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14 和尚さんの帰還
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芳一の様子がおかしいと聞き、和尚はぴたりと歩みを止めて声をかけてきた僧侶たちを振り返った。
和尚はここ最近ずっと寺を留守にすることが多かった。
近頃はなぜか馬で片道四半日ほどもかかるような場所の葬式ばかりが立て続けに起こるようになり、夕刻の通夜から翌日または翌々日の葬式のために行き来を繰り返していたのでは移動が負担になることから、和尚は檀家に数日滞在することを繰り返していた。
しかもなぜか熱心な檀家の家ばかりに葬式が起こるため、住職である和尚に是非お願いしたいと頼み込まれるので、代わりの僧侶を行かせるわけにもいかず、和尚は忙しい日々を送っていた。
寺のことは残った僧侶たちに任せっきりであり、しばらく芳一と会って会話をすることもなかった。ところがある日、和尚が遠方地から帰るなり、留守を預けていた僧侶たちから芳一の様子がおかしいと聞かされた。
芳一はいつも数日おきに近くの街まで出掛けて、道行く人に得意の琵琶を披露していたが、ここの所は休んでばかりだったそうで、外に出ていくことが全くなくなったという。寺の庭へ出ることさえしていないらしい。
芳一は日がな一日ずっと部屋に籠もって臥せっているという話だった。顔色も悪いし、眠りこけて時々食事を抜かしてしまうこともあったという。
何かの病を患ってしまったのかと思った僧侶たちは、嫌がる芳一を無理矢理の医者の所まで連れて行ったが、疲労が溜まっているようなのでよく養生させなさい、と言われたのみで、特段大きな病気になってはいないらしい。
以降食事は無理にでも起こして食べさせているが、それ以外の時間はほとんど寝ているらしい。
たまに様子を見に行くと起きている時もあるが、魂が抜けたようにぼーっとしていたり、泣いていることも多いという。
寝ている時も「和尚さんごめんなさい」とうわ言を何度も繰り返していたり、うなされていたりしているらしい。もしかしたら心の病気なのではないかと僧侶たちは心配していた。
話を聞いた和尚は旅装も解かずにすぐに芳一の部屋へ向かった。
急ぎ足だった和尚は、廊下の先にある芳一の部屋を視界に入れた瞬間、立ち止まった。
何か、黒い靄のようなものが芳一の部屋の襖の隙間から漏れ出ている。
それが見えているのは、この寺ではおそらく霊力持ちの和尚だけだろう。和尚はその靄に禍々しいものを感じていた。
(憑かれたのですか、芳一……)
そう直感したのと同時に、嫌な汗が和尚の背を伝っていく。
その靄――瘴気は、最近死者の家に赴く度に遺体の周囲で目にするものと全く同じだった。
通常、暑い夏や寒すぎる冬の方が死者は多い。ところが最近はそれに匹敵するほどには死者の数が増えていた。今は晩秋に近いとはいえまだ寒さの盛りではないので、この時期にしては死者が多すぎる。
不思議なことに亡くなるのは死に近い老人ばかりではなく、若い者の数も多かった。和尚は若くして亡くなった者たちの家に赴く度に、この黒い瘴気を目撃していた。
和尚は亡くなった若者たちは悪霊に憑き殺されたのでないかと思っていた。
死んだ若者の家族に話を聞くと、彼らは夜な夜などこかに出かけていた形跡があるという。しかし気付いた家族がどこへ行っていたのかと訪ねても、絶対に口を割らなかったらしい。そして見る間に痩せ細りついには死んでしまったという。
(悪霊を祓わなければ死の連鎖は終わらない。
このままでは芳一が死ぬ。
何とかしなければ)
和尚は動揺を隠しつつ、芳一の部屋へ向かった。
「芳一、私です。具合が悪いと聞きましたが大丈夫でしょうか?」
声をかけるが返事はない。けれど部屋の中から僅かにカタリと物音がした。芳一は中にいるようだが、これまでのように快く中には入れてくれないらしい。
「開けますよ」
一言声を掛けてから、返事を待たずに襖を開けた。
雨戸が締め切られて薄暗い室内の壁際に、芳一は膝を抱えて縮こまるように座っていた。傍らの床の上には琵琶が置かれていたので、先程の僅かな物音は芳一が琵琶を触ったことによるものだろう。
「……」
芳一を見た和尚はしばし無言になってしまった。芳一の身体周辺には廊下から見たものよりもかなり濃い黒い瘴気が漂い、芳一の全身にまとわりつくように蠢いていた。
(これはまずいですね…… かなり手強そうな霊体に取り憑かれています…… それも一体ではなく複数いる……)
芳一は襖を開けた和尚に顔を向けてはいるが、心ここにあらずとでもいうのか、まるで魂が抜けたかのような、どこか艶っぽくなったようにも見える表情をしていた。
しかし、顔色はそこまで悪くはないし痩せこけてもいない。取り憑かれてまだ間もないのだろうと思った和尚は、ひとまず命の危機が差し迫ってはいないことに安堵の息を漏らした。
和尚は数珠を取り出すと、持ち前の霊力を声に乗せてお経を唱え始めた。すると、次第に瘴気は薄くなり始め、霧散して消え失せた。
「ほ、本当に和尚さんですか……?」
瘴気を祓った和尚が芳一に歩み寄ると、正気に戻ったらしい芳一が話しかけてきたが、その内容には首を傾げたくなった。
芳一の表情には怯えの色が濃い。芳一は何かを恐れているようだった。
「……芳一、最近身の回りで何か変わったことは起こりませんでしたか?」
「い、いえ…… 何も……」
「そうですか。では夜中にどこかへ出掛けたりなどはしていませんか?」
その質問に、芳一の肩がわかりやすくびくりと跳ねた。芳一はぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「い、いいえ! 夜中に抜け出して朝帰りなんてしていません!」
(これは黒ですね)
「芳一、嘘はいけません。私には本当のことを話してください」
屈み込み、いつもしているように毛が無くて手触りの良すぎる芳一の無毛の頭をすりすりと撫でていると、芳一がいきなり泣き出した。
「だ、駄目です…… 汚れきった僕に触ったら、和尚さんまで汚れてしまいます……」
「大丈夫ですよ。何があろうと、芳一はずっと美しいままです」
霊に取り憑かれた所で魂までは汚れない。むしろ悪霊たちは美しい魂を好むのだ。
和尚はそのことを伝えたくて芳一の言葉を否定したが――――
「ううっ…… うううっ……」
芳一はより一層激しく泣き始めてしまった。和尚は芳一をなだめながらも、悪霊の居場所を知りたくて、夜に芳一が出かけていている場所を聞き出そうとした。
芳一に降りかかる瘴気を祓いはしたものの、それは一時的なものであり、芳一を狙う悪霊本体を祓わない限りはまた自然と瘴気に囲まれて蝕まれてしまう。
しかし芳一は、どこにも出かけていないと言い張るばかりで、必要なことはほとんどわからなかった。
和尚はここ最近ずっと寺を留守にすることが多かった。
近頃はなぜか馬で片道四半日ほどもかかるような場所の葬式ばかりが立て続けに起こるようになり、夕刻の通夜から翌日または翌々日の葬式のために行き来を繰り返していたのでは移動が負担になることから、和尚は檀家に数日滞在することを繰り返していた。
しかもなぜか熱心な檀家の家ばかりに葬式が起こるため、住職である和尚に是非お願いしたいと頼み込まれるので、代わりの僧侶を行かせるわけにもいかず、和尚は忙しい日々を送っていた。
寺のことは残った僧侶たちに任せっきりであり、しばらく芳一と会って会話をすることもなかった。ところがある日、和尚が遠方地から帰るなり、留守を預けていた僧侶たちから芳一の様子がおかしいと聞かされた。
芳一はいつも数日おきに近くの街まで出掛けて、道行く人に得意の琵琶を披露していたが、ここの所は休んでばかりだったそうで、外に出ていくことが全くなくなったという。寺の庭へ出ることさえしていないらしい。
芳一は日がな一日ずっと部屋に籠もって臥せっているという話だった。顔色も悪いし、眠りこけて時々食事を抜かしてしまうこともあったという。
何かの病を患ってしまったのかと思った僧侶たちは、嫌がる芳一を無理矢理の医者の所まで連れて行ったが、疲労が溜まっているようなのでよく養生させなさい、と言われたのみで、特段大きな病気になってはいないらしい。
以降食事は無理にでも起こして食べさせているが、それ以外の時間はほとんど寝ているらしい。
たまに様子を見に行くと起きている時もあるが、魂が抜けたようにぼーっとしていたり、泣いていることも多いという。
寝ている時も「和尚さんごめんなさい」とうわ言を何度も繰り返していたり、うなされていたりしているらしい。もしかしたら心の病気なのではないかと僧侶たちは心配していた。
話を聞いた和尚は旅装も解かずにすぐに芳一の部屋へ向かった。
急ぎ足だった和尚は、廊下の先にある芳一の部屋を視界に入れた瞬間、立ち止まった。
何か、黒い靄のようなものが芳一の部屋の襖の隙間から漏れ出ている。
それが見えているのは、この寺ではおそらく霊力持ちの和尚だけだろう。和尚はその靄に禍々しいものを感じていた。
(憑かれたのですか、芳一……)
そう直感したのと同時に、嫌な汗が和尚の背を伝っていく。
その靄――瘴気は、最近死者の家に赴く度に遺体の周囲で目にするものと全く同じだった。
通常、暑い夏や寒すぎる冬の方が死者は多い。ところが最近はそれに匹敵するほどには死者の数が増えていた。今は晩秋に近いとはいえまだ寒さの盛りではないので、この時期にしては死者が多すぎる。
不思議なことに亡くなるのは死に近い老人ばかりではなく、若い者の数も多かった。和尚は若くして亡くなった者たちの家に赴く度に、この黒い瘴気を目撃していた。
和尚は亡くなった若者たちは悪霊に憑き殺されたのでないかと思っていた。
死んだ若者の家族に話を聞くと、彼らは夜な夜などこかに出かけていた形跡があるという。しかし気付いた家族がどこへ行っていたのかと訪ねても、絶対に口を割らなかったらしい。そして見る間に痩せ細りついには死んでしまったという。
(悪霊を祓わなければ死の連鎖は終わらない。
このままでは芳一が死ぬ。
何とかしなければ)
和尚は動揺を隠しつつ、芳一の部屋へ向かった。
「芳一、私です。具合が悪いと聞きましたが大丈夫でしょうか?」
声をかけるが返事はない。けれど部屋の中から僅かにカタリと物音がした。芳一は中にいるようだが、これまでのように快く中には入れてくれないらしい。
「開けますよ」
一言声を掛けてから、返事を待たずに襖を開けた。
雨戸が締め切られて薄暗い室内の壁際に、芳一は膝を抱えて縮こまるように座っていた。傍らの床の上には琵琶が置かれていたので、先程の僅かな物音は芳一が琵琶を触ったことによるものだろう。
「……」
芳一を見た和尚はしばし無言になってしまった。芳一の身体周辺には廊下から見たものよりもかなり濃い黒い瘴気が漂い、芳一の全身にまとわりつくように蠢いていた。
(これはまずいですね…… かなり手強そうな霊体に取り憑かれています…… それも一体ではなく複数いる……)
芳一は襖を開けた和尚に顔を向けてはいるが、心ここにあらずとでもいうのか、まるで魂が抜けたかのような、どこか艶っぽくなったようにも見える表情をしていた。
しかし、顔色はそこまで悪くはないし痩せこけてもいない。取り憑かれてまだ間もないのだろうと思った和尚は、ひとまず命の危機が差し迫ってはいないことに安堵の息を漏らした。
和尚は数珠を取り出すと、持ち前の霊力を声に乗せてお経を唱え始めた。すると、次第に瘴気は薄くなり始め、霧散して消え失せた。
「ほ、本当に和尚さんですか……?」
瘴気を祓った和尚が芳一に歩み寄ると、正気に戻ったらしい芳一が話しかけてきたが、その内容には首を傾げたくなった。
芳一の表情には怯えの色が濃い。芳一は何かを恐れているようだった。
「……芳一、最近身の回りで何か変わったことは起こりませんでしたか?」
「い、いえ…… 何も……」
「そうですか。では夜中にどこかへ出掛けたりなどはしていませんか?」
その質問に、芳一の肩がわかりやすくびくりと跳ねた。芳一はぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「い、いいえ! 夜中に抜け出して朝帰りなんてしていません!」
(これは黒ですね)
「芳一、嘘はいけません。私には本当のことを話してください」
屈み込み、いつもしているように毛が無くて手触りの良すぎる芳一の無毛の頭をすりすりと撫でていると、芳一がいきなり泣き出した。
「だ、駄目です…… 汚れきった僕に触ったら、和尚さんまで汚れてしまいます……」
「大丈夫ですよ。何があろうと、芳一はずっと美しいままです」
霊に取り憑かれた所で魂までは汚れない。むしろ悪霊たちは美しい魂を好むのだ。
和尚はそのことを伝えたくて芳一の言葉を否定したが――――
「ううっ…… うううっ……」
芳一はより一層激しく泣き始めてしまった。和尚は芳一をなだめながらも、悪霊の居場所を知りたくて、夜に芳一が出かけていている場所を聞き出そうとした。
芳一に降りかかる瘴気を祓いはしたものの、それは一時的なものであり、芳一を狙う悪霊本体を祓わない限りはまた自然と瘴気に囲まれて蝕まれてしまう。
しかし芳一は、どこにも出かけていないと言い張るばかりで、必要なことはほとんどわからなかった。
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