〇〇なし芳一

鈴田在可

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2 鎮魂の茸と芳一

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注)卑猥な菌類が出てきます

***

 和尚と話し込んでいるうちにあたりはすっかり暗くなってしまった。和尚の寺までは馬で二晩かかるほど遠い。今日は芳一の家で休み、翌日出発することになった。

 さて、部屋の中は真っ暗になってしまったらしいのだが、灯す蝋燭ろうそくも本日の夕食もない。芳一は助けてもらったのにもてなすこともできないことを心苦しく思い、そのことを詫びた。すると和尚は笑って、そんなことは気にしなくてもいいのです、と言った。

「そうだ、良いものがあります」

 和尚は思い出したようにそう言ってから、何かを取り出してきた。

「さあ、これをお食べなさい。非常食として携帯しておいて良かった」

 和尚は芳一の手に何かを握らせた。それは太くて硬いのに程よい弾力がある棒状のナニカだった。

 盲目の芳一は手の中のものを確かめるためにソレをにぎにぎと握った。先端は傘状になっているが、傘の中心部の溝のような場所をつつくと、ネバネバとした感触と共に独特の液体の匂いがした。

鎮魂ちんこんたけ、ですね。頂いてしまっていいのですか?」

「もちろんです。たくさんありますので、今日の夕食はこれにしましょう」

「ありがとうございます。喜んで頂きます」

 鎮魂の茸はキノコの一種であるが、繁殖力が旺盛で、道端でも民家の屋根の上でもどこにでも生える手軽な食材だ。しかも栄養価が高く、根まで取らなければ数日でニョキニョキと新たに生えてくるため、これまで数々の飢饉から人類を救った偉大なキノコだ。

 しかし、如何せん形状や色までもが男性のアレに酷似しているという残念な特徴があり、しかも定期的に白濁した液状の胞子を勢い良く吐き出すという見ているだけで卑猥な特徴まで持っている。

 その様子がまさにアレがアレする時にそっくりなこともあって、その昔はチンコの茸と呼ばれていた。

 しかし食料危機を幾度も救い、日常の生活に根付くありがたい食べ物である。いつの頃からか下品な呼称ではなく、チンコの茸をもじって鎮魂の茸と呼ばれるようになった。

 鎮魂の茸は成育具合によってその大きさは様々であるが、芳一が手にしているのは、小さすぎず巨大すぎず、ほどほどの大きさのものだった。

 鎮魂の茸は生でも食せるので、最初の一本はそのまま頂くことにした。

 口を開いて傘の先端を咥える。ちゅうと吸うと、傘の中央にある穴から中に溜まっていた塩味のある液状の胞子が出てくる。

 芳一は胞子を飲み尽くしてしまうと、鎮魂の茸を傘の部分から齧って食べた。外側は弾力があるが、中心部はタケノコのようにシャリシャリとした食感がある。味もキノコらしい味だ。

 和尚は隣家から薪をもらってくると火を起こし、刻んだ鎮魂の茸と携帯していた味噌を入れて簡単な味噌汁を作った。

 味噌の良い匂いが食欲をそそり、空腹だった芳一は鎮魂の茸がふんだんに入った味噌汁を何杯もおかわりした。

「ふふふ、たくさん食べて精をつけてくださいね」

 自身が作った鎮魂の茸入り味噌汁に舌鼓を打つ芳一の姿を、和尚は幸せそうに見つめていた。





「芳一、寒いです。もう少しくっつきましょう」

 夜、布団もないために和尚の法衣や着替えとして携帯していた衣に、二人で包まって畳の上に横になっていた。ふんどし一丁の姿で和尚と添い寝することになってしまった芳一は、初めこそ高名なお坊さんにこんなことをさせてしまってと恐縮していたが、優しい和尚の逞しい腕に包まれているうちに安らぎを覚え、気付けば促されるままに和尚の身体に身を寄せて強くしがみついていた。

 とても静かだった。冬の夜は虫の鳴き声も聞こえない。

 和尚の胸をから聞こえるトクリトクリという心の臓の音と、自分たちの呼吸音だけを感じる。

 芳一は、和尚がそばにいることを幸せだと感じた。もう破落戸たちに怯えなくてもいい。

 しかし、これからはこの人がいるから大丈夫なんだと思ったら、なぜだか家族を失った悲しみが沸々と込み上げてきてしまった。

「ううっ……」

「どうしました? 芳一」 

 芳一が泣き出すと、心配そうな声が上から降ってきた。和尚は寝ていなかったようだ。

「みんな死んでしまいました。みんな僕を残して逝ってしまった……」

「大丈夫です。亡くなったご家族は極楽浄土でずっとあなたのことを思っていますよ。
 亡くなったとしてもあなたとご家族の絆は切れないのです。あなたは一人ではありません。私もこれからはあなたのそばにいますから」

「和尚さん…… 和尚さん……」

 和尚が背中を優しく撫でてくれる。安心しきった芳一の涙は自然と止まり、やがて眠りに落ちた。










 芳一の規則的な寝息が腕の中から聞こえる。芳一が深い眠りに入ったことを確認した和尚は、そっと芳一から腕を離し、寝具代わりにしていた衣から自分だけ抜け出した。

 和尚の目の前に、ゆらゆらと揺れる霊体が六つ。

 芳一の両親や兄弟たちだ。彼らは陽が落ちてからはずっと芳一のそばで彼を見守っていたのだが、その姿が見えていたのは霊力のある和尚だけだった。

「芳一のことは私が責任を持ってずっと面倒を見ます。だからもう大丈夫ですよ」

 和尚は成仏するようにと促す。

 普通は死後四十九日を経過すれば自然と成仏するのだが、この世に強い未練を残したままだと魂が成仏することを拒み、霊体のまま現世に留まろうとする。

 そしてその状態が長く続くと、人の生気を吸って憑き殺す悪霊となってしまう場合もある。

 二ヶ月程度であればあまり問題はないが、この世に留まる期間が長ければ長いほど、輪廻の輪に戻るのが遅くなり、魂のためには良くない。早めに成仏させてやるのが僧侶の努めだ。

『ありがとう、和尚さん』

『あの子をどうかよろしく』

 頭上から霊的な淡い光が降り注ぎ、芳一の家族が次々と天へ召されていく。

『――くん、芳一をよろしく頼む。ありがとう』

 最後に芳一の父親がそう言って和尚に笑いかけてから、天へ続く光の道を昇った。
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