先生、至急職員室まで。~教育担当になったのは、あこがれ続けた先生でした~

綴乃ゆう

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修学旅行③

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「……よし、これで一通り見たかな?」

最初こそ抜け出して土産物店を見に来てたり、他の部屋の子の所に向かう生徒を指導していたけど、消灯後1時間もするとそれもめっきり無くなった。そろそろ部屋を抜け出すのは止めて、自室で夜更かしする方に切り替えたんだろう。
生徒に指導している間はまだよかった。けれど、こうして誰もいない階段やロビーを巡回していると、嫌でも先ほど三戸先生にしてしまった失礼を思い出して胸が苦しくなってくる。
はぁ……と思わずため息をつくと近くの壁に寄り掛かるようにして視線を落とした。

(部屋……あんまり戻りたくないな)

自分の気持ちを整理できないせいで避けておいて、何もなかったかのように戻るなんてできない。けど謝ったとしたら、何故そうしたのかを説明しないといけない。

「怒ってるかな……」

いや、怒ってるならまだいい。
不快に思われたり表面上何もなかったようにして距離を取られる方がもっと、ずっと耐えられない。
これまでの何か月かで先生とは随分親しくなれたと思う。
傍から見てこの距離感が異常なのはなんとなく気がついているけど、それでも一度許された特別という味を失うのが怖い。
このままなあなあにして誤魔化したとして、三戸先生も取り繕った態度を取ってくるようになったら。そしたら今までみたいに、業務の合間にくだらない雑談をする事も、仕事終わりに食事しに行く事も減って行って……。そうして以前のようなただの教育担当の先輩と、新任教師という枠に戻って行く。……そんなの、きっと、いや絶対に耐えられない。

(……やっぱりちゃんと謝ろう)

今の自分の気持ちもモヤモヤも含めて先生に全部聞いてもらおう。大体いままで俺が三戸先生に嘘を突き通せたことなんてほとんどないんだから、きっとこれもすぐにばれる。それなら最初からきちんと話をしよう。

そうと決まれば部屋に戻って彼に合わないと。時計を見ると時刻は10時25分。あと少しで交代の先生が来るからもうちょっとの辛抱だ。

最後に非常階段の方も見てから上がって行こうかと、エレベーターの前を通り過ぎるとロビーを抜け、ホテルの奥にある非常階段へと向かう。基本エレベーターで移動するが、こっそり抜け出してくる生徒達は見つかるリスクの高いエレベーターではなくこの非常階段を使う事が多いらしい。

のそのそと人気のない階段を1人登っていく。
普段なら何ともないけど1日動き回った身体は流石に疲れていたようで、3階近くにもなると思わずはぁ、と息が上がってきた。

(流石に疲れたな……)

この時間が終われば確か、しばしの自由時間だったはず。
出発前、この自由時間に先生方はお風呂に入ったり、1階のレストランで少し食事を楽しんだり出来るらしいと聞いて楽しみにしてたんだ。さっさと三戸先生に謝ってすっきりして、普通に過ごそう。
方向性が見えたら先ほどまでの憂鬱とした気持ちもいくらかマシになった気がした。せっかく教師になって初めての修学旅行なんだ。学生と同じようにとはいかないにしろ、少しは楽しみたい。
さっきよりいくらかマシになった足取りで階段を上っていく。

「……津木先生?」

そんな事を考えていた時の事だった。
不意に頭上からかけられた声にバッと顔を上げると、踊り場で俺を見下ろす三戸先生と目が合った。なんでここに……と一瞬驚いたけど先生の事だから階段も一緒に見回りしてくれてたのかもしれない。

驚いたけど、これはある意味チャンスかもしれない。
部屋に戻ってからと思ってたけど今此処で会えたんだから謝ってしまおう。どうせ人なんて通らないだろうし。

慌てて駆け寄ると「そんなに急がなくていいのに」と目を丸くするが、そんな事お構いなしにすぐ側に寄る。広くはない踊り場、壁を背に立つようにした三戸先生の目の前まで行くと何故か彼の表情に緊張が走った。

「……あの、津木?」
「先生、さっきはすみませんでした!」
「……は??」
「巡回の前なんか避けるみたいになったというか……いや実際ちょっと避けてたんですけど」
「避けてたのかよ。はっきり言うなぁ」
「けどそれは完全に俺のせいというか三戸先生は悪くないというか……」
「分かったからちょっと落ち着けって」

三戸先生の静止にようやく口を閉じ、自分の状況を理解する。しまったまた俺1人で突っ走ってた。これじゃ、初対面の時とまるっきり一緒じゃないか。
改めて謝罪すると、ふ、と息を漏らすように笑みを零した三戸先生が「それで?」と小さく首を傾げる。え?

「俺を避けてた理由ってのは何だったんだよ」
「あー……えっと……」
「っははは、さっきの勢いどこ行ったんだ!」

どうしよう。改めて説明しようとすると妙に恥ずかしい。
一旦落ち着こう、とそろそろ後退し距離を取る。
けれど完全に取りきる前に何故か俺の両手に三戸先生の手が伸びる。がっしりと掴まれた手はそのまま二人の間、顔の高さに持ち上げられるように固定された。これあれだ、『手を上げろ』のやつ。完全降伏。
壁を背に立っているのは三戸先生で、その目の前に立ちふさがるように立っている自分は、傍からみたら、三戸先生を追い詰めているように見えるだろう。けどこれは完全に逆だ。
ニヤニヤと笑みを零した三戸先生が「それで?」と畳みかけるように問いかける。くそ……自分に非が無いって分かったから完全に面白がってるな。もうこれはさっさと言うしかないと、俺は重い口を開いた。

「あの……三戸先生って好きな方いるんですか?」
「………………は?」
「今日ロビーで『恋愛対象にモテたい』って話してた時、なんか妙に雰囲気が違ったから。もしかしてそういう方いるのかな……って」
「え…………っとそうだな、それはこの話にどう関係してるんだ?」
「あの時三戸先生の表情見て俺なんかすっごい焦って。独り身長いっては聞いてたけど三戸先生に好きな方いるとは考えもしてなかったから……」
「ん。それで?」
「それに気がついた時俺、なんか凄いモヤモヤしたというか。自分でもよく分かんないんです。気持ちの切り替えできなくてそんな中一緒に巡回とかしたら、きっと集中できないと思って無理に距離を取りました。すみませんでした」

一度話始めたらあんなに言語化できなかった気持ちがスルスル出てきた。
三戸先生の相槌は、今も昔も俺の気持ちを引き出す天才だ。どんなに頑なった心でも、先生の発する心地よい低音の「うん」という小さな相槌が解していってくれる。

一通り説明して謝罪すると、それまで小さく相槌を打ってくれていた三戸先生が、何故かいつまでたっても反応しないのに気がついた。
まさか引かれたのか……とそろりと顔を上げる。
そっと顔を上げた俺の目に映ったのは見た事ないくらい耳と目元を赤く染め、口元を隠すように手のひらで覆った先生の姿だった。

「……津木」
「はい」
「お前の……それはさ、限りなく告白に近いものだと、自分で分かってるか??」

一瞬の沈黙。
人気のない階段で2人、馬鹿みたいに目を見合わせた後、俺は自分の発言がどういう風に取られるのかようやく理解して思わずバッと身を翻した。……いや、翻そうとした。実際は両手を掴まれてるから暴れただけだったけど。

「ちょ、暴れるな……津木!」
「ち、違うんです!離してください!」
「離したらお前逃げるだろ」
「逃げます!」
「正直かよ」
「だって、だって違うんです……さっきのは……」

自分の発言を1つ1つ思い返してみる。
『好きな人がいるかもと知って焦り、気持ちの整理が出来なかった』なんてもうほとんど告白の前振りじゃないか。「好きです」と続かないのがおかしいくらいだ。


確かに俺は先日自分の気持ちを自覚したし、この気持ちを受け止めもしたけれど。
まさかこんな形でバラす事になるなんて思ってもみなかった。
三戸先生にとっても青天の霹靂だっただろう。それなのに冷静に話を続けてくれる優しさが、逆に申し訳なさすぎて気を抜いたら泣きそうになる。

助けられた時から憧れて10年近く追いかけてきて、教育担当になって貰えたと初対面で興奮気味に感謝を伝えてきて。
そうしてめちゃくちゃに懐くようになったかと思えば、修学旅行の巡回途中に告白もどきをする後輩だと?控えめに言ってヤバい奴すぎる。

ジタバタと身を捩り抵抗し続ける。
仮にここを誰かに見られたらなんの修羅場かと思うだろう。

「失言については後日謝罪するんで一旦釈放してください……っ!」
「やらかした自覚あるのか。けど釈放は許可できないなぁ」
「後生ですから」
「駄目。まだ俺返事出来てないし」

ぴたっ。その一言で暴れ続けていた津木先生の動きが止まる。まるで電源が落ちたような姿に思わず笑うと、掠れた声で「返事、って」と呟く。そりゃお前このタイミングなら告白に決まってるだろう。
そう告げるとさっきまで落ち着いていた顔色がまたカッと朱に染まる。

(本当、コロコロ変わって飽きないなぁ)

ずっと掴んでいた手の拘束をそっと緩めてみる。
固まったままの津木は逃げる素振りもなく、2本の腕はそのままだらりと力無く垂れていった。
呆けたままの彼の目をじっと見つめると、ようやく理解し始めたのかマリンブルーの瞳が動揺に揺れた。大きな瞳が濡れた膜に覆われウロウロと彷徨うが、それも俺が一言名前を呼ぶとぴた、と動きが止まる。

「よし、1つ1つ確認していくか」
「鬼ですか?」
「解釈違いを防ぐのは大切なんだぞ。特にこういう大事な事ではな」
「……」
「それで?さっきの津木の話は、俺が理解してる通りの解釈で合ってたか?」
「あっ……ってますけど、本当言うつもりじゃなかったというか失言というか……」
「それじゃ俺が返事をしたら、津木は受け入れてくれないってことか?」
「え?」

小さく、それこそ零れるように漏れた声。
何を言われたのか分からないのか目を丸くする津木にそっと手を伸ばすと、少し汗ばんだ頬にするりと手を当てた。

……本当はこんな所で言わないつもりだった。
というよりも元々伝えるつもりなんてなくて、ただすぐ傍でちょっかいかけたり、楽しく過ごせればそれでいいつもりだったのに。

(なのにあんなこと言われちゃあな)

思いつくまま話してるのかちょっと支離滅裂でたどたどしくて。
階段を駆けてきたからなのか、はたまた緊張からなのか、ほんのり桃色に染まる頬で視線を彷徨わせて。
そんな姿で何を言うのかと思えば『好きな人がいるかもしれないと知って動揺した』なんて、そんなの期待しない方が無理だろう。

緊張で冷たくなった指先が、震えないようにぐっと力を込める。
指先から緊張が伝わったのか、ちょっと動揺した声で津木が、ぽつりと俺の名前を呼んだ。
その声に励まされるように小さく息を吐くと、俺は今から伝える言葉が少しでも津木の心に届きますように、と祈りながらふっくらした頬にするりと指を這わせる。

「……津木が好きだ」

言葉にしたらほんの数秒。
自分でも驚くほど真剣な声が出て思わず笑いそうになるが、ぐっとこらえる。ここで笑ってふざけてると思われたらまずい。
なんの反応も返さない津木を不安に思いつつも、ただじっと目を見ていると、ぱち、ぱちと数回瞬きをした直後に彼の頬が見た事もないくらい真っ赤に色づいた。

「……え、え?」
「先に言っておくけど冗談じゃないぞ。正真正銘のマジ告白だ」
「こっ……!ちょっと待ってください。三戸先生俺の事そういう意味で好きだったんですか?」
「それはこっちのセリフなんだけどな。お前憧れだけでくっついてるのかと思ってたんだけど」
「それももちろんあります!けど、最近気がついたというか……」
「へぇ。いつ何がきっかけで気がついたのか知りたいもんだな」
「茶化さないでくださいってば!」
「茶化してないって。お前の反応が気になってちょっかいかけてんの」
「それを茶化してるって言うんでしょうが!」
「っふ、はははは。まったく、真剣に告白してんのに俺らときたら締まらないなぁ」
「……ぷっ、あははは!」

真剣に告白をしたかと思えば、ものの数秒でいつもの雰囲気に逆戻りだ。
場所もこんな夜の階段だしムードも何もあったものじゃない。それでも、それがなんだか俺ららしくて思わず吹き出すと、つられるように津木も肩を震わせた。

しばらく二人して笑い、落ち着いた所で「それで?」と問いかけると、何を期待されてるのか分かったらしい。
成人男性と思えない弱弱しさで俺の胸を押し返す津木。
普段からは考えられない程しおらしくて可愛くて、思わずゴクリと唾を飲んだ。

「その反応だと何を聞かれてるか分かってんな?」
「そっちこそ、その反応だともう分かってんでしょ。いちいち聞かないでくださいよ」
「やだ。津木の言葉で聞きたい」
「……~っだから、おれ、もですって」
「ん?何が?」
「だから、俺もずっと前から先生の事好きだったんですって!」

もはややけくそに近い言い方。それでも彼なりに頑張ってくれたのだし良しとしよう。
これからいくらでも聞くタイミングはあるはずだし、なによりこれ以上ここで青春ラブコメの真似事をしていたら、巡回中の他の先生に見られてしまうかもしれない。

「よしよし。さてお互い気持ちも理解したところでそろそろ戻るか」

よくできました、と頭に手を伸ばす。
文化祭の時はこれが払われたのに、今はおとなしく享受されている。それだけでも、嬉しくて胸が温かくなった。
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