先生、至急職員室まで。~教育担当になったのは、あこがれ続けた先生でした~

綴乃ゆう

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初連絡

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「ありがとうございましたー」

 書店員の声に見送られ、俺は本屋を後にする。
 ふと時計に視線を落とすと、時刻は昼12時を少し過ぎたところだった。

 久しぶりの何も予定のない休み。
 買い物でも行くかとやってきたのは、自宅から車で一時間ほどかかる大型のショッピングモールだ。

(……久しぶりに買い物きたけどやっぱり楽しいな)

 でかい店はそれだけ入っているテナントも大きくて見ごたえがある。普段なら通勤途中の近場で済ませてしまうのだけど、今回はその近場の書店にお目当ての本がなかったのだ。けどこうして来てみるとただ見て回るだけでも楽しくて、足を延ばしてよかった。

(三戸先生おすすめの本も買えたし)

 あの日、先生に授業進行について相談をしてからというもの、三戸先生はたまに自分の使っていた教材や参考になった資料なんかの情報を教えてくれるようになった。「教科も違うから参考にならないかもだぞ」なんて相談に乗るのを渋っていたくせに……やっぱり三戸先生はなんだかんだ優しい。
 優しくて頼りすぎている気がするのだけど、「仕方ないなぁ津木先生は」と笑ってくれるから、俺はいつもあの笑顔に甘えてしまうのだ。

 さて、次はどこに行こう……。
 お目当ての物は買えたけど、せっかくここまで来たのだしもう少し見て回ってもいいかもしれない。

 久しぶりに服でも見ようか。
 最近忙しくって気にしてなかったけれど、いつの間にか季節がすっかり夏に変わっていた。
 教師の服装というのはマニュアルが徹底している所もあるらしいが、うちの高校は割とおおらかで職場にふさわしい恰好なら多少ラフでもいいらしい。6月になった瞬間半袖ポロシャツを着てきた三戸先生を見て「いや衣替え早すぎでしょ」と笑ってしまったっけ。あの時の先生は笑った。いまだに思い出しても笑ってしまう。

 というか俺、さっきから三戸先生の事しか考えてないな……。
 せっかくの休日に買い物へ来てるのに職場の事ばかり。数か月前の俺なら考えられない事だ。
 まぁ、それだけ職場に慣れたという事かもしれないけれど。

 けど一旦仕事の事は忘れて気分転換しよう。
 このままじゃワーカーホリックになりかねない。

 気を取り直して昔からよく行っていたブランドの服屋を回っていた時の事だった。
 不意にポケットの中のスマホが小さく震えだす。
 この震え方はLINEじゃないな……着信か?

 一体誰だろうと画面を見る。
 そこに映っていたのは想像もしていなかった人の名前で俺は画面を見た瞬間に大きく目を見開いた。

「……っ、は?三戸先生!?」

 何で三戸先生が俺に電話!?
 確かに教育担当になった時連絡先の交換はしていたけど、今まで1回も連絡を貰った事ないのに。
 と、とにかく電話に出なきゃ。焦りで震えながら通話画面をタップすると、俺は妙に緊張しながら口を開く。

「……も、もしもし」
『あー津木先生?ごめん今大丈夫?』
「お疲れ様です。はい、大丈夫です」
『悪いな休日に……。あのさ、金曜に回収した三者面談の出欠表あんじゃん。あれ持ってたりする?』
「あ、はい俺持ってますよ。連休中に確認して時間帯決めていこうかと思って……」
『っあ――――良かった!先生持ってたのか!』
「えっ、すみません持って帰っちゃまずかったですか?」
『いや違くて。俺無くしたかと思って焦ってただけ』
「はははっ、三戸先生が俺に渡してくれたじゃないですか」
『思い出してみたらそうだわ。まじで焦った。もう家中ひっくり返して大騒動だったんだぞ』
「あっははは。お疲れ様でした」

 いやまじ疲れたわ、と笑う声がスマホ越しに鼓膜を優しく揺らす。
 目の前に先生はいないのに、今どんな顔をしているのか容易に想像できた。
 きっと眉を困ったように下げ、目を細めてへにゃりと力なく笑ってるんだろうな。
 困惑したり、何か予想外の事が起きた時に首の後ろを擦る癖があるから、今ももしかしたらやってるのかもしれない。探し物でぐちゃぐちゃした私室に居る三戸先生を想像して、思わず口もとがにやけた。

「三戸先生もそんなミスするんですね」
『いやぁ、かっこ悪い所見せちまったな』
「あはは、なら俺はその5倍情けない所見せてるのでおあいこです」
『それもそうか』
「ちょっと、そこは否定してくださいよ」
『あっははははは、とにかくお騒がせしました』
「いえいえ。……じゃ、お疲れ様です」
『はーい。お疲れ様』

 ちょっと間延びした先生の声で電話が切れる。
 仕事じゃないのに「お疲れ様です」の挨拶で良かったのか、と一瞬悩んだけど三戸先生も同じだったし間違いでは無いだろう。多分。

 三戸先生が言っていたプリントと言うのは、来月の頭に行う三者面談の出欠確認のプリントだ。俺たちの時代は家庭訪問って形で先生が家に行っていたけれど、今は逆に保護者が時間をつくり学校に来て教室で面談する形式が主流なんだって先生が教えてくれた。1週間程度の日程で保護者の都合がいい日時を教えてもらい、面談をしていく。

 俺は1年目で面談はほとんど行わないという事だから、せめて予定を組むくらいはしてみるか、と金曜日の帰り際に回収したプリントをまとめて自宅に持って帰ってきていた。まさかそれを三戸先生が忘れてるとは……。

 (なんか、ちょっと可愛かったな)

 ちょっと焦ったような電話口の声も。
 ほっとしたように息を零す仕草も。
 ミスを指摘され、恥ずかしそうに笑う声も。

 赴任当初なら絶対に見られなかった顔ばかり。
 それだけ俺が三戸先生にとって素を見せてもいいくらいの距離に近づけたという事なのだろう。
 仕事の時に見る先生は仕事ができてかっこよくて頼りになって……そんな顔ももちろん素敵だと思うけど、俺はさっきみたいな普通の同僚みたいに話してくれる先生も見てみたい。

(……もっと仲良くなりたいな)

 どれ位までの距離感なら今の俺には許されてるのだろう。
 一度だけ一緒に食事に行った事があったけど、また誘ったら一緒に行ってくれるだろうか。
 いや……鬱陶しいとか面倒だと思われたら嫌だな。
 せっかくこうして一緒に働けて、気にかけてもらえる立場にいれるようなったのだから、三戸先生に不快に思われる事だけは避けたい。

 とにかく、ちょっとずつ先生と距離を縮めていこう。
 そんな事を考えていると、上着のポケットに仕舞ったスマホが再びブブッと小さく震える。
 この震え方……今度はLINEか?
 画面を見るとポップアップにはまさに今まで考えていた三戸先生の名前。
 ぽかんとしている間にも再び震えるスマホに俺は慌ててトーク画面を開く。

『さっきいきなり電話してすまん。デート中とかじゃなかったか?』

 そんな一文と共にこっちを伺うような柴犬のスタンプが1つ。
 予想外に可愛いスタンプが送られてきて思わず往来の真ん中で吹き出してしまった。
 なんだこれ……柴犬のスタンプって。ギャップ凄すぎるでしょ。
 でもよく考えたら先生たまに可愛い文房具とかゆるキャラの付箋とか使ってるんだよな。案外そういうの好きなのか?

 邪魔にならないように通路の端に避けてスマホを弄る。

『残念な事に一人で買い物中です』

 ちょっと悩んで、涙目のゆるキャラスタンプを1つ追加しておく。メッセージはすぐに既読になった。

『買い物?どこ行ってんの?』

 まじか。
 まさか会話が続行されるとは思ってなかったからちょっと驚きつつも『隣町のショッピングモールです』と返す。今度はちょっとだけ時間が空き『マジ?俺んちそこから割と近いわ』という文面と共に驚いたようなスタンプが送られてきた。

(マジか!)

 三戸先生の家ってこっちだったのか。
 隣町ってことは結構通勤距離あるんじゃないのか。
 何気ない事かもしれないけど、プライベートを教えてもらったような気がして胸がソワッとなんとも言えない気持ちになる。また1つ先生の事を知れた。

『そうなんですね。俺はこっち久しぶりにきました』
『そこ色々店あって楽しいよな』
『そうなんです。あ、先生に薦めてもらった本買いました!』
『え、マジ?言ってくれたら貸してやったのに。次は言えよ?』
『いや流石にそこまで迷惑かけられませんよ』
『俺がしてあげたくて言ってるんだからいーの』

(……っ。なんだ、それ)

 俺がしてあげたくて、って。
 社交辞令?それとも本当にそう思って言ってくれている?
 普通、教育担当だからってここまで優しくしてくれるもんなのか?
 あの人が特別に優しいだけ?それとも。

(……俺が、特別だから?)

 一瞬浮かんだ考えに顔が一気に熱くなる。
 なにを考えてるんだ俺は。あの人が優しいだけ、それ以上でも以下でもないに決まってる。
 だいたいまだ出会って三ヶ月程しか経ってないのに俺が特別視されるような事あるわけない。
 むしろ迷惑しかかけてない。

 ……とにかく、きっとさっきの一言に深い意味はないに決まっている。
 一旦落ち着け……と深呼吸し、空調で冷えた指先でスマホを操作する。
『ありがとうございます』と入力し送信ボタンに指を伸ばしかけた所で、ふと思い直し指を戻す。

(……これくらいなら、大丈夫かな)

 さっき決めたじゃないか。ちょっとずつ距離を縮めていこうって。
 先生の優しさを待ってるだけじゃなくて俺からも動かないと。


 ショッピングモール内の空調で冷えたのか、少し冷たくなった指先でそっと送信ボタンを押す。最後のメッセージからちょっと時間が空いてしまったのに、三戸先生はすぐに見てくれたらしく既読マークがついた。

 何も変化のない画面を食い入るように見つめながら、思わずぎゅっとスマホを握りしめる。
 変に思われなかったか、嫌がられなかったかなんてそんな事ばっかり頭をよぎる中、今日一返信に時間が空いて先生からのメッセージを知らせる音が鳴る。

 そうして返ってきた返信を見て、俺はにやける口元を隠すように握りしめたスマホに顔をうずめた。


 ◇

 絞り出すような声を上げ先程綺麗に整えたばかりのベットに倒れこむ。
 一人暮らしでよかった。突然唸り声のような奇声を上げながら倒れこむ成人男性なんて、家族にも見られたくない。
 しばらく布団に顔をうずめ声にならない声をあげると、ゆっくりその顔を持ち上げる。手にしっかり握りしめたままのスマホには、先程まで会話していた新任教師であり後輩である津木先生の名前が表示されていた。


 先生に連絡したのは今日が初めてだった。
 初日に一応……と連絡先を聞いてはいたが、実際そうそう個人で連絡することなんてない。基本的には退勤してしまえば職場の人間に連絡とる事なんてないし、仮に用があっても学校で声をかければ済む話だからだ。
 昨晩家に帰って仕事をしようとした時、鞄に入っていると思っていた書類がなくてそれはそれは焦った。本気で無くしたのかと鞄から車からひっかきまわしてそれでも見つからなくて……。一晩寝て探し直しても見つからず最後の手段とかけた先が津木先生で。

 その後はもう本当に思い出しても恥ずかしい。
 自分で『予定組み、やってみるか?』なんて先輩面して渡しておいて忘れているなんて。津木先生もそりゃビビっただろう。
 休みの日にまで連絡をして悪い事をした。大丈夫だとは言ってくれたけどやっぱりもう一度謝っておこうとLINEを送る時、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ私情を挟んだ内容になってしまったのは自分でも自覚してる。

(……こんな形で、後輩の恋愛関係聞いたりして。なにやってんだか)

 もし本当に彼女とデート中だと返ってきたら俺はどうする気だったんだろう。顔が見られないのをいい事にきっと何事もなかったように謝罪し直して、そんで月曜にその事をちょっとからかったりするんだろう。そうやって先に先にと動いて予防線を張って、傷つく事が最小限で済むように動いてしまう。それが俺の悪い癖だった。

 だからいつでもまっすぐで、何事にも真正面からぶつかってくる津木が俺には凄く眩しくて。
 好きなものは好きと。
 嬉しい事は嬉しいと。
 こんな事が、こう思われるのが嫌だったと。
 全部口に出して言えるあいつのまっすぐさがたまらなくて、俺は気がつけば何かと津木を目で追うようになっていた。

 とは言ってもそれはあくまで同じ職場の教師として。
 そもそもこれ以上を望んではいけない。
 自分のこの感情は世間一般ではマイノリティーであると十二分に理解しているし、津木だってこんな感情を持たれても困るだけだ。新しく入った学校で、教育担当の先輩教師から恋愛感情を持たれてた……なんて、一生のトラウマになってもおかしくない。

 あいつは、俺に憧れを持ってくれてるんだ。
 それで充分、彼の中の俺を壊したくない。


(……それに、なんだかんだ今も楽しいしな)

 密に思いをよせる相手と一緒に働いて、たまにじゃれ合って笑い合って。
 日常のふとしたことが楽しいし、ちょっとした接点があるとその日一日気分がいい。
 そんな学生みたいな恋愛をして、一緒に働く間のモチベーションにしよう。……そう、思っていたのに。


「こんなんさぁ。卑怯じゃんよ」


 そっとスクロールし、さっきまでしていたやりとりを最初から見直す。
 俺の返信後、えらく時間が経って帰ってきた一文が衝撃的で、あやうく変なスタンプを誤タップするところだった。



『おすすめ教えてくれるだけで嬉しいです。けどもし甘えていいなら今度本屋とか一緒に見て選ぶの手伝ってくれませんか?その後良ければまた食事でも行きましょう。俺、三戸先生と飯行ったの凄く楽しかったんでまた行きたいです』


 ちょっとふざけたように送った『俺がしたくてしてるんだから』という一文。
 また悪い癖が出て冗談のフィルターで何重にも誤魔化して送った小さな本音に、彼はまた真っ直ぐとした心で返してくれた。


 駄目なのに。
 これ以上ハマるとまずいと自分でも分かっているのに止まらない。
 真っ直ぐに感情をぶつけてくる津木につられるように、俺は気がつけば了承のスタンプを押していた。

「……ちょっとは期待してもいいのか?」

 絞り出すように呟いた声は、口元を覆うように当てた手のひらで籠って消えていった。
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