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故郷編
14 交わらぬ思い 1(ヴィクトリア視点→サーシャ視点)
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ヴィクトリアは再びシドに抱かれて屋敷まで戻った。館の側まで来るとシドは地面を蹴って跳躍し、出て行った時と同様に窓から四階の自室へと戻った。シドにとってこのくらいの高さを飛び越えるのは朝飯前だ。この人の身体能力は底が見えない。
部屋の中はシドが暴れたせいで壁が剥げ落ち、調度品なども壊れている。片付けをする者たちが何人か出入りしていた。
リュージュの姿は既になかった。
最後に見た時にナディアとミランダが駆け寄っていたから、きっと治療を受けていると信じたい。
ヴィクトリアはリュージュが心配でたまらなかった。
現状、移動の為の密着からは離れたが、ソファに降ろされた状態で、隣に座ったシドの腕が肩に回されている。
シドは黒フードの男に相対してからずっと、何事かを考えている様だった。先程の続きを…… とはならなそうでほっとする。
シドの私室に来ることはあまりないので、この先どうなるのだろうと思った。
(さっさと逃げたい)
「シド様」
臣下の一人、すらりとした体躯で優男風の若い獣人が寄ってきた。ヴィクトリアより二つ年上のその金髪の青年とは幼い頃よく一緒に遊んだ覚えがある。遊んだというかいじめられたというか、あまりいい思い出がない。顔は優しそうだが中身は野蛮だ。彼は十代で臣下の待遇を受けるくらい、同年代の中ではずば抜けて強い。
「リュージュはどうします? 殺します?」
穏やかな口調で生き死にの話を持ち出してくるので、寒気がした。
ヴィクトリアはこの青年――アルベールが苦手だった。毎回「狩り」には必ず同行しているようだが、その際に微笑みながら嬉々として人間を殺し回っている。元来の殺し好き、異常者だ。
大方、血の匂いで飛んで来たのだろう。
ここでシドが殺すと言えば、本当に殺しに行ってしまう。
ヴィクトリアは手に汗握りながらシドの言葉を待った。
「ガキが一匹吠えただけだ。ほっとけ」
よかった。ほっとして相好を崩しかけるが、シドの視線を感じ、表情筋を駆使して、ほんのわずかに安堵した程度の表情になるよう抑えた。自分を殺そうとした相手の生存を殊更喜ばれていい気はしないだろう。
あまり過剰反応して刺激したくなかった。
ヴィクトリアはここ数年で、本音を悟らせないように自在に表情を作り変えることが可能になっていた。
どんなに嫌悪感を覚えたり泣きそうになっていても、顔には心から喜んでいるような朗らかな笑みを貼り付けることができる。シドに接しているうちに、そんな特技が身に付いてしまった。
「かしこまりました」
アルベールは恭しく礼を取ると、失礼しましたと言って部屋から出て行こうとする。
では私も、という感じで、アルベールに続いて流れで礼を取り下がろうとしたのに、腕が引っ張られてソファに座らされる。
そう簡単には終わらないらしい。
「ヤり損った。代わりに癒せ」
シドは横になると、太ももに頭を乗せてきた。
膝枕くらいならいいかと思っていると、シドはスカートの上から太ももを撫で始めた。ヴィクトリアはその手をやんわりとどかそうとするが、逆に掴まれてしまい、手に口付けられた。
次は何をされるのだろうと動悸がおかしくなったが、シドは目を閉じ、それ以上は何もしてこなかった。
******
運び込まれたリュージュの身体を、医師が診察していく。
目撃した者の話では吐血して、派手にやられていたそうなのだが、医師の見立てではそこまで悪くないという。
開腹するまでもないとのことで、点滴に薬を流し込みそのまま様子を見ることになった。
「あとは私が付いています」
医師や助手たちは病室から出ていった。
サーシャは寝台の側の椅子に座り、リュージュを眺めていた。
初めて会った時からは成長して凛々しくなってきたが、リュージュの寝顔にはまだあどけなさが残っている。
リュージュの顔色は悪くないし、大丈夫だろうとサーシャは思った。族長にやられてこの程度で済むとは、身体が強いのか運が良いのか。
三年前、リュージュが宴会場で族長に楯突いたあの日から、いつか、決定的な何かが起こるのではずっと冷や冷やしていた。
もしもリュージュが命を落としたら、彼女の絶望は如何ばかりか。
彼女は苦しんでいる。わかっているのに、手を差し伸べることができない。
族長の報復が、怖い。
里の他の面々も同じようなものだ。彼女に敵は多いが、皆が皆嫌っているわけではない。けれど族長の目を恐れて、遠巻きにしている。
そんな中、たった一人、物怖じすることなく近づき信頼関係を築いているのは、尊敬に値する。
「うっ……」
リュージュが軽く呻き、瞼がゆっくりと開いていく。
「リュージュ」
呼びかけると、ぼんやりとしていた瞳が焦点を結んでいく。
「わかる? 大丈夫?」
「サー、シャ……?」
サーシャは安堵し、満面の笑みを浮かべた。
「よかった。意識が戻って」
「俺、は……」
そう言ってしばらく呆けたようにサーシャを見つめていたリュージュは、何かを思い出したようにはっと目を大きく見開くと、上体を起こそうとした。サーシャが慌ててそれを押し留める。
「ヴィクトリアは?」
声を張り、焦ったように彼女の名を呼ぶ。
「落ち着いて。彼女は無事よ。まだ横になっていなければ駄目なんだから、寝ていなさい」
リュージュの身体を寝台に横たえながら、優しく語りかける。
「ウォグバード様から伝言よ。ヴィクトリア様には自分が付いているから、よく休みなさいって」
「そう……か」
先程様子を見に来たウォグバードがそんなことを言っていた。
リュージュの身体から緊張が取れていく。と同時に、再び呻いて顔をしかめた。
「安静にしていれば治るそうよ。シド様と争うなんて無茶して…… でもよく頑張ったわね、偉いわ。大切なものを守ったのね」
頭を撫でながらそう言うと、リュージュの顔が見る間に赤らんでいく。
「でも自分のことも大切にしなさい。しばらくは入院よ」
また来るからよく寝ていなさい、と言って椅子から立ち上がろうとしたが、腕をリュージュに掴まれた。
リュージュは赤らんだ顔をそのままに、恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、はっきりと告げた。
「もう少し…… 側にいてくれないか?」
部屋の中はシドが暴れたせいで壁が剥げ落ち、調度品なども壊れている。片付けをする者たちが何人か出入りしていた。
リュージュの姿は既になかった。
最後に見た時にナディアとミランダが駆け寄っていたから、きっと治療を受けていると信じたい。
ヴィクトリアはリュージュが心配でたまらなかった。
現状、移動の為の密着からは離れたが、ソファに降ろされた状態で、隣に座ったシドの腕が肩に回されている。
シドは黒フードの男に相対してからずっと、何事かを考えている様だった。先程の続きを…… とはならなそうでほっとする。
シドの私室に来ることはあまりないので、この先どうなるのだろうと思った。
(さっさと逃げたい)
「シド様」
臣下の一人、すらりとした体躯で優男風の若い獣人が寄ってきた。ヴィクトリアより二つ年上のその金髪の青年とは幼い頃よく一緒に遊んだ覚えがある。遊んだというかいじめられたというか、あまりいい思い出がない。顔は優しそうだが中身は野蛮だ。彼は十代で臣下の待遇を受けるくらい、同年代の中ではずば抜けて強い。
「リュージュはどうします? 殺します?」
穏やかな口調で生き死にの話を持ち出してくるので、寒気がした。
ヴィクトリアはこの青年――アルベールが苦手だった。毎回「狩り」には必ず同行しているようだが、その際に微笑みながら嬉々として人間を殺し回っている。元来の殺し好き、異常者だ。
大方、血の匂いで飛んで来たのだろう。
ここでシドが殺すと言えば、本当に殺しに行ってしまう。
ヴィクトリアは手に汗握りながらシドの言葉を待った。
「ガキが一匹吠えただけだ。ほっとけ」
よかった。ほっとして相好を崩しかけるが、シドの視線を感じ、表情筋を駆使して、ほんのわずかに安堵した程度の表情になるよう抑えた。自分を殺そうとした相手の生存を殊更喜ばれていい気はしないだろう。
あまり過剰反応して刺激したくなかった。
ヴィクトリアはここ数年で、本音を悟らせないように自在に表情を作り変えることが可能になっていた。
どんなに嫌悪感を覚えたり泣きそうになっていても、顔には心から喜んでいるような朗らかな笑みを貼り付けることができる。シドに接しているうちに、そんな特技が身に付いてしまった。
「かしこまりました」
アルベールは恭しく礼を取ると、失礼しましたと言って部屋から出て行こうとする。
では私も、という感じで、アルベールに続いて流れで礼を取り下がろうとしたのに、腕が引っ張られてソファに座らされる。
そう簡単には終わらないらしい。
「ヤり損った。代わりに癒せ」
シドは横になると、太ももに頭を乗せてきた。
膝枕くらいならいいかと思っていると、シドはスカートの上から太ももを撫で始めた。ヴィクトリアはその手をやんわりとどかそうとするが、逆に掴まれてしまい、手に口付けられた。
次は何をされるのだろうと動悸がおかしくなったが、シドは目を閉じ、それ以上は何もしてこなかった。
******
運び込まれたリュージュの身体を、医師が診察していく。
目撃した者の話では吐血して、派手にやられていたそうなのだが、医師の見立てではそこまで悪くないという。
開腹するまでもないとのことで、点滴に薬を流し込みそのまま様子を見ることになった。
「あとは私が付いています」
医師や助手たちは病室から出ていった。
サーシャは寝台の側の椅子に座り、リュージュを眺めていた。
初めて会った時からは成長して凛々しくなってきたが、リュージュの寝顔にはまだあどけなさが残っている。
リュージュの顔色は悪くないし、大丈夫だろうとサーシャは思った。族長にやられてこの程度で済むとは、身体が強いのか運が良いのか。
三年前、リュージュが宴会場で族長に楯突いたあの日から、いつか、決定的な何かが起こるのではずっと冷や冷やしていた。
もしもリュージュが命を落としたら、彼女の絶望は如何ばかりか。
彼女は苦しんでいる。わかっているのに、手を差し伸べることができない。
族長の報復が、怖い。
里の他の面々も同じようなものだ。彼女に敵は多いが、皆が皆嫌っているわけではない。けれど族長の目を恐れて、遠巻きにしている。
そんな中、たった一人、物怖じすることなく近づき信頼関係を築いているのは、尊敬に値する。
「うっ……」
リュージュが軽く呻き、瞼がゆっくりと開いていく。
「リュージュ」
呼びかけると、ぼんやりとしていた瞳が焦点を結んでいく。
「わかる? 大丈夫?」
「サー、シャ……?」
サーシャは安堵し、満面の笑みを浮かべた。
「よかった。意識が戻って」
「俺、は……」
そう言ってしばらく呆けたようにサーシャを見つめていたリュージュは、何かを思い出したようにはっと目を大きく見開くと、上体を起こそうとした。サーシャが慌ててそれを押し留める。
「ヴィクトリアは?」
声を張り、焦ったように彼女の名を呼ぶ。
「落ち着いて。彼女は無事よ。まだ横になっていなければ駄目なんだから、寝ていなさい」
リュージュの身体を寝台に横たえながら、優しく語りかける。
「ウォグバード様から伝言よ。ヴィクトリア様には自分が付いているから、よく休みなさいって」
「そう……か」
先程様子を見に来たウォグバードがそんなことを言っていた。
リュージュの身体から緊張が取れていく。と同時に、再び呻いて顔をしかめた。
「安静にしていれば治るそうよ。シド様と争うなんて無茶して…… でもよく頑張ったわね、偉いわ。大切なものを守ったのね」
頭を撫でながらそう言うと、リュージュの顔が見る間に赤らんでいく。
「でも自分のことも大切にしなさい。しばらくは入院よ」
また来るからよく寝ていなさい、と言って椅子から立ち上がろうとしたが、腕をリュージュに掴まれた。
リュージュは赤らんだ顔をそのままに、恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、はっきりと告げた。
「もう少し…… 側にいてくれないか?」
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