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秩父夜祭りデート

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 十二月三日。
秩父夜祭りの日だった。

この日二人は二度めのデートとしてSLを選んだ。

以前SLは勤労感謝の日が運転最終日だった。

それを秩父最大のメインイベント・秩父夜祭りの日までずらせたのだった。


二人はそれぞれの最寄りの駅から、フリー切符を購入して羽生行きの電車に乗り込んだ。

電車が御花畑駅に入って来る。

待ち合わせは最後尾の車両だった。


浦山口駅・影森駅。
陽子は駅に着く度失敗したと思い込む。

一番手前の車両なら、駅で待っている翼をすぐに発見出来たはず。

陽子は心配になって、何度も何度も立ち上がった。

一駅近付く毎に陽子の鼓動が早くなる。
胸が張り裂けそうになる。

陽子は翼との再会を待ちながら、存在がどんどん大きくなる喜びを感じていた。


(間違いない!)

ギャグをかました訳ではない。
陽子の心は喜びに溢れていた。


(間違いない! コレが恋なんだ! コレが恋って言うものなんだ!)

陽子はもう一度立ち上がって、ドアに向かった。


でもお花畑駅はまだまだ遠かった。
そして今後はドアに近い場所に座り直した。


(やだー、私何やってるんだろ?)

陽子は笑いながら、大きな溜め息をついた。




 翼は待ち合わせの一時間位前から御花畑駅にいた。

家でじっと待っていることなんて出来なかった。


此処に来るまでに翼は、近くの神社の鳥居越しに柏手を打っていた。

二人の再会をひたすら願う翼。

そのすぐ脇にある坂道を上って行く。


小さな小さな路地。

車か一台通るか通れないような道。
その道にも駐車場がある。

比較的大きな屋根は、宗教団体の協会。


翼はこの道が小さい頃から大好きだった。


どんどん坂道を上がって行く。

行き着いた場所では線路が見えた。


翼は此処でも、武州中川駅方面に向かって柏手を打った。


陽子と無事に逢えることをひたすら願って。





 日々形が変わって行く雄大なる武甲山。


翼は目に映る物全てに祈りを捧げた。


翼は影森駅方面の線路に目をやり溜め息を吐く。

時の流れが遅すぎる。

翼はイライラしながら、陽子がプレゼントしてくれたダイバーウォッチを見ていた。




 陽子はいても立っても居られなくなり、御花畑駅手前で立ち上がってドアの前に向かった。

ドアが開き一旦降りた陽子は、すぐに翼を見つけた。


「翼……逢いたかった」

陽子は翼の手を掴む。

二人はしっかり手を取り合った。


ぐずぐずしてる暇はない。
二人さは又すぐ車両に戻った。


恋しさも、愛しさも、以前より増幅されている。

二人は当たり前のように見つめ合った。




 行き先は熊谷駅だった。

十時十分発。
三峰口駅行きのSLに二人で乗るために。


熊谷駅に到着した電車のドアが開く。

はぐれないように、腕を時交互に組ませる。

陽子はホームに降りた瞬間笑い出した。

目の前に階段があったからだった。


「結局、最後尾で正解だったみたいね」
陽子が微笑ながら言う。


「ん?」

翼は意味が解らすキョトンとしていた。


階段を上った所にある改札口。
二人は一旦そこから出て、SL乗車券を求めた。


「翼に見せたい所があるの。星川にある乙女の像って知ってる?」

陽子の質問を聞いて、翼は首を降った。


「じゃあ行く?」

陽子の言葉に翼は頷いた。

陽子は切符売り場の前を通り、右に曲がった。




 陽子が翼を導いた場所。

それは、終戦の僅か数時間前に空襲を受けた熊谷の悲劇の象徴の川だった。


ゆったり流れる小川。
そんな言葉が一番似合うであろう星川。

熊谷空襲の最中、暑さしのぎで入った川。

灼熱地獄が人々を襲い、百余名が息絶えた川。

それはアメリカ軍による、常套手段だった。


まず周囲に焼夷弾や爆弾を落として、逃げ道を断った後中心部を攻撃する。


逃れる術のなかった。
熊谷空襲合計死者数二百六十六名。

その半数近くがこの川で犠牲になった。




 そんな川を見守るように立つ乙女の像。

二人は手を合わせながら、平和の時代に生かされていることを感謝した。


「ずっと前に紙芝居で見たことがあるの。熊谷の人達の多くは戦争が終わったことも知らなかったんだって。焼夷弾による火事でラジオも燃えていたから」


「確かその日に天皇陛下のラジオ放送があったって聞いたけれど」


「その事実を知った時きっとみんな、愕然としたと思うわ。ねえ翼。八月十六日に此処で灯籠流しがあるんだって、今度一緒に来ない?」


陽子の言葉に翼は頷いた。




 SLが煙を吐きながら、二人が待つ熊谷駅ホームへと入って来る。

写真撮影をする人、乗り込もうとする人。


様々な人々の思いを乗せて十時十分、定刻通りSLは出発した。


座席は指定席ではなく、自由席にした。

探検するためだった。


「あれ何?」

陽子の言葉で振り向くと、後ろに真っ黒い人が歩いていた。


「何だ!?」

翼は首を傾げた。


それはご当地のゆるキャラで、SLの車両基地近くに住んでいる。
らしいことが判明した。

待ちきれない男の子が隣まで来て、盛んに説明していたので解ったことだったが……。


SLとブルーラインのキャラクター達は気軽に写真撮影に応じていた。

やっと順番のきたその子も、万べんの笑みを浮かべながら母親のデジカメに収まっていた。




 SLが駅に着く度歓声が上がる。
無数のフラッシュがたかれる。


翼と陽子は二人掛けの座席でただぼんやりと互いを見ていた。

確かに二人は平和な時代に生まれた。

でも本当に平和なのだろうか?

心に平和が足りない人が多過ぎて、悲しい事件があり過ぎる。


翼は、星川で散った犠牲者に心の中で手を合わせながら、今二人でいる幸せを噛み締めていた。




 SLが三峰口駅に到着した。

陽子と翼は駅から出て、三峰神社行きのバス停に向かった。

でもバスは既に出発した後だった。

陽子は翼に自分の産まれ育った場所を見せたかったのだった。


陽子は溜め息を吐いた。


「しょうがない!  転車場でも見る?」

翼は頷いた。




 転車場へと続く道には役目を果たした秩父鉄道の車両が展示してあった。

コンテナ式の物。
荷台だけの物。
二人は一台一台登って、感触を確かめていた。


SLは一向に動かない。


「何時転車するんだろ?」


「解らない。ねえ翼諦めて、中川駅に行かない? 母が翼に会いたがってるの」

SLの来ない転車場。

まだかまだかと待つ人々。

その間をくぐって、二人は駅に急いだ。

その時SLが少しずつ動いたように思えた。
それでも二人は三峰口駅の改札口を目指した。


SLの転車時間に発車する電車。

乗客達はホームの上から、このイベントを見ていた。




 中川駅に二人で降りる。

陽子の家は、駅の反対側で歩いて四、五分だった。

でも二人は真っ直ぐ陽子の母・節子の働いている農協直売所へ向かった。


節子は此処でレジを担当していた。

元々三峰で土産物屋だったから、ピッタリの職場だった。


陽子の母親らしい明るい節子。

翼もこの節子が大好きだった。


夜祭りの日は山梨県から大勢の観光客が雁坂トンネルを通ってやってくる。

だから休む訳にはいかなかったのだ。

農協脇にある蕎麦店も賑わっていた。
秩父は蕎麦どころで、特に荒川地区は有名だった。


二階にある陽子の部屋からは、秩父鉄道の線路が丸見えだった。

どちらからともなくキスをする。
翼の手が陽子の太ももに触れる。

陽子は思わず躊躇する。


(このまま翼を受け入れたい。あぁ~、でもまだ早過ぎる)


陽子は翼の手に自分の手を重ねた。


小さい頃から活発で男女分け隔てなく遊んでいた。

遊ぶのに夢中で、異性への愛情なんて感じた覚えもなかった。

陽子には翼が本当に初恋の相手だった。

最初の頃。
同情だと思っていた。

忍からも翼のことは時々聞いていた。

それなのに、堀内家で遭った時、翼を翔と間違えた。

それ程眼中になかった。

そんな翼が掛け替えのない存在になっていく。

初めて知った。
人を愛する喜び。
陽子はそれがたまらなく嬉しかったのだった。




 性同一性症候群ではないかと思っていた。
異性に魅力を感じないのは、きっとそのせいだと信じるようになっていた。


きっと自分はロリコンかなんかで、だから保育士が夢になったのだろう。

そうも考えていた。

でも本当はロリータコンプレックスの意味も詳しくは知らない。

だからもしそうだったとしたら、もっと怖いと思っていたのだった。


辛くて永かった悩みの日々は、翼との出逢うためだったと今は信じている。


だから、陽子は目を閉じた。

全てを翼に委ねるつもりになって。




 翼も戸惑っていた。

自分のことを信頼して無防備な陽子。

本当は直ぐにでも陽子を抱きたかった。
抱き締めたかった。


でも翼は躊躇していた。

中途半端な自分をねたましく感じて……

陽子は子供の頃からの夢。
保育士の道を突き進んでいる。

でも自分は就職先さえ決めかねている。

本当は大学に進学して教師になりたかった。

でも言える訳がなかった。


翼はモヤモヤした気持ちのままで陽子を抱くことを恥だと思い出していた。


ブオーー!!

その時SLの汽笛が鳴り響いた。

二人はびっくりして、窓を開けた。

目の前の線路をSLが通り過ぎる。

二人は思わず顔を見合わせて笑った。


(――良かった!!)

翼はSLに救われたと思った。

でも陽子はちょっぴり残念そうだった。


(――うーん。
SLのイケズ)

今短大では、方言ゴッコが流行っている。


(――うん。
今の私の気持ちにピッタンコ)

翼を見つめながら、陽子は照れくさそうに笑った。




 再び電車に乗った二人は秩父駅で降りて、秩父神社へ向かった。

秩父駅から秩父神社へと通じる道に溢れんばかりの人、人、人の波。


翼と陽子はその波にハマって身動きが取れない。

陽子ははぐれないように、翼の体にしがみ付く。

陽子の髪からシャンプーの良い香りが漂う。


実は……
陽子は本当は翼に抱いてほしかったのだ。
だからこっそりシャワーを浴びていたのだった。


翼は全身を震えさせながら、陽子の自分に対する愛に報いる術を探し始めていた。


(――ああ、このままでいたい!)

でも、翼は陽子との一時に酔った。

身動き取れない人ごみの中で抱き締め合う。
お祭りならではの興奮が、二人により深い絆をもたらせていた。


それでも翼は、陽子の体を抱き締めたまま秩父神社へと必死に誘う。




 やっと抜け出した二人は、秩父神社の御神水へと向かった。

冷たい水で手を清めた後、神殿に向かって柏手を打った。

陽子は翼を、神殿の真っ正面にある北辰の梟へと案内した。


「翼、大学はどうするの?」

突然の陽子の言葉に翼は戸惑った。


「行ける訳がない」
翼が辛そうに言う。

陽子は翼を暖かく見つめながら、大学進学の道を模索始めていた。
翼が勉強熱心なのは、母親を喜ばせるためだと勝から聞いていた。

でも喜んで貰えない悔しさをひた隠しにしていると忍からも聞かされていた。




 陽子は北辰の梟に手を合わせながら、自分が働いて翼を支えようと思い初めていた。


陽子はトイレに行くフリをして、北辰の梟の絵馬を買った。

《翼。東大合格》
そう書き込んだ。




 秩父神社の鳥居から御花畑駅に通じる馬場通りは、ごった返していた。

二人は比較的流れている、線路伝いに御花畑駅を目指した。

談合坂の脇に備え付けられた椅子には、大勢の人が座っていた。

これから此処で秩父夜祭り最大のメイン、山車屋台の引き登りが始まろうとしていた。




 何時か二人で行った羊山公園。

其処に仕掛けられた花火が始まる。

その途端に体がぶれる。二人は抱き締め合った。

そうでもしない限り、引き離される可能性もあった。

二人は堂々と、恋人同士としての特権を行使した。

体が左右に揺れ、体ごと何処かに持って行かれる。


翼と陽子は離れまいとして必死だった。


秩父夜祭りの夜を満喫しようと、大勢の人々がこのイベントに酔っていた。




 山車の集結した会場から抜け出すことは、来る時以上の苦労だった。

とてもじゃないけど、二人の乗り合わせた御花畑駅など行けるはずがなかった。


でも、それどころではなかった。
聞こえて来た話によると、お花畑駅発上り電車は七時十三分以降無いとのことだった。


祭りの山車の談合坂上がりのために、架線を切り離したからだと言う。

従ってこの日は終夜秩父駅発となる。
その秩父駅でも、下り電車は七時三十六分以降十時四十二分までは運休した後発車するとのことだった。


お花畑駅から大分離れた場所に影森駅がある。
其処からなら二十時二十六分・二十一時十ー分・二十一時五十五分に三峰口駅行きが出る。

それ以外、陽子の住む武州中川に止まる電車は無かったのだった。




 だから二人は国道に出て西武秩父駅を目指した。

又一駅旅行。

西武秩父線・横瀬駅。

二人は何時かのデートのように、夜道を楽しみながら堀内家を目指した。



陽子を送り届けた翼は、国道を歩いて帰えることにして堀内家を後にした。


陽子は翼を見送りながら、抱き締めたくて仕方ない自分を抑えていた。


愛された記憶のない翼。

愛し方も知らない翼。

デート度に舞い上がる翼。

手が触れただけで全身に稲妻が走ったような衝撃を受ける翼。

ちょっと笑っただけで、棒立ちになる翼。

陽子はそんな翼が大好きだった。

可愛くて可愛くて仕方なかった。

全部が翼だった。
全部が全力て守ってあげたい翼だった。


純子と忍夫婦の前でも、陽子は思い出す度に笑った。

姉の純子はそんな陽子を暖かく見つめていた。


陽子は短大二年生で、卒業後は保育士になることが決まっていた。


「後は翼君の両親だけね」
純子が陽子に耳打ちをする。
陽子は恥ずかしそうに頷いた。




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