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商家の娘は複雑な気持ちになる

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「レジェンド野菜は無いの?」
「すみません。今日も入荷していないもので……」
「そう。仕方ないわね……じゃあ、これとこれもらおうかしら」
「ありがとうございます」

 店を覗いてくれたお客さんが、適当な野菜を選んだ。私も慣れてきたものだ。
 渡されたお金を受け取り、野菜を紙袋に詰めて渡す。
 これがいつもの流れだ。

「じゃあ、これもお願い」
「はい。お預かりします…………お父さぁーん」

 店の奥からお父さんが現れ、お客さんから預かった小さな紙にサインした。
 そして、また返却する。
 お客さんが、書かれたサインをしっかりと確認した。これもいつも通り。

「ありがとう。じゃあ、また見に来るわ」
「毎度、ありがとうございます。今後ともセドリック商店をよろしくお願いします」

 立ち去るお客さんに、私たちは揃って頭を下げた。
 買い物の後に行うこのやり取りは、お店のために考えた案だ。

「……順調……と言えるかな」
「アンディさ――」
「ティアナ、ダメだよ。誰が聞いているかわからないんだ」
「あっ、ごめんなさい。でも、みーんなファーマーさんの野菜目当てでしょ? うちの田舎の野菜はおまけみたいな感じで……」

 沈んだ声を出した私を、お父さんが優しく見つめる。

「力の勝負ってこういうものだよ。別に田舎の野菜が悪いってわけじゃない。ファーマーさんの野菜がすごすぎるんだ。前に貰ったナスを田舎で食べてもらった時のことを思い出してみて。みんな驚き過ぎて言葉も無かっただろ?」
「うん……」
「何十年も野菜を作ってきたファーマーたちが、言葉も出ないんだよ? 王都のこの通りでも勝てる野菜を置く店は一つも無い。それは視察したお父さんが断言する」
「……それはわかるけど、田舎の野菜を買ってくれた人に、次のレジェンド野菜を優先的に買う権利を与えるなんて……ちょっと色々複雑」

 トマトを試食して気絶した女性の話は王都に一気に広がった。あの半狂乱になった様子を見れば、誰もが興味を持つのは当然だ。
 近くにいた人がこぞって試食にやって来ては――気絶した。
 あの騒動のおかげで、お父さんの店は一躍有名になった。『伝説ファーマー印の野菜』、通称『レジェンド野菜』を取り扱う店として。
 でも、それと比較されたメインの商品である田舎の野菜はそっぽを向かれてしまった。
 決して他の店には負けないのに、レジェンド野菜と比較されてしまうのだ。
 そして、その対応策として田舎の野菜をダシにしてレジェンド野菜の優先購入権を与えることに方向転換したのだ。
 私としてはとっても不本意だけど、その狙いは当たった。様子を見るついでに、多くの人が買い物をしてくれるようになった。
 だけど、最初は田舎の野菜をもっと知らしめたいっていう目的もあったのに……

「ティアナ、お客さんは美味しくて安いものを買うだろ?」
「うん……」
「でも、ファーマーさんの野菜は美味しすぎるからすごく高くても買うだろ? お父さんも正直なところ田舎の野菜で満足していたんだよ。だけど、あの味を知ってしまったら狭い世界でうぬぼれてただけだって分かっちゃった。だから、次の目標は――」
「あっ…………もしかして田舎の野菜を?」
「そう。田舎がファーマーさんのレベルに追い付けばいいんだ。そのために、貴重なナスを渡したんだから。それまでの間は、お父さんは王都で田舎の野菜をなんとか広めていきたいと思ってる」
「そっか……そう考えると、レジェンド野菜じゃなくてもいいってお客さんが言ってくれるようになった時には……」
「田舎の野菜が同レベルになった証拠になるね」
「うわぁ……それ、すごいことかも。あの野菜に追いつけるなんて」
「だろ? すごいレベルの野菜とひょんなことから出会えたんだ。この縁を大事にしないと。まあ……あそこまで上り詰められるかは……怪しいけどね」

 私は、そう言って苦笑するお父さんを見つめた。
 確かに目標はすごく高いけど、売ってお金を稼ぐだけよりはずっといい。田舎の野菜も作り方を見直すようなきっかけにもなるかもしれない。
 なるほど。
 それならしばらくの間、レジェンド野菜に助けてもらっているだけと考えられる。心の中のもやもやがだいぶ薄くなった気がした。

「そして、そのためには――こらっ!」
「――っ!?」

 お父さんが突然壁の方に向いて怒鳴った。またうちの店を監視しようとしている人が出たらしい。
 私は全然気づけないけど、武術の経験があるお父さんはすぐに気付いてくれる。

「今日も来たんだ……」
「そうだね。何とかしてレジェンド野菜の秘密を知りたいって思う人が多いんだろう。でも、お父さんが逆の立場ならそう思うかもしれない」
「監視みたいなことをしてでも?」
「…………どうだろうね…………あっ、いらっしゃいま――」

 考え込みかけたお父さんが、お客さんの気配を感じて顔を上げた。
 そこにはまだ二度しか出会っていないのに忘れられない人が立っていた。
 茶色の短髪に日焼けした肌。目立つ白い歯をのぞかせ、にこやかにほほ笑んでいる。肩には赤い髪の妖精さん。

「お久しぶりです、シロトキンさん。遅くなってすみません」
「…………あっ、アン――ファーマーさんっ!…………ま、まあとりあえず中へどうぞ!」
「お邪魔します」

 思わず名前を口にしかけたお父さんは、寸前で言葉を呑み込んだ。慌てて店の奥にアンディさんとフラムさんを案内する。
 畑を荒らされたと聞いて慌ただしく出て行ってから何日経っただろうか。
 とうとうレジェンド野菜の二度目の出荷の日がやってきた。
 私はこれでもかと溢れ始めた唾液を何度も何度も飲み込んだ。
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