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最後の戦い

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「リリスって子は、死んだ。ちゃんと、復活後の二回目も殺してやったからね。君にも二度目の天の声が聞こえたはずだ。どんな感じで死んだか教えてあげようか?」
「黙れ」
「それとも、三秒ルールでもあるのかい? 死んでから三秒は大丈夫って考えてたりする?」

 カザミの軽口に、サナトが眉を寄せた。

「お前……まさか……」
「そんなに驚くことはないだろ? この世界に君がいるんだ。別に他に転移した人間がいたって珍しくもない。で、どうなんだい? やっぱり三秒ルールに期待してるのかい? でも残念。リリスは即死だよ。良く分からないけど、自分で刃先を心臓に誘導したんだ。案外、君から逃げたかったんじゃないかい?」
「……黙れ」

 サナトが怒りを瞳に込めて、<時空魔法>を行使する。ゲートに滑り込み、カザミの背後に回り、<白炎刀>を振るった。
 大気すら焦げつかせる刃が、空を切った。
 カザミはまるで先読みしたように、その場から移動していた。

「その魔法はなんだい? これだからチート持ちは嫌なんだ。魔法の理ってやつを、簡単に変えてしまう。それにそっちにいるのは、天使だろ? 君、どれだけ恵まれてるのやら。いや、待てよ。リリスが魔人だったってことは、もしかして、君……悪魔に知り合いがいる?」

 饒舌にしゃべって考え込むカザミは、ちらりと疑いの眼差しを向けた。
 サナトは取り合わずに小さくつぶやく。

「<フレアバースト>」
「いきなりか」

 空中に火の玉が現れた。
 周囲を飛び交う無数の紅玉が中心の玉に赤い橋をかける。

「そんなの当たるわけないだろ」

 一気に収斂し、爆発する寸前。カザミはゲートの中に消えた。
 目標を見失った爆発は、虚しく空を震わせた。

「でかい魔法を撃てばいいってもんじゃない」
「そうみたいだな。俺もできれば遠距離魔法じゃなく、接近戦で殺したいと思っていたからちょうどいい。<光輝の盾>」

 金に輝くドームが出来上がった。
 サナトとカザミを含んで広がる巨大なものだ。直径は何十メートルあるだろうか。
 カザミが呆れた声で言う。

「柵でも作ったつもりかい? こんなに広かったらいくらでも逃げられるじゃない? 君、バカなの?」
「俺は、バカだ。この世界に来た時から、なにも成長していない」
「はあ?」

 サナトが地を蹴った。
 眼前で肩をすくめるカザミに向けて、一閃。そこにあった頭が、後ろにのけぞって刃を交わす。軽口が飛ぶ。

「まさか、柵の中ならいつか切れるとか思ってる?」
「そこまでバカじゃない」
「意味わかんないね」
「どう思われようと興味はない」

 サナトは再び追いかける。
 一振り、二振り、三振り。どれも当たらない。
 カザミがめんどくさそうに聖剣を薙いだ。しかし、その刃はサナトの胸の前にできた<光輝の盾>に阻まれる。
 小さく驚いた顔で、舌打ちが鳴る。

「チート持ちの盾か。めんどくさい」
「なんとでも言え」

 再び、サナトが追いかける。

「<時間停止>」

 カザミの両足がぴたりと止まった。驚いた顔で足元を見て、「<時間停止解除>」と囁く。
 そして、大きく跳び下がった。

「<時空魔法>もお手のものか」
「やはり、悪魔か」
「勘違いがあるね。僕は、元は人間だ。ただ――」
「どうでもいい。人間だろうが、悪魔だろうが、殺すことに変わりはない」

 サナトがぶっきらぼうに言う。
 両腕に<白炎刀>を纏って追撃を開始する。

「話くらい聞けよ。せっかちなやつだ」

 毒づくカザミは再び距離を取る。聖剣で周囲を覆うドームを斬りつけ、効果が無いのを確認する。

「壊れない。……ん?」

 何かに気づいた。
 ぐるりと周囲を見渡したところに、サナトの<白炎刀>が振り下ろされた。
 しかし、またも余裕の表情でかわす。

「そんな遅い動きじゃ僕には当てられない……」
「何度も試せばそれくらい分かる。だから範囲を縮めてるんだ」
「やっぱりそうか」

 サナトはドームを徐々に小さくしていた。
 輝く壁は、いつの間にか覆っているエリアを狭めていた。
 カザミが首を傾げた。

「それができるなら、どうして一気に小さくしない?」
「じわじわ殺した方が俺の恨みが晴れる」
「……あっそ。言っとくけど、僕はいつでも<時空魔法>で逃げられるんだよ」
「なら、逃げればいい。俺はどこまでも追いかけて殺してやる」

 サナトが歩を進める。
 無人の荒野を歩くように、警戒心はまったくない。

「鬼ごっこも、すぐ終わる。怖いなら早めに逃げることを勧める」
「言うねー。チート持ちの自信かな」

 サナトがゲートを使って少し離れた場所に移動する。
 ゆっくりと小さくなっていたドームが、土を削って速度を上げ始めた。
 と、地を蹴って突進し、「<フレアーバースト>」とつぶやくと同時に、左腕の<白炎刀>を外に薙いだ。かわしたカザミに、右の<白炎刀>を突き出す。
 だが、これもカザミは体を斜めにして見事にかわした。

「――っぅ」

 カザミの顔が苦悶に歪んだ。
 背中に、<白炎刀>から『枝分かれした』刃が突き刺さっていた。
 体が焼ける匂いが漂った。
 黒い煙が漏れ出し、カザミが血を吐いて倒れた。
 サナトが見下ろす。

「一気に狭まる場所。二本の刀。おとりの大魔法。ここまでやれば、さすがにかわせなかったな。本命は、三本目の刀だ」
「まんまと気を取られたよ……やりたい放題の魔法だ。じわじわ殺すってのはフェイクか」
「敵を殺すに早いにこしたことはないだろ」

 カザミはにやっと笑う。口端から血を流しながら、はっきりと言った。

「これで終わったと思ってるのかい?」
「いいや。どこかに本体がいるんだろ」
「おっ……知ってたのか」
「悪魔に憑依された敵と戦ったことがあるからな。で、お前はどこにいるんだ?」
「魔界さ。本体に出会ったら後悔するぞ。って言っても、どうせ来るんだろ? 場所はそっちの天使にでも聞きな」
「必ず殺しにいく。その体は魔人ではなく人間だな?」
「興味なかったんじゃないのかい?」
「……そうだな。どうでもいいか」

 サナトはしんみりとした口調で言い、白い煙を上げる<白炎刀>の切っ先を、横たわる首に当てた。


 ***


 そよ風が吹いた。
 草原を駆ける自由な風が、戦場の空気をさっと入れ替えていく。
 サナトは全身で受け止め、大きなため息をついた。

「まだ終わっていない。気を抜くな……気を抜くな……」

 拳を震わせるサナトの肩を、ルーティアが軽く叩いた。
 泣きはらしたような金色の瞳があった。

「がんばれ」
「厳しすぎて泣きそうだ」
「うれし涙にするまで、がんばれ」
「……分かってる。信じて……いいのか?」

 サナトがなんともいえない表情で尋ねた。
 もちろんリリスのことだ。
 崩れ落ちそうな体が小刻みに揺れている。

「全力で……がんばる」
「頼りになるのかならんのか、微妙な返事だな」

 泣き笑いの顔に、ルーティアが微笑み返す。

「マスターが信じてくれれば、きっとうまくいく」
「根拠のない話だ」
「でも、信じたいでしょ?」
「当たり前だ」
「なら、あと少しがんばれ。リリスに胸張って会えるように」
「分かってるさ……」

 サナトが、瞳をぬぐって首を回した。
 決意を新たにして、ゲートを開けた。


 ***


「ようこそ」

 青天井の城。高い玉座からだみ声が降ってきた。
 周囲のざわめきが広がっていく。下級悪魔だろう。
 サナトが見上げる。
 
「お前が本体か」
「いかにも。私が悪魔の王ノクス。さきほどは人間の姿で失礼した。レベルが高いだけの体は、チート持ちには歯ごたえがなさすぎたことだろう」
「どっちでもいい。さっさと始めようじゃないか」
「せめて、名乗ったらどうだ? 異世界人よ」
「ヒイラギ=サナトだ」
「良かろう。では、かかってくるがいい。存分に悪魔の力を味わうといい」
「<フレアバースト>」

 サナトが右腕を上げた。炎が収斂し、特大の爆発が生じた。
 巨大な城がびりびりと振動し、一帯が燃え尽きて灰燼と化す。
 うるさかったざわめきが焼失し、光の粉が無数に舞った。
 しかし――

「容赦がないところには好感を抱くな」

 ノクスは平然と立っていた。
 群青色の逆立った髪に、捻じくれた二つの黒い角。濃い茶色のローブが、はためいている。
 玉座も階段も跡形もなく消えているのに、体には爆発を受けた形跡がまったくない。
  
(魔法が効かない? <神格眼>も通用しないとなると厄介だな)

「<ファイヤーボール>」

 攻撃力を極限まで引き上げた紅玉が唸りを伴いノクスに向かう。
 が、狙いがまったく逸れ、見当はずれの地面に激突した。
 ローブが激しく波打ち、塵が頬に当たる。
 ノクスが冷ややかに嗤った。

「初級魔法を使ったところを見ると、またチート魔法か。その力を与えたのは、中にいる天使だな。上にはそんな能力を持つやつがいると聞いたことがある。だが、私に魔法は通用せんぞ」

 重々しく響くだみ声には余裕が感じられた。
 サナトは次の手を使う。

「<絶対浸食>、<病魔の領域>」

 負の回復魔法と、状態異常付与の魔法。
 ノクスを指定せずにサナトを起点にして、範囲を広げた。
 だがこれも無駄だったようだ。

「範囲に入らない?」

 円形に広がるはずの範囲指定が、ノクスだけを避けるように歪んだのだ。
 サナトは納得したように頷いた。

「要は、お前を狙えないということか」
「そういうことだ。いくら魔法が強かろうと当たらない以上は意味が無い」
「<魔法干渉>、<魔法無効>、<魔法指定無効>……のいずれか」
「違うな。<魔法阻害>だ」
「そんなスキルがあるのか」
「私は悪魔の王だぞ。魔法を生み出した王が、魔法に脅かされることなど、あってはならない。当然のスキルだ」
「卑怯なスキルだな」
「汚い、卑怯は敗者の戯言よ。勝てば良いのだ。さあ、ヒイラギ=サナトよ。この状況をどう戦う? 言っておくが、私は<時空魔法>での逃亡を見逃すつもりはないぞ」
「誰が逃げるか」

 サナトは吐き捨てるように答え、<白炎刀>を腕に纏って切りつけた。
 しかし、曲がる。
 ノクスに触れるのを嫌がるように、高熱の刃がぐにゃりとそれた。
 左腕の刀も同じだ。
 どうあっても触れないらしい。

「だから、言っただろ――」

 ノクスの声が低くなった。
 脇腹に握った拳が見えた。それが一瞬ぶれた。
 サナトが危険を感じて、体に<光輝の盾>を張った。
 しかし、黒い拳が触れた瞬間、盾はガラスが飛び散るように砕けた。
 途方もない衝撃が、腹から背中を突き抜けた。
 サナトが吹き飛んだ。
 土煙と轟音を上げて、青天井の城から森へと転がった。ようやく勢いが止まると、体を起こして<時空魔法>を使用した。

「信じられん……」

 ノクスが目を見開いた。心底驚いた顔だった。

「なぜ、生きている? なぜ原型を保っている?」
「体は頑丈なんでな」

 サナトは埃を払いながら、平然と答えた。
 ノクスの顔に、初めて小さな苛立ちが浮かぶ。

「それも天使の力か」
「どうでもいいだろ」

 サナトが無造作に踏み込んだ。
 呆気に取られたノクスの反応が遅れた。

「くらえ」

 膝を落として、とんっと左足で踏み込んだ。脇腹に構えるのは握りしめた右拳だ。サナトは、右足で大地を蹴り、全力でかちあげた。
 ノクスの体の表面の薄い銀色の膜が一枚、二枚と割れた。その度に、威力が殺されたことを実感する。
 拳が当たり腹部がたわむ。体が九の字に折れた。
 今度はノクスが吹き飛び、壁に大穴を開けた。

「まあ、死なないだろうな」

 数秒後、目の前に渦巻いたゲートを見て、サナトが嘆息する。
 吐き出されるように現れたノクスの険しい視線が向いた。

「ダメージは無い」
「だと思った」
「だが、第一級悪魔に匹敵するほどの力だ。正直なところ、驚いた」
「でも、これじゃ殺せないか」
「当たり前だ。私を殴って殺そうなどとうぬぼれも甚だしい」

 サナトが口をへの字に曲げ、むっつりと腕組みをする。

「どう殺すべきか」
「まだ殺せると思っているのか。多少は驚いたが、次は拳もくらわんぞ」
「なら、こんなのはどうだ?」

 その瞬間、ノクスの顔が歪んだ。
 自分で歪めたのではない。超速の拳が、頬に当たっていたのだ。
 サナトは一瞬にして移動していた。
 <時空魔法>は使用していない。
 薄い銀の膜は確かに作動していた。なのに、とてつもないダメージと衝撃が、頭に突き抜け、全身が痺れた。
 ノクスが吹き飛ぶ寸前、サナトが口角を上げた。


 ***


(なんだ、今の動きは)

 まったく目で追えなかった。
 鈍足の大砲。それがサナトへの印象だった。
 本気になればいつでも避けられるし、<物理防御結界>を抜けたとしてもダメージはないと、そう信じていた。
 だが、今の一撃は違う。
 HPを確認すれば四割も減っている。<HP超回復>によって瞬く間に回復したが、続けてくらえばまずいことになる。

(私が死ぬことはないが、見極める必要があるな……)

 ノクスはゲートを開く。
 出た先には不遜な表情で腕組みをするサナトがいた。

「効いたぞ」
「みたいだな。顔が真剣になっている」
「どうやった?」
「そんなことを話すと思うのか? 次行くぞ」

 サナトの姿が掻き消えた。
 ノクスは大きく目を見開く。一度目は油断していたが、二度目は無いのだ。
 見極めろ。見破れ。敵の小細工を――

「ぐぅぅっ!?」

 まただ。体の前に発生した薄い銀幕があっけなく砕け散った。
 <物理防御結界>が反応している。
 間違いなく物理攻撃だ。魔法が絡んでいるなら、サナトの攻撃は当たらないはずなのだ。
 だがこれは――

「うぅぉおおおおおおおお!?」

 体が途方もない速度で大地を抉った。凄まじい力だ。
 回復したHPが、また削られてもとに戻った。

「そんなバカな。さっきは手加減をしていたというのか。こんな力があるなら、なぜ最初から使わない。天使の力を借りたとて、防御、攻撃、速度のすべてが図抜けているなどあり得ない」

 森の中で、むくりと体を起こした。特注のローブはすでにずたずただ。
 まさか――
 ノクスの頭に仮説が舞い降りた。

「そういうことか……」

 ノクスは物理攻撃型の悪魔だ。悪魔の王としての権能で、攻撃、回復魔法の一切は効果が無い。回復はスキルの<超回復>頼みで、多様な攻撃手段は持ち合わせていないが、その分単純な攻撃力は誰も敵わない。
 第一級悪魔ですら、魔法が通じずに殴られて消滅させられるのだ。
 しかし、サナトはそれに耐えた。

「分かったぞ」

 ノクスは再びサナトの前に姿を現した。
 そして、秘密を知ったとばかりに言い放った。

「貴様、ステータス強化まで変化させられるな」

 サナトが小さく苦笑する。軽く肩をすくめた。

「……その問いは失敗だったな」
「なに?」
「ステータスは視えないが、これでお前も俺のステータスが視えていないことがはっきりわかった。ステータス強化なんて珍しくもなんともない。もし視えていたら、そんなわかりきったことにはすぐ気づいていただろう。焦ったか?」
「くっ……」
「加えて言えば、お前は<魔法阻害>のおかげで、自分も魔法が使えないようだな。二度吹き飛ばしたが、一度も<回復魔法>を使っていない。そして、攻撃魔法の一つも飛んでこない……」

 サナトが焦点の合わない瞳で見つめる。

「カザミとして戦った時に<時空魔法>を使っていたから、今まで魔法を警戒していたが、人間の体だから使えただけで、悪魔本体は無理のようだな」

 ノクスの足が一歩下がった。
 サナトが一歩距離を詰める。

「悪魔の王か……天使に負ける理由が分かるよ」
「なにいっ?」

 あざ笑う黒い瞳がノクスを射抜いた。

「お前は、ただ魔法が効かないだけの筋力バカだ。それなら、圧倒的な力で殴り殺してやる。『力』と『素早さ』に振りなおしたステータスの恐ろしさを味わうといい」

 サナトが消えた。
 慌てて周囲を見渡すが、見えない。ぼろぼろになった壁が崩れた音に反応して、右に視線を向けた。
「こっちだ」
声が聞こえて左に向いた。
 と、その逆の頬に、拳がめり込んだ。


 ***


「ありえん、ありえん、ありえん! 力と素早さだと!?」

 ノクスの顔が苦痛に歪む。
 仮説通りだ。二種類のステータスを上昇させるスキルを改変し、元々防御寄りに振っていた値を、力と素早さに修正したのだろう。
 だが、それは防御を捨てたのと同然だ。

「この私を相手にして、丸腰に近いだと!? 信じられん!」
「何が信じられない? 大事な人間は先に逝った。俺も別に死んでも構わないんだ。お前を殺せればな」

 背後で聞こえた声に、首を回した。
 同時に、またも凄まじい衝撃に襲われる。背中の中心だ。
 体内の骨がごきりと折れた。
 腹が破裂したような衝撃と、抗えない力に体が軽々と跳ね飛んだ。

「くそっ!」

 <HP超回復>が、体を瞬く間に癒す。
 憎々し気に睨んだ先に――サナトはいない。

「またか!?」
「正解」

 顎が跳ねあがった。首が千切れたと思えた。
 気が遠くなるような経験は初めてだった。
 サナトの声が聞こえる。

「弱い弱い」

 その言葉に、ノクスはかっと頭に血を昇らせた。

(こんな雑魚にっ!?)

 忸怩たる想いが、なりふり構わず、叫ばせた。

「来い! 悪魔ども!」

 青天井の城は五本の尖塔に囲まれている。
 尖柱の頂点で黒い渦が巻いた。禍々しく濃密な闇だった。
 現れたのは四人の悪魔。彼らは戦場を一瞥し、タイミングを合わせたようにゲートを使用して飛んだ。

「あはははははは」

 ノクスが高らかに嗤った。
 四人の悪魔たちが、左右に二人ずつ立った。誰もが無表情でサナトを睥睨し、口を開かない。ウェリネもいる。
 圧倒的な気配を前に、サナトはぴくりとも動かない。

「分かるか? これが私の戦力、第一級悪魔たちだ」

 そう言ったノクスの眼前、サナトの隣で渦が巻いた。
 赤髪の悪魔が現れた。

「バール、貴様……私を裏切るのか」

 ノクスは憎々し気に唾を吐く。
 バールは鼻を鳴らしただけで、床に手をつく。

「で?」

 サナトが首を鳴らして前に進み出た。
 一歩、二歩。
 そして――消えた。

「ぁぁぁぁぁっつ!?」

 拳がノクスの顔面にめり込んだ。
 わけがわからない。なぜ自分に攻撃が当たったのだ。
 しかも、森まで吹き飛ばされると思っていた体は、固い何かによって止められた。
 それは、岩だった。
 バールが<大隆起>で城の内部を囲ったのだ。
 鈍痛が広がった。血がとめどなくあふれ出し、口内に液体が溜まる。たまらず吐き出した。

「なぜ、助けない!?」

 悪魔四人は微動だにしていなかった。
 信頼していた右腕たちは、ようやく首を回し視線を向けた。

「な、なんだ、その目は」

 媚びへつらうだけのウェリネの口端が切れたように上がっていた。肉弾戦しか能のないと思っていた武人のような銀髪のヘリオーズが、むっつりと押し黙っている。
 他の二柱の悪魔も侮蔑の瞳を向けていた。
 かつん、と靴の底が鳴らす音が近づいた。
 バールだった。
 彼は、四人の悪魔の中央に入った。

「これが、第一級悪魔の総意です」
「なぜだ!? 俺は悪魔公、悪魔の王だぞ!」
「公、少し黙っていただきたい」

 ヘリオーズが苦渋の表情で告げた。

「私は、公を守るつもりでした。もし追い詰められて亡くなられたとしても、悪魔の王たる姿を失わないのであれば、次は必ず私が盾になる――それが『推奨』の王である私が、バールに出した条件」
「ヘリオーズ……俺がそうではないと言うのか!?」
「いかにも。悪魔の王が、自分より弱い悪魔を盾に呼び出すようなことがあってはならない」

 愕然と顔を歪めるノクスに、もう一人の桃色髪の悪魔が近づく。
 妖艶な唇が震えるように動いた。

「公は、変わってしまわれた。勇者を取り込んでからというもの、天使に干渉し、ボス部屋やスキルを売るなどという愚策をいくつも重ねてきました。もううんざりなのですよ」
「俺のおかげで、悪魔が増えたはずだ!」
「有象無象を増やすことを、我ら五柱は誰も望んでおりません」

 ウェリネが唇に指を当て「ふふふ」と悪戯っぽく笑う。

「別に手を出そうと言うのではありません」

 バールが亀裂の入った笑みを浮かべて、見下ろした。

「ただ、悪魔の王だというなら……最後まで一人で戦いなさい。支配階級たる我らに援軍は不要、助力も不要。死ぬときは一人で。それが我ら悪魔の教示。数百年前のあなたは、誰よりも厳しかった。サナト様――お待たせしました」
「もういいのか?」
「ええ。我らの伝えたいことは終えました。あとはご自由に」
「俺はお前にも言いたいことがあるが、まあ……今はこっちだな」

 サナトが再び消えた。
 悲愴な表情のノクスが軽々と後ろに吹っ飛んだ。岩にめり込み、ぱらぱらと小石を落として落ちる姿に力は無かった。
 だが、様子とは裏腹に<HP超回復>が発動する。
 体が光に包みこまれ、あっという間に傷が消える。

「お前ら、あとで全員殺してやるからな……」

 体を起こしたノクスの瞳は憎悪に燃えていた。
 サナトよりも、殴られたことよりも、裏切ったお前たちを許さない。
 目が語っていた。
 バールがせせら笑う。

「もう遅いのですよ」
「そういうことだ。お前は俺の持ち物を奪った。死ぬことは確定している。ようやく動きが止まったしな。殴り続けて接触時間はクリアしている。最後に触れれば終わる――<解析>」

 サナトが流れるように「<魔法阻害>」と口にする。
 何が起こるか分からない。ノクスが嫌な予感に身を震わせる。

「な、なにを……ま、待て……」
「<悪魔召喚>」

 その瞬間、ノクスの頭の中に天の声が聞こえた。おぞましい響きだった。

 ――<魔法阻害>が<悪魔召喚>によって上書きされました。

「な……んだと?」

(どういう意味だ。上書きとはなんだ。<魔法阻害>が上書きされた?)

 混乱するノクスを悪魔たちが興味深そうな瞳で見ていた。
 口の中が乾いたようにひりつく。得体の知れない怖気が背筋を這いのぼる。
 ノクスは生まれて初めて恐怖を感じていた。

「そんなはずがない。魔法は効かない!」

 強い口調で断言する。それ以外の結果は認めない。
 でなければ、悪魔の王が魔法という自分で作ったスキルに脅かされるではないか。

「ぜったいに――」
「<絶対浸食>。じゃあな」

 抵抗を許さない負の<回復魔法>が体を輝かせた。すうっと手と足が冷えた。
 どこか温かく、懐かしい気持ちになった。
 悪魔公としての記憶なのか、カザミという人間の記憶なのか。
 分からなかった。
 体が――糸が切れたように力を失った。
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