上 下
14 / 20
― 2章 黄金の秘密 ―

第14話 初めての対話

しおりを挟む
 しだいに日の伸びた春の宵。

 いつもどおり一人きりの夕食を済ませてアリアが二階にあがると、昨日と同じようにセレスティーネが佇んでいた。

「……こんにちは、お姉さま」

 アリアはほほえみを向けながらも、すばやく距離を取った。

 昨日リクハルトに殴られた腹部はこぶしの形にアザとなってしまい、大笑いするたびに痛んでいる。

 セレスティーネはハッと息を呑むと、傷ついたように瞳を揺らした。

「ひどい……! まるで、わたくしがいじめたようにふるまうのね……!」

「え?」

「やっぱりあなたと仲良くするなんて無理だわ。どうせそうやって怯えた素振りを見せて、みんなにわたくしの悪評をまいて同情を乞うのでしょう?」

「なっ、なんのお話ですか?」

 やはり今日も言っていることがさっぱりわからない。

 自分は何もしていないような口ぶりだが、昨日何をやらかしたか忘れたのだろうか?

 『やっぱり仲良くできない』も何も、一度だって仲良くしようとしたことがあったと言うのか?

 怪訝な顔をした妹に、セレスティーネは何を話しても意味がないとばかりに首を振って、悲しげにうつむいた。

「どんな悪女でも、真心を込めてお願いすれば聞いてくれるかもだなんて、わたくしが純粋すぎたのね。でも、仕方なかったの。あなたのように身勝手な人間がいるなんて、頭でわかっていても信じられなかったんだもの……」

「……」

 解説を求めて傍らのリクハルトに目線を送ったが、セレスティーネの忠実な侍従は整った顔を気まずげに固めて、アリアとはかたくなに目を合わそうとしなかった。

(いや、自分のご主人がなんかやばいのは自覚あるんかい……)

 もしかすると、姉は当初の想定をはるかに超えて話の通じない人かもしれない。

 そんなことはないと思いたいが、今後の自分の行動指針を考えるにあたって、どの程度会話ができるかはハッキリさせておかねばならず、アリアは「えーっと……」と切り出した。

「昨日、ご自分の侍従にわたしを殴らせて納屋に閉じ込めたことは、お姉さまの中でどういう解釈になっているんですか? あれが真心を込めてお願いしたって……本気で? いじめたとふつうに言って差し支えないかと思うんですが……」

「なっ、殴らせて閉じ込めただなんて……! やっぱり……やっぱり思ったとおりだわ!」

 氷色の瞳は怯えるように見開かれ、胸元で手を組んで後ずさった。

 すかさずリクハルトが庇い立ち、険しい目をアリアに向ける。

 侍従の後ろで震えるその様子だけ見れば、思わず守りたくなってしまうような、無垢でいたいけな美少女である。

「わ、わたくしがどれだけ怖かったと思うの? 将来、わたくしの婚約者を奪った上に、見に覚えのない罪を着せてくる相手と交渉するなんて……! でも、それでもみんなのためにがんばったのよ。あなたにみんなの運命をめちゃくちゃにされるわけにはいかないから……! 殴って閉じ込められたなんて責めるけれど、あなたが話を聞いてくれなかったからじゃない! わたくしだってあんなこと、したくなかったわ!」

 涙をいっぱいに貯めて、切々と語る表情を向けられてしまうと、なぜかこちらが悪いことをしているような錯覚までしてくる。

 リクハルトはセレスティーネの肩を抱き、「ご心痛をお察ししろ」とアリアに言ってのけた。

「お前が向けられている注目は、元はセレスさまのものだ。我が物顔で歩き回っているお屋敷も、当然のようにこき使っているメイドも、全部セレスさまのためのもの。とつぜん血の繋がりもない厚かましい女にすべて奪われ、それでも耐えなければならないお立場になってみろ」

「……」

 勝手な言いように、アリアは片眉を釣り上げた。

 まずメイドはこき使っていない。

 注目されているのはまあそうだろうが、なにせ大貴族に引き取られたばかりの孤児。誰だって気になるだろうし、人の目が少ないほうがまずいはずだ。

 たしかに邸内をウロウロ歩き回ってはいるが、我が物顔かどうかなんて個人の見解である。

 引き取られたのはアリアの意思でもないのに、養子は部屋に閉じこもって、下賤の血らしく卑屈でいろと言いたいのか?

(というかこの言いようだと『だからちょっと頭のおかしいことを言っても大目に見ろ』って言ってるも同然なんだけど、この人自覚あるのかしら?)

 セレスティーネは目元を袖口でそっと拭い、「ありがとう、リク。あなたはいつもわたくしの味方ね」とほほえんだ。

 アリアが姉の笑みを見たのは、これが初めてであった。

 長いまつげが涙に濡れ、頬を水晶が零れ落ちて、まるで聖女と見紛うような清純さ。

 だが、背筋をうすら寒いものが走った気がして、かすかに身震いした。

 ちなみにリクハルトもはにかんだように口元を緩めたが、それはどうでもよかった。

 アリアは世渡りが上手い。

 何を言えば相手がよろこび、何をすれば癒やされるのか、これまでそこそこの精度で当ててきた。

 下町での母親フォロー生活ハードワークで培った経験ではあるが、そもそもそれができるのは、誰もがなにか一つはアリアと共通して持つ認識があるからだ。

 何も人生観やら理想やらといった大きなものでなくとも、単なる現実に対する理解でも良い。

 なにか一つでも自分と同じものを持っていれば、それを基点としてアリアは近づくことができた。

 だがその一つを掴むには、言葉を交わすしかない。

 生まれ持つ要素が違うほど、自分との距離が遠いほど、何度も交差させるしかない。

 セレスティーネと相対していまだ、アリアは彼女に近づくためのよすがを、何一つ見つけられていなかった。

「……わたしがお姉さまの婚約者を奪って断罪するというのも、『シナリオ』というものなのですか?」

 妹の問いかけに、セレスティーネが顔を上げた。

 初めて目があった。

 澄んだ氷のような、いつも遠くを見ているうつろな瞳。

 だが今だけは冷たい侮蔑と憎しみをこめて、アリアを映し込んでいた。

「そう。ここは、選択肢は数あれど大まかなイベントは決まっている世界。あなたは主人公で、いろんな美男子イケメンと恋愛し、それが国の未来を左右するのよ」

「イ、イケメン……!? 恋愛!?」

 予想だにしないふざけた単語が飛び出てきて、思わず大声でオウム返ししてしまった。

(と、とんでもないことを言い出したわお姉さま……。どこでどんな物語を読めば、そんな発想が出てくるの? ……いや! これは貴重な機会。ビビっている場合じゃないわ、なるべく多くのことを聞き出さないと)

 内心は動揺しまくっていたが、咳払いをして自分を落ち着かせる。

「そ、そうでしたか。わたしが手を出す男の中にお姉さまの婚約者がいると。……ちなみに誰です?」

「テセウスさまよ」

 念のため名前を聞いてみたが、知らない人である。実在するのかも不明だ。

「まだ婚約はしていないけど、そのうちすることになるの。……結局、あなたに略奪されてしまうのだけれど」

 物憂げにため息をつく様子を見て、リクハルトをチラッと伺ってみたが、特に何の動揺も浮かんでいない。

(明らかにお姉さまに惚れてるこいつがこの反応ってことは、初耳じゃないのね……)

「わたくしから婚約者を奪い、それにも飽き足らずいろんなイケメンを侍らせて、気に入らない女には罪を着せて社会的に抹殺する。それがあなた、アリア・プランケットの本性。だからわたくしが、あなたの悪事を食い止めるの」

「ほげ……」

 果敢に睨まれても、アリアはなんとも言えない声を出すことしかできなかった。

(気に入らない人に濡れ衣を着せて抹殺するって……わたし、そこらへんの孤児なんだけど? い、いったいどうやって?)

 姉の頭もこの国自体も不安である。

 テセウスさまとやらがアリアを好きになるのか。

 ユスティフが孤児の色恋沙汰ごときでどうにかなるのか。

 それらはしょせん人様のことなので、アリアには預かり知らぬところである。

 だが自分のことならば、少なくともやらないだろうことは確約しておきたかった。

「お姉さま、前にも言ったでしょう? わたしはお姉さまのものを取ったりしません。まして、犯してもいない罪を着せて断罪するなんて、絶対にしません」

 怯えさせないように優しい声で、しかし断固として言い切ると、氷色の瞳と薔薇色の瞳がつかのま交わった。

 だがすぐにセレスティーネの視線は外されて、ツンと顔を背けてしまった。

 彼女はいつも悲しげで、どこか遠くを見てばかりいる。

「嘘つき。わたくしは知っているの。純粋そうな笑顔の裏で、自分が人から愛されることしか考えていないのよ。あなたなんていない方がいいんだわ。わたくしの……いえ。みんなの敵なのだから」

 セレスティーネはアリアの返事を待たずに鋭く踵を返し、リクハルトをつれて自室へ去ってしまった。

 アリアはその場で立ち尽くしていたが、しばし考えてから足音を立てぬようにセレスティーネの自室にそっと近づいた。

 無論、盗み聞きのためである。

(あ゛ー……つっかれた。三日分くらいの生命力を取られたわ。もう真正面から話そうとするのはやめよう)

 厚いドアの向こうでの抑えた会話であっても、アリアの耳は聞こうと思えば聞けてしまう。

「……本当によろしいのですか、セレスさま」

「なんのこと?」

 セレスの声色は、さっきと打って変わって甘く優しくなっている。

 アリアや両親に対する塩対応とは大違いである。

「あの女をお嫌いなのはよくわかります。あんな厚かましい女……! 目障りなのは当たり前のことです。ですが……このままでは、セレスさまの評判に影響が出るのではないかと」

「リクったら、心配性なんだから。……ふふ。妹の策略のせいで家族から虐げられていた女の子なんて、どう見てもそっちがヒロインじゃない。好きなだけ調子に乗ってもらいましょう。そうしたら今に本性が出てくるわ」

(いや、策略をした覚えはない……!)

 セレスティーネが両親とも家事使用人とも距離があるのは、おそらくアリアが来る前からのはずだ。

「本当の悪女はヒロインで、本当のヒロインは悪役令嬢なんだって言ったでしょ? 最後に報いを受けるのはあの女のほうよ。わたくしはこれから起こることを知っているの。だって前世で読んだもの」

「そう、ですね……」

 端切れの悪い返答に、「もう。今日はどうしたの?」とセレスティーネが甘く問いかけて、衣擦れの音がした。

 リクハルトがハッと息を呑んだのがわかった。

(え!? ひょっとして、なんかいい雰囲気になってるの!?)

 だとしたらこれ以上は盗み聞きするべきではない。……ちょっと気になるが。

 アリアは今しがた耳にした情報を反芻しながら、来た時と同じようにそっとその場を離れた。

 ――ここは、選択肢は数あれど大まかなイベントは決まっている世界。

 ――わたくしはこれから起こることを知っているの。だって前世で読んだもの。

「……つまり、お姉さまにとってここは前世で読んだ物語の世界ってこと……?」

 前世が本当にあるのかはもちろん知らないし、この世界が物語の中だとは到底思わない。

 だが、セレスティーネがなぜあんなに確信を持ってアリアを拒絶するのか、理由の一端が垣間見えた。そして、こちらにはできることが特にないことも。

「お手上げー」

 アリアはベッドにひっくり返り、ジャクリーヌ先生がくれたくまのぬいぐるみを抱きしめた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話

島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。 俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

前世で医学生だった私が、転生したら殺される直前でした。絶対に生きてみんなで幸せになります

mica
ファンタジー
ローヌ王国で、シャーロットは、幼馴染のアーサーと婚約間近で幸せな日々を送っていた。婚約式を行うために王都に向かう途中で、土砂崩れにあって、頭を強くぶつけてしまう。その時に、なんと、自分が転生しており、前世では、日本で医学生をしていたことを思い出す。そして、土砂崩れは、実は、事故ではなく、一家を皆殺しにしようとした叔父が仕組んだことであった。 殺されそうになるシャーロットは弟と河に飛び込む… 前世では、私は島の出身で泳ぎだって得意だった。絶対に生きて弟を守る! 弟ともに平民に身をやつし過ごすシャーロットは、前世の知識を使って周囲 から信頼を得ていく。一方、アーサーは、亡くなったシャーロットが忘れられないまま騎士として過ごして行く。 そんな二人が、ある日出会い…. 小説家になろう様にも投稿しております。アルファポリス様先行です。

(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!

青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。 すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。 「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」 「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」 なぜ、お姉様の名前がでてくるの? なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。 ※タグの追加や変更あるかもしれません。 ※因果応報的ざまぁのはず。 ※作者独自の世界のゆるふわ設定。 ※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。 ※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。

原作から剥離してるんですが!(9/17更新)

狂言巡
ファンタジー
 とある女子高生は下校中、通学バスが事故にあった衝撃により、異世界トリップしてしまった。世界観は昔書いたファンタジー小説そっくりなのに……冷酷非情の魔王が優しい? 主人公の勇者は王子様? 男装騎士は女嫌い? ……私、そんなキャラ設定で書いた覚えはないです!

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

あ、出ていって差し上げましょうか?許可してくださるなら喜んで出ていきますわ!

リーゼロッタ
ファンタジー
生まれてすぐ、国からの命令で神殿へ取られ十二年間。 聖女として真面目に働いてきたけれど、ある日婚約者でありこの国の王子は爆弾発言をする。 「お前は本当の聖女ではなかった!笑わないお前など、聖女足り得ない!本来の聖女は、このマルセリナだ。」 裏方の聖女としてそこから三年間働いたけれど、また王子はこう言う。 「この度の大火、それから天変地異は、お前がマルセリナの祈りを邪魔したせいだ!出ていけ!二度と帰ってくるな!」 あ、そうですか?許可が降りましたわ!やった! 、、、ただし責任は取っていただきますわよ? ◆◇◆◇◆◇ 誤字・脱字等のご指摘・感想・お気に入り・しおり等をくださると、作者が喜びます。 100話以内で終わらせる予定ですが、分かりません。あくまで予定です。 更新は、夕方から夜、もしくは朝七時ごろが多いと思います。割と忙しいので。 また、更新は亀ではなくカタツムリレベルのトロさですので、ご承知おきください。 更新停止なども長期の期間に渡ってあることもありますが、お許しください。

悪役令嬢には、まだ早い!!

皐月うしこ
ファンタジー
【完結】四人の攻略対象により、悲運な未来を辿る予定の悪役令嬢が生きる世界。乙女ゲーム『エリスクローズ』の世界に転生したのは、まさかのオタクなヤクザだった!? 「繁栄の血族」と称された由緒あるマトラコフ伯爵家。魔女エリスが魔法を授けてから1952年。魔法は「パク」と呼ばれる鉱石を介して生活に根付き、飛躍的に文化や文明を発展させてきた。これは、そんな異世界で、オタクなヤクザではなく、数奇な人生を送る羽目になるひとりの少女の物語である。 ※小説家になろう様でも同時連載中

処理中です...