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修学旅行、2日目
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抜けるような秋晴れの空。
降り注ぐ日の光のおかげで幾分かマシに感じるが、それでも気温は低く時折吹く風の冷たさに身を縮める。
冷えないようにとアウターの襟元をぎゅっと抑えてると、生徒の点呼を確認し終えた三戸先生が「よーし」と手元のクリップボードをこつんと叩いた。
「今日は皆のお楽しみ自由行動だ。しおりの禁止事項に乗ってる事はしない事、体調不良や、なにかトラブルがあったら俺らのスマホにかける事。一応あちこち先生も回ってるから、近くにいたら直接声かけてもいいからなー」
三戸先生のその号令に、各班のリーダーが三戸先生の側で待機していた俺の元へとやってきた。
事前に決めていた班ごとにひとつづつ緊急連絡先の入ったスマホと、写真撮影用のカメラを手渡していく。受け取ったグループからきゃいきゃいはしゃぎ出発していくのを、俺は眠気で死にかけながら見ていた。
(……ね、眠すぎる)
風呂に入った後は主任の部屋で最後のミーティング。完全に仕事が終わったのは日付が変わる頃で、それから身支度とか色々していたらどんどん遅くなっていって。結局寝たのは日付が変わってだいぶ経ってからだった。
修学旅行の引率は体力勝負だと聞いていた。寝る時間は短いし、長時間労働だし気を抜けないし。これでまだ1日目だなんて……。体力は自信ある方だから大丈夫と高をくくっていたけれど、正直ちょっと舐めてたかもしれない。
気を抜いたら霞がかかったようにぼんやりしてしまう頭を切り替えるよう、両手で頬を叩く。乾いた音と小さな痛みが幾分か気分を切り替えてくれたような気がした。
「津木?どうした眠いのか?」
「逆にどうして眠くないんですか?三戸先生、たぶん俺より遅くまで起きてましたよね?」
「あーまあ慣れというか。毎年恒例だからな。流石に慣れるわ」
「毎年……」
この多忙さに慣れる程のベテラン教師である三戸先生と、新任ほやほやの何もできない俺。現に今の点呼だって俺がすべきだったのに、あまりにもぼんやりしてるからと先生が変わってくれた。「気にすんな」と言ってはくれたけど、やっぱり仕事も出来ずカバーばかりされるのは申し訳ない。俺ももっと頑張らないと。
気合を淹れ直した所であたりを見渡してみると、生徒のほとんどはもう出発したようだった。少し離れた所で他のクラスの先生方も、荷物をまとめて移動し始めているのが見える。
「さてと。徒全員出発したし、俺らも移動するか」
「はい。そういえばこの自由時間の巡回って、特にルート指定なさそうですけど皆さんどうするんですか?」
「んぁ?ああ、適当」
「適当!?そんなんでいいんですか?」
「いざとなれば生徒に渡したスマホにGPSがついてるし、完全ルート化しちゃうと絶対見れない場所が確定しちゃうだろ。そういうのを避ける意味もあるんだよ」
「なるほど」
「ちなみに津木先生はどっか行きたいところあるか?」
「……え?」
「え、そんな変な事言ったか俺」
「いや、もしかして三戸先生一緒に回ってくれるんですか?」
巡回は1人で回るんだとばかり思っていた。
巡回の目は多い方がいいし分担した方が効率的だから、てっきり今日もそういう風に回るんだとばかり。
そう言うと、俺の話を聞いてた三戸先生は呆れたように目を細める。
「学年レクの時も思ったんだけど、津木はなんでそう1人でいようとするんだよ」
「別に1人でいようとしてるわけじゃありませんよ」
「せっかくの自由行動だぞ?1人なんて寂しいじゃんか」
「寂しいって……」
いい歳して何言ってんですかと零す。
吹き出した三戸先生が「言うようになったな」と晴れやかな顔で小突いてきた。
◇
「俺達、付き合うのはもうちょっと先にしないか」
そう告げられたのはあの告白劇の後、二人の部屋に戻り改めて話をした時の事だった。
部屋で改めて話をするとなった時、てっきり俺は付き合う事について話を進めるんだとばかり思っていた。俺のミスで露呈したとはいえ、結果的に両想いなんだと知れたんだ。その先の未来の話をするんだと思ってたのに。どことなく硬い三戸先生の声に、暖かいものでいっぱいだった俺の胸の温度がスッ……と下がる。
「それは受け入れるのに時間が……とかそういう問題ですか?」
「なんでそうなんだよ。俺も好きだってちゃんと話したろ」
「じゃあ、どうしてです?」
「今俺らは2人で一緒のクラスを受け持ってるよな」
恋人として付き合ったら、いい事も多いけど、やっぱり嫌な事とかすれ違いとかも絶対出てくると思うんだ。そうなった時、仕事中にその雰囲気が漏れたり、仕事自体をやりづらくなるなんて事は絶対避けたい。
俺はな、津木先生の教育担当でもあるんだ。
津木先生が新任1年目の任期をしっかり勤め上げられるよう精一杯補助したいって気持ちもある。
もし付き合う事で、俺がその大切な一年を邪魔する事になったらきっと自分が許せないと思うんだ。
「教師生活1年目ってのは二度とこないし、やっぱりどこか特別なんだよ」
射抜くような瞳に思わず息を呑む。
真っ直ぐに俺を見つめる瞳が真夏の向日葵を思わせて、こんな場だというのに思わず見惚れてしまう。ぼんやりした俺を心配したのか小さく呼びかける声で、俺は慌てて口を開いた。
「はい」
「だから俺はその特別をしっかり支え切りたいと思ってる」
……ああ、俺はなんて幸せ者なんだろう。
ずっとずっと憧れて目標にしてきた先生が、俺の教師としての成長をこんなに真剣に考えてくれている。
もう一度会えるだけで、それだけで…と思って探してきてた数年前の俺にこの事を伝えてもきっと信じてもらえないだろう。
あの気持ちを自覚した日から、俺は三戸先生を恋愛的な意味で好きになった。けれどそれ以上に、俺は『教師としての三戸碧海』が大好きなんだ。
生徒の気持ちに寄り添って、ベテランと言われる年になっても隠れた努力を惜しまなくて、後輩のためにこうも心を砕いてくれる。そんな先生が、俺の教員生活をしっかりサポートしたいからなんて言ってくれるのだ。これに答えないわけないだろう。
イレギュラーとはいえ告白を受け入れてもらえたと浮ついていた心に、その感情とは別のじんわり温かなものが広がった。
「三戸先生の気持ちは分かりました。ありがとうございます、そんなに考えてくれて」
「いや、……俺のわがままに付き合わせて悪いな」
「先生のわがままじゃなくて、2人の考えですよ。俺らの事なんですから」
ちょっとむくれて告げるとそれは嬉しそうに口元を綻ばせる。
伸びてきた手が俺の後頭部に触れるとそのまま髪の感触を確かめるように撫でてきて、くすぐったさに思わず首をすくめた。
「ふふっ、付き合うのは保留なのに、この触れ合いはセーフなんですか?」
「今日はセーフ。あ、あといきなりよそよそしくなると怪しまれるから、今まで通り構いには行くからな!」
「あははは!なんですかそれ!」
「考えてみたら、俺らは普段からだいぶ仲良かったからちょっとやそっとじゃバレない気がする」
「……言われてみたらそうですね」
(……夢見たいだ)
ずっとずっと憧れて大好きだった三戸先生とこうして気持ちを同じくして笑い合えるなんて。なにより俺の教師としての未来を一番に考えてくれたと言うのが嬉しい。なんならちょっと泣きそうだ。
ちょっと手を伸ばしたら触れられる場所にいる憧れの人。
文化祭のあの日は払ってしまった手。それを今はこうして何も耐えることなく享受できる。
嬉しくて思わず零れる笑みを誤魔化すように、俺は「くすぐったいです」と顔を綻ばせた。
◇
「……津木、津木先生?」
「っえ!あ、はい!」
「大丈夫か?めちゃくちゃぼーっとしてたけど。眠い?」
「あ、いや違うんです!大丈夫です」
(しまった、ぼーっとしてた)
眠いのかと不安そうな三戸先生に慌てて首を振る。
眠いのは確かにあるけど、まさか昨日の夜のことを思い出してました、なんて恥ずかしくて言えない。
俺と三戸先生がやってきたのは名所の中でもかなり有名なお寺。立派な本殿と、それを飾り立てるように整えられた美しい景観。余りの美しさに思わず「うわぁ」とため息が漏れたほど。これは確かに観光客も大勢訪れるわけだ。
散策と参拝を終えた所でちょっとだけ買い物をしたいと提案したのは俺だった。
来る前にちょっとだけ調べたら、気になるものがあったからだ。
購入するための列に並びながら、俺はこっそり周囲に視線を這わせる。
(……これだけ人が多いと分かんないかな)
列だけでなく境内にはごちゃごちゃと形容していいくらい人が溢れていた。あちらこちらに修学旅行生らしき学生が居るが、うちの生徒が居るかまではパッと見よく分からない。
そうしてキョロキョロ周囲を見渡してる間に順番がきたらしい。穏やかな笑みを浮かべた巫女さんに促され、お守りの並んだ売り場を眺める。たしか……。
「すみません、これとこれを2つづつ貰えますか?」
「はい。袋は一緒で宜しいですか?」
「大丈夫です」
数秒の間の後小ぶりな和紙の袋に入ったお守りがそっと手渡される。カサ、と小さく鳴る紙の音とその中で鳴るもう1つの音に、俺の買い物を見守っていた三戸先生が興味深そうに覗き込んできた。
「2個づつ?家族にお土産か?」
「それは別で買います。はい、これ」
「え?」
そっと三戸先生の手を取ると、その大きな手のひらに先ほど買ったお守りを一対乗せる。不思議そうに自分の手を眺める姿に「これは分かってないな?」と手の中のお守りをちょんとつつく。
「三戸先生にあげます」
「は?……もしかして俺用にひと組買ってくれたのか?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
修学旅行の観光中に買ったお守り。
これくらいなら同じものを付けていたってそこまで疑われる事はない。しかも一緒に回っていたのだから被っていても普通だし。
正直付き合ってる訳でもないのにこれはダメかなとも思った。
けど、三戸先生が言うように今年は俺の記念すべき1年目の年だ。その年の修学旅行でこうして三戸先生と2人で回ったんだという、なにか証が欲しくて……。
「俺からの感謝の気持ちって名目で今日は許してください。同じ思い出の品を持ちたかったっていうわがままです」
「……は、ははっ。こんな可愛いわがままがあるかよ」
「なんかに付けてくれたら嬉しいです 」
「付けるに決まってんだろ。何に付けるかな」
「俺は鞄に付けようかな」
「おっ、じゃあ俺もそうしよ」
「そこまで真似したら流石にバレますよ」
「別に普通だし大丈夫だろ」
とりあえず……と呟いた三戸先生は、背負っているリュックの片腕を外し、ぐるりとお腹側に持ち直す。
チャックのつまみ部分にひもを通して結ぶと、小ぶりのお守りと、小さな鈴型をした桜鈴がチリン、と音を立てて揺れた。
「どう?いい感じ?」
「良い感じですね。俺もつけよっと」
「俺がつけてやるよ。お守り貸して」
お守りを手から抜き取るとくるりと俺の背後へ回る。
ごそごそと脇腹の辺りから感じる振動と三戸先生の気配。思わずリュックの肩紐をぎゅっと握って「なんかすみません」と呟くと、楽しそうに弾んだ声色で「なんかこういうのいいな」と聞こえてきた。
「一緒に回って、お守り買って。どこに付ける付けないって意味もない雑談したりさ」
「そうですね」
「津木といると、慣れたと思った事が新鮮な気持ちで感じれたり、何でもないと思ってた事が楽しいと思えたりして凄いいつも楽しいんだよ。ありがとうな」
……そんな、そんなのこっちのセリフだ。
三戸先生といるといつも俺の中の何かが作り替わっていく感じがする。
凝り固まった価値観とか、考え方とか、力の抜き方とか。
今の俺を作っているのは、隣で笑ってくれてる三戸先生のおかげだ。
……そう伝えたいけど、うまく言葉にできないから。
だからせめて感謝してるって気持ちは伝えたくて、俺はそっと手を後ろに回すとお守りをつけている三戸先生の手首をそっと掴む。冷えた指に先生の体温がじんわりと心地いい。
「……津木?どした?」
「俺もっと頑張ります。頑張って一人前の先生になって三戸先生自慢の後輩になって見せますから」
「ははは、そりゃ楽しみだな!」
「だからそれまで俺の側にちゃんといてくださいね」
……言ってしまった。
そっと振り返り視線を向けると目を丸くした先生と視線が絡み合う。
綺麗に色づいた紅葉の赤を背景に俺を見つめる先生。
パチパチ、と瞬きをしたかと思うと黄色の瞳を蜂蜜を溶かしたようにとろりと緩ませて、それは嬉しそうにほほ笑んだ。
降り注ぐ日の光のおかげで幾分かマシに感じるが、それでも気温は低く時折吹く風の冷たさに身を縮める。
冷えないようにとアウターの襟元をぎゅっと抑えてると、生徒の点呼を確認し終えた三戸先生が「よーし」と手元のクリップボードをこつんと叩いた。
「今日は皆のお楽しみ自由行動だ。しおりの禁止事項に乗ってる事はしない事、体調不良や、なにかトラブルがあったら俺らのスマホにかける事。一応あちこち先生も回ってるから、近くにいたら直接声かけてもいいからなー」
三戸先生のその号令に、各班のリーダーが三戸先生の側で待機していた俺の元へとやってきた。
事前に決めていた班ごとにひとつづつ緊急連絡先の入ったスマホと、写真撮影用のカメラを手渡していく。受け取ったグループからきゃいきゃいはしゃぎ出発していくのを、俺は眠気で死にかけながら見ていた。
(……ね、眠すぎる)
風呂に入った後は主任の部屋で最後のミーティング。完全に仕事が終わったのは日付が変わる頃で、それから身支度とか色々していたらどんどん遅くなっていって。結局寝たのは日付が変わってだいぶ経ってからだった。
修学旅行の引率は体力勝負だと聞いていた。寝る時間は短いし、長時間労働だし気を抜けないし。これでまだ1日目だなんて……。体力は自信ある方だから大丈夫と高をくくっていたけれど、正直ちょっと舐めてたかもしれない。
気を抜いたら霞がかかったようにぼんやりしてしまう頭を切り替えるよう、両手で頬を叩く。乾いた音と小さな痛みが幾分か気分を切り替えてくれたような気がした。
「津木?どうした眠いのか?」
「逆にどうして眠くないんですか?三戸先生、たぶん俺より遅くまで起きてましたよね?」
「あーまあ慣れというか。毎年恒例だからな。流石に慣れるわ」
「毎年……」
この多忙さに慣れる程のベテラン教師である三戸先生と、新任ほやほやの何もできない俺。現に今の点呼だって俺がすべきだったのに、あまりにもぼんやりしてるからと先生が変わってくれた。「気にすんな」と言ってはくれたけど、やっぱり仕事も出来ずカバーばかりされるのは申し訳ない。俺ももっと頑張らないと。
気合を淹れ直した所であたりを見渡してみると、生徒のほとんどはもう出発したようだった。少し離れた所で他のクラスの先生方も、荷物をまとめて移動し始めているのが見える。
「さてと。徒全員出発したし、俺らも移動するか」
「はい。そういえばこの自由時間の巡回って、特にルート指定なさそうですけど皆さんどうするんですか?」
「んぁ?ああ、適当」
「適当!?そんなんでいいんですか?」
「いざとなれば生徒に渡したスマホにGPSがついてるし、完全ルート化しちゃうと絶対見れない場所が確定しちゃうだろ。そういうのを避ける意味もあるんだよ」
「なるほど」
「ちなみに津木先生はどっか行きたいところあるか?」
「……え?」
「え、そんな変な事言ったか俺」
「いや、もしかして三戸先生一緒に回ってくれるんですか?」
巡回は1人で回るんだとばかり思っていた。
巡回の目は多い方がいいし分担した方が効率的だから、てっきり今日もそういう風に回るんだとばかり。
そう言うと、俺の話を聞いてた三戸先生は呆れたように目を細める。
「学年レクの時も思ったんだけど、津木はなんでそう1人でいようとするんだよ」
「別に1人でいようとしてるわけじゃありませんよ」
「せっかくの自由行動だぞ?1人なんて寂しいじゃんか」
「寂しいって……」
いい歳して何言ってんですかと零す。
吹き出した三戸先生が「言うようになったな」と晴れやかな顔で小突いてきた。
◇
「俺達、付き合うのはもうちょっと先にしないか」
そう告げられたのはあの告白劇の後、二人の部屋に戻り改めて話をした時の事だった。
部屋で改めて話をするとなった時、てっきり俺は付き合う事について話を進めるんだとばかり思っていた。俺のミスで露呈したとはいえ、結果的に両想いなんだと知れたんだ。その先の未来の話をするんだと思ってたのに。どことなく硬い三戸先生の声に、暖かいものでいっぱいだった俺の胸の温度がスッ……と下がる。
「それは受け入れるのに時間が……とかそういう問題ですか?」
「なんでそうなんだよ。俺も好きだってちゃんと話したろ」
「じゃあ、どうしてです?」
「今俺らは2人で一緒のクラスを受け持ってるよな」
恋人として付き合ったら、いい事も多いけど、やっぱり嫌な事とかすれ違いとかも絶対出てくると思うんだ。そうなった時、仕事中にその雰囲気が漏れたり、仕事自体をやりづらくなるなんて事は絶対避けたい。
俺はな、津木先生の教育担当でもあるんだ。
津木先生が新任1年目の任期をしっかり勤め上げられるよう精一杯補助したいって気持ちもある。
もし付き合う事で、俺がその大切な一年を邪魔する事になったらきっと自分が許せないと思うんだ。
「教師生活1年目ってのは二度とこないし、やっぱりどこか特別なんだよ」
射抜くような瞳に思わず息を呑む。
真っ直ぐに俺を見つめる瞳が真夏の向日葵を思わせて、こんな場だというのに思わず見惚れてしまう。ぼんやりした俺を心配したのか小さく呼びかける声で、俺は慌てて口を開いた。
「はい」
「だから俺はその特別をしっかり支え切りたいと思ってる」
……ああ、俺はなんて幸せ者なんだろう。
ずっとずっと憧れて目標にしてきた先生が、俺の教師としての成長をこんなに真剣に考えてくれている。
もう一度会えるだけで、それだけで…と思って探してきてた数年前の俺にこの事を伝えてもきっと信じてもらえないだろう。
あの気持ちを自覚した日から、俺は三戸先生を恋愛的な意味で好きになった。けれどそれ以上に、俺は『教師としての三戸碧海』が大好きなんだ。
生徒の気持ちに寄り添って、ベテランと言われる年になっても隠れた努力を惜しまなくて、後輩のためにこうも心を砕いてくれる。そんな先生が、俺の教員生活をしっかりサポートしたいからなんて言ってくれるのだ。これに答えないわけないだろう。
イレギュラーとはいえ告白を受け入れてもらえたと浮ついていた心に、その感情とは別のじんわり温かなものが広がった。
「三戸先生の気持ちは分かりました。ありがとうございます、そんなに考えてくれて」
「いや、……俺のわがままに付き合わせて悪いな」
「先生のわがままじゃなくて、2人の考えですよ。俺らの事なんですから」
ちょっとむくれて告げるとそれは嬉しそうに口元を綻ばせる。
伸びてきた手が俺の後頭部に触れるとそのまま髪の感触を確かめるように撫でてきて、くすぐったさに思わず首をすくめた。
「ふふっ、付き合うのは保留なのに、この触れ合いはセーフなんですか?」
「今日はセーフ。あ、あといきなりよそよそしくなると怪しまれるから、今まで通り構いには行くからな!」
「あははは!なんですかそれ!」
「考えてみたら、俺らは普段からだいぶ仲良かったからちょっとやそっとじゃバレない気がする」
「……言われてみたらそうですね」
(……夢見たいだ)
ずっとずっと憧れて大好きだった三戸先生とこうして気持ちを同じくして笑い合えるなんて。なにより俺の教師としての未来を一番に考えてくれたと言うのが嬉しい。なんならちょっと泣きそうだ。
ちょっと手を伸ばしたら触れられる場所にいる憧れの人。
文化祭のあの日は払ってしまった手。それを今はこうして何も耐えることなく享受できる。
嬉しくて思わず零れる笑みを誤魔化すように、俺は「くすぐったいです」と顔を綻ばせた。
◇
「……津木、津木先生?」
「っえ!あ、はい!」
「大丈夫か?めちゃくちゃぼーっとしてたけど。眠い?」
「あ、いや違うんです!大丈夫です」
(しまった、ぼーっとしてた)
眠いのかと不安そうな三戸先生に慌てて首を振る。
眠いのは確かにあるけど、まさか昨日の夜のことを思い出してました、なんて恥ずかしくて言えない。
俺と三戸先生がやってきたのは名所の中でもかなり有名なお寺。立派な本殿と、それを飾り立てるように整えられた美しい景観。余りの美しさに思わず「うわぁ」とため息が漏れたほど。これは確かに観光客も大勢訪れるわけだ。
散策と参拝を終えた所でちょっとだけ買い物をしたいと提案したのは俺だった。
来る前にちょっとだけ調べたら、気になるものがあったからだ。
購入するための列に並びながら、俺はこっそり周囲に視線を這わせる。
(……これだけ人が多いと分かんないかな)
列だけでなく境内にはごちゃごちゃと形容していいくらい人が溢れていた。あちらこちらに修学旅行生らしき学生が居るが、うちの生徒が居るかまではパッと見よく分からない。
そうしてキョロキョロ周囲を見渡してる間に順番がきたらしい。穏やかな笑みを浮かべた巫女さんに促され、お守りの並んだ売り場を眺める。たしか……。
「すみません、これとこれを2つづつ貰えますか?」
「はい。袋は一緒で宜しいですか?」
「大丈夫です」
数秒の間の後小ぶりな和紙の袋に入ったお守りがそっと手渡される。カサ、と小さく鳴る紙の音とその中で鳴るもう1つの音に、俺の買い物を見守っていた三戸先生が興味深そうに覗き込んできた。
「2個づつ?家族にお土産か?」
「それは別で買います。はい、これ」
「え?」
そっと三戸先生の手を取ると、その大きな手のひらに先ほど買ったお守りを一対乗せる。不思議そうに自分の手を眺める姿に「これは分かってないな?」と手の中のお守りをちょんとつつく。
「三戸先生にあげます」
「は?……もしかして俺用にひと組買ってくれたのか?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
修学旅行の観光中に買ったお守り。
これくらいなら同じものを付けていたってそこまで疑われる事はない。しかも一緒に回っていたのだから被っていても普通だし。
正直付き合ってる訳でもないのにこれはダメかなとも思った。
けど、三戸先生が言うように今年は俺の記念すべき1年目の年だ。その年の修学旅行でこうして三戸先生と2人で回ったんだという、なにか証が欲しくて……。
「俺からの感謝の気持ちって名目で今日は許してください。同じ思い出の品を持ちたかったっていうわがままです」
「……は、ははっ。こんな可愛いわがままがあるかよ」
「なんかに付けてくれたら嬉しいです 」
「付けるに決まってんだろ。何に付けるかな」
「俺は鞄に付けようかな」
「おっ、じゃあ俺もそうしよ」
「そこまで真似したら流石にバレますよ」
「別に普通だし大丈夫だろ」
とりあえず……と呟いた三戸先生は、背負っているリュックの片腕を外し、ぐるりとお腹側に持ち直す。
チャックのつまみ部分にひもを通して結ぶと、小ぶりのお守りと、小さな鈴型をした桜鈴がチリン、と音を立てて揺れた。
「どう?いい感じ?」
「良い感じですね。俺もつけよっと」
「俺がつけてやるよ。お守り貸して」
お守りを手から抜き取るとくるりと俺の背後へ回る。
ごそごそと脇腹の辺りから感じる振動と三戸先生の気配。思わずリュックの肩紐をぎゅっと握って「なんかすみません」と呟くと、楽しそうに弾んだ声色で「なんかこういうのいいな」と聞こえてきた。
「一緒に回って、お守り買って。どこに付ける付けないって意味もない雑談したりさ」
「そうですね」
「津木といると、慣れたと思った事が新鮮な気持ちで感じれたり、何でもないと思ってた事が楽しいと思えたりして凄いいつも楽しいんだよ。ありがとうな」
……そんな、そんなのこっちのセリフだ。
三戸先生といるといつも俺の中の何かが作り替わっていく感じがする。
凝り固まった価値観とか、考え方とか、力の抜き方とか。
今の俺を作っているのは、隣で笑ってくれてる三戸先生のおかげだ。
……そう伝えたいけど、うまく言葉にできないから。
だからせめて感謝してるって気持ちは伝えたくて、俺はそっと手を後ろに回すとお守りをつけている三戸先生の手首をそっと掴む。冷えた指に先生の体温がじんわりと心地いい。
「……津木?どした?」
「俺もっと頑張ります。頑張って一人前の先生になって三戸先生自慢の後輩になって見せますから」
「ははは、そりゃ楽しみだな!」
「だからそれまで俺の側にちゃんといてくださいね」
……言ってしまった。
そっと振り返り視線を向けると目を丸くした先生と視線が絡み合う。
綺麗に色づいた紅葉の赤を背景に俺を見つめる先生。
パチパチ、と瞬きをしたかと思うと黄色の瞳を蜂蜜を溶かしたようにとろりと緩ませて、それは嬉しそうにほほ笑んだ。
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