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絆
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卒業式の最中、眞樹と赤坂奈津美の遺体はひっそりと運び出された。
学校関係者も生徒も、誰も気付かない内にブルーシートで始末されたからだった。
皆が気付いて騒ぎ出す前に全てのことを終了させたのだ。
そのブルーシートは植え込みと校舎の壁の間に敷かれていて、生徒達には見えないようにカモフラージュされていた。
全て眞樹が用意した物だった。
眞樹は本気で死ぬつもりだったのだ。
それとも、俺を抹殺するためだったのかも知れないが。
何れにしても、俺達のどちらかは屋上から墜ちて死ぬ運命だったのだ。
俺が眞樹の携帯で始めたアンビエンスエフェクトは、隠されていた真実を浮かび上がらせた。
それが眞樹の全てを狂わせたのだった。
勿論担任は俺達のことを探し回っていた。
屋上にだって来たけど、死角になる場所に隠れていたんだ。
だから仕方なく、卒業式の会場へ戻って行ったんだ。
担任は本当に俺達の、眞樹のことを探していたんだ。
そりゃそうだ。
眞樹は最高優秀生徒として皆の前で表彰させることになっていたからだ。
高校日本一の頭脳を持つ学生を学園の名誉として讃えたかったのだ。
でも諦めたなのか、その後で屋上には来なかった。
あのブルーシートは、眞樹は屋上へ上がる前に堕ちる場所を予測して敷いておいたのだった。
だから式の始まる直前に強行したのだった。
眞樹は本当に死ぬ気だったのだ。
有事対策頭脳集団の若い幹部候補生達に弄ばれた眞樹の体は、あの血液製剤無しには生きていけなくなっていたのだ。
でももうそれを手に入れることは出来ない。
体が麻薬の禁断症状みたいに震えがきても、どうすることも出来ないのだ。
だから自暴自棄になってしまっていたのだった。
だから最後の賭けに出たのかも知れない。
でも、どうやらそれも眞樹の意向だったようだ。
俺と眞樹、二人の内で生き残った者が有事対策頭脳集団のトップになる。
眞樹はそう考えていたのだった。
でも本当は自ら死ぬ気だったんだ。
それはあの時の、俺の手を振りほどいて堕ちて行った眞樹の目が証明していた。
だから微笑んだのだと思った。
あくまでも、望月一馬を守る気だったのだ。
眞樹の頭脳の中にはもう入り込むことは出来ないけど、望月一馬はそれだけ尊敬に価する人だったようだ。
教団には祭壇があるらしい。
そりゃそうだと思った。
望月一馬は有事対策頭脳集団の主席でありながら、牧師なのだから。
だからその前に遺体を安置するのだろうと思った。
有事対策頭脳集団は養護施設を兼ね備えた教会のような建物らしいのだ。
でも一馬は俺の家の方角に向かった。
俺は不思議に思った。
教団の関係者ではない俺の葬儀なら判る。
でも眞樹はれっきとした一馬の後継者なのだ。
結局二人の遺体は住み慣れたあの白い部屋の下にある建物に運ばれたのだった。
秘かに集められた関係者達。
俺とまことの結婚式に集合してくれた人達だった。
何が何だか解らすにやって来た連中の前で、やっとブルーシートが外された。
まさかの出来事に皆が嗚咽を吐いた。
「ああ、私の……」
小松成実が崩れ落ちる。
成実は日本一の頭脳をもった眞樹を誇らしく思っていたようだった。
全て人が事情を知っている。
だからやっと明るみに出せる望月眞樹と赤坂奈津美の遺体。
一馬はいの一番に、眞樹に取りすがった。
それは教団のトップから父親に戻った瞬間だった。
眞樹は苦しみ抜いて死んでいった。
それでも穏やかな顔をしていた。
それはきっと眞樹に訪れた本当の安らぎだったのかも知れない。
俺はそう思うことにした。
だから微笑み合っていたのだと思った。
これから死のうとしている人間が、あんなにも冷静でいられるなんて、眞樹には敵わない。
俺はそう思った。
其処は眞樹がアンビエンス・エフェクトを開発したケーゲー本部だった。
驚いたことに、眞樹は其処に祭壇を用意していた。
何処までも主席に迷惑を掛けずに旅立つためだったのだ。
俺が死んだ場合を考えて教団に用意出来なかったのだ。
ゆうに教室二個分はある白い俺のアトリエ。
その下に位置する眞樹の居住空間。
それは幾つかの部屋で仕切られていた。
俺とまことはその祭壇の前で佇んでいた。
まことは俺を心配して、片時も離れようとしなかった。
でも俺はジタバタしていた。
もう響くことのない眞樹の心の声をどうしても聞きたくて仕方なかったのだ。
でも、出来るはずがない。
眞樹は、卒業式終了後遺体をケーゲー本部に運ぶように記しておいたのだった。
学校側には卒業記念の品物作りだと称して、ブルーシートで覆うことの許しを得ていたらしい。
頭脳日本一の望月眞樹の卒業記念製作。
それだけ浮き足立っていたのだった。
何しろ、そう言う類いには無縁だった普通の高校が日本一の頭脳の持ち主・望月眞樹の出現によって突然脚光を浴びることになったからだった。
誰も眞樹が何をしようとしているのか知らない。
だから期待していたのだろう。
今日彼処で起こったことは、きっと隠蔽される。
でもそれがベストなのかも知れないと何処かで思っている自分がいた。
担任が俺達の秘密を知ったら、探して回った屋上に潜んでいたことを聞き及んだら、きっと自分を責めるだろう。
だから、卒業式の最中に決行したのだ。
それは眞樹が主席に宛てた遺言にて判明した事実だった。
眞樹は望月一馬の言う通り、俺に次期主席の座を譲ろうとしていたようだ。
本当のとこは解らない。
もしかしたら、自分が生き残ることも視野に入れていたのかも知れない。
だから俺、今生きていることが信じられないんだ。
俺は、眞樹?
なんてことないよな?
あのブルーシートの下にはある仕掛けがしてあったようだ。
確実に死ねるように。
その全てが意味することを考える。
(もしかしたらダイイングメッセージ? でもそれは絶対言ってはいけないことだ)
俺はまだ眞樹の死の真相を理解出来ていなかった。
有事対策頭脳集団のトップになるべき人物の葬儀としては異例だった。
密葬形式で、参列者は僅かだった。
それは俺とまことの結婚式に出席した人達と、松本君だけだった。
何故なら、有事対策頭脳集団は俺が引き受けることになっているようだったから。
トップシークレット。
眞樹と幹部候補生達の起こした事件を公にしたくなかったからだ。
又オカルト教団として騒がれたくなかったのだ。
望月一馬の心をよんだ時、俺の中で燻り続けていたわだかまりは払拭された。
望月一馬は本当に信頼に価する人だったのだ。
だから俺はとりあえず、眞樹の身代わり。
仕方なく引き受けた。
てなとこだ。
俺は暫く、眞樹の影武者になる。
それは、俺が判断して決めた。
まことと、松本君が傍に居てくれたら何でも出来る。
俺はそう思っていた。
でも二人の葬儀の前に遣らなくてはいけないことがあると一馬は言い出した。
二段ベッドが二つに離され、小さな祭壇の前に置かれた。
二人の遺体はブルーシートから移動され其処に寝かされた。
眞樹と赤坂奈津美の遺体は皆が見守る中、ケーゲー本部に作られた祭壇の前に並べられた。
望月一馬の配慮で、葬儀の前に二人の結婚式を挙げることにしたためだった。
そうこれをどうしても遣ってあげたかったのだ。
それは身寄りのない赤坂奈津美を、眞樹と一緒の墓で葬ってやるためだった。
望月一馬はやはり眞樹の父親だったのだ。
眞樹の愛する奈津美のために。奈津美が愛する眞樹のために。
眞樹の苦悶を取り除こうとして、一緒に死ぬことを選んだ奈津美。
その優しさへの最後のプレゼントだったのだ。
だから、二段ベッドだったんだ。
俺とまことのような愛を育んでほしいと願った一馬だったのだ。
俺とまことが結婚式で着用したウェディングドレスとタキシード。
これが二人の死衣装だ。
それはどうしても二人の結婚式を挙げてやりたいと願った望月一馬に、まことが託した物だった。
小さい頃から一緒に育った奈津美が眞樹と天国で結ばれるように。
まことは、俺が眞樹を庇ったことで死ぬ時期を違えた二人を一緒に旅立たせてやりたかったのだ。
まことの心が通じたならば、二人はそのまま天国への新婚旅行に出発するはずだ。
俺もただそのことだけを祈っていた。
それはせめてもの罪滅ぼしだった。
その姿は、俺達のいきさつもまことの心遣いも知っている参列者全員の涙を誘った。
その後で二人の遺体がひっそりと斎場に運び出される予定だった。
火葬場は地域に一つしか無いために、メガネを着けたり外したりしながら皆変装をしていた。
それも眞樹の遺言だった。
眞樹は父である望月一馬を気遣っていたのだ。
『眞樹落ちて』
その書き込みを眞樹は待っていたのだった。
(だから眞樹は微笑めたのだ。だから今二人は穏やかな表情なのだ)
俺はそう思った。
火葬場の扉の前に俺はいた。
柩に入ったら眞樹の体がゆっくりと送られる。
その後で待合室とでも言える和室に案内される。
其処には食事が用意されていた。
でも、俺はどうにも喉を通りそうもない。
俺は一人席を外した。
その後をそっと追って来た人がいる。
それは望月一馬だった。
「喬君と色々と話したくて」
望月一馬はそう言った。
参列者全員が、俺と主席の話し合いの場所を演出してくれたからだ。
何よりも、俺を気付ってくれる優しい計らいだったのだ。
こんな機会、滅多にある訳もない。
俺は、みんなに感謝しながら望月一馬主席と向かい合った。
これからの教団の在り方を主席と考えるには本当に良いチャンスだと思った。
まず有事対策頭脳集団の創立目的を聞いた。
民間の養護施設を作り上げたのは、これ以上宇宙人を作らないくするためだった。
ちゃんとした教育を受けさせ、子供を棄てない親にすること。
そのために塾も作り、予習復習で落ちこぼれを出さないようにする。
得意分野を見つけて、それにみあった教育を受けさせる。
そのために医学にも力を入れたらしい。
何故オカルト教団と呼ばれるようになったのか?
それはやはり宇宙人説と、体験からだったらしい。
人と違った考え方をする者にマスコミは厳しい。
一社が書くと、追々するようだ。
佐伯真実の家族が若林結子との結婚を反対し、所属している有事対策頭脳集団をオカルト教団だと口走ったことに端を発したことは間違いのない事実だったらしいけど。
確かに一馬が目指したのは善意のボランティアグループではない。
宗教法人でもなかった。
彼は真に、日本の行く末を案じていた。
博士の誘いに乗ったのは、借りを作るためでもなかった。
それは、本物の宇宙人をやっつけるための化学兵器の開発の依頼にあったようだ。
そのために氷室博士教授は、この世に存在しているあらゆる菌を育てていたのだった。
でもそれはマリーと出会う前までのこと。
望月一馬は、氷室博士教授と小松成実の体外受精卵を救世主だと信じてマリア・ローズに移植した。
そしてその卵により産まれた新生児を慈しみながら育てたのだった。
一馬が初めて力を感じたのは、宇都宮まことと出会った時だそうだ。
それまでも色々と体験はしてきた。
その理由が知りたくて、牧師の道を選んだ。
「マリーが教えてくれたんだよ。私が産まれて来た意味を」
「宇都宮で正解でしたね」
「宇都宮の宇は、宇宙の宇と言った覚えはあるけど」
「まさか其処で……ってとこですか?」
「ああ、君の言う通りだ」
そう言いながら一馬は、俺の手を見ていた。
「ああ、良かった。夢ではなかった」
一馬はそう言って泣いていた。
「もし、眞樹が本当の救世主だったら……、そんなことばかり考えていたから」
その言葉を聞いて、俺は思った。
望月一馬は、眞樹の死に直面しながらも助けられなかったことを物凄く後悔していることを。
だから俺は、眞樹は本当は幸せだったのではないかと思った。
キリストの五つの印。
マリア・マグダレアも確認したと言う、十字架に架けられた時の手足の釘跡と脇腹の刺し傷。
それは俺の体に刻まれている。
一馬はそれを確認しては泣いていた。
眞樹を思い、俺を思いながら。
望月一馬と俺は更に様々な話をした。
一馬は俺が三階で暮らしていることを知らなかった。
だから、眞樹が若林結子を独占したのを黙認していたのだ。
俺が何時も見ていた夢の話をすると泣いてくれた。
「眞樹はサタンに魅せられたのかな?」
俺はつい、そんなことを言っていた。
俺に血液入りトマトジュースを飲ませる目的でリストカットして、輸血の苦しみを楽しみに変える。
――眞樹は悪魔と契約をした――
俺はそう思っていた。
『私は眞樹が第二の救世主だと思っていた。だから、いやそれだけでもなく愛していた。でも、サタンに変えられてしまった』
一馬が屋上で、眞樹を哀れみながら辛そうに話していたのを思い出したからだった。
(サタン? 悪魔のことか?)
俺はあの時そう思ったのだった。
「サタンではなくて、おそらくルシファーでしょうね」
でも一馬は不思議なことを言った。
その時、サタンイコールルシファーだと誰かが言っていたことを思い出した。
「サタンとルシファーは同一人物では?」
俺は聞いた。
だから敢えて聞いてみた。
望月一馬が大天使ガブリエルだと信じたからだ。
「ルシファーは堕天使ですよ」
(堕天使? 悪魔じゃなかったのか?)
「確かにサタンと同一視されている。ルシファーは神に戦いを挑んで負けて、地に墜とされた堕天使なんです。その後でサタンになったとも言われてはいますが」
シンデレラの継母の飼い猫の名前がルシファーだとゲーム好きなヤツが言っていた。
ルシファーはシンデレラが舞踏会に行けなくする目的で、掃除の済んだ場所を汚れた足で歩いたり、ネズミ達を追い散らす。
だから悪魔の名前を付けたのだとも言っていた。
「ルシファーは神に逆らったために堕天使にされたけど天使だったことは事実ですよ。そう言えばあの時は、サタンだと言ってしまったような……」
「眞樹は主席にとって天使だったのですか?」
俺は頷きながら質問をしていた。
あの時と一馬は言った。
俺は屋上のことだと思ったんだ。
「天使? いや、救世主だと思った。だから未知数だった体外受精を許可した訳です。マリーが居たからそう思ったけど、君を孤独にするためではなかった」
一馬はそう言った。
ルシファーは明けの明星とまで言われる位、絶世の美形だったらしい。
だから自分を見失ったのかも知れない。
俺はそれは眞樹に通じると思った。
日本一の頭脳の持ち主になったからこそ、俺を抹殺しようとしたのだ。
神に逆らったルシファーに似ていると俺は思った。
尤も俺はそんな偉いヤツでないけどね。
それでも俺は、サタンとルシファーは同一で、天使界を追放されて人間界に送り込まれた堕天使だったと感じた。
眞樹は一体何時俺にあのゲームを遣らせるつもりだったのだろう?
俺が十八歳になるのはクリスマスだから、きっとその後だと思った。
俺が卒業して世に出る前に仕掛けるつもりだったのではないだろうか?
つまり、やはり眞樹はあの屋上で俺を墜すつもりだったのだろう。
俺は今此処に居られる、奇跡をもたらせた軌跡に感謝していた。
望月一馬と色々と話した結果、眞樹も本当は孤独の中で苦しんでいたのではないのかと思えるようになっていた。
俺の場合は最初からだったから、何とか対処した。
夢の中で母に甘えて。
でも眞樹は、周りの全ての人が敵だった。
命さえも狙われていたのだ。
でもその眞樹は俺の命を狙っていた。
そんな眞樹が自ら死を選ぶなんて。
俺はまだ悪夢の中にいた。
望月一馬は眞樹には、救世主の事実を告げていたと言う。
だから余計に可能性を確かめてみたくなったのだろうか?
あの異血事件が、眞樹に転機を与えたのだった。
偶然が必然のなった時、俺がやがて更なる苦痛をあじわうことになるのを目論んでいたのだ。
何気に開けたドアの向こうに広がる異空間。
眞樹はきっと羨ましかったのだ。
だから自刃したのだ。
俺から母を取り上げる目的で。
松本君が言っていた、自分にそっくりな男。
其処に居るに違いない。
と思い付いたのだ。
だからあえて自分の苦痛を与えて楽しんでいたのだった。
俺が孤独になる度に、体が蒸気たつ。
そのためだけに母を縛り付けたのだった。
その悦楽を得るために何度もリビングに忍び込んだ眞樹だったのだ。
「喬君。君はパンドラの箱って知っているかい」
皆が食事をしながら話しあっている和室を確認しながら、望月一馬は言い出した。
主席の問に、俺はとりあえず頷いた。
「ギリシャ神話で、あらゆる禍いを封じ込めた箱だと聞きました」
「その箱を開けたために、不幸や諸悪が飛び出した。私はその箱を開けたのが、あの幹部候補生ではなかったのかと思っているんだよ」
「だったら一体パンドラの箱は?」
「この、有事対策頭脳集団ではなかったのかと思う」
そう言いながら、時々様子を伺う一馬。
自分の興した法人が、悪の巣窟になっていたのを知らずにいたことを主席は後悔しているのだろう。
俺はそう感じた。
「じゃあ眞樹は?」
だから、あえて質問してみた。
その言葉で俺の未来を決めよう。
そう思いながら。
「私のために、その全てを取り込んでくれたのではないかと思っている。だから……」
主席は言葉を詰まらせた。
見ると、遠い目をしているようたった。
眞樹は本当に愛されていたと、俺の五感は響いた。
「だから」
望月一馬はやっと言った。
「だから今、希望だけが遺された。眞樹がその身で取り込んでくれたのだから。眞樹は敢えて私を裏切ったのかも知れないな」
――君のために、眞樹が全て取り除いてくれたんだよ――
主席はそう言っているように思えた。
「眞樹はやはり偉大ですね」
俺は取り乱しながら、訳の分からないことを口走っていた。
だって、そうだろう。
主席がいくら俺のことを救世主だと言っても、主席は眞樹を信じて愛している。
眞樹が本当に救世主なら良かったと考えている。
俺にはそう思えてならなかった。
だから裏切ったと言ったのかも知れない。
「キリストは、ユダが裏切ることを知っていたのですよね。だからパンを与えた……」
なぜそんな話しになったか解りない。
俺にとっての裏切りはユダだった。
「一説には、ユダに裏切らさせたとも言われていますよ」
「だから、『あなたの思う通りになさいなさい』と言われたのですか?」
「見た訳でもありませんが、そのようですね」
キリスト自身、自分の行く末を模索していた。
だから全人類の悪行を引き受けて、十字架にかけられたのだろうか?
裏切りのユダは首を括ったとか、高い場所から身を投げたとも言われている。
眞樹も、そのつもりだったのだろうか?
だったら俺には眞樹の代わりなど出来ないと思った。
「世界のために夢を叶えてやれ。それは戦争のない地球を作ることだ」
一馬は俺に本当に俺のことを救世主だと信じているようだ。
だからこそ、有事対策頭脳集団を創立させた目的を語ってくれたんだ。
「君の能力だけど、それはきっと聖徳太子と同じレベルだと思うよ」
そしてやっとそう言った。
「十人の言葉が一度で理解出来る話ですか?」
「人の傷みが解るから、人を癒せるんだよ。それは素晴らしいことだと思う」
俺がそう言うと一馬は頷きながら言ってくれた。
「人の傷みなんて……そう簡単には……」
俺がそう言うと。
「人生の答えは自分の心の中に眠っている。だからそれを知りたくてもがいているのかも知れないな。それぞれの中で」
望月一馬はそう語った後で、そっと耳打ちした。
「だって戦争なんてしている場合じゃないんだ。何時、地球を攻めてくる地球外生命体が現れるやも知れんから」
一馬は照れくさそうにそう言って静かに眞樹の遺影を見つめた。
(らしいな)
俺はそう思った。
でもそれは、俺の照れ隠しだった。
本当は主席の言葉がこそばゆかったのだ。
(人の頭脳に入り込むことで人助けが出来るかも知れないな)
俺の中で、新しい意欲が生まれようとしていた。
「そうそう、佐伯君がさっき言っていたよ。宇都宮まことは神の子だとね」
「あのー、宇都宮じゃなくて若林まことですが……」
主席の言葉に苦笑いを浮かべながら俺は言った。
「あーそうだったな」
一馬は照れくさそうに笑っていた。
佐伯真実はまことの母親が父親の判らない子供を宿したと聞いた時に感じたそうだ。
神様が有事対策頭脳集団に使わしたのだと。
「でも、だからって、宇宙人ってことではないよ」
慌てて一馬が付け足した。
「解ってますよ。まことは確かに神の子供です。でも有事対策頭脳集団に遣わせた訳ではないですよ。まことは俺の……、俺だけに遣わされた第二のマリアなのだから」
「氷室博士教授から、小松成実さんとの子供を作ってほしいと懇願され……、私は行動してしまった。何かに突き動かされたしまった。その原因は喬君、君だったようだ」
「俺ですが?」
「そう君だったんだ。そしてマリーだった。私は面会したマリアローズに本当は違和感を覚えていたんだ」
「違和感ですか? 又どうして?」
「氷室博士教授は、ただ天才児を産み出したかっただけだった。小松成美との間に出来た子供ならそうなると思い込んでいたからだ」
(確かに……、あの親父なら……)
そう思いながら俺は笑っていた。
氷室博士教授を自然に受け入れていることに気付いて。
「眞樹が堕ちた屋上で君を受け止めた時、初めて解ったんだ。何故、犯罪にもなりうる体外受精に関与したかと言う真実を。君だったんだ。君と言う救世主を誕生させるためだったんだ」
望月一馬はゆっくり立ち上がると、もう一度俺の前で跪いた。
「君の持っているその力を、教団のために役に立ててほしい」
そう言いながら。
俺はアンビエンス・エフェクトと言う恋愛シミュレーションゲームで初めて宇都宮まことに逢った時に恋に堕ちた。
それが二人の運命。
俺はきっと宇都宮まことに選ばれたんだ。
そう思っている。
俺はまことを愛している。
今、その事実を納得させようとしている。
望月眞樹が仕組んだ俺の抹殺ゲーム。
全て、それが引き金だったからだ。
俺をもてあそんだ眞樹は、本当は有事対策頭脳集団の若い幹部候補生達の実験材料だった。
でも俺は其処の未来を任されようとしている。
怖い。
怖くないはずがない。
果たして俺に教団の未來を背負って立てるだけの力はあるのだろうか?
俺は震えていた。
これは佐伯真実が面会に出向いた拘置場で、幹部候補生達の自供によって解ったことだ。
眞樹の輸血は、全てが動物の血液製剤ではない。
幹部候補生達が毎回用意出来るはずもない。
眞樹もそれは解っていた。
にもかかわらず、その快感がほしくて手首を切る。
眞樹は、輸血されたくて仕方なくなっていた。
体が心が要求する。
俺の孤独と、母の独占を。
二つの満足を得る度に、反射的に悦状態になっていく。
そして地獄の猛火に焼かれながら、血液の循環を楽しむ。
麻薬にも似たエクスタシーな瞬間を眞樹は求めていたのだった。
眞樹は既に狂わされていたのだった。
だから母の愛を手に入れ、俺を孤独に突き落とすために自刃したのだった。
でも眞樹は悔やんでいた。
望月一馬の目に触れはしないかと。
だから彼等は人口皮膚をプレゼントしたのだった。
自分達の悪事の発覚を遅らせる意図として。
俺はそれを見た時、本物の皮膚を剥いだと思った。
そんな技術を有しながら眞樹を狂わせる目的に終始した幹部候補生達。
オカルト教団と呼ばれるだけの何かを持っている。
俺はそう感じた。
「辛過ぎる」
俺は望月一馬主席につい弱音をはいた。
「辛い時こそ前を向いて一歩を踏み出すんだよ。辛いと言う字に一を足してみなさい。幸と言う字になるから」
俺はその言葉に驚き、頭の中で辛いと言う字に一を足して幸にしていた。
「辛いからこそ、乗り越えるんですね」
俺は主席の目を見て言った。
「喬君なら出来る。マリーに選ばれた君なら出来る。でも焦ることはない。まずマリーを幸せにしてやってくれ。有事対策頭脳集団のことはその後でいい」
主席は優しかった。
まず俺とまことの心を癒すこと。
それに重きをおいてくれていた。
「人生の答えは自分の心の中に眠っている。それぞれの中に」
独り言のように、一馬がもう一度呟いた。
(そうだな。答えはそれぞれ違って良いんだ)
俺は一馬の言葉を理解しようとしていた。
でもそれに気付いて、少し戸惑ってもいた。
有事対策頭脳集団の本部敷地内に、天の川への架け橋と呼ばれている大きな建物がある。
その手前にはピラミッドを型どったオブジェ。
そう其処は身元の判明されずに神に召されて逝った仲間の墓だった。
魂を宇宙に返すための施設だった。
三途の川を天の川に例えたのだ。
眞樹と奈津美の遺灰は一番奥に納められた。
其処はいずれは主席も入るであろう場所だった。
この場所を、何時か心の拠り所に出来るように俺はまず教団生との絆を深めていかなくてはならないと思っていた。
学校関係者も生徒も、誰も気付かない内にブルーシートで始末されたからだった。
皆が気付いて騒ぎ出す前に全てのことを終了させたのだ。
そのブルーシートは植え込みと校舎の壁の間に敷かれていて、生徒達には見えないようにカモフラージュされていた。
全て眞樹が用意した物だった。
眞樹は本気で死ぬつもりだったのだ。
それとも、俺を抹殺するためだったのかも知れないが。
何れにしても、俺達のどちらかは屋上から墜ちて死ぬ運命だったのだ。
俺が眞樹の携帯で始めたアンビエンスエフェクトは、隠されていた真実を浮かび上がらせた。
それが眞樹の全てを狂わせたのだった。
勿論担任は俺達のことを探し回っていた。
屋上にだって来たけど、死角になる場所に隠れていたんだ。
だから仕方なく、卒業式の会場へ戻って行ったんだ。
担任は本当に俺達の、眞樹のことを探していたんだ。
そりゃそうだ。
眞樹は最高優秀生徒として皆の前で表彰させることになっていたからだ。
高校日本一の頭脳を持つ学生を学園の名誉として讃えたかったのだ。
でも諦めたなのか、その後で屋上には来なかった。
あのブルーシートは、眞樹は屋上へ上がる前に堕ちる場所を予測して敷いておいたのだった。
だから式の始まる直前に強行したのだった。
眞樹は本当に死ぬ気だったのだ。
有事対策頭脳集団の若い幹部候補生達に弄ばれた眞樹の体は、あの血液製剤無しには生きていけなくなっていたのだ。
でももうそれを手に入れることは出来ない。
体が麻薬の禁断症状みたいに震えがきても、どうすることも出来ないのだ。
だから自暴自棄になってしまっていたのだった。
だから最後の賭けに出たのかも知れない。
でも、どうやらそれも眞樹の意向だったようだ。
俺と眞樹、二人の内で生き残った者が有事対策頭脳集団のトップになる。
眞樹はそう考えていたのだった。
でも本当は自ら死ぬ気だったんだ。
それはあの時の、俺の手を振りほどいて堕ちて行った眞樹の目が証明していた。
だから微笑んだのだと思った。
あくまでも、望月一馬を守る気だったのだ。
眞樹の頭脳の中にはもう入り込むことは出来ないけど、望月一馬はそれだけ尊敬に価する人だったようだ。
教団には祭壇があるらしい。
そりゃそうだと思った。
望月一馬は有事対策頭脳集団の主席でありながら、牧師なのだから。
だからその前に遺体を安置するのだろうと思った。
有事対策頭脳集団は養護施設を兼ね備えた教会のような建物らしいのだ。
でも一馬は俺の家の方角に向かった。
俺は不思議に思った。
教団の関係者ではない俺の葬儀なら判る。
でも眞樹はれっきとした一馬の後継者なのだ。
結局二人の遺体は住み慣れたあの白い部屋の下にある建物に運ばれたのだった。
秘かに集められた関係者達。
俺とまことの結婚式に集合してくれた人達だった。
何が何だか解らすにやって来た連中の前で、やっとブルーシートが外された。
まさかの出来事に皆が嗚咽を吐いた。
「ああ、私の……」
小松成実が崩れ落ちる。
成実は日本一の頭脳をもった眞樹を誇らしく思っていたようだった。
全て人が事情を知っている。
だからやっと明るみに出せる望月眞樹と赤坂奈津美の遺体。
一馬はいの一番に、眞樹に取りすがった。
それは教団のトップから父親に戻った瞬間だった。
眞樹は苦しみ抜いて死んでいった。
それでも穏やかな顔をしていた。
それはきっと眞樹に訪れた本当の安らぎだったのかも知れない。
俺はそう思うことにした。
だから微笑み合っていたのだと思った。
これから死のうとしている人間が、あんなにも冷静でいられるなんて、眞樹には敵わない。
俺はそう思った。
其処は眞樹がアンビエンス・エフェクトを開発したケーゲー本部だった。
驚いたことに、眞樹は其処に祭壇を用意していた。
何処までも主席に迷惑を掛けずに旅立つためだったのだ。
俺が死んだ場合を考えて教団に用意出来なかったのだ。
ゆうに教室二個分はある白い俺のアトリエ。
その下に位置する眞樹の居住空間。
それは幾つかの部屋で仕切られていた。
俺とまことはその祭壇の前で佇んでいた。
まことは俺を心配して、片時も離れようとしなかった。
でも俺はジタバタしていた。
もう響くことのない眞樹の心の声をどうしても聞きたくて仕方なかったのだ。
でも、出来るはずがない。
眞樹は、卒業式終了後遺体をケーゲー本部に運ぶように記しておいたのだった。
学校側には卒業記念の品物作りだと称して、ブルーシートで覆うことの許しを得ていたらしい。
頭脳日本一の望月眞樹の卒業記念製作。
それだけ浮き足立っていたのだった。
何しろ、そう言う類いには無縁だった普通の高校が日本一の頭脳の持ち主・望月眞樹の出現によって突然脚光を浴びることになったからだった。
誰も眞樹が何をしようとしているのか知らない。
だから期待していたのだろう。
今日彼処で起こったことは、きっと隠蔽される。
でもそれがベストなのかも知れないと何処かで思っている自分がいた。
担任が俺達の秘密を知ったら、探して回った屋上に潜んでいたことを聞き及んだら、きっと自分を責めるだろう。
だから、卒業式の最中に決行したのだ。
それは眞樹が主席に宛てた遺言にて判明した事実だった。
眞樹は望月一馬の言う通り、俺に次期主席の座を譲ろうとしていたようだ。
本当のとこは解らない。
もしかしたら、自分が生き残ることも視野に入れていたのかも知れない。
だから俺、今生きていることが信じられないんだ。
俺は、眞樹?
なんてことないよな?
あのブルーシートの下にはある仕掛けがしてあったようだ。
確実に死ねるように。
その全てが意味することを考える。
(もしかしたらダイイングメッセージ? でもそれは絶対言ってはいけないことだ)
俺はまだ眞樹の死の真相を理解出来ていなかった。
有事対策頭脳集団のトップになるべき人物の葬儀としては異例だった。
密葬形式で、参列者は僅かだった。
それは俺とまことの結婚式に出席した人達と、松本君だけだった。
何故なら、有事対策頭脳集団は俺が引き受けることになっているようだったから。
トップシークレット。
眞樹と幹部候補生達の起こした事件を公にしたくなかったからだ。
又オカルト教団として騒がれたくなかったのだ。
望月一馬の心をよんだ時、俺の中で燻り続けていたわだかまりは払拭された。
望月一馬は本当に信頼に価する人だったのだ。
だから俺はとりあえず、眞樹の身代わり。
仕方なく引き受けた。
てなとこだ。
俺は暫く、眞樹の影武者になる。
それは、俺が判断して決めた。
まことと、松本君が傍に居てくれたら何でも出来る。
俺はそう思っていた。
でも二人の葬儀の前に遣らなくてはいけないことがあると一馬は言い出した。
二段ベッドが二つに離され、小さな祭壇の前に置かれた。
二人の遺体はブルーシートから移動され其処に寝かされた。
眞樹と赤坂奈津美の遺体は皆が見守る中、ケーゲー本部に作られた祭壇の前に並べられた。
望月一馬の配慮で、葬儀の前に二人の結婚式を挙げることにしたためだった。
そうこれをどうしても遣ってあげたかったのだ。
それは身寄りのない赤坂奈津美を、眞樹と一緒の墓で葬ってやるためだった。
望月一馬はやはり眞樹の父親だったのだ。
眞樹の愛する奈津美のために。奈津美が愛する眞樹のために。
眞樹の苦悶を取り除こうとして、一緒に死ぬことを選んだ奈津美。
その優しさへの最後のプレゼントだったのだ。
だから、二段ベッドだったんだ。
俺とまことのような愛を育んでほしいと願った一馬だったのだ。
俺とまことが結婚式で着用したウェディングドレスとタキシード。
これが二人の死衣装だ。
それはどうしても二人の結婚式を挙げてやりたいと願った望月一馬に、まことが託した物だった。
小さい頃から一緒に育った奈津美が眞樹と天国で結ばれるように。
まことは、俺が眞樹を庇ったことで死ぬ時期を違えた二人を一緒に旅立たせてやりたかったのだ。
まことの心が通じたならば、二人はそのまま天国への新婚旅行に出発するはずだ。
俺もただそのことだけを祈っていた。
それはせめてもの罪滅ぼしだった。
その姿は、俺達のいきさつもまことの心遣いも知っている参列者全員の涙を誘った。
その後で二人の遺体がひっそりと斎場に運び出される予定だった。
火葬場は地域に一つしか無いために、メガネを着けたり外したりしながら皆変装をしていた。
それも眞樹の遺言だった。
眞樹は父である望月一馬を気遣っていたのだ。
『眞樹落ちて』
その書き込みを眞樹は待っていたのだった。
(だから眞樹は微笑めたのだ。だから今二人は穏やかな表情なのだ)
俺はそう思った。
火葬場の扉の前に俺はいた。
柩に入ったら眞樹の体がゆっくりと送られる。
その後で待合室とでも言える和室に案内される。
其処には食事が用意されていた。
でも、俺はどうにも喉を通りそうもない。
俺は一人席を外した。
その後をそっと追って来た人がいる。
それは望月一馬だった。
「喬君と色々と話したくて」
望月一馬はそう言った。
参列者全員が、俺と主席の話し合いの場所を演出してくれたからだ。
何よりも、俺を気付ってくれる優しい計らいだったのだ。
こんな機会、滅多にある訳もない。
俺は、みんなに感謝しながら望月一馬主席と向かい合った。
これからの教団の在り方を主席と考えるには本当に良いチャンスだと思った。
まず有事対策頭脳集団の創立目的を聞いた。
民間の養護施設を作り上げたのは、これ以上宇宙人を作らないくするためだった。
ちゃんとした教育を受けさせ、子供を棄てない親にすること。
そのために塾も作り、予習復習で落ちこぼれを出さないようにする。
得意分野を見つけて、それにみあった教育を受けさせる。
そのために医学にも力を入れたらしい。
何故オカルト教団と呼ばれるようになったのか?
それはやはり宇宙人説と、体験からだったらしい。
人と違った考え方をする者にマスコミは厳しい。
一社が書くと、追々するようだ。
佐伯真実の家族が若林結子との結婚を反対し、所属している有事対策頭脳集団をオカルト教団だと口走ったことに端を発したことは間違いのない事実だったらしいけど。
確かに一馬が目指したのは善意のボランティアグループではない。
宗教法人でもなかった。
彼は真に、日本の行く末を案じていた。
博士の誘いに乗ったのは、借りを作るためでもなかった。
それは、本物の宇宙人をやっつけるための化学兵器の開発の依頼にあったようだ。
そのために氷室博士教授は、この世に存在しているあらゆる菌を育てていたのだった。
でもそれはマリーと出会う前までのこと。
望月一馬は、氷室博士教授と小松成実の体外受精卵を救世主だと信じてマリア・ローズに移植した。
そしてその卵により産まれた新生児を慈しみながら育てたのだった。
一馬が初めて力を感じたのは、宇都宮まことと出会った時だそうだ。
それまでも色々と体験はしてきた。
その理由が知りたくて、牧師の道を選んだ。
「マリーが教えてくれたんだよ。私が産まれて来た意味を」
「宇都宮で正解でしたね」
「宇都宮の宇は、宇宙の宇と言った覚えはあるけど」
「まさか其処で……ってとこですか?」
「ああ、君の言う通りだ」
そう言いながら一馬は、俺の手を見ていた。
「ああ、良かった。夢ではなかった」
一馬はそう言って泣いていた。
「もし、眞樹が本当の救世主だったら……、そんなことばかり考えていたから」
その言葉を聞いて、俺は思った。
望月一馬は、眞樹の死に直面しながらも助けられなかったことを物凄く後悔していることを。
だから俺は、眞樹は本当は幸せだったのではないかと思った。
キリストの五つの印。
マリア・マグダレアも確認したと言う、十字架に架けられた時の手足の釘跡と脇腹の刺し傷。
それは俺の体に刻まれている。
一馬はそれを確認しては泣いていた。
眞樹を思い、俺を思いながら。
望月一馬と俺は更に様々な話をした。
一馬は俺が三階で暮らしていることを知らなかった。
だから、眞樹が若林結子を独占したのを黙認していたのだ。
俺が何時も見ていた夢の話をすると泣いてくれた。
「眞樹はサタンに魅せられたのかな?」
俺はつい、そんなことを言っていた。
俺に血液入りトマトジュースを飲ませる目的でリストカットして、輸血の苦しみを楽しみに変える。
――眞樹は悪魔と契約をした――
俺はそう思っていた。
『私は眞樹が第二の救世主だと思っていた。だから、いやそれだけでもなく愛していた。でも、サタンに変えられてしまった』
一馬が屋上で、眞樹を哀れみながら辛そうに話していたのを思い出したからだった。
(サタン? 悪魔のことか?)
俺はあの時そう思ったのだった。
「サタンではなくて、おそらくルシファーでしょうね」
でも一馬は不思議なことを言った。
その時、サタンイコールルシファーだと誰かが言っていたことを思い出した。
「サタンとルシファーは同一人物では?」
俺は聞いた。
だから敢えて聞いてみた。
望月一馬が大天使ガブリエルだと信じたからだ。
「ルシファーは堕天使ですよ」
(堕天使? 悪魔じゃなかったのか?)
「確かにサタンと同一視されている。ルシファーは神に戦いを挑んで負けて、地に墜とされた堕天使なんです。その後でサタンになったとも言われてはいますが」
シンデレラの継母の飼い猫の名前がルシファーだとゲーム好きなヤツが言っていた。
ルシファーはシンデレラが舞踏会に行けなくする目的で、掃除の済んだ場所を汚れた足で歩いたり、ネズミ達を追い散らす。
だから悪魔の名前を付けたのだとも言っていた。
「ルシファーは神に逆らったために堕天使にされたけど天使だったことは事実ですよ。そう言えばあの時は、サタンだと言ってしまったような……」
「眞樹は主席にとって天使だったのですか?」
俺は頷きながら質問をしていた。
あの時と一馬は言った。
俺は屋上のことだと思ったんだ。
「天使? いや、救世主だと思った。だから未知数だった体外受精を許可した訳です。マリーが居たからそう思ったけど、君を孤独にするためではなかった」
一馬はそう言った。
ルシファーは明けの明星とまで言われる位、絶世の美形だったらしい。
だから自分を見失ったのかも知れない。
俺はそれは眞樹に通じると思った。
日本一の頭脳の持ち主になったからこそ、俺を抹殺しようとしたのだ。
神に逆らったルシファーに似ていると俺は思った。
尤も俺はそんな偉いヤツでないけどね。
それでも俺は、サタンとルシファーは同一で、天使界を追放されて人間界に送り込まれた堕天使だったと感じた。
眞樹は一体何時俺にあのゲームを遣らせるつもりだったのだろう?
俺が十八歳になるのはクリスマスだから、きっとその後だと思った。
俺が卒業して世に出る前に仕掛けるつもりだったのではないだろうか?
つまり、やはり眞樹はあの屋上で俺を墜すつもりだったのだろう。
俺は今此処に居られる、奇跡をもたらせた軌跡に感謝していた。
望月一馬と色々と話した結果、眞樹も本当は孤独の中で苦しんでいたのではないのかと思えるようになっていた。
俺の場合は最初からだったから、何とか対処した。
夢の中で母に甘えて。
でも眞樹は、周りの全ての人が敵だった。
命さえも狙われていたのだ。
でもその眞樹は俺の命を狙っていた。
そんな眞樹が自ら死を選ぶなんて。
俺はまだ悪夢の中にいた。
望月一馬は眞樹には、救世主の事実を告げていたと言う。
だから余計に可能性を確かめてみたくなったのだろうか?
あの異血事件が、眞樹に転機を与えたのだった。
偶然が必然のなった時、俺がやがて更なる苦痛をあじわうことになるのを目論んでいたのだ。
何気に開けたドアの向こうに広がる異空間。
眞樹はきっと羨ましかったのだ。
だから自刃したのだ。
俺から母を取り上げる目的で。
松本君が言っていた、自分にそっくりな男。
其処に居るに違いない。
と思い付いたのだ。
だからあえて自分の苦痛を与えて楽しんでいたのだった。
俺が孤独になる度に、体が蒸気たつ。
そのためだけに母を縛り付けたのだった。
その悦楽を得るために何度もリビングに忍び込んだ眞樹だったのだ。
「喬君。君はパンドラの箱って知っているかい」
皆が食事をしながら話しあっている和室を確認しながら、望月一馬は言い出した。
主席の問に、俺はとりあえず頷いた。
「ギリシャ神話で、あらゆる禍いを封じ込めた箱だと聞きました」
「その箱を開けたために、不幸や諸悪が飛び出した。私はその箱を開けたのが、あの幹部候補生ではなかったのかと思っているんだよ」
「だったら一体パンドラの箱は?」
「この、有事対策頭脳集団ではなかったのかと思う」
そう言いながら、時々様子を伺う一馬。
自分の興した法人が、悪の巣窟になっていたのを知らずにいたことを主席は後悔しているのだろう。
俺はそう感じた。
「じゃあ眞樹は?」
だから、あえて質問してみた。
その言葉で俺の未来を決めよう。
そう思いながら。
「私のために、その全てを取り込んでくれたのではないかと思っている。だから……」
主席は言葉を詰まらせた。
見ると、遠い目をしているようたった。
眞樹は本当に愛されていたと、俺の五感は響いた。
「だから」
望月一馬はやっと言った。
「だから今、希望だけが遺された。眞樹がその身で取り込んでくれたのだから。眞樹は敢えて私を裏切ったのかも知れないな」
――君のために、眞樹が全て取り除いてくれたんだよ――
主席はそう言っているように思えた。
「眞樹はやはり偉大ですね」
俺は取り乱しながら、訳の分からないことを口走っていた。
だって、そうだろう。
主席がいくら俺のことを救世主だと言っても、主席は眞樹を信じて愛している。
眞樹が本当に救世主なら良かったと考えている。
俺にはそう思えてならなかった。
だから裏切ったと言ったのかも知れない。
「キリストは、ユダが裏切ることを知っていたのですよね。だからパンを与えた……」
なぜそんな話しになったか解りない。
俺にとっての裏切りはユダだった。
「一説には、ユダに裏切らさせたとも言われていますよ」
「だから、『あなたの思う通りになさいなさい』と言われたのですか?」
「見た訳でもありませんが、そのようですね」
キリスト自身、自分の行く末を模索していた。
だから全人類の悪行を引き受けて、十字架にかけられたのだろうか?
裏切りのユダは首を括ったとか、高い場所から身を投げたとも言われている。
眞樹も、そのつもりだったのだろうか?
だったら俺には眞樹の代わりなど出来ないと思った。
「世界のために夢を叶えてやれ。それは戦争のない地球を作ることだ」
一馬は俺に本当に俺のことを救世主だと信じているようだ。
だからこそ、有事対策頭脳集団を創立させた目的を語ってくれたんだ。
「君の能力だけど、それはきっと聖徳太子と同じレベルだと思うよ」
そしてやっとそう言った。
「十人の言葉が一度で理解出来る話ですか?」
「人の傷みが解るから、人を癒せるんだよ。それは素晴らしいことだと思う」
俺がそう言うと一馬は頷きながら言ってくれた。
「人の傷みなんて……そう簡単には……」
俺がそう言うと。
「人生の答えは自分の心の中に眠っている。だからそれを知りたくてもがいているのかも知れないな。それぞれの中で」
望月一馬はそう語った後で、そっと耳打ちした。
「だって戦争なんてしている場合じゃないんだ。何時、地球を攻めてくる地球外生命体が現れるやも知れんから」
一馬は照れくさそうにそう言って静かに眞樹の遺影を見つめた。
(らしいな)
俺はそう思った。
でもそれは、俺の照れ隠しだった。
本当は主席の言葉がこそばゆかったのだ。
(人の頭脳に入り込むことで人助けが出来るかも知れないな)
俺の中で、新しい意欲が生まれようとしていた。
「そうそう、佐伯君がさっき言っていたよ。宇都宮まことは神の子だとね」
「あのー、宇都宮じゃなくて若林まことですが……」
主席の言葉に苦笑いを浮かべながら俺は言った。
「あーそうだったな」
一馬は照れくさそうに笑っていた。
佐伯真実はまことの母親が父親の判らない子供を宿したと聞いた時に感じたそうだ。
神様が有事対策頭脳集団に使わしたのだと。
「でも、だからって、宇宙人ってことではないよ」
慌てて一馬が付け足した。
「解ってますよ。まことは確かに神の子供です。でも有事対策頭脳集団に遣わせた訳ではないですよ。まことは俺の……、俺だけに遣わされた第二のマリアなのだから」
「氷室博士教授から、小松成実さんとの子供を作ってほしいと懇願され……、私は行動してしまった。何かに突き動かされたしまった。その原因は喬君、君だったようだ」
「俺ですが?」
「そう君だったんだ。そしてマリーだった。私は面会したマリアローズに本当は違和感を覚えていたんだ」
「違和感ですか? 又どうして?」
「氷室博士教授は、ただ天才児を産み出したかっただけだった。小松成美との間に出来た子供ならそうなると思い込んでいたからだ」
(確かに……、あの親父なら……)
そう思いながら俺は笑っていた。
氷室博士教授を自然に受け入れていることに気付いて。
「眞樹が堕ちた屋上で君を受け止めた時、初めて解ったんだ。何故、犯罪にもなりうる体外受精に関与したかと言う真実を。君だったんだ。君と言う救世主を誕生させるためだったんだ」
望月一馬はゆっくり立ち上がると、もう一度俺の前で跪いた。
「君の持っているその力を、教団のために役に立ててほしい」
そう言いながら。
俺はアンビエンス・エフェクトと言う恋愛シミュレーションゲームで初めて宇都宮まことに逢った時に恋に堕ちた。
それが二人の運命。
俺はきっと宇都宮まことに選ばれたんだ。
そう思っている。
俺はまことを愛している。
今、その事実を納得させようとしている。
望月眞樹が仕組んだ俺の抹殺ゲーム。
全て、それが引き金だったからだ。
俺をもてあそんだ眞樹は、本当は有事対策頭脳集団の若い幹部候補生達の実験材料だった。
でも俺は其処の未来を任されようとしている。
怖い。
怖くないはずがない。
果たして俺に教団の未來を背負って立てるだけの力はあるのだろうか?
俺は震えていた。
これは佐伯真実が面会に出向いた拘置場で、幹部候補生達の自供によって解ったことだ。
眞樹の輸血は、全てが動物の血液製剤ではない。
幹部候補生達が毎回用意出来るはずもない。
眞樹もそれは解っていた。
にもかかわらず、その快感がほしくて手首を切る。
眞樹は、輸血されたくて仕方なくなっていた。
体が心が要求する。
俺の孤独と、母の独占を。
二つの満足を得る度に、反射的に悦状態になっていく。
そして地獄の猛火に焼かれながら、血液の循環を楽しむ。
麻薬にも似たエクスタシーな瞬間を眞樹は求めていたのだった。
眞樹は既に狂わされていたのだった。
だから母の愛を手に入れ、俺を孤独に突き落とすために自刃したのだった。
でも眞樹は悔やんでいた。
望月一馬の目に触れはしないかと。
だから彼等は人口皮膚をプレゼントしたのだった。
自分達の悪事の発覚を遅らせる意図として。
俺はそれを見た時、本物の皮膚を剥いだと思った。
そんな技術を有しながら眞樹を狂わせる目的に終始した幹部候補生達。
オカルト教団と呼ばれるだけの何かを持っている。
俺はそう感じた。
「辛過ぎる」
俺は望月一馬主席につい弱音をはいた。
「辛い時こそ前を向いて一歩を踏み出すんだよ。辛いと言う字に一を足してみなさい。幸と言う字になるから」
俺はその言葉に驚き、頭の中で辛いと言う字に一を足して幸にしていた。
「辛いからこそ、乗り越えるんですね」
俺は主席の目を見て言った。
「喬君なら出来る。マリーに選ばれた君なら出来る。でも焦ることはない。まずマリーを幸せにしてやってくれ。有事対策頭脳集団のことはその後でいい」
主席は優しかった。
まず俺とまことの心を癒すこと。
それに重きをおいてくれていた。
「人生の答えは自分の心の中に眠っている。それぞれの中に」
独り言のように、一馬がもう一度呟いた。
(そうだな。答えはそれぞれ違って良いんだ)
俺は一馬の言葉を理解しようとしていた。
でもそれに気付いて、少し戸惑ってもいた。
有事対策頭脳集団の本部敷地内に、天の川への架け橋と呼ばれている大きな建物がある。
その手前にはピラミッドを型どったオブジェ。
そう其処は身元の判明されずに神に召されて逝った仲間の墓だった。
魂を宇宙に返すための施設だった。
三途の川を天の川に例えたのだ。
眞樹と奈津美の遺灰は一番奥に納められた。
其処はいずれは主席も入るであろう場所だった。
この場所を、何時か心の拠り所に出来るように俺はまず教団生との絆を深めていかなくてはならないと思っていた。
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