたのに、その手を取らず、その場その場でごまかしてばかりいた。

 勇気を出して、本当の自分の気持ちを言っていたら、結果は今とは違っていたかもしれない。

(好きだって、ちゃんと言うべきだった)

 もしもその結果、思いを受け入れてもらえなかったとしても、別れが待っていたとしても、全て覚悟して自分の気持ちに正直に生きるべきだった。

 そうしておけばせめて、こんなにも後悔という自責の念に駆られることはなかったはずだ。

 ヴィクトリアにとって、失ったものは大きすぎた。

(母が死んでからの私の人生は一体なんだったのだろう)

 ただ時間だけが、虚しく過ぎて行っただけだった。

(私は何もしなかった。常に受け身で、状況に流されていただけだ)

 何も手に入らなくて当たり前だ。





(一人になりたくてここまで来たのに、何でよりによってこんな時に、この人は現れるの……)

 泣き続けて酷い顔になっているはずで、誰にも見られたくないのに、シドは腕を掴んで暴こうとしてくる。

 顔を無理矢理上げさせられると、神妙な面持ちをしたシドと目が合った。

 シドは何も言わなかった。泣きじゃくるヴィクトリアを腕の中に抱き入れると、まるで幼子をあやすように背中を軽く叩いてくる。

 泣いていいと、言われているようだった。

「シド……」

 ヴィクトリアはシドに縋り付いた。初めて自分からシドを求めてしまった。



 ヴィクトリアはシドの胸で号泣し続けた。










******





 シドはヴィクトリアを逃さないようにとその身体に手を回しながら、ほくそ笑んでいた。

 その表情にヴィクトリアが気付くことはなかった。
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