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相談とアドバイス②
しおりを挟む「……というわけでなんです」
一通り話終えると、それまで黙って聞いていた三戸先生が呆れたようにため息をつく。
ああ、やっぱり呆れられてしまったのだろうか。
おもわずビクつくが、続いて聞こえてきたセリフは予想していないものだった。
「いやお前たったこれだけの事、なんであんな言いづらそうにしてたんだよ」
「え!?いや、だって……『授業の時間配分がうまくできない』なんて恥ずかしくって」
ここ最近の俺の悩み。
それは『授業が上手く進行できない』というものだった。
教師として一番重要な仕事である授業の進行。
先生によってやり方は様々だけれど、皆事前に授業準備というものを行っていている。
いくらその教科に対して知識があっても、授業の流れや進行スケジュールを決めておかないとグダグダになってしまうから。
特に新任の先生はそうならないようにと、授業準備は特にしっかりやるようにと教えられる。
教育実習だってやって経験も積んだし、もう3か月もたつのに未だに時間配分なんて基礎で躓いてるなんて情けなくて恥ずかしくて……。
「……こんな事もできないんだって、三戸先生に思われるのが嫌だったんです」
気まずさに俯いていると、突然頭上にぽん、と何かの感触がする。
顔を上げると、三戸先生がニヤニヤと笑みを浮かべ俺の頭に手を置いていた。何故。
そしてそのままぐしゃぐしゃと髪の毛をかき乱され俺は思わず悲鳴を上げた。
「うわあああぁ!」
「お前は~ほんっとーに真面目だねぇ」
「っちょ、手!手止めてください」
「新任数か月で完璧に出来る訳ないだろ?俺だって当時死ぬほど苦労したってのに」
「……そうなんですか?」
「おう。ていうかほとんどの先生が今も苦労しながらやってるんじゃないか。教鞭をとるってそういうもんだろ」
「そう……なんですかね」
「そうなんだよ。だからそれくらい恥ずかしくもないし、悩むくらいなら先生方に聞いてみればいいだけなの。分かったか?」
「はい」
「よし、じゃあ相談はこれくらいにして飯食ってしまおうか。結構時間ヤバいわ」
再び弁当を手に取った所でようやく先生の手が俺の頭から離れる。
その後食事している時も話をしている時も、先生の手の感触が忘れられなかった。
◇
ふ、と顔を上げ時計を見ると時刻は午後6時半。
仕事も切りのいい所まで済んだし今日はもう帰るか、と足元から鞄を取り出していると、上着の裾をくいっと何かに引かれる感覚がした。何かと顔を上げると、どこか緊張した面持ちの津木が、俺の上着をちょいっ、とつまんでいる。なんだそれ可愛いな。
「ん。どした?」
「あの……三戸先生ちょっとお願いがあるんですけど」
「おー。なんかあったんか?」
「今日相談した事についてなんですけど」
今日というと、授業の時間配分ができないと悩んでいたやつか。
結局あの後は解散して話してなかったけど、同教科の先生に相談でもしてきたって報告だろうか。
聞く体制に入っていると椅子に座ったままの体制でぐぐっと距離を詰められる。
そうしてすぐそばまでやってくると、随分抑えた声で内緒話でもするように話し始めた。
「あの……授業準備について教えてもらえませんか?」
「は???」
「今日先生も苦労してたって言ってましたよね。何か、アドバイスだけでももらえないかと思って」
「いやいやいや。だからそれこそ同じ教科担当の先生に聞きなさいよ」
「俺は三戸先生に教えて欲しいんです」
「ええぇー……」
最初の緊張した顔はどこへやら。
眉を下げしょぼくれた顔をして俺の上着を掴んでいる。
確かに教育担当は俺だし、そうして慕ってくれているのはありがたいが、そういう問題でもない。
俺も津木にならって顔を寄せ声を抑える。
「……あのな、大きな声では言えないけど、こういうのは他教科の人が教えると角が立つもんなんだよ」
「そうなんですか?」
「やっぱ同じ教科の人の方がノウハウあるし流れも分かってる。なのに全然関係ない教科の先生に教わってるって、あっちからしたら「なんで?」ってなるだろ」
「……そう、ですよね」
「……」
「わかりました。すみません我儘いって困らせてしまって。明日他の先生に聞いてみます」
すみませんでした、と頭を下げる津木先生。
断られて気まずかったのか足早に職員室を出て行く後ろ姿を眺めながら、俺は思わず頭を抱えた。
(ああぁぁー……くそ)
間違った事は言ってない。
授業に関する相談はまず同教科の先生にという暗黙のルールもある。
俺よりそっちに先聞くべきという指導も間違いはない。
新人の教育担当としてこれから先間違わないようにここでのルールを教えるのも大事な仕事。
それは分かっているのになんでこんなにも罪悪感が生まれるのか。
(きっとあいつのあの顔のせいだ)
眉を下げ目を伏せて、薄い唇をぐっと噛み締めて。
まるで怒られた子供のような顔で謝られてしまったら、そんなの気になるに決まっているだろう。
(くそ、あれ計算でやってたんなら、後でぶん殴る)
今ならまだ間に合うだろう、と鞄を手に慌てて職員室を飛び出した。
「津木先生ーー!」
「三戸先生?ど、どうしたんですか」
「夕飯食いに行かないか?」
「は?今からですか?」
「で、その間だけさっきの話のやつ教えてやる」
「え……いいんですか?!」
「今日だけ。そんで先生方には内緒。で、ちゃんと同教科の先生にも聞くこと。いいか?」
「はい!」
「一応言っておくけど、国語の俺と数学のお前じゃそもそも授業の根本的な流れが違うんだし、そんなに参考にならないからな?」
「それでも。俺、三戸先生に聞けるの嬉しいです」
「……」
人のいない駐車場を背景に、津木先生が真っ直ぐ俺を見つめる。
マリンブルーの瞳を輝かせて、緩んだ口元を誤魔化そうとしているのだろうけど全然誤魔化せていない。
鞄を握り直す手が落ち着かなかったり、表情だったり、こいつは本当色々隠すのが下手だな。
けど、それは逆に津木先生の感情がわかりやすくていい。
今日みたいに変に隠そうとされるよりも、よっぽど。
「……津木のそういう所、俺はいいと思うよ」
「……は?え、何。どういう所ですか?」
「さてと、飯ってどこに行く?お互い車だし現地集合な」
「ねえ、三戸先生。ねぇってば!」
◇
終業を知らせるチャイムがなり、俺は教材から顔を上げる。
軽く辺りを見渡し、焦って板書をする生徒がいない事を確認し俺は小さく頷いた。
「……よし。今日教えた範囲はこの単元の基礎部分なのでしっかり覚えておくように。次回は応用問題をやって解説していくので、今日までの範囲で分からないところがあれば質問してください。以上、お疲れ様でした」
その声で一斉に片付けを始める生徒達。
俺も教卓周りを片付けていると、数人の女子生徒がノートを片手にちょこちょこと駆け寄ってきた。
「先生ー、質問いいですか?」
「ん?どこか分からなかった?」
「えぇと……これになんでこの公式なのか分かんなくって」
「あーなるほど。これは問題文でどっちを使うのか判断できるんだけど……実際に解きながら教えた方が分かりやすいだろうからちょっと時間貰っていい?次の時間に改めて説明するよ。きっと他の子も悩んでるだろうし」
「えーいいんですか?!」
「もちろん。むしろどこがつまずきやすいのか知れて助かる。ありがとうね」
「ええぇ~もうまじ津木先生神!」
「ねっ!ほんと分かりやすいし優しくて最高」
「ははは、そう思ってくれてるなら良かったです」
「えーーーもーーーかっこよすぎーー!」
「……っふ、っふふふ超囲まれてんじゃん」
賑やかな声に教室を覗いてみれば津木先生の授業だったらしい。
教卓の前で質問する女子と談笑する姿はもう立派に先生していて、一時期の鬱々した雰囲気も、教育実習生のような緊張した面持ちは微塵も感じられない。
(アドバイスもしっかりやれてるようだしな)
時間いっぱいに詰め込んだ予定を立てると何かイレギュラー起きたら崩壊する。板書も余裕持って終わらせて生徒の進捗に目を向ける事、進める事も大事だけど生徒の理解度も気にかける事など、飯の時にしたアドバイスをしっかり守ってくれたらしい。生徒に慕われしっかり先生やれている姿に、なんだか誇らしかった。
緩む口元を隠しもせず後ろの扉から覗いてみていれば、説明を終えたらしい津木先生とばっちり目が合う。
きょとん、と目を丸くしたのもつかの間。
俺がニヤニヤと笑いながら見ていたのに気がつくや否や、みるみる顔を赤くして目を見開いた。
「な、何見てるんですか……っ!!」
「んー。いやぁかっわいい~津木先生の授業参観」
「止めてくださいそういうの!滅茶苦茶恥ずかしいんですから!」
「いいじゃん見るくらい。なー皆もそう思うよな?」
「あっははは!また津木先生とミトセンがじゃれてる~」
教室から飛び出し駆け寄ってきた彼に声をだして笑いながら、俺は先生の頭に手を乗せる。
くしゃくしゃと学生の悪ノリのように髪をかき乱しながら、俺は誰にも聞こえないような声で呟いた。
「ほんと、かわいいやつ」
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