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やとわれ冒険者は仕事を頼まれる

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 いかめしい両開きの扉を開いた。
 奥には白いひげのじいさんと、銀髪のきつい女が変わらず座っている。
 銀髪の方は記憶では数年この地位にいる。
 じいさんの話ではもう教え終わったと聞いたはずだが、いつまで学生気分でしがみついていやがるんだか。
 追い出さないじいさんも甘いがな。

「よおっ、ケーテちゃん。今日も眉間にしわかい?」

 俺の軽口に、ケーテ=ルネリタは露骨に嫌な顔をしてみせ、さらにため息をついた。
 手に持っていた本をぱたんと閉じる。

「ヒューさん、何度も言っていますがその呼び方はやめてください」
「いいじゃねえか。同じ師匠を持つ者だろ? 先輩特権ってことで名前くらい」
「名前もそうですが『ちゃん』付けをやめてください。私はヒューさんに教えられていた時の子供ではありません。単独でAランクなんですよ?」

 よく分かってるじゃねえか。
 自分の年齢と強さを自覚してるわりには、巣立つタイミングには気づいてねえのか。それとも地位に甘んじたいのか。
 俺の嫌味の意味に気付いていないようじゃ、まだまだお子様だな。

「はいはい。相変わらず手厳しいこって」

 軽く肩をすくめて、部屋の中央に置かれたソファにどかっと腰かけた。
 そもそも今日の用事はルネリタの方じゃない。
 じいさんの方だ。
 横目で伺えば、珍しく真剣な顔をしている。付き合いの長い俺の眼から見て、真剣度九割ってところか。
 大抵この顔をしている時はエロ本観賞をばれないように険しい顔を作っているか、若い女の前で威厳を出そうとがんばっている時だが、今回はどうも本気っぽい。
 呼ばれた時点でろくな話じゃねえとは思っていたが……

「じいさん、今日はなんの――」
「アルノート様です」

 横からしゃしゃり出てきたルネリタの台詞が飛んできた。
 敬愛する師匠になめた口を聞くなとでも言いたいのだろう。どこまで犬なんだか。
 じいさんもルネリタについては頭を悩ませているだろうな。

「構わん。わしとティルの関係だ」
「…………承知しました。アルノート様がそうおっしゃるのであれば……」

 ルネリタが思わぬ師匠からの反撃にしおしおと勢いをなくす。
 その後に続いた俺への睨みつけは無視だ。

「で、じいさん、このティルドラン=ヒューになにか用かい? これでも俺は忙しいんだがね」
「実はお主に頼みたいことがあっての」

 おどけた俺の仕草にじいさんは何の反応もしない。
 ますますやばい仕事だと直感する。
 できれば断りたいが、じいさんの頼みだ。俺にできることなら協力する。それが孤児時代から育ててくれた大きな恩への報い。
 呼吸を切り替え、真剣に聞く姿勢を取る。背もたれに預けていた背中を持ち上げた。
 じいさんがそれを見て静かに微笑みながら口を開いた。

「とある店の監視を頼みたい」
「監視だと? って、ちょっと待ちな。その話はルネリタに聞かせていいのか?」
「もちろん。すでにルネリタは知っておる」
「そうか……人じゃなくて店の監視と言ったな?」
「うむ。現時点で探し人が見つからん以上、店ごと監視するしかなくての」
「店の名は?」
「セドリック商店という青果店じゃ」
「…………青果店」

 腕を組んで考えをめぐらす。
 じいさんはいつも弟子に考えさせる。バカは強くなれないというのが持論だ。
 それは弟子を卒業した俺でも同じだ。
 この情報だけでどこまで依頼内容を探れるか試されているのかもしれない。

「やばいやつが出入りし……やばい物が運び込まれている。それも王都の住民に危害が及ぶような物だな? 青果店だから、野菜や果物に紛れ込ませて検閲をスルーできるようなものか…………小さい薬なら野菜をくりぬいて中に忍び込ませることも可能か」

 ぶつぶつと考えをまとめていると、じいさんが横から口を挟んできた。
 珍しい。
 弟子の答えは待つ人間のはずなのに。

「ティル、悪いの。今回は考えてもわからん。なにせ、本当に野菜を運ぶ人間を見つけだしたいのだ」
「野菜を?」
「そうだ。お主も『レジェンド野菜』という言葉を耳にしてないかの?」


 ***


「つまり、依頼はセドリック商店にレジェンド野菜を運ぶ人間を見つけろってことか?」
「そういうことじゃ。欲を言えば生産者を突き止めたい」
「それくらいなら俺じゃなくてもいいんじゃねえのか? 自分で言うのも何だが、俺のパーティはAランクだぜ? 犯罪者の始末や盗賊のアジトの調査ならともかく、商店を見張るにしちゃおおげさだろ?」

 俺の当たり前すぎる指摘に、じいさんが苦笑する。
 ルネリタすら苦笑している。

「言われんでも分かっておる。事の重大さを分かってもらうためには、やはり……ルネリタ」
「はい。ヒューさん、どうぞ」
「…………なんだこれは?」
「トマトです」
「そんなことは――」
「ティル、まあわしに騙されたと思って食べてみてくれ」

 目の前の小皿に乗った一切れのトマト。少し色が悪く、元はかなり大きそうなものだ。話の流れから考えれば『レジェンド野菜』なるものだろう。
 パーティ『疾風の妖精』のメンバーから噂は耳にしてる。
 商店通りで目が飛び出るほどうまい野菜を置く店ができたらしい。数ある青果店の中でそこだけは野菜のために並ぶという。
 珍しい菓子や、入荷が難しい魚ならともかく、野菜を買いに並ぶなんて信じられないと笑い飛ばしていたが……

「分かったよ……食えばいいんだろ」

 一つまみして口に放り込んだ。
 そして――
 
 俺はベジタブルワールドへ旅立った。


 ***


「…………う……なんだ……うわっ」

 がばっと体を起こした。
 腰に刺していた剣ががちゃりと音を立てる。体が猛烈に汗をかいていた。
 同時に、夢心地に聞こえていた本をめくる音が止まる。
 二人の視線がこちらに向いた。

「おっ、さすがに早いの」
「…………最速です」

 ぐるりと室内を見渡した。間違いなく、じいさんの執務室だ。
 記憶は残っている。ルネリタに出されたトマトを食べてこうなったんだ。
 応接机の上に、仔ウサギの模様をあしらった小皿がぽつんと残されている。

「……俺は、気を失ったのか?」
「そうだ。トマトを食べての。レジェンド野菜の恐ろしさが分かったかの? だが、さすがはティル。目覚めるまでの時間はダントツに早かったの」
「食った瞬間に、体がむちゃくちゃ熱くなって目の前が真っ白になったことだけは覚えている。高価なマナ回復薬を飲んだ時に近いか……」
「ほぉ……他に感じたことはあるかの?」
「いや……」
「実はの…………その野菜は、マナ保有量の最大値を上げおる。しかも筋力まで増加させるという結果も分かっておる。分かっておらんだけで、他にも効果があるかもしれん」
「……バカな……野菜にそんな効果が?」
「ただの野菜ではないことはお主も実感したじゃろ? それが事実。しかも魔法薬の成分は検出されておらん」
「薬を……使っていないのに……」

 ようやく事の重大さがじわじわと頭に染みこんできた。
 こんなとんでもない野菜が店に出回っている。つまり、作れる人間がいるということだ。一人か、集団か。
 作物の栽培に特化した隠れたギルドでもあるのだろうか。
 どちらにしろ、すさまじい技術だ。

「ティルよ。もしも生まれた時からこの野菜を毎日食べているモンスターがいた場合どうなると思う?」
「…………あっ、そうか!」

 効率的な魔法の習得、スキルの研究に関しては人間はモンスターを上回る。だが、モンスターは成長の限界値が人間よりも高いと想像されている。
 本当なら鍛えることをしないモンスターでも、このレジェンド野菜を食べ続ければ桁外れに強くなる可能性がある。

「気付いたようだの。そうなれば、第二の魔王、四天王のような存在が次々と現れる事態になりかねんのだ。だからこそ……ティルよ、監視には細心の注意を払ってほしい。まだその人物が悪人なのかどうかも分かっておらんし、それらしい姿も見かけておらん。だが、もしも手に追えん事態になるようなら、国に報告した上で、わしも出るつもりだ」
「…………了解。抱えてる仕事は一旦ストップしてそっちに当たろう」
「すまんの。では、あとの細かいところはルネリタ先輩に聞いてくれ」
「先輩?」
「嫌いなトマトを嫌がりながらも先に食べた先輩だの」
「――っ!? アルノート様っ! それは秘密という約束だったはずですっ!」
「わしは先に食べたと言っただけだの」
「――くっ」

 椅子に座った状態のルネリタが顔を真っ赤に染めて全身を震わせている。
 何かに必死に耐えているような様子だ。
 今のじいさんは明らかにいたずらっ子の顔をしている。どうでもいいことがあったのだろうと納得しておく。
 それよりも――

「じゃあ、ルネリタ……細かい話を聞かせてくれ」

 可能性は一番低いが、ただの野菜作りの名人か。はたまた、レジェンド野菜を使用して何かをたくらむ悪人か。それとも食の流通を牛耳ろうと考える闇の組織か。
 俺はこれから出会う未知の人物の姿を頭の中で次々と思い描いた。
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