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商家の娘は野菜を売る
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「お買い上げ、ありがとうございました。またよろしくお願いします」
お父さんと私は揃って買い物客に頭を下げた。
私たちのお店はつい先日オープンした。決して大きくもなく、華やかさも無いけど、新鮮な野菜を取り扱っている。
最初は大通りにできた目新しい店ということで、何人かが様子を見にきてくれていたけれど、ここ一週間ほどで客足は遠のいている。
たぶん、二度目の買い物をしてくれているお客さんが少ない。
「値段で負けているからね……」
お父さんが、たった今私が考えていたことを口に出した。
その通りだ。
通りの店は、どこも私たちの店より安い。ジャガイモ一個で勝負しても差がある。味は負けないと思っているけど、その程度の差では他店の常連さんは値段を選ぶ。
品揃えでも、負けている。
何せ、こっちの仕入れルートは田舎村だ。人気の野菜が欠品ということだって珍しくない。
「せめて、アンディさんの野菜を買ってもらえれば……と思っていたけど、この見た目ではなかなか難しいか」
「そうだね……」
お父さんが、重いため息を吐いた。
私たちは何日か前、例のトマトに衝撃を受けた。それはこの世のものとも思えない桁外れの美味しさで、生まれて初めてうま味によって別世界に旅立った。思い出すだけでも体の中を熱いものが流れる。
はっきり言って、アンディさんのトマトはトマトではない。
野菜の超越者、とでも言えよう。
誰に笑われようとも、それほどに美味しいと自信を持って言い切れる。今なら、「あなた達はこの味を知らないのか」と食べたことのない人達を見下してしまうかもしれない。
でも――
売れるかどうかは別の問題だ。
なにせ、異様に大きいのだ。しかも赤さの中に赤黒い線もある。
さらには値段も普通の数倍に設定している
売れない条件がこれだけあれば敬遠されるのは仕方ない。
ナスも同様だ。
数が少ないので食べてないけど、たぶんこっちも気が狂いそうになるくらい美味しいのだと思う。
ナスのステーキとか……今は想像するのはやめとこう。
「……腐ってもまずいし、早く売らないといけないんだけど……」
「お父さん……いっそのこと、タダで食べてもらったら?」
「タダで?」
お父さんが、驚いた顔でこっちを見た。
私はしっかりと頷く。
「もうお店の前で、一口サイズに切って出そうよ。試しに食べてみてください、って。あのトマトだよ? 小さな一口でもたぶん……」
「ベジタブルワールドに旅立つ……かい?」
いたずらっぽいお父さんの顔が向けられた。
自分の顔が真っ赤になったのを感じる。
目を覚ました時に、思わずつぶやいてしまった一言はしっかり聞こえていたらしい。
「い、今は関係ないでしょ! でも……そういうことっ! 食べてもらわないと、この野菜の美味しさは分かってもらえない。そんなのもったいないよ!」
「あの、ティアナがそんなに野菜を熱心にすすめたいなんて……」
「だって……」
「でも、お父さんもそうだよ。食べてさえくれれば、ってずっと思ってるからね。…………よしっ、ティアナの言うとおり、タダで配ってみよう。だけど、アンディさんには売上金が渡せなくなるね」
「それは私たちでなんとか払おうよ。これくらいで売れました、って」
「……ティアナ、そういうのはいけないよ」
「だけど……」
「それに、たぶんアンディさんはあまりお金を目的にしてないと思う。むしろ味の感想だけでも良かったりしてね……」
お父さんが、どこかを見つめるようなまなざしになった。
何となく憧れているような表情だ。
私は、小さな焦りを感じて言う。
「お金を払っておかないと、次に野菜を卸してもらえなくなるかもしれないって……もしも、ほかの高く買い取る店に出荷されたりなんてしたら……」
詰め寄る勢いの私に、お父さんが「まあまあ、どうするかはお父さんが考えるよ」と言いながら肩に手を置いた。
そして、微笑みながら言う。
「ティアナは、もう虜……だね」
「……えっ?」
「恋よりも野菜とは……お父さん、心配だな」
「そ、そ、そんなんじゃないって! わ、私はお店の心配をしてるだけでっ!」
「うんうん。惚れこむのもほどほどにね」
「お父さんっ!!」
私は、店先であることも忘れて大声をあげた。
***
私は野菜を神経質に眺めて去ろうとした中年の女性に、ここぞとばかりに近寄った。
味にうるさそうで気難しそうな印象が良いと、お父さんが最初の一人として選んだ客だ。
手に持っていた小皿と小さなフォークを「どうぞ」とばかりに差し出す。
「……これは?」
訝しげに細められた目が向けられたが、私は微笑みながら説明する。
「うちの店で、最近取り扱い始めたトマトです。良かったら試食してもらえませんか?」
「……」
女性の手が、ゆっくりとフォークと小皿を受け取り一口サイズに切られたトマトをじっと見つめる。
「色が悪いけど大丈夫?」
「そういう種類なんですけど、味は絶品ですよ」
少しむっとした私は、努めて冷静に対応する。
……いいから食べなさい、と言いたくなるのはこのトマトの美味しさを嫌と言うほど知っているからだ。
「……まあ、タダなら――――っぅぅ!?」
「あっ、お客さんっ!?」
口に入れた瞬間に、中年の女性が膝から崩れて倒れてしまった。
ほんの少しだけ「だから言ったでしょ」と得意げになったけど、素早く気を失った女性の体を起こす。
力の無い腕にはかなり厳しい。
慌てて店内に声をかける。
「おとうさーーんっ!」
「わかってるっ!」
脇に毛布を抱えたお父さんが、奥から走ってきた。
私も必死に店の前までずるずると運んでいく。
何事かと様子をうかがう通行人を尻目に、持ってきた毛布を丸めて、枕代わりにして寝かせる。
地べただけど、許してほしい。
「まさか、この量のトマトでも倒れちゃうとはね。ティアナの言ったとおりだったか」
「……美味しさは私もよく知ってるし、こうなるかもなぁって感じだったけど、心づもりしてて良かった」
横に転がされた状態の女性の側に、膝をつくようにして私たちも座る。
今も、大通りで目立っている。
かなり恥ずかしいけれど我慢だ。
まだ、目的は達成できていない。
しばらく店先でお父さんを雑談を続けた。
「あっ、ティアナ……このお客さん起きそうだよ」
「量が少ないと早いのかな?」
覗き込んだ体勢のまま、二人で目が開くのを待った。
ほどなくして、天を仰ぐ状態の女性と目が合う。
「わた、し……な……に」
うわ言を言い終えると、意識が覚醒したのか、がばっと体を起こした。
そして、怖いほどに目をくわっと見開いた。
「あ……あ、あれは、な、なんなのっ!?」
ヒステリックな声が、大通りに響き渡った。声が否応なく震えているけど、何が言いたいのかはすぐに分かった。
お父さんが、私の隣でにんまりと笑う。
咳払いを一つし、とても冷静に言った。
「トマトです」
「嘘よっ!!」
即座に返ってきた女性の言葉に、重ねるように私が言う。
「トマトです」
「……そんなはずないわっ! 騙してる! 私はあんな美味しいトマトを食べたことがないものっ! あれは別のなにかでしょ!」
お父さんが、にこりと微笑み、ここぞとばかりに声を張り上げる。
聞き耳を立てる様子の通行人のざわめきが聞こえた。
「お客さんが、食べたことが無いのは仕方ありません。そのトマトは、『伝説のファーマー』が栽培したトマトですから」
「で、伝説のファーマーのトマト?」
「ええ。だから、とびきりおいしかったでしょ?」
女性が、ぶんぶんと首を縦に振り、すがるような声をあげる。
あれだけのトマトを食べさせられれば、『伝説のファーマー』を信じる以外に無い。ある意味でとても怖い野菜だ。
「もう一口……もう一口無いのっ?」
「試食ですので、次はありません」
「そんなっ!? あれだけのものを食べさせておいてっ!」
ほとんど半狂乱の女性に、お父さんが言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「ですが……ここには『伝説のファーマー』が卸してくれた野菜がございますので、買っていただければさきほどの味が食卓で――」
「買うわっ!!」
「お買い上げ、ありがとうございます。ですが、お一人様一つ限りですので」
愕然とした顔を見せた女性に、お父さんは深く頭を下げた。
その後、初めてお店が忙しい日となった。
お父さんと私は揃って買い物客に頭を下げた。
私たちのお店はつい先日オープンした。決して大きくもなく、華やかさも無いけど、新鮮な野菜を取り扱っている。
最初は大通りにできた目新しい店ということで、何人かが様子を見にきてくれていたけれど、ここ一週間ほどで客足は遠のいている。
たぶん、二度目の買い物をしてくれているお客さんが少ない。
「値段で負けているからね……」
お父さんが、たった今私が考えていたことを口に出した。
その通りだ。
通りの店は、どこも私たちの店より安い。ジャガイモ一個で勝負しても差がある。味は負けないと思っているけど、その程度の差では他店の常連さんは値段を選ぶ。
品揃えでも、負けている。
何せ、こっちの仕入れルートは田舎村だ。人気の野菜が欠品ということだって珍しくない。
「せめて、アンディさんの野菜を買ってもらえれば……と思っていたけど、この見た目ではなかなか難しいか」
「そうだね……」
お父さんが、重いため息を吐いた。
私たちは何日か前、例のトマトに衝撃を受けた。それはこの世のものとも思えない桁外れの美味しさで、生まれて初めてうま味によって別世界に旅立った。思い出すだけでも体の中を熱いものが流れる。
はっきり言って、アンディさんのトマトはトマトではない。
野菜の超越者、とでも言えよう。
誰に笑われようとも、それほどに美味しいと自信を持って言い切れる。今なら、「あなた達はこの味を知らないのか」と食べたことのない人達を見下してしまうかもしれない。
でも――
売れるかどうかは別の問題だ。
なにせ、異様に大きいのだ。しかも赤さの中に赤黒い線もある。
さらには値段も普通の数倍に設定している
売れない条件がこれだけあれば敬遠されるのは仕方ない。
ナスも同様だ。
数が少ないので食べてないけど、たぶんこっちも気が狂いそうになるくらい美味しいのだと思う。
ナスのステーキとか……今は想像するのはやめとこう。
「……腐ってもまずいし、早く売らないといけないんだけど……」
「お父さん……いっそのこと、タダで食べてもらったら?」
「タダで?」
お父さんが、驚いた顔でこっちを見た。
私はしっかりと頷く。
「もうお店の前で、一口サイズに切って出そうよ。試しに食べてみてください、って。あのトマトだよ? 小さな一口でもたぶん……」
「ベジタブルワールドに旅立つ……かい?」
いたずらっぽいお父さんの顔が向けられた。
自分の顔が真っ赤になったのを感じる。
目を覚ました時に、思わずつぶやいてしまった一言はしっかり聞こえていたらしい。
「い、今は関係ないでしょ! でも……そういうことっ! 食べてもらわないと、この野菜の美味しさは分かってもらえない。そんなのもったいないよ!」
「あの、ティアナがそんなに野菜を熱心にすすめたいなんて……」
「だって……」
「でも、お父さんもそうだよ。食べてさえくれれば、ってずっと思ってるからね。…………よしっ、ティアナの言うとおり、タダで配ってみよう。だけど、アンディさんには売上金が渡せなくなるね」
「それは私たちでなんとか払おうよ。これくらいで売れました、って」
「……ティアナ、そういうのはいけないよ」
「だけど……」
「それに、たぶんアンディさんはあまりお金を目的にしてないと思う。むしろ味の感想だけでも良かったりしてね……」
お父さんが、どこかを見つめるようなまなざしになった。
何となく憧れているような表情だ。
私は、小さな焦りを感じて言う。
「お金を払っておかないと、次に野菜を卸してもらえなくなるかもしれないって……もしも、ほかの高く買い取る店に出荷されたりなんてしたら……」
詰め寄る勢いの私に、お父さんが「まあまあ、どうするかはお父さんが考えるよ」と言いながら肩に手を置いた。
そして、微笑みながら言う。
「ティアナは、もう虜……だね」
「……えっ?」
「恋よりも野菜とは……お父さん、心配だな」
「そ、そ、そんなんじゃないって! わ、私はお店の心配をしてるだけでっ!」
「うんうん。惚れこむのもほどほどにね」
「お父さんっ!!」
私は、店先であることも忘れて大声をあげた。
***
私は野菜を神経質に眺めて去ろうとした中年の女性に、ここぞとばかりに近寄った。
味にうるさそうで気難しそうな印象が良いと、お父さんが最初の一人として選んだ客だ。
手に持っていた小皿と小さなフォークを「どうぞ」とばかりに差し出す。
「……これは?」
訝しげに細められた目が向けられたが、私は微笑みながら説明する。
「うちの店で、最近取り扱い始めたトマトです。良かったら試食してもらえませんか?」
「……」
女性の手が、ゆっくりとフォークと小皿を受け取り一口サイズに切られたトマトをじっと見つめる。
「色が悪いけど大丈夫?」
「そういう種類なんですけど、味は絶品ですよ」
少しむっとした私は、努めて冷静に対応する。
……いいから食べなさい、と言いたくなるのはこのトマトの美味しさを嫌と言うほど知っているからだ。
「……まあ、タダなら――――っぅぅ!?」
「あっ、お客さんっ!?」
口に入れた瞬間に、中年の女性が膝から崩れて倒れてしまった。
ほんの少しだけ「だから言ったでしょ」と得意げになったけど、素早く気を失った女性の体を起こす。
力の無い腕にはかなり厳しい。
慌てて店内に声をかける。
「おとうさーーんっ!」
「わかってるっ!」
脇に毛布を抱えたお父さんが、奥から走ってきた。
私も必死に店の前までずるずると運んでいく。
何事かと様子をうかがう通行人を尻目に、持ってきた毛布を丸めて、枕代わりにして寝かせる。
地べただけど、許してほしい。
「まさか、この量のトマトでも倒れちゃうとはね。ティアナの言ったとおりだったか」
「……美味しさは私もよく知ってるし、こうなるかもなぁって感じだったけど、心づもりしてて良かった」
横に転がされた状態の女性の側に、膝をつくようにして私たちも座る。
今も、大通りで目立っている。
かなり恥ずかしいけれど我慢だ。
まだ、目的は達成できていない。
しばらく店先でお父さんを雑談を続けた。
「あっ、ティアナ……このお客さん起きそうだよ」
「量が少ないと早いのかな?」
覗き込んだ体勢のまま、二人で目が開くのを待った。
ほどなくして、天を仰ぐ状態の女性と目が合う。
「わた、し……な……に」
うわ言を言い終えると、意識が覚醒したのか、がばっと体を起こした。
そして、怖いほどに目をくわっと見開いた。
「あ……あ、あれは、な、なんなのっ!?」
ヒステリックな声が、大通りに響き渡った。声が否応なく震えているけど、何が言いたいのかはすぐに分かった。
お父さんが、私の隣でにんまりと笑う。
咳払いを一つし、とても冷静に言った。
「トマトです」
「嘘よっ!!」
即座に返ってきた女性の言葉に、重ねるように私が言う。
「トマトです」
「……そんなはずないわっ! 騙してる! 私はあんな美味しいトマトを食べたことがないものっ! あれは別のなにかでしょ!」
お父さんが、にこりと微笑み、ここぞとばかりに声を張り上げる。
聞き耳を立てる様子の通行人のざわめきが聞こえた。
「お客さんが、食べたことが無いのは仕方ありません。そのトマトは、『伝説のファーマー』が栽培したトマトですから」
「で、伝説のファーマーのトマト?」
「ええ。だから、とびきりおいしかったでしょ?」
女性が、ぶんぶんと首を縦に振り、すがるような声をあげる。
あれだけのトマトを食べさせられれば、『伝説のファーマー』を信じる以外に無い。ある意味でとても怖い野菜だ。
「もう一口……もう一口無いのっ?」
「試食ですので、次はありません」
「そんなっ!? あれだけのものを食べさせておいてっ!」
ほとんど半狂乱の女性に、お父さんが言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「ですが……ここには『伝説のファーマー』が卸してくれた野菜がございますので、買っていただければさきほどの味が食卓で――」
「買うわっ!!」
「お買い上げ、ありがとうございます。ですが、お一人様一つ限りですので」
愕然とした顔を見せた女性に、お父さんは深く頭を下げた。
その後、初めてお店が忙しい日となった。
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