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侵攻 6
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言葉通り、ヴィクターが復活することはなかった。
サルコスがやるせなさそうに首を振った。
「こんなに才能があったやつは二人といない。どこで、間違ったんだ……」
「あの時、私たちが抜けたから?」
眉を下げたアズリーが死体に静かに近寄った。
満足そうな死に顔にそっと片手を当て、瞼を閉じさせる。
口元の笑み。倒れた姿勢。
ヴィクターの姿は、すべてをやりきったと言わんばかりだった。
「違う、と思いたいですね。それに……こいつは、お嬢様や私が抜けたくらいで、どうこうなる弱い人間ではなかったと思います」
「そう……だよね。誰よりも意地っ張りだったもんね」
「そのうえ、誰よりも負けず嫌いでした」
サルコスが嘆息しながら言って、近づいたもう一人の人物に視線を向けた。
深く頭を下げる。
「陛下、ご助力ありがとうございました」
「やめてちょうだい。私は、あなたの作戦を邪魔しただけよ」
「そんなことはありません。陛下の技があったからこそ、ヴィクターの精神的な集中が切れたのです」
レイナが困ったように笑う。「サルコスがそう言うなら、もう何も言いません」と、ヴィクターに視線を向けた。
サルコスが気を取り直して言う。
「これで、『特異点』というものは守れた――ということでよろしいのでしょうか? 私はなぜ守る必要があるのか知らないのですが……そもそも、扉の奥には何があるのですか?」
最奥に鎮座する両開きの扉を見やる。
重厚な扉だ。外観の古臭さと、歴史を感じさせるぼやけた色合いが、特徴的だ。
「それは説明できないわ。私も……半分くらいしか理解していないから。でも、一人目の敵はフェイト家のみなさんのおかげで倒せたことは間違いありません」
「一人目?」
サルコスが眉を上げる。
聞いていない、という顔だ。
「ノトエアの日記には、ここにもう一人現れることが記されているの」
「二人目の敵がいるのですか?」
「……そうなるわね」
レイナの言葉は、何かを濁していた。
全員が不思議そうに視線をかわした時だ。
入り口で、足音が鳴った。
***
「あれが、もう一人の敵」
アズリーが眉間に皺を寄せた。
見るからに人間ではない。
異常に盛り上がった肩が後頭部の高さを越えて膨らんでいる。足は二本。腕には獣を思わせる剛毛がびっしりと生えていて、肌が見えない。
長い爪と、異様に伸びた黄色い犬歯。たった一つの金色の瞳。
異形の化け物は、大の字になるヴィクターを一瞥すると、不愉快そうに耳障りな声で吠えた。
「隊列を組め」
サルコスがこめかみに汗を流して言う。
表情がひどく強張っている。アイテムボックスから取り出す盾を重そうに構えた。
そのまま、矢継ぎ早に指示を出す。
「私が最前で盾を構える。後ろにバレット、サポートをシーラ。魔法でお嬢様と陛下が援護してください」
耳打ちをするような小さな声が返った。
相手を刺激しないように、音を消して自然に移動する。
サルコスの盾を握る持ち手が、ぬるりと滑った。
「あれが……悪魔なのか?」
押し殺した声。しかし、その動揺とつぶやきは、瞬く間に後ろに連なる者たちに伝わった。
「初めて見たぜ」と固い口調で言ったバレット。「恐怖で剣が揺れますね」とシーラ。
「あんなの……どうしろって?」
「私の『神格法』でなんとかしましょう」
アズリーの隣で、レイナが痛ましそうに瞳を細める。
――異形の両手には、人間の頭部が四つ握られていた。
素手で引きちぎったのだろう。首から筋繊維が垂れ、目や耳も原型をとどめていない。滴る血液が、間断なく地面を染めている。
犠牲になったのは、数時間前に挨拶を交わした憲兵たちに違いない。
「絶対に気を抜くな」
サルコスの最大級の警戒が放たれる。
金色の単眼が、それに反応してぎょろりと動いた。
誰かが息を呑む。凄まじい殺意だ。
肉食獣の口の前に頭を差しだしているような、どうしようもない絶望感が漂い始めた。
「戦う前から、これかよ。ヴィクターの比じゃねえ」
あえて強がるように言ったバレットの槍がかたかたと震えていた。すぐさま気づいた彼は、逆の手で持ち手を殴る。
その様子をからかう者はいない。
誰もが同じ気持ちだったのだ。
異形の化け物は、ゆっくりとサルコスの方に踏み出した。
とてつもなく重いに違いない。地面に爪先が抉るようにあとをつけた。
「――っ」
その瞬間、サルコスが動揺する。
異形の化け物が忽然と姿を消したのだ。慌てて盾を下げ、周囲を隈なく睨む。
だが、いない。
まさか――
戦慄が背筋を駆けのぼった。
「姿を消せるのか!? 警戒! 来るぞ」
怒鳴ったサルコスが、素早く一歩下がった。
アズリーとレイナを中央に呼び寄せ、三方をサルコスとバレットとシーラで囲む。
全方位を警戒する。
「――っ」
数秒が経過した。
レイナが『奏上の言』を完了させ「いつでも来なさい」と厳しい顔で言った。
完全に後手に回った状況の中――わずかに誰かが身じろぎをした。
その瞬間だった。
「グぅっっ!?」
視界の端で血しぶきが舞った。
途方もない力だった。立て続けに胸部に三つの穴が空き、まるで噴水のようにどす黒い内臓がとび出した。
そのまま重い体を蹴り上げられ、垂直に上昇して天井に衝突。
一拍遅れて落ちてきた肉の塊が<火魔法>によって燃え上がる。
ほんの一秒。
――唖然とした顔の異形の化け物は、サルコスたちの眼前で物言わぬ塵と変わった。
***
「……お前は?」
最初に我に返ったサルコスが、血に塗れた衣服を着替える男に尋ねた。
「名乗る必要はありませんね」
赤髪をオールバックに固めた男は、執事服に似た黒い上着に袖を通し、両手で髪をかき上げる。
「品のかけらすらない敵は殺す価値もない」
「……サナトの言っていた援軍か?」
赤髪の男は、意味深に笑う。興味なさげに、わずかに残った肉片を靴底で踏み潰し、ポケットに手をつっ込んで、奥に向かう。
「ま、待ちなさい!」
進路の先にあるのは、巨大な扉――『特異点』だ。
レイナが、はたと気づいて立ちふさがった。両手を胸の前で組み、「止まりなさい」と威嚇する。
だが、男は口を歪めて笑うだけだ。
「助けてくれたことには感謝しています。ですが、誰であろうと、この先に通すわけにはいきません」
「あなた程度の<神格法>では、私は止められませんよ」
男は、目に映らないはずのレイナの『手』に視線を向けた。
「あなた……まさか……」
「分かったなら、どきなさい。巻き添えを食いますよ」
男は歩を進め、うっとうしそうな顔でレイナの前に立った。頭一つ高い位置から見下ろし、金色の瞳を輝かせる。
彼女が視線をそらして体を震わせ始めた。みるみる顔から血の気が引き、組んだ手が白くなる。
「あなた……な、何者なの……」
「何者でもいいでしょう。さあ、どきなさい」
「だ、ダメよ……ここだけは通すわけには……」
「ですが、私が怖いでしょう? 今すぐ、どこかに走り出したくなるほどの恐怖を感じているはずです」
「や……やはり、あ……なたが……何かを……」
レイナの膝ががくりと崩れた。
何度も短く空気を吸い、浅く息を吐いた。大粒の汗が額から滴り落ちる。
「ひ……卑怯……よ。スキルね?」
「何とでも言いなさい」
男は楽しそうに瞳を曲げ、扉の前に立った。物知り顔で、「これが、最後の」とつぶやき、片手を当てた。
「<大隆起>」
その言葉と共に、突然、大地が揺れた。
誰もがバランスを取ろうと構え、地層の奥で響くような地響きに身を震わせた。
男は静かに嗤った。
「これで、雑魚は手が出せない」
用は済んだとばかりに、男が身を翻す。
息も絶え絶えのレイナが、すがるように片手を伸ばした。
「待ちなさい! 何をしたの!」
「『特異点』を岩で覆っただけです。有象無象が使うには大きすぎる力なのでね」
「……どういう意味?」
「知ったところで、あなたにはどうしようもない。ただ、ここを守る必要はもうないということです。もし、私の岩を壊せる敵が来た時には……あなたの小さな力は役に立ちませんからね」
男はそう言って、機嫌良さそうに歩き出す。
呆気にとられるサルコス達に目を向けることなく、無詠唱でゲートを開いた。
そして――
ぴたりと足を止めた。
首を傾げ、天井を見上げる。
「……まさか、グレモリーが消滅するとは。これは早めに対処しなくては――っと、そうなりますよね。主人がお怒りだ」
男はくつくつと笑みを深め、ゲートに踏み込んだ。
サルコスがやるせなさそうに首を振った。
「こんなに才能があったやつは二人といない。どこで、間違ったんだ……」
「あの時、私たちが抜けたから?」
眉を下げたアズリーが死体に静かに近寄った。
満足そうな死に顔にそっと片手を当て、瞼を閉じさせる。
口元の笑み。倒れた姿勢。
ヴィクターの姿は、すべてをやりきったと言わんばかりだった。
「違う、と思いたいですね。それに……こいつは、お嬢様や私が抜けたくらいで、どうこうなる弱い人間ではなかったと思います」
「そう……だよね。誰よりも意地っ張りだったもんね」
「そのうえ、誰よりも負けず嫌いでした」
サルコスが嘆息しながら言って、近づいたもう一人の人物に視線を向けた。
深く頭を下げる。
「陛下、ご助力ありがとうございました」
「やめてちょうだい。私は、あなたの作戦を邪魔しただけよ」
「そんなことはありません。陛下の技があったからこそ、ヴィクターの精神的な集中が切れたのです」
レイナが困ったように笑う。「サルコスがそう言うなら、もう何も言いません」と、ヴィクターに視線を向けた。
サルコスが気を取り直して言う。
「これで、『特異点』というものは守れた――ということでよろしいのでしょうか? 私はなぜ守る必要があるのか知らないのですが……そもそも、扉の奥には何があるのですか?」
最奥に鎮座する両開きの扉を見やる。
重厚な扉だ。外観の古臭さと、歴史を感じさせるぼやけた色合いが、特徴的だ。
「それは説明できないわ。私も……半分くらいしか理解していないから。でも、一人目の敵はフェイト家のみなさんのおかげで倒せたことは間違いありません」
「一人目?」
サルコスが眉を上げる。
聞いていない、という顔だ。
「ノトエアの日記には、ここにもう一人現れることが記されているの」
「二人目の敵がいるのですか?」
「……そうなるわね」
レイナの言葉は、何かを濁していた。
全員が不思議そうに視線をかわした時だ。
入り口で、足音が鳴った。
***
「あれが、もう一人の敵」
アズリーが眉間に皺を寄せた。
見るからに人間ではない。
異常に盛り上がった肩が後頭部の高さを越えて膨らんでいる。足は二本。腕には獣を思わせる剛毛がびっしりと生えていて、肌が見えない。
長い爪と、異様に伸びた黄色い犬歯。たった一つの金色の瞳。
異形の化け物は、大の字になるヴィクターを一瞥すると、不愉快そうに耳障りな声で吠えた。
「隊列を組め」
サルコスがこめかみに汗を流して言う。
表情がひどく強張っている。アイテムボックスから取り出す盾を重そうに構えた。
そのまま、矢継ぎ早に指示を出す。
「私が最前で盾を構える。後ろにバレット、サポートをシーラ。魔法でお嬢様と陛下が援護してください」
耳打ちをするような小さな声が返った。
相手を刺激しないように、音を消して自然に移動する。
サルコスの盾を握る持ち手が、ぬるりと滑った。
「あれが……悪魔なのか?」
押し殺した声。しかし、その動揺とつぶやきは、瞬く間に後ろに連なる者たちに伝わった。
「初めて見たぜ」と固い口調で言ったバレット。「恐怖で剣が揺れますね」とシーラ。
「あんなの……どうしろって?」
「私の『神格法』でなんとかしましょう」
アズリーの隣で、レイナが痛ましそうに瞳を細める。
――異形の両手には、人間の頭部が四つ握られていた。
素手で引きちぎったのだろう。首から筋繊維が垂れ、目や耳も原型をとどめていない。滴る血液が、間断なく地面を染めている。
犠牲になったのは、数時間前に挨拶を交わした憲兵たちに違いない。
「絶対に気を抜くな」
サルコスの最大級の警戒が放たれる。
金色の単眼が、それに反応してぎょろりと動いた。
誰かが息を呑む。凄まじい殺意だ。
肉食獣の口の前に頭を差しだしているような、どうしようもない絶望感が漂い始めた。
「戦う前から、これかよ。ヴィクターの比じゃねえ」
あえて強がるように言ったバレットの槍がかたかたと震えていた。すぐさま気づいた彼は、逆の手で持ち手を殴る。
その様子をからかう者はいない。
誰もが同じ気持ちだったのだ。
異形の化け物は、ゆっくりとサルコスの方に踏み出した。
とてつもなく重いに違いない。地面に爪先が抉るようにあとをつけた。
「――っ」
その瞬間、サルコスが動揺する。
異形の化け物が忽然と姿を消したのだ。慌てて盾を下げ、周囲を隈なく睨む。
だが、いない。
まさか――
戦慄が背筋を駆けのぼった。
「姿を消せるのか!? 警戒! 来るぞ」
怒鳴ったサルコスが、素早く一歩下がった。
アズリーとレイナを中央に呼び寄せ、三方をサルコスとバレットとシーラで囲む。
全方位を警戒する。
「――っ」
数秒が経過した。
レイナが『奏上の言』を完了させ「いつでも来なさい」と厳しい顔で言った。
完全に後手に回った状況の中――わずかに誰かが身じろぎをした。
その瞬間だった。
「グぅっっ!?」
視界の端で血しぶきが舞った。
途方もない力だった。立て続けに胸部に三つの穴が空き、まるで噴水のようにどす黒い内臓がとび出した。
そのまま重い体を蹴り上げられ、垂直に上昇して天井に衝突。
一拍遅れて落ちてきた肉の塊が<火魔法>によって燃え上がる。
ほんの一秒。
――唖然とした顔の異形の化け物は、サルコスたちの眼前で物言わぬ塵と変わった。
***
「……お前は?」
最初に我に返ったサルコスが、血に塗れた衣服を着替える男に尋ねた。
「名乗る必要はありませんね」
赤髪をオールバックに固めた男は、執事服に似た黒い上着に袖を通し、両手で髪をかき上げる。
「品のかけらすらない敵は殺す価値もない」
「……サナトの言っていた援軍か?」
赤髪の男は、意味深に笑う。興味なさげに、わずかに残った肉片を靴底で踏み潰し、ポケットに手をつっ込んで、奥に向かう。
「ま、待ちなさい!」
進路の先にあるのは、巨大な扉――『特異点』だ。
レイナが、はたと気づいて立ちふさがった。両手を胸の前で組み、「止まりなさい」と威嚇する。
だが、男は口を歪めて笑うだけだ。
「助けてくれたことには感謝しています。ですが、誰であろうと、この先に通すわけにはいきません」
「あなた程度の<神格法>では、私は止められませんよ」
男は、目に映らないはずのレイナの『手』に視線を向けた。
「あなた……まさか……」
「分かったなら、どきなさい。巻き添えを食いますよ」
男は歩を進め、うっとうしそうな顔でレイナの前に立った。頭一つ高い位置から見下ろし、金色の瞳を輝かせる。
彼女が視線をそらして体を震わせ始めた。みるみる顔から血の気が引き、組んだ手が白くなる。
「あなた……な、何者なの……」
「何者でもいいでしょう。さあ、どきなさい」
「だ、ダメよ……ここだけは通すわけには……」
「ですが、私が怖いでしょう? 今すぐ、どこかに走り出したくなるほどの恐怖を感じているはずです」
「や……やはり、あ……なたが……何かを……」
レイナの膝ががくりと崩れた。
何度も短く空気を吸い、浅く息を吐いた。大粒の汗が額から滴り落ちる。
「ひ……卑怯……よ。スキルね?」
「何とでも言いなさい」
男は楽しそうに瞳を曲げ、扉の前に立った。物知り顔で、「これが、最後の」とつぶやき、片手を当てた。
「<大隆起>」
その言葉と共に、突然、大地が揺れた。
誰もがバランスを取ろうと構え、地層の奥で響くような地響きに身を震わせた。
男は静かに嗤った。
「これで、雑魚は手が出せない」
用は済んだとばかりに、男が身を翻す。
息も絶え絶えのレイナが、すがるように片手を伸ばした。
「待ちなさい! 何をしたの!」
「『特異点』を岩で覆っただけです。有象無象が使うには大きすぎる力なのでね」
「……どういう意味?」
「知ったところで、あなたにはどうしようもない。ただ、ここを守る必要はもうないということです。もし、私の岩を壊せる敵が来た時には……あなたの小さな力は役に立ちませんからね」
男はそう言って、機嫌良さそうに歩き出す。
呆気にとられるサルコス達に目を向けることなく、無詠唱でゲートを開いた。
そして――
ぴたりと足を止めた。
首を傾げ、天井を見上げる。
「……まさか、グレモリーが消滅するとは。これは早めに対処しなくては――っと、そうなりますよね。主人がお怒りだ」
男はくつくつと笑みを深め、ゲートに踏み込んだ。
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