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商家の娘はやりすぎファーマーと出会う

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「時間に遅れて申し訳ないです」
「いえいえ。遠方から美味しい野菜を出荷していただけるのですから、この程度何ともありません。こちらが娘のティアナです。先日はご紹介できずに申し訳ありません」
「……ティアナです」

 私はお父さんの紹介に合わせて、アンディさんにぺこりと頭を下げた。
 目の前に立っているのはとても普通の人だ。襟のある服にベージュのズボン。こう言っては失礼かもしれないけど、もっと野暮ったい格好の偏屈そうな人をイメージしていた。

「娘さんがいたのですね」
「そうなんです。あの時お礼を伝えられれば良かったのですが、危険があるかもしれないと荷馬車の中から私が出さなかったもので」
「いえ、正しい判断だと思います。あいつらは少々気性が荒いですから」

 少々どころではないはずだけど、アンディさんの言葉には重く感じている様子はない。
 ハンターウルフの集団に襲われる中、お父さんは私を荷馬車の中から出さなかった。隙間から覗いていただけだ。
 ちらっと見た記憶では、もっとお年を召していたと思ったが、かなり若い。
 こんな人があのキュウリを作ったのだろうか。

「では、こちらも改めて紹介を。私がアンディ。そして――」
「火妖精のフラムです」

 肩に乗っていた妖精さんがふわりと浮かび上がった。羽を二度ほど軽くはためかせてアンディさんの頭上を回る。
 人間には絶対に真似できない飛行。
 間違いなく妖精さんだ。
 マナに惹かれるという妖精さんたちは、綺麗な湖、良い森や畑に稀に表れて加護を与えてくれるらしい。与えられると倒れない木になったり、病気に強い作物になったりと、効果は様々らしいけど、詳しいことは分かっていない。
 それくらいが妖精について知る私の知識だ。
 で……どうしてアンディさんに妖精が懐いているんだろ。人間の前に姿を見せることすら珍しいのに。

「やはり、妖精様でしたか! 私もお会いして言葉を交わしたのは初めてです。アンディさんとはどういった関係で?」
「私がフラムに協力してもらっているんですよ」
「……協力……ですか?」

 お父さんが首を傾げた。
 当然だと思う。どれだけ頼んだって、妖精さんは個人に力を貸してくれるような存在じゃない。
 人間よりもずっと長生きで、ずっとマナの量が多い彼女達は比較にならないほど高度な魔法も使える。私達とは住む世界が違う。
 そのはずだ。
 だから、アンディさんがどれだけ美味しい野菜を作れても、個人的に協力することなんてありえない。

「ええ。私の野菜作りにかける気持ちを汲んでくれて、ずっと力を貸してくれているんです。とても頼りになる妖精です」
「……えへっ」

 あれ? なんか妖精さんが照れているように見えた。
 気のせいだよね?
 人間が誉めて照れるような存在じゃないはずだもんね。
 ……だよね?
 お父さんも同じことを感じたのか、乾いた笑い声を上げた。

「な、なるほど……アンディさんがとても優秀だから、特例といったところでしょうか。普通は妖精様と人が協力関係にあるなど有りえませんから……はははは」
「ううん。うちは……っていうより、うちらはみんな主様に好きで従ってるよ?」
「……えっ?」「……はっ?」

 待って。
 この妖精さん、すごく重要なことをさらって言ったよ?
 好きで従ってるって言ったよね? しかも自分だけじゃなくてほかにもいるの? どういうこと?
 ダメだ。一気に混乱してきた。
 ますますありえない。

「フラムはこう言っていますが、他の妖精たちの真意は聞いてみないとわかりませんので話半分に聞いてください」
「違うって主様。本当に妹たちも――」
「わかった、わかった。その話はまた後にしよう」

 アンディさんが小さく苦笑した。
 お父さんの顔がさらに強張った。たぶん私も同じ顔をしていると思う。
 妖精さんだけじゃなくてアンディさんも、近くに複数の妖精がいることを認めたのだ。
 しかも、なんとなく主従関係がひっくり返っているように見える。
 一体、この人は誰なの? ファーマーだよね?

「ところで、話が逸れてしまったんですが、持ってきた野菜をお渡ししてもいいですか?」
「え、ええ……もちろん」

 話の展開についていけないお父さんが、ゆっくりと頷いた。
 アンディさんが近くにあるテーブルの上に、アイテムボックスから取りだした野菜を並べていく。
 ナスとトマト……たぶんだけど。両方とも見たこともない大きさだから、本当にそれか怪しい。でも見た目は間違いなくナスとトマトだ。
 それにしても……ナス二本、トマト三個……だけ?

「アンディさん……野菜は……これで終わりですか?」
「そうです」
「えーっと……キュウリなんかはないのでしょうか?」
「キュウリ? キュウリが必要だったんですか? それは悪いことをしました……今日は及第点が出せるものが採れなかったので持ってきていません」
「……そ、そうですか……全部で五つ……ですか……」

 お父さんが目に見えてがっくりと肩を落とす。
 もっと大量に持ってきてくれると思っていたのだと思う。それがまさかの五つ。目玉商品にするにしても数が少なすぎる。
 アンディさんがようやくそれに気付いたのか、少し慌てたようだ。

「……すみません……少し少なかったですか?」
「い、いえ……これでは買っていただけるお客さんが限定されるな……と」
「それは確かに……ただ、私も人に出すための野菜を作っているわけではないので……未熟ゆえにとても数が限られてしまうのです」
「な、なるほど……これ以外は傷んでいるとか色が悪いとか、なんですね」
「ええ。色も味も、保有マナ量も及第点に届かないものばかりです」
「…………保有マナ量?」
「失礼しました。ご存じないかもしれませんが、作物には保有マナというものがあります。甘味や酸味以上に、マナをいかに畑から吸収しているかが大事なんです」
「…………本当にそんなものが?」
「はい。毎日出来を見ながら、そこに一番苦心するのです」
「そ、そうですか……それは……知らなかった。勉強不足で申し訳ない……」
「いえ、入れ込み過ぎた専門家のうんちくみたいなものですから、気を落とさないでください」
 
 アンディさんが屈託のない笑みを見せた。
 が、目の前で合わせて笑うお父さんは頬を引きつらせている。だって、お父さんはファーマー上がりの商人だから。それも二十年以上のベテランだ。
 それを、若い男性がまるで素人に説明するように話すのだ。
 でも、たぶんアンディさんはまったく気づいていない。その辺りはかなり疎そうな感じ。
 うーん……保有マナ量……だっけ?
 私も手伝ってきたけどそんな言葉を一度も聞いたことがない。まるで毎日確認するように言っているけど、そんなものが視えるとも思えない。
 そもそもマナは生き物なんかに宿るけど、決して見えないもの。これが常識だ。

「…………もしも、私の野菜を少しでも美味しいと言ってもらえるお客さんがいるならば、次は何とか数を揃えますので」

 アンディさんがそんな私たちの戸惑いに気づく様子もなく、控えめに声を上げた。
 今回は全然足りなかったけれど、次も協力してくれると言ってくれている。
 お父さんも瞬く間に顔を輝かせた。

「是非、お願いします! 次はできればキュウリも……」
「わかりました。努力します」

 差し出された手をアンディさんがしっかりと握り返した。
 と同時に、妖精さんがふわりと肩に降り立ち、何かを耳打ちした。
 そして――

「なにっ!? 本当か?」

 アンディさんが瞬時に顔を青ざめさせ、早口で妖精さんに確認する。小さな小さな顔がこくんと一度頷いた。
 何も言わず、慌てて踵を返して出ていこうとするのを、お父さんが間一髪で止めた。

「アンディさん、何かあったんですか?」
「私の畑に侵入者が出たらしい。急いで戻らねばならなくなった……今日はこれで終わりとさせていただきたい」
「もちろん構いませんが、このトマトとナス……ですよね? これはいくらで売りますか?」
「お任せする」

 それ以上、会話を長引かせるつもりはないらしい。確かに手間暇かけた畑の作物を荒らされる事態は一大事だ。
 バタンと、扉を荒々しく開け放ち、大股でアンディさんは出て行った。
 少しばかり気の毒な気持ちで、私は言う。

「アンディさんの畑ってすごい遠いんだよね? 気持ちは痛い程分かるけど、今から戻っても間に合わないと思う」
「確かにね。襲われた場所の近くにあるなら、馬車で丸一日以上かかる。とてもじゃないが……荒らされきってしまっているだろう。アンディさんは次も、と言ってくれていたが、難しいかもしれないね。それにしても……トマトとナスで五つしか卸してもらえないとは……もしかして信用を置けるかどうか試されているのかな?」

 肩を落とすお父さんに私は慰めの言葉をかける。

「……たぶんアンディさんってそこまで疑り深くないと思うよ。妖精さんが懐くくらいなんだし」
「それはそうか。だが、どうしようか……大きいだけの野菜は目玉商品になるだろうか」
「……キュウリがあれだけ美味しかったんだもん。この野菜も美味しいかもしれないよ?」
「そうだね。どちらにしろ少ししかないから、一個は僕たちで味見しようか。そうしないと売るときに自信を持てないし」
「……うん」

 お父さんが奥から包丁とまな板を持ってきた。かなり大きいトマトに、包丁を手前と逆から二度丁寧に入れた。
 そして、
 小さく切り分けたトマトをお父さんと同時に口に入れた瞬間に――
 私たちは見たこともない夢の世界へと旅立った。
 ベジタブルワールドへ。
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