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現実と夢の狭間に立つとき

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「いやー、ぎりぎりだった」

 どすんと尻もちをついた。
 大部屋には一体もリデッドはいない。『宮殿』が生きている限り、またリデッドは復活するが、時間はかかるだろう。
 シンが足音なく近寄ってきた。

「まったくギリギリには見えませんでしたが……」

 僕は首をゆっくり横に振って、熱い息を吐きだした。

「そうでもないよ。魔法の使いすぎで魔力はすっからかんに近い。視界がぼやけて、回復薬を飲むかどうか迷ってたくらいさ」

 黒い強化服のポケットをいくつか開けた。
 持ってきた回復薬は六割ほどが無くなっていた。
『宮殿』にようやく到着したと思ったら、一つしかない出入口が押しても引いても開かなかったときは肝を冷やした。
 即座に魔法で吹き飛ばして中に潜入すれば、今度は嵐のようなリデッドたちの群れに襲われた。僕の経験の中でも一位二位を争う数だった。

 中級の探索者にはどれも大したことがないリデッドたちだけど、僕にとっては災害に等しい。
 そんな連中が波のように押し寄せるので、《かがり火》を何度放ったことか。

 シンなら片手間に倒せる相手でも、クリティカル頼みの僕がやるとどうしても十発以上魔法を使用する。
 その度に、ごりごりと魔力が削られるのだ。

 クリエイターであるティトに作ってもらった魔力消費削減の機能を持ったヘリテージが無ければ、もっと回復薬を消費していただろう。

「さて、最後の仕上げといこうかな」
「どういう意味ですか? 敵がまだどこかに? それとリーンさんがおっしゃっていた『覚醒者』とは何なのですか?」
「『覚醒者』については、またゆっくり説明するよ。シンも薄々はわかったと思うけどね。今はまず――それを処理しなくちゃならない」

 質問を煙にまいて、僕はのそりと立ち上がって指を差した。
 シンの顔が驚きに変わる。

「『円柱』……まさか、破壊するのですか!?」
「『宮殿』に他の『円柱』が刺さっている状況は良くなくてね。異質なものが二つ混ざり合うとより危険な『禁止級』に育つ可能性があるんだ」
「ですが、こんな大きなものを私たちだけで?」
「違うよ。壊すのは僕一人でやる」
「そんな――」

 シンが絶句する。
 僕は薄い笑みを浮かべて、内側のポケットから瓶を取りだした。真っ赤な液体で満ちた薬は禁止薬という名のメイナ=ローエンから渡されたものだ。
 リスクはあるが、あまりゆっくりしている時間はない。

「それは……何ですか?」
「強烈なアルコールと薬剤を混ぜて作った禁止薬さ。今のところ、これが一番効果的でね」
「おっしゃる意味がまったく……」
「それもまた説明するよ。今は一つだけ頼まれてくれるかい? これを破壊したら、僕は気を失う。大ケガをしたところで悪いけど、北ギルドまで連れて帰ってくれるかい?」

 シンが一瞬だけ目を丸くしてから、「もちろんです」と強い口調で言い切った。
 これで心配は無くなった。

 現実と夢の狭間に立ちつつも、境界線を完全には越えずに済む便利な薬。
 でも、代わりにあらゆる思考能力を奪い取る。
 右も左も、敵も味方もわからなくなって気絶する。

 瓶の蓋を開けると、鼻の奥につんとした匂いが広がった。
 躊躇することなく、一息に飲み干す。『円柱』の前に立った。
 意識が遠くなっていく。

 デメリットだらけの薬だが、一つだけメリットがある。

 それはーー100パーセントクリティカル。

 この状態で放つ攻撃は、危険極まりないものとなる。
 余計な動作はしてはいけない。
 『円柱』にたどり着いた。シンに定まらない視線を向けて構えた。

 ――先生、技を借りるよ。

 『円柱』に向かって、一歩跳ぶように踏み出した。
 拳を立てた状態で、直突き。
 にぶい音が響き、感触が拳に伝わる。消えかけた意識の中で痛みが走った。

「『貧狼』(とんろう)」

 同時に、魔力を解放する。
 シンが得意とする《体術》の一つだ。
 一点集中型の突きに魔力爆発を合わせた技は、敵を粉々に粉砕する効果がある。

 彼がやれば、接触の瞬間に爆発させて拳にダメージはないそうだ。
 しかし、素人の僕はタイミングをうまく計れない。
 でも手加減しては技が発動しない。
 拳が壊れるほどの痛みに耐え――

 ――《体術》クリティカルが発生しました。

 100パーセントの確率で効果を最大化し、一撃で決める。
 禁止薬は貧弱さを補う薬なのだ。
 クリティカルが発生するまで、何度も何度も固い『円柱』を殴り続ける真似ができないために。

 音を立てて『円柱』に微細なヒビが走った。
 縦に横に斜めに奥に、次々と広がる。打点から一気に崩れ始めた。
 破片は落ちてこない。砕けた先から、塵になるからだ。
 『円柱』もリデッドと同じだ。
 活動を停止した時には、跡形もなく消え去る。
 それが最初から幻であるように。


 ーー瞬間、僕は何かの線を越えた。


 また来たな、と動かない体で身構えた。

 そして、遅れてやってくる刹那の時間。
 怒濤の情報量による異常な意識の混濁。

 上下がぶれた。
 見たことのない灰色の風景が、経験したはずのない疲労感に満ちた記憶が、なぜか目の前にーーはっきり見えた。

 そうだ。
 巨大な灰色の建物は《ビル》と呼んだ。
 動く箱は《電車》と呼んだ。
 僕はそれに乗ったことがある。

 映像を掴もうと無意識に手が伸びた。
 途端に押し寄せる望郷の念。
 自分を見失いそうになった。

 その世界は確かにあるーー心のどこかが勝手に認めようとする。

 歯をぐっと噛みしめた。

 ダメだ。
 そっちに足を踏み入れたら戻れなくなる。

 僕はこの世界が好きだ。
 みんなのいる世界にいたい。

 ここがーー今の《俺》の居場所なんだ。 

 意識がぷつりと途絶えた。
 
 
 
 
 
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