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故郷編

12 黒フードの男

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 リュージュの敗因は、殺気を隠しきれなかったことだった。

 もしも完全に隠せていたら、殺すことは叶わなくとも、致命傷に近い一撃は食らわせていたかもしれない。

 その時シドに斬りかかったリュージュの速度は、師でもあり里一番の剣術使いでもあるウォグバードを超えていた。怒りが、彼を強くした。

 シドは僅かに反応が遅れたが、持ち前の反射神経でリュージュの剣に蹴りを入れ、真っ二つに折った。折れた剣が弾け飛び、驚愕するリュージュの顔をシドは殴り付けた。リュージュの身体が吹っ飛び、壁に激突するが、リュージュは衝突の寸前受け身を取り、素早く身を持ち直してシドを睨みつけた。
 
 シドはびりびりと空気が帯電しているような殺気を纏い、リュージュに相対していた。色欲にまみれた表情は消え、怒りの形相へと変わっている。

 シドはリュージュを許しはしないだろう。リュージュが明確な殺意を持って斬りかかったことを理解している。ただで済むはずがない。

 最早シドには油断も隙もなかった。リュージュの動きを観察し、どんな攻撃を繰り出してきても対応できるように全神経を研ぎ澄ませている。

 リュージュはここ数年で飛躍的に強くなった。しかし、力量差は依然シドが上だ。剣も折れているし、体術でシドに敵うものなど存在するのだろうか。

 ところが、明らかな劣勢にも拘わらず、リュージュは切れた唇の血を拭い、ふっと笑ったのだ。

「背後がガラ空きだったぞ。腹上死がお望みなら、今度試してやろうか?」

 挑発。

(駄目、シドにそんなことを言ったら――――)

 ヴィクトリアは凍り付いた。

 気付いた時には蹴り飛ばされたリュージュが床に倒れ、シドに踏みつけられていた。

「やめて!」

 ヴィクトリアはシドの身体に取り縋った。身体を退かそうとするがびくともしない。シドはリュージュを何度も踏み付け、蹴り上げる。

 ごぼっと嫌な音がして、リュージュが大量の血を吐いた。

「リュージュ!」

 ヴィクトリアが助け起こそうとするが、それよりも早くシドが正面からリュージュの首を片手で掴んで持ち上げて、ギリギリと締め始める。

「やめて! リュージュが死んじゃう! やめてよ!」

 ヴィクトリアは絶叫しながら止めようとする。

 リュージュは意識が朦朧としながらシドを見ていた。何かを言おうと口を動かすが、声にはならない。

 ヴィクトリアは止めるのに必死で、リュージュの口の動きを見ていなかった。

 しかし、廊下でミランダの身体を抱き締めながら部屋の様子に戦慄していたナディアは、リュージュの言わんとしたことを正確に読み取っていた。

 リュージュの頬を一筋の涙が伝った。

 シドがリュージュを掴んでいた腕を振り払う。リュージュは再び壁に激突し、倒れた。

 リュージュは意識を失っていた。

 シドは倒れたリュージュに馬乗りになると、拳を振り上げた。

 シドはリュージュを、殺すつもりだ。

 ヴィクトリアの心は滅茶苦茶に引き裂かれそうだった。

 振り下ろされようとした拳は、しかし、突然空中で停止する。

 シドはリュージュではなく、首を巡らして窓の外を見ていた。

 シドが立ち上がる。

 ヴィクトリアはリュージュを抱き起こそうとしたが、シドの腕が伸びてきて、リュージュと引き剥がされた。

「リュージュ!」

 手を伸ばすが、届かない。

 ヴィクトリアはリュージュの名前を呼び続けたが、窓際まで歩くシドにずるずると引きずられて行く。

 シドは目を細めて窓の外に広がる風景を見ていた。

「……妙なのがいるな」

 シドはヴィクトリアを抱き上げると、そのま窓から跳躍した。

 シドの肩越しに、ナディアとミランダが倒れているリュージュに駆け寄るのが見えたが、視界はすぐに館の外壁へと変わってしまう。

 シドは地面に着地するなり駆け出した。ものすごい早さで景色が流れていく。

 ヴィクトリアは訳も分からず、振り落とされないようにとシドの首にしがみつくしかなかった。

 周囲が鬱蒼とした木々の景色に変わる。里を抜け、魔の森まで入ったようだ。

 シドが速度を緩めて止まった。周囲は木が覆い茂っている。

 森の中、樹木が重なり合うようにして立ち並ぶ薄暗い空間に、ゆらりと揺れる黒い人影が見えた。

 シドが再び動いてその影に近付く。男は黒いフードを目深に被り、顔の大部分が見えない。分かるのは口元の辺りだけだ。

 シドは男の間合いに入ろうとするが、その度に男も速度を上げ、逃げ続ける。

 ヴィクトリアは二人の攻防の巻き添えを食っている形であり、シドの腕から離れたいと強く思ったが、ものすごい早さで移動する中で身動きが取れず、振り落とされないようにただじっとしていた。

 男はシドがどれだけ速度を上げて近づいても、捕らえる前に遠ざかってしまう。シドの速さと同等の動きができるとは、只者ではない。

 シドは舌打ちすると、ヴィクトリアのスカートの中に手を突っ込んだ。
 ヴィクトリアは驚いて声を上げた。

 シドがヴィクトリアの太ももを撫でたのは一瞬だった。シドはガーターホルダーに納まっていた短剣を抜き取ると、目にも止まらぬ早さで投擲した。影の中央、心臓部に短剣が突き刺さる。

 男は、血を流すでもなく叫ぶでもなく、その場に留まったままゆらゆらと揺れていたが、やがて端から黒い煙となり霧散した。

 ヴィクトリアはシドの腕から解放されて地面に降ろされた。目の前で人が一人消え去るという光景を目にしたことが信じられない。 

 シドは男のいた場所に近づいた。男の身体は跡形もなくなっていて、変わりに紋様の書かれた長い札のような紙切れが、短剣に貫かれ木の幹に突き刺さっていた。

 紙はシドが触れる寸前、燃え上がり灰となった。

 シドはしばし逡巡するように見つめたあと、短剣を引き抜いた。

「倒した、の?」

「いや、今のは本体じゃないな」

 そう言って、里がある方向を振り返った。

「……鴉が紛れ込んでいるようだ。気をつけろよ、ヴィクトリア」

 そう言ったシドの表情に、先程ヴィクトリアを襲った時の危うさはなく、完全に族長の顔をしていた。
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