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故郷編

18 扉越し

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 頭と身体にタオルを巻いただけの状態で、ヴィクトリアは鏡台の前に立った。身体に巻いたタオルを外し、先程シドに付けられた痕を眺めた。首と、胸に近い所と、お腹にも痕が付いていた。

 付けられたばかりだから赤みが強い。湯で身体を温めたせいかよりくっきり浮かび上がっている。シドの匂いもしばらく取れないだろう。

(早くここから逃げなきゃ。いつか取り返しがつかなくなる)

 しかし安全に逃げる方法がない。最近はシドに付きまとわれているし、リュージュに会いに行くのさえ四苦八苦している。

 それに、里から出るということは、リュージュとさよならするということだ。

 リュージュと離れたくなかった。いずれやってくるその時に、自分はその選択ができるのだろうか。全く自信がなかった。シドに襲われかけた衝撃が尾を引いていて、ヴィクトリアの精神は弱りきっていた。

 とにかく服を着ようと、ヴィクトリアが頭のタオルを外した時だった。部屋の扉が叩かれる。

 誰か来た。

 扉は金属製であまり隙間がないように作られている為、廊下の匂いは扉に近づかないと察知できない。食事を運んだり洗濯物を回収しに訪問する者はいるが、今はその時間ではない。

 ヴィクトリアは警戒した視線を扉に向けた。

「ヴィクトリア、いるか?」

(その声は……)

「リュージュ?」

 思わず名前を呼んでしまってから失敗したと思った。居留守でも使えばよかった。

「最近会ってなかったから心配になってさ。大丈夫か? 身体の具合でも悪いのか?」

「えと……」

 会いに行かなかったのは意図的なので返答に困る。

「それともあいつに何かされたのか?」

 声を一段低くし、僅かに攻撃的になった声で聞いてくる。思い当たることがありすぎて、一瞬身体が動かなくなった。

 シドが頻繁に会いにくることはリュージュに言っていない。何かあったら頼るという約束を破ってしまっている。でももし話したら、リュージュはヴィクトリアを守ろうとするだろう。またあの時のように、リュージュが死んでしまうような目に遭うのは嫌だった。

「そんなことない、大丈夫よ」

「じゃあ無事かどうか確認するからここ開けて」

 その言葉に驚いて身体が強張った。

「今お風呂上がりで何も着てないの。恥ずかしいからまた今度にしてね」

「服を着終わるまでここで待ってるよ」

(待ってるですって?)

 ヴィクトリアは鏡越しの自分の姿を見た。今回も首筋にシドに付けられた痕がある。服装や化粧で隠すこともできるが、シドに会ったばかりなので付けられた匂いは濃いままだ。こんな状態では会えない。

「髪の毛を乾かすのに時間がかかるの。夜になってしまうわ。また会いに行くから、今日はごめんなさい」

「そうか…… わかった」

 どうしても会いたくない感じが伝わってしまったのだろう。返事をしたリュージュの声に元気がなかった。

 足音が遠ざかって行く。 

 リュージュの足音が完全に聞こえなくなってから、ヴィクトリアは扉に駆け寄った。身を預けるようにして扉に寄り添う。

 扉の隙間から、リュージュの匂いがする。深く呼吸して、その匂いを身の内に取り込んだ。

「リュージュ、リュージュ……」

(会いたい…… 会いたい…………)

 本当は今すぐ会いたい。

 できれば抱きしめてほしい。

 リュージュに会っている時だけ、側にいて彼の匂いに触れ、言葉を交わし、彼の姿を見ている時だけ、ヴィクトリアは生きていて良かったと思えた。

 ヴィクトリアは扉に寄りかかるように蹲って、次第に薄れていく彼の残り香を感じながら、泣いていた。










 その後リュージュが二度ほど訪ねてきたが、居留守を使ってしまった。
 シドの匂いが薄まった頃に幾度か会いに行こうと試みたが、悉く邪魔されて叶わず、半月ほどが経過した。

 結局丸々一月ほど、まともにリュージュと会うことができなかった。これほど長く会えなかったのは初めてだった。
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