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48 退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!

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「ね、ねえ、ディアッチ」

 ウーバが恐る恐る口を開く。

「どうした?」
「そ、その……えーっと……やっぱり無理!」

 ウーバは耳まで真っ赤にし、両手で顔を覆った。
 おかしい。こんなはずじゃなかった。
 魅了状態にかけたら、お酒の力も借りて、切れ味するどい質問を次々に投げかけ、ディアッチの赤裸々な気持ちをすべて聞き出す。
 そして、
「ふーん、そんなに私のこと、気になってたんだ。隠すの下手だものね。うふふふ」
 なんて、ちょっと高飛車なサキュバスを演じるつもりだった。
 けれど、恋愛経験の「れ」の字も経験がない彼女は、『本番』の呪縛に、見事にからめとられていた。
 ディアッチの顔を見上げた瞬間の、制御できない胸の高鳴り。
 それは今まで感じたことがないほど強烈で、新鮮だった。
 同時に、それは思い描いていたすべての作戦を破壊した。
 彼女はまさにウブな生娘そのものだった。

「全然、タイプじゃないの。こいつは、もともと子供をいたぶる悪いやつだったの」

 ウーバは荒い息を吐いて呪文のように深呼吸を繰り返す。
 真新しい空気を吸い込めば、この動揺を落ち着かせることができると言わんばかりに。
 しかし、胸の動悸は燃料を投下されたように速度と勢いを増し、顔は火照るばかりだ。

「や、やだ……私、こんな格好で」

 反射的に豊かな胸を抱えた。
 惜しげもなくさらしていた白い肢体に、急に恥ずかしさを感じた。
 いかにも襲ってくれと言わんばかりの格好で、何を聞き出そうと言うのか。
 むしろ、ウーバ自身が好意を最大にして、ディアッチにすり寄っているように見えるじゃないか。
 突如やってきた悶えるような羞恥心に、彼女は「~~~っっ」と声にならない悲鳴をあげ、へなへなと地面に膝をついた。
 でも――彼女にも意地がある。
 サキュバスとして、仲間として、簡単に落ちる女だと思われるのは許せない。
 もちろん、ディアッチはそんなことを思うはずもないのだが、ウーバの中で、右往左往しているばかりの自分は「負け」だった。
 その役目は自分ではなくディアッチが背負うものだ、という謎のプライドがあった。

「ちょ、ちょっと話をするだけ。そう……難しいことじゃないわ。まずは、きっかけよ」

 何度目かわからない自問を繰り返し、彼女は自分を奮い立たせるように立ち上がる。
 ディアッチに斜めに背を向けて胸を隠すようにして、首を回した。

「ねえ、ディアッチ……その……えっと……好きな……食べ物は?」
「MP以外で、ということか? 肉だ」

 ディアッチは優し気に答えた。
 その大きな瞳がウーバを慈しむように曲がる。
 彼女は、急に胸が締めつけられるような気分になり、顔をそむけた。
 どうでもいいプライベートな質問に、ディアッチが嬉しそうに答えてくれた。
 ほわほわと心が温かくなっていく。
 誰にも邪魔されず、他愛ない会話を楽しめる時間。

「バーベキュー、来て……良かった」

 人知れず少女のような顔で、幸せを噛みしめるウーバ。
 準備は大変だったけど、もうこれでいいか、とも思えた。
 だが――
 遠くの湖畔に見知った人物を見つけて、ひくっと頬が引きつった。
 リリ、プルルス、シャロンの三人が、「どうなるんだろう」とばかりに、興味津々で彼女を見つめていた。
 特に、リリは明らかに食い入るように目を凝らしてグラスを呷っている。片手には何かを持って、食べては飲むという行儀の悪さ。
 ウーバの頭が急速に冷えていく。

「ま、まずいわ。こんなので満足したなんて知られたら……」

 ウーバの頭の中に、三人に呆れられている場面が浮かぶ。
 ――「僕の部下は意気地がないね。それでもサキュバスかい?」
 ――「ウーバ様、見損ないました。なぜガツンと聞かなかったのですか?」
 ――「えぇー、私、アイテムまで使ったのに、聞けたのは好きな食べ物だけなのぉ?」

「あぁぁぁっ、これはダメよ! がんばれ私――き、訊く、訊いてみせる。それが一人前のサキュバスよ」

 彼女は意を決してディアッチの方に向き直った。
 胸に手を当て、一番深く呼吸をし、ディアッチの顔を見ずに――

「わ、私のこと、どう思ってる!?」

 突然の最終兵器の投下だった。
 やってしまった、と思った瞬間、つんと鼻の奥が痛くなり、瞳の奥がじんと熱を持った。
 けれど、今さらごまかせない。
 彼女は過呼吸気味に息を乱し、下からにらむようにディアッチを見つめた。
 ――どうしてこんなに。
 種族も違う。見た目もタイプじゃない。
 不愛想で、気が利かなくて、おまけにだらしないやつだ。
 でも――
 でも――

「わ、私は――あなたのこと、す、す、す――ぇぇぇっつ!?」

 彼女の緊張は限界に来ていた。
 だから、何かが足に巻きつき、湖に引きずりこまれた瞬間に、ろくな対処ができなかった。


 ***


「ウーバ!?」

 私は思わず立ち上がった。
 対岸で予想もしない事件が起こった。
 彼女の足に白い何かが巻きつき、湖に引きずり込んだのだ。

「ウーバぁぁっ!」

 同時に巨大な咆哮が鳴り響く。
 ディアッチが沈んだウーバのあとに飛び込んだ。ざぶん、と大きな波音が響くとともに、私の後ろでプルルスが立ち上がった。

「やれやれ、あの二人の周囲には『落ち着き』ってものが皆無だね」
「プルルス、それは?」
「槍さ。今は銛(もり)と言った方がいいかな」

 プルルスは赤黒い三メートルほどの長さの銛を手にしていた。
 血界術を駆使し、一瞬で作ったのだ。
 彼は瞳を一層紅く輝かせ、湖の中に目を凝らす。

「ディアッチ、今日は武器を持ってないからね。水中だと不利だ」
「不利?」
「ちらっと見えたのは、かなり大きな生物だった。さしずめ白魚の滝の白魚ってところかな。戦うなら外に引きずり出した方がいい――そこだ」

 彼が綺麗なフォームで銛を投げた。
 それは途方もない速度で水中に音もなく飛び込んだ。

「シャロン、僕の血の気配を捕まえて」
「承知しました」

 赤髪のシャロンが湖の水面に踏み出した。
 彼女の足下に水で凝縮した足場が次々と現れた。あっという間に湖の中央までたどり着くと、上品に水面に手をついた。
 すると、湖面に渦が巻き始めた。
 シャロンが同時に眉を寄せた。

「かなり……強いモンスターのようです」
「ディアッチもウーバが捕まっている以上、戦場は陸で、と思っているだろ」
「そのようです。引き揚げます」
「急いで」

 プルルスは淡々と指示を出す。
 呆けるように見ていた私に、彼がにやっと口端を曲げた。

「シャロンとディアッチのタッグで、できないわけがない。主様は見ていてほしい。僕らも、なかなかやるってところをね」

 と、その時だ。
 水面が大きく盛り上がる。シャロンがそれに押し上げられるように空を舞い、私たちの近くへと着地した。
 遅れて、湖面が割れ、巨大な白いモンスターの姿が見えた。

「ぉぉぉおおおおおっ!」

 ディアッチが咆哮と共に、湖畔へ放り投げる。
 彼の片腕には気を失っているウーバが抱きかかえられている。
 モンスターはウナギのような外観だった。体長はゆうにディアッチの倍を超えている。
 陸でも動けるのか、蛇のように体をくねらせると、辺りの木々が吹き飛んでいった。

「これが、白魚か。初めてみたよ。大きいね」
「湖の底にいたのでしょうね」

 飄々と話すプルルスとシャロンの元に、ディアッチがゆっくりと歩いてきた。
 彼は膝を折り、優しくウーバを地面に寝かせる。
 その瞳は悲し気に濡れていた。

「我が隣にいて、このような失態を犯すとは」
「君のせいじゃないよ、ディアッチ」
「いえ、我は少々、心が浮ついていたのです。そのせいで、もう少しで……ウーバを失うところでした」

 思いつめたように言うディアッチに、プルルスが肩をすくめて見せた。

「違う。ウーバは君が守らないといけないほど弱くない。隙があったと言うなら、ウーバ自身だ」
「それは……」
「君たち二人は同格だ。それにウーバはちゃんと生きている。彼女は強いしね。今、君がやらないといけないことは――後悔かい?」

 ディアッチの瞳に力が入った。
 プルルスが「必要なら僕や主さまも加勢するけど」と笑う。

「無用です。我、一人で」

 ディアッチはそう言って、両の拳をがんがんと音を立ててぶつけた。
 私の方を見て、申し訳なさそうに軽く会釈した。

「主も、手出し無用ですゆえ」
「うん……がんばれ」

 ディアッチはくるりと背を向けて白魚の巨体と対面する。
 恐れも、怯えも、何もない。
 彼の背中はとても大きかった。どしんと一歩踏み出す。
 と、意識を失っているウーバが――

「そういうのが、かっこいいの――」

 ぽつりと囁くように言った。夢でも見ているのだろう。
 聞こえたのか、聞こえていないのか。
 その後のディアッチの戦いは鬼神のようだった。
 力、経験、後押し――すべての力を存分に振るう彼は、確かにウーバが言う通り、とても格好良かった。
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