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9 鎧武者
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芳一が和尚の寺に身を寄せるようになって八年ほどが経過した。その間に芳一は手習いで始めた琵琶に適正を見出し、お師匠もびっくりするほどの腕前になっていた。
それから和尚の仲介で何度か縁を結ばされそうになったこともあった。
相手方はそれなりに裕福なお家柄で、芳一が盲目でも構わないと乗り気であることも多かったが、芳一が「琵琶に人生を捧げたい」という理由で何度も断るので、和尚もそのうちに持ちかけられる婚姻話を芳一には通さずに、最初の段階で断るようになった。
僧侶でもないのに寺に厄介になり続けるのは、かつて小坊主から言われたように穀潰しそのものである。芳一は得意の琵琶を生かし、それを人々に聞かせて得た報酬を寺に納めるようになった。
そんなことをしているうちに、芳一はいつしか琵琶の名手として名を馳せるようになった。
その日も近くの交易の盛んな街まで、和尚の付けた屈強な僧侶二人と共にやって来た芳一は、いつものように琵琶を弾かせてもらう場所までやってきた。
ここは地域住民の集いの場所で、少し開けた場所に集会に使う小さな小屋がある。その小屋の縁側部分をいつも間借りさせてもらっていた。座りながら琵琶を奏でていると自然と人が寄ってくる。
その日は地域の祭り事があり、芳一が琵琶を弾く前からかなり人が多かった。
露店が出ていて、観光客らしきよそ者も多い。
本日の演奏は祭り事の催し物として正式に依頼されたものであり、芳一はいつもの場所で琵琶を披露し始めた。
「素晴らしい」
盛況な中で弾き語りを終えると、一人の男が近付いてきて芳一に声をかけた。
「あなたの美しい声と魂が宿ったかのような琵琶の演奏が合わさると、まるで物語の風景がそのまま目の前に広がっているようで、心が震えました」
目が見えないのでこちらを絶賛してくる男の姿はわからない。色気の混じったかすれ声の感じでは、芳一よりも一回りほど年上のように感じられた。
「ありがとうございます」
男は芳一の近くに置かれた鉢にお金を納めるのではなく、芳一の手に直接お金を握らせてきた。
「あの……」
芳一はためらいがちに声をかけた。お金を直接渡されたことにも驚いたが、なぜか男が芳一の手を掴んだまま離さなかったからだ。
「芳一さん、お願いがあります。あなたの素晴らしい琵琶を是非私の主人に聞かせてほしいのです」
男は芳一の名前を知っていた。琵琶の弾き語りが有名になり、近隣には芳一の名前が知れ渡っているからだろう。
「それは構いませんが……」
「良かった。では行きましょう」
「えっ、今から?」
芳一は掴んだ手を引っ張られながらやや驚いた声を出した。
(いくら何でも急すぎる)
「ちょっと兄さん、うちの琵琶法師を勝手に連れて行かないでくれ」
止めたのは護衛として付いてきた僧侶のうちの一人だ。元々は百姓をしていたそうだが、強盗に家族を殺されてしまい、六年ほど前に出家して和尚の弟子になった。
身体付きががっしりとしていて屈強な印象のある僧侶の声は、咎めるというよりも気安い響きの方が強い。
「言ったろう? 俺たちは少し離れた場所から来ている。もうそろそろここを発たたないと寺に戻る頃には真っ暗だ。和尚が心配する」
笑みを交えながら話す僧侶の言葉から、男がこの僧侶に安眠効果のある香を破格の値段で売ってくれた商人であると気付いた。
僧侶は家族を失ってからずっと永く不眠を患っていたが、この種類の香を炊くとよく眠れるらしい。
商人は「お試しでどうぞ」と、もう一人、寺に来てから三年ほどになる連れの僧侶にも香を少量分けていた。
年嵩の僧侶は、初めて行く場所に芳一を連れて行く時は、心配性な和尚――芳一の親代わりのような男であると僧侶は説明していたが――の許可がいるので、一度寺に来てから依頼してほしいと告げた。
「そうですね。ではまた近いうちに必ずお寺へ伺います」
男はそれだけ言って去って行った。
その日の夜半――――
月明かりの下、芳一たちの寺に向かって歩く人影があった。
全身に戦用の鎧兜を纏い、恐ろしい形相をした武者の仮面を着けた男が一人、鎮魂の茸の栽培地を歩いていた。
彼が歩く度に古びた鎧同士が擦れてガシャガシャと音を立てている。
鎧武者の足元では鎮魂の茸がいくつかふるふると震え、ピュッと吐き出された白い胞子が彼の足にかかった。
鎧武者はそれを気にすることもなく、行く手にある鎮魂の茸を踏み付けながら、真っ直ぐ寺へと進んでいった。
「芳一さん…… 芳一…………」
どこかで聞いたことのあるような声が自分の名を呼んでいて、芳一は深い眠りから徐々に覚醒していった。
目を開けても盲目である芳一の視界は暗闇でしかない。もう朝なのだろうかと思うが、鳥のさえずりは聞こえない。
「起きられましたか、芳一さん」
覚えのあるその声は、昼間会った商人のものだった。
「声をかけたのですが、皆様ぐっすりとお眠りになられているようですね。誰の返事もありませんでしたので、直接芳一さんの寝所まで来てしまいました」
芳一がいるのはかつて小坊主と共に暮らしていた部屋だ。
小坊主がいなくなった直後は和尚の部屋で寝起きしていたが、髪を剃りこの部屋に戻ってからは、誰とも寝所を共にしていない。
ガシャリ、ガシャリと硬質な音を立てながら男が部屋に侵入してくる。男はなぜだか戦用の鎧を着ているようだった。
(今は戦など滅多には起こらないのになぜ……)
芳一が戸惑っていると、男は上体を起こしていた芳一の腕を掴んだ。
「行きましょう」
「い、行くって、どこへ……?」
「高貴なる我が主人の元へです。今宵は酒宴が開かれているのですよ。主人に琵琶を披露すると約束してくださったではありませんか」
急な話にやはり芳一は混乱しかない。
「ですが、本日は和尚が不在にしておりまして、出かけてもよいか確認が取れないのです。明日の昼頃には戻るはずですので、その頃に再度出直してはいただけないでしょうか?」
明日ではなくて既に今日かもしれないが、周囲にはこの男が護衛の僧たちに与えた安眠の香の香りがそこはかとなく漂ったままであるし、それに男が「今宵」と言ったことからも、今はまだ夜というか夜中なのだろう。
「実は、我が主人は陽の光を浴びると皮膚が爛れてしまう重篤な病を患っておりまして、昼の間は活動ができないのです。故に宴も夜の間にしか開かれません」
「それは…… とても難儀なことですね」
自分も盲目であるために行動を制限されてしまう大変さはわかる。それに夜にしか会えないとなると、あの心配性で過保護な和尚が芳一の外出に許可を出すとは思えない。
「……わかりました。あなたと共に参ります」
男の主人に同情した芳一は、和尚には内緒でこの男についていくことに決めた。
それから和尚の仲介で何度か縁を結ばされそうになったこともあった。
相手方はそれなりに裕福なお家柄で、芳一が盲目でも構わないと乗り気であることも多かったが、芳一が「琵琶に人生を捧げたい」という理由で何度も断るので、和尚もそのうちに持ちかけられる婚姻話を芳一には通さずに、最初の段階で断るようになった。
僧侶でもないのに寺に厄介になり続けるのは、かつて小坊主から言われたように穀潰しそのものである。芳一は得意の琵琶を生かし、それを人々に聞かせて得た報酬を寺に納めるようになった。
そんなことをしているうちに、芳一はいつしか琵琶の名手として名を馳せるようになった。
その日も近くの交易の盛んな街まで、和尚の付けた屈強な僧侶二人と共にやって来た芳一は、いつものように琵琶を弾かせてもらう場所までやってきた。
ここは地域住民の集いの場所で、少し開けた場所に集会に使う小さな小屋がある。その小屋の縁側部分をいつも間借りさせてもらっていた。座りながら琵琶を奏でていると自然と人が寄ってくる。
その日は地域の祭り事があり、芳一が琵琶を弾く前からかなり人が多かった。
露店が出ていて、観光客らしきよそ者も多い。
本日の演奏は祭り事の催し物として正式に依頼されたものであり、芳一はいつもの場所で琵琶を披露し始めた。
「素晴らしい」
盛況な中で弾き語りを終えると、一人の男が近付いてきて芳一に声をかけた。
「あなたの美しい声と魂が宿ったかのような琵琶の演奏が合わさると、まるで物語の風景がそのまま目の前に広がっているようで、心が震えました」
目が見えないのでこちらを絶賛してくる男の姿はわからない。色気の混じったかすれ声の感じでは、芳一よりも一回りほど年上のように感じられた。
「ありがとうございます」
男は芳一の近くに置かれた鉢にお金を納めるのではなく、芳一の手に直接お金を握らせてきた。
「あの……」
芳一はためらいがちに声をかけた。お金を直接渡されたことにも驚いたが、なぜか男が芳一の手を掴んだまま離さなかったからだ。
「芳一さん、お願いがあります。あなたの素晴らしい琵琶を是非私の主人に聞かせてほしいのです」
男は芳一の名前を知っていた。琵琶の弾き語りが有名になり、近隣には芳一の名前が知れ渡っているからだろう。
「それは構いませんが……」
「良かった。では行きましょう」
「えっ、今から?」
芳一は掴んだ手を引っ張られながらやや驚いた声を出した。
(いくら何でも急すぎる)
「ちょっと兄さん、うちの琵琶法師を勝手に連れて行かないでくれ」
止めたのは護衛として付いてきた僧侶のうちの一人だ。元々は百姓をしていたそうだが、強盗に家族を殺されてしまい、六年ほど前に出家して和尚の弟子になった。
身体付きががっしりとしていて屈強な印象のある僧侶の声は、咎めるというよりも気安い響きの方が強い。
「言ったろう? 俺たちは少し離れた場所から来ている。もうそろそろここを発たたないと寺に戻る頃には真っ暗だ。和尚が心配する」
笑みを交えながら話す僧侶の言葉から、男がこの僧侶に安眠効果のある香を破格の値段で売ってくれた商人であると気付いた。
僧侶は家族を失ってからずっと永く不眠を患っていたが、この種類の香を炊くとよく眠れるらしい。
商人は「お試しでどうぞ」と、もう一人、寺に来てから三年ほどになる連れの僧侶にも香を少量分けていた。
年嵩の僧侶は、初めて行く場所に芳一を連れて行く時は、心配性な和尚――芳一の親代わりのような男であると僧侶は説明していたが――の許可がいるので、一度寺に来てから依頼してほしいと告げた。
「そうですね。ではまた近いうちに必ずお寺へ伺います」
男はそれだけ言って去って行った。
その日の夜半――――
月明かりの下、芳一たちの寺に向かって歩く人影があった。
全身に戦用の鎧兜を纏い、恐ろしい形相をした武者の仮面を着けた男が一人、鎮魂の茸の栽培地を歩いていた。
彼が歩く度に古びた鎧同士が擦れてガシャガシャと音を立てている。
鎧武者の足元では鎮魂の茸がいくつかふるふると震え、ピュッと吐き出された白い胞子が彼の足にかかった。
鎧武者はそれを気にすることもなく、行く手にある鎮魂の茸を踏み付けながら、真っ直ぐ寺へと進んでいった。
「芳一さん…… 芳一…………」
どこかで聞いたことのあるような声が自分の名を呼んでいて、芳一は深い眠りから徐々に覚醒していった。
目を開けても盲目である芳一の視界は暗闇でしかない。もう朝なのだろうかと思うが、鳥のさえずりは聞こえない。
「起きられましたか、芳一さん」
覚えのあるその声は、昼間会った商人のものだった。
「声をかけたのですが、皆様ぐっすりとお眠りになられているようですね。誰の返事もありませんでしたので、直接芳一さんの寝所まで来てしまいました」
芳一がいるのはかつて小坊主と共に暮らしていた部屋だ。
小坊主がいなくなった直後は和尚の部屋で寝起きしていたが、髪を剃りこの部屋に戻ってからは、誰とも寝所を共にしていない。
ガシャリ、ガシャリと硬質な音を立てながら男が部屋に侵入してくる。男はなぜだか戦用の鎧を着ているようだった。
(今は戦など滅多には起こらないのになぜ……)
芳一が戸惑っていると、男は上体を起こしていた芳一の腕を掴んだ。
「行きましょう」
「い、行くって、どこへ……?」
「高貴なる我が主人の元へです。今宵は酒宴が開かれているのですよ。主人に琵琶を披露すると約束してくださったではありませんか」
急な話にやはり芳一は混乱しかない。
「ですが、本日は和尚が不在にしておりまして、出かけてもよいか確認が取れないのです。明日の昼頃には戻るはずですので、その頃に再度出直してはいただけないでしょうか?」
明日ではなくて既に今日かもしれないが、周囲にはこの男が護衛の僧たちに与えた安眠の香の香りがそこはかとなく漂ったままであるし、それに男が「今宵」と言ったことからも、今はまだ夜というか夜中なのだろう。
「実は、我が主人は陽の光を浴びると皮膚が爛れてしまう重篤な病を患っておりまして、昼の間は活動ができないのです。故に宴も夜の間にしか開かれません」
「それは…… とても難儀なことですね」
自分も盲目であるために行動を制限されてしまう大変さはわかる。それに夜にしか会えないとなると、あの心配性で過保護な和尚が芳一の外出に許可を出すとは思えない。
「……わかりました。あなたと共に参ります」
男の主人に同情した芳一は、和尚には内緒でこの男についていくことに決めた。
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