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3 小坊主 1
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「ま、待ってよ、小坊主くん!」
芳一は杖を突きつつ足元に躓きそうなものがないかを確認しながら、懸命に小坊主の後を追った。自分に怒り心頭しているらしい小坊主の気をなだめなければと必死だった。
小坊主は和尚の弟子であり、芳一と同じ年の青年僧侶だ。身寄りのない小坊主は幼年の頃よりこの寺に身を寄せていて、他の僧侶たちからかなり可愛がられていた。
幼い頃より彼は寺の者たちから親しみを込めて小坊主と呼ばれていて、他にも小坊主と呼べる年頃の子供の僧侶もいるが、この寺で小坊主といえば彼のことを指していた。
目が見えない芳一にはよくわからなかったが、小坊主は寺の僧侶たちが総出で褒めそやすほどの美青年らしい。和尚の宗派は髪型も自由なので、艶々な黒髪もとても美しいのだとか。
しかも和尚ほどではないが生まれつき霊力もあるらしく、将来は立派な僧侶になるだろうと期待されていた。和尚の後継ぎは彼になるのではという声も多かった。
しかし、有能さと慈悲深さを遺憾なく発揮している美青年僧侶、が建前であることを芳一は知っていた。
あれは忘れもしない、初めて和尚に連れられて寺にやってきた日のこと。
芳一は自身の世話係として初めて小坊主と対面した。彼は家族を失い盲目となった芳一の身を気遣い、とても優しい口調でいたわるような声をかけてくれた。
「とても大変な目に遭ったんだね、芳一くん。でもこのお寺に来たからには大丈夫だよ。和尚さまや僕たちもいるからね。これからは僕たちを本当の家族だと思って何でも頼っていいんだからね」
芳一の手を両手で握りしめて感情に訴えかけるように話す小坊主の言葉を受けて、芳一はついホロリときてしまった。
ああ、世界はまだ捨てたもんじゃない。破落戸たちのように人を食い物にするような酷い者は確かにいるが、和尚やこの少年のように心の綺麗な者だっているのだと、この時までは思っていた。
「あーあ、かったる。なんで僕がお前なんかの世話を焼かなきゃいけないんだよ。しかも相部屋って、部屋が狭くなっちゃうじゃないか」
芳一は小坊主が一人きりで使っている部屋を一緒に使わせてもらうことになったのだが、部屋に来て二人きりになるなり開口一番にそんなことを言われてしまい、度肝を抜かれてしまった。
一応は目の見えない芳一の日常生活全般の面倒は見てれるが、他の僧侶の目がある時は「大丈夫かい、芳一くん」などと言って甲斐甲斐しくお世話をするのに対し、二人の時は「なんで僕がお前みたいな穀潰しを……」とブツブツ文句や嫌味を言われるし、時々お世話自体も手を抜かれる。小坊主は良い顔と悪い顔の二面性が酷かった。
最初は、きっと彼はこの役目を不承不承で引き受けたのだろうと思い、迷惑をかけていることを申し訳なく思っていた。しかし、他の僧侶たちの話を聞く所によると、彼は自分から進んで芳一の世話をすると言い出したらしい。
要するに、目が見えなくて身寄りのない可哀想な男の面倒を健気に献身的に引き受ける心優しい僕、というのを周りの者たちに見せつけて自分の評価を上げるのが目的だったようだ。ちょっと呆れて物も言えない。
小坊主本人からは彼の本性については固く口止めされているが、和尚に本当のことを言うべきか悩んだ結果、未だに言えずにいた。お世話は手を抜かれることもあったが、気まぐれに二人きりの時でも優しく接してくれる時もあったので。
芳一は小坊主のことを根っからの悪人ではないのだろうと思っていた。
しかし本日の小坊主はいつもと少し勝手が違った。周りに他の僧侶がいるのに取り繕うことも忘れて芳一をすごい目で睨んでいたのだという。
「そんなに芳一を睨んでどうしたんだ?」と戸惑ったように言う他の僧侶の言葉を聞いて、芳一はそのことを知った。
芳一はその時、都からやって来た高名な絵師の被写体を務めていた。
本当は絵師は、この寺にすごく立派な美青年僧侶がいるという噂を聞きつけて、小坊主を被写体として描くべくこの寺にやって来たらしい。
前もって話を聞いていた小坊主はとても上機嫌で、いつもは勝手にやれよとばかりに浴室でも介助なく放置されているのだが、ここ数日は鼻歌混じりに芳一の背中を流してくれたり、風呂上がりに着物を着るのを優しい言葉をかけながら手伝ってくれたりしていた。
ところが、やって来た絵師は芳一を見るなり「君だ!」と叫び、予定していた小坊主ではなく芳一を被写体にして絵を描き始めてしまった。
小坊主はそれが面白くなかったのだろう。絵師は昼過ぎまで熱心に絵を描いていて終わったのは食事の時間もとうに過ぎた頃だった。
食事係からは部屋に昼食を持っていくからと言われて部屋で待っていたのに、いつまで経っても昼食は運ばれてこない。おかしいと思い杖を片手に一人で厨房まで行くと、「小坊主に運んでもらったけど?」と不思議そうに返された。
届いてないのですが、と言おうとした所で後ろから誰かに肩を掴まれた。
「やだなあ、芳一くん。昼食を食べたばかりなのにもうお腹が空いたの? 仕方がないから僕と寺の裏へ鎮魂の茸でも取りに行こうか?」
にこやかな声で現れたのは小坊主だった。小坊主は、芳一が何か話すよりも早く腕を引っ張ってその場から連れ出した。
「こ、小坊主くん……」
引っ張られる腕が痛い。芳一は荒々しい小坊主に恐縮しながらも、当然の疑問を口にする。
「小坊主くん、僕の昼食はどうしたの?」
小坊主は無言を貫いていたのだが、やがて寺の裏口から外に出た頃に口を開いた。
「捨てた」
「え?」
「捨てたよ! お前に食べさせるご飯なんかないよ! この穀潰し!」
芳一は杖を突きつつ足元に躓きそうなものがないかを確認しながら、懸命に小坊主の後を追った。自分に怒り心頭しているらしい小坊主の気をなだめなければと必死だった。
小坊主は和尚の弟子であり、芳一と同じ年の青年僧侶だ。身寄りのない小坊主は幼年の頃よりこの寺に身を寄せていて、他の僧侶たちからかなり可愛がられていた。
幼い頃より彼は寺の者たちから親しみを込めて小坊主と呼ばれていて、他にも小坊主と呼べる年頃の子供の僧侶もいるが、この寺で小坊主といえば彼のことを指していた。
目が見えない芳一にはよくわからなかったが、小坊主は寺の僧侶たちが総出で褒めそやすほどの美青年らしい。和尚の宗派は髪型も自由なので、艶々な黒髪もとても美しいのだとか。
しかも和尚ほどではないが生まれつき霊力もあるらしく、将来は立派な僧侶になるだろうと期待されていた。和尚の後継ぎは彼になるのではという声も多かった。
しかし、有能さと慈悲深さを遺憾なく発揮している美青年僧侶、が建前であることを芳一は知っていた。
あれは忘れもしない、初めて和尚に連れられて寺にやってきた日のこと。
芳一は自身の世話係として初めて小坊主と対面した。彼は家族を失い盲目となった芳一の身を気遣い、とても優しい口調でいたわるような声をかけてくれた。
「とても大変な目に遭ったんだね、芳一くん。でもこのお寺に来たからには大丈夫だよ。和尚さまや僕たちもいるからね。これからは僕たちを本当の家族だと思って何でも頼っていいんだからね」
芳一の手を両手で握りしめて感情に訴えかけるように話す小坊主の言葉を受けて、芳一はついホロリときてしまった。
ああ、世界はまだ捨てたもんじゃない。破落戸たちのように人を食い物にするような酷い者は確かにいるが、和尚やこの少年のように心の綺麗な者だっているのだと、この時までは思っていた。
「あーあ、かったる。なんで僕がお前なんかの世話を焼かなきゃいけないんだよ。しかも相部屋って、部屋が狭くなっちゃうじゃないか」
芳一は小坊主が一人きりで使っている部屋を一緒に使わせてもらうことになったのだが、部屋に来て二人きりになるなり開口一番にそんなことを言われてしまい、度肝を抜かれてしまった。
一応は目の見えない芳一の日常生活全般の面倒は見てれるが、他の僧侶の目がある時は「大丈夫かい、芳一くん」などと言って甲斐甲斐しくお世話をするのに対し、二人の時は「なんで僕がお前みたいな穀潰しを……」とブツブツ文句や嫌味を言われるし、時々お世話自体も手を抜かれる。小坊主は良い顔と悪い顔の二面性が酷かった。
最初は、きっと彼はこの役目を不承不承で引き受けたのだろうと思い、迷惑をかけていることを申し訳なく思っていた。しかし、他の僧侶たちの話を聞く所によると、彼は自分から進んで芳一の世話をすると言い出したらしい。
要するに、目が見えなくて身寄りのない可哀想な男の面倒を健気に献身的に引き受ける心優しい僕、というのを周りの者たちに見せつけて自分の評価を上げるのが目的だったようだ。ちょっと呆れて物も言えない。
小坊主本人からは彼の本性については固く口止めされているが、和尚に本当のことを言うべきか悩んだ結果、未だに言えずにいた。お世話は手を抜かれることもあったが、気まぐれに二人きりの時でも優しく接してくれる時もあったので。
芳一は小坊主のことを根っからの悪人ではないのだろうと思っていた。
しかし本日の小坊主はいつもと少し勝手が違った。周りに他の僧侶がいるのに取り繕うことも忘れて芳一をすごい目で睨んでいたのだという。
「そんなに芳一を睨んでどうしたんだ?」と戸惑ったように言う他の僧侶の言葉を聞いて、芳一はそのことを知った。
芳一はその時、都からやって来た高名な絵師の被写体を務めていた。
本当は絵師は、この寺にすごく立派な美青年僧侶がいるという噂を聞きつけて、小坊主を被写体として描くべくこの寺にやって来たらしい。
前もって話を聞いていた小坊主はとても上機嫌で、いつもは勝手にやれよとばかりに浴室でも介助なく放置されているのだが、ここ数日は鼻歌混じりに芳一の背中を流してくれたり、風呂上がりに着物を着るのを優しい言葉をかけながら手伝ってくれたりしていた。
ところが、やって来た絵師は芳一を見るなり「君だ!」と叫び、予定していた小坊主ではなく芳一を被写体にして絵を描き始めてしまった。
小坊主はそれが面白くなかったのだろう。絵師は昼過ぎまで熱心に絵を描いていて終わったのは食事の時間もとうに過ぎた頃だった。
食事係からは部屋に昼食を持っていくからと言われて部屋で待っていたのに、いつまで経っても昼食は運ばれてこない。おかしいと思い杖を片手に一人で厨房まで行くと、「小坊主に運んでもらったけど?」と不思議そうに返された。
届いてないのですが、と言おうとした所で後ろから誰かに肩を掴まれた。
「やだなあ、芳一くん。昼食を食べたばかりなのにもうお腹が空いたの? 仕方がないから僕と寺の裏へ鎮魂の茸でも取りに行こうか?」
にこやかな声で現れたのは小坊主だった。小坊主は、芳一が何か話すよりも早く腕を引っ張ってその場から連れ出した。
「こ、小坊主くん……」
引っ張られる腕が痛い。芳一は荒々しい小坊主に恐縮しながらも、当然の疑問を口にする。
「小坊主くん、僕の昼食はどうしたの?」
小坊主は無言を貫いていたのだが、やがて寺の裏口から外に出た頃に口を開いた。
「捨てた」
「え?」
「捨てたよ! お前に食べさせるご飯なんかないよ! この穀潰し!」
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