先生、至急職員室まで。~教育担当になったのは、あこがれ続けた先生でした~

綴乃ゆう

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歓迎会

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グラスがカチャカチャとぶつかり合う音に混じって、沢山の客の話声が響き渡る。
そんな居酒屋の一角、皆でグラスを掲げると、周囲の声に負けないような声量で「かんぱーい」と叫んだ。


飲み会の案内を聞いたのはつい先週の事だった。
先日無事中間テストが終わったのでお疲れ会と俺の歓迎会をしようという話になったらしい。

教師として初めて挑んだ中間テストは、それはそれはしんどかった。
学生の頃は何にも考えずに受けていたあのテストが、まさかここまで先生方の血と涙の結晶だったとは……。問題作成に関しては俺はほとんど戦力外の為先輩の先生方のやり方を学ばせてもらってるような立場だったけれど、それでもまじでしんどかった。期間中はおのずと同じ教科の先生と固まる事になるので、三戸先生とはあまり接点が無かったけれど、職員室で見かける先生はいつ見ても眉間にしわを寄せたような、疲労感に満ちたようなそんな顔ばかりしていた気がする。

そうして必死にテスト作成をこなし、今度は採点をし、ようやく中間テストの全日程が終了した今、教師陣もハメを外したいと思うのは自然な流れだった。

(まぁ正直、俺の歓迎会とかしなくてもいいんだけど……)

そういう自分が主役の場、みたいなものは変に緊張してしまう。
けどここで「しなくていいです」とは流石に口に出せなかった。「飲み会だ」「楽しみだ」と盛り上がる場をしらけさせるような事は言えない。そんな事を考えていると隣の席からずいっと身を乗り出してきた三戸先生に「まーた変な事考えてるな」と額をつつかれる。なんで分かったんだ。

三戸先生に誤魔化しがきかないのはもう身に染みて分かっているからこっそり胸の内を明かすと、あっけらかんとした表情で「そんなん飲み会する口実になってやったんだ、くらいに思ってればいいさ」と言われてしまった。いや、そうは思えないでしょう。

「別に今更挨拶しろとか、乾杯の音頭とれとか言わないさ。普通に飲み会に参加するくらいの気持ちで大丈夫だって。……それとも津木先生って実は酒苦手だったりする?」
「いえ酒は普通に好きです」
「ならいいじゃん。俺津木先生と飲んでみたい」
「俺も……俺も三戸先生と飲みたいです」
「よっし。なら参加決定な!」

久々だなー飲むぞーと楽しそうな三戸先生が出欠確認をしている先生の元へ歩いていく。
その背中を目で追いかけ、俺は私物でだいぶ散らかった机に顔を伏せた。


(……ああいうのほんとずるい)

俺が悩んでいるとすぐに気づいてくれる事も。
茶化さずにアドバイスしてくれる事も。
俺の事をよく見て分かってくれてるんじゃないか、とか調子に乗ってしまいそうになる。
飲み会の件だってそうだ。「俺と飲みたい」なんて憧れの先生に言ってもらえるなんてそんな嬉しい事はない。


(飲み会……か)

お酒を飲む場なのだし、いつもよりリラックスした雰囲気で色んな話ができるかも。俺はまだ三戸先生について全然知らないし、この機会に色々お話できたらいいな。もちろん、他の先生方とも。
さっきまであんなに微妙な気持ちだったのに、気がつけば楽しみに思い始めてる自分があまりに現金で、思わず笑ってしまった。



乾杯の勢いのまま手に持っていたビールを流し込むと幸せな苦みと冷たさが喉を通り抜けていく。
思わず顔をキュッと顔をすぼめて噛み締めていると、隣で同じくビールを煽っていた三戸先生が耐えきれないとばかりに吹き出し肩を震わせた。

「っふ、っくくく……津木先生っ、顔……っふふ」
「ちょっとこっち見ないでくださいよ」
「なんでよ。いーじゃんか減るもんじゃないし」
「人の顔見て笑うくせに何言ってるんですか」
「いやぁ、あんまりに幸せそうで思わず笑っちまった」
「笑ってるじゃないですか」

そんなやりとりにまた小さく肩を震わせながら三戸先生は自分のグラスに口をつける。
くいっと煽った後、幸福を噛み締めるような表情で固まる姿に、今度は俺が吹き出す番だった。

「あっははは、人の事言えない顔してますよ!」
「いやぁー労働の後の酒ってなんでこんなに美味いんだろうな。五臓六腑に染みわたる」
「分かります。マジでキマってる気がする」
「その言い方やめろよ」

ずらりと並べられた長机の向かいで、友野先生が俺らのやり取りに小さく吹き出す。しまった……三戸先生とついいつもの感じでしゃべっちゃったけど、新入りが担当教師とこんなやりとりしてたらおかしいよな。
けど友野先生はそんな事きにしてないようで、俺らのほうに視線を向けるとふふふ、と口元に笑みを浮かべた。


「津木先生も随分慣れた感じだよな~。どう学校の方は?」
「あ、はい。皆さんいい人ばかりで……なんとかやれてます」
「うち結構仲いいし緩いからやりやすいと思うよ」

友野先生の隣に座っていた鳥羽先生が会話に参加してきて、その発言を聞いた友野先生が「そうそう」と笑い声をあげる。
三戸先生も言ってたけど、ここの先生方はみんな緩い感じってのは本当なのか。正直ここしか知らないから比較のしようもないけど。

そんな雑談をしていると、ふいに何か思い出したといった様子の友野先生がニヤニヤ笑いを浮かべにじり寄ってくる。え、何……?

「あのさーずっと聞きたかったんだけど津木先生って三戸先生に憧れて教員なったんだよね?」
「え?あ、はいまぁそうですね」
「えっ、そうなんですか?!」

鳥羽先生が驚き目を丸くする。
そうか、友野先生は初日の俺と三戸先生のやりとりを見ていて知ってるのか。

初日のあの一件は今考えるとかなり思い切った事をしてしまった。覚えてない相手にあんな熱量で詰め寄られて一方的に感謝されて……普通怖いよな。よく三戸先生はあんな初対面だったのに俺の事を普通に気にかけてくれるものだ。俺ならちょっと引く。

(……あの時はいっぱいいっぱいだったしな)

まさか赴任先の学校にいるとは思ってなかった。
教員は数年で移動するのが一般的だ。俺が会った時にこの学校にいたのなら年数としてはおよそ10年前。年数で考えたらとっくに移動しているはず。移動先も分からない、名前も知らないでは調べようがなくて正直会える確率なんてかなり低い。
それでも教師を続けてくれていたらいつか会えるかも……という期待だけで教員免許をとったのだ。それが初年度の赴任先で会えるなんてその時ばかりは一生分の運を使ったのかと思った程だった。


初日のやりとりを知らない鳥羽先生が興味深そうに身を乗り出す。

「へー憧れって、何がきっかけだったんですか?」
「あ、俺が昔この高校で先生にお世話になって」
「あれ?津木先生この学校出身でしたっけ?」
「いや、そうじゃなくてその、学校見学に来た時に……」
「へぇ。どんな感じだったんですか?聞かせてくださいよ」
「俺も聞きたい!三戸先生と津木先生の感動エピソード」
「いや感動エピソードなんてものじゃないですよ……」

それでも聞きたいとごねる二人に思わず苦笑してしまう。
どうしよう、話してもいいんだけど結構長くなるんだよな。せっかくの居酒屋での飲み会で俺の話ばかりになってしまうのも申し訳ないんだけど。

向かいでは期待に目を輝かせて俺の話を待つ先生方がいた。
この感じ断るのも難しいよな……簡単に話するか。

放置し随分温くなった酒で唇を潤す。
さてどこから話そうかと悩みつつ口を開いた時の事だった。

俺の声に被さるように三戸先生が俺の名前を呼ぶ。
「なんですか?」と視線を向けるけどそれ以上何か言う感じはない。
ただ何か言いたげな瞳がまっすぐ俺を見つめていた。

(……なんだ?)

「三戸先生?どうかしたんですか?」
「あー……友野先生達には悪いけどその話勘弁してくれないか?」
「え?何でですか?いいじゃないですか」
「駄目。えっとほら……俺と津木先生の甘酸っぱい思い出の話なんで」
「あっははははは!何言ってんだこいつ」
「おい年上に向かってなんだよその言い方」
「酒の席なんで許してくださいよ~」
「今更取り繕っても無駄だろ」


(……えっと、結局どうなったんだ?)

正直全く理解できてないけど今のはもしかして俺をかばってくれた……のか?俺が話す事にためらってたのを察してくれたんだろうか。現に今はもう俺の話を聞く雰囲気は一切なくて、遠くでお疲れの挨拶をする教頭先生の方に視線が集中している。

結果的にまた三戸先生に助けてもらった事には変わりないしお礼しないと。
広めの座敷の前方でいまだ話続けてる教頭先生には悪いが、少しだけ私語をさせてもらおう。隣で胡坐をかいている先生の太ももを、ちょんとつつくと面白い程に三戸先生の身体が跳ねた。
目を見開き固まる姿に思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえる。

「……っ、くくっ……」
「…………津木先生、悪戯するとはいい度胸だな」
「違いますよ。さっきのお礼しようと思って。ありがとうございました」
「……あー」
「別に話すくらいなら大丈夫ですし、あんな気を利かせなくても大丈夫ですよ」
「そういうんじゃないって」


そこまで言うと三戸先生は気まずそうに視線を逸らす。
何か言いたげに唇を1、2度開閉させたかと思うと俺にしか聞こえないようなほとんどひとり言に近い声量でぽそりと呟いた。


「……あれは、変に知られなくていいんだよ」


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