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第八話 後始末

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「ヘンディさん、大丈夫ですか? しっかりしてください」

 捕らえられていた縄を切り、全員を戒めから解放する。ゆっくり自制心が戻ってきているのだろう。
 目に光が戻りつつある。
 探闘者たちが回復する中、クラスメイトはまだ当分かかりそうだ。
 赤リンゴの幻惑効果は、体内のマナの量に左右されるのだろうか。
 僕も本当に触らなくて良かった。

「やったぜ! このリンゴは俺のもんだ!」
「ラールセン、独り占めは許さない!」

 軽快な動きで木登りして緑のリンゴを収穫しにいったラールセン。
 お坊ちゃんかと思っていたけど、意外とやんちゃ系かもしれない。
 そして、それに非難の目を向ける、ミツとチルルの二人。あの取り巻きの女子がラールセンにあんな顔を見せるなんて。普段は絶対に見られない光景だ。
 この記憶がお互いに残らないといいな、と心から思う。
 一方、ターニャは――
 ぼけーっとそんな三人の様子を見上げている。しゃべらず、動かず。相変わらず何を考えているのか掴みにくい。
 縛った賊はふてくされたように転がっているし、みんなを放置していくわけにもいかない。
 さて、どうしよう。
 悩んでいると、とうとうヘンディが復活したようだ。
 樹の上に嬉々として登るラールセンをちらりと見やり、片手を顔に当てて、ため息をついてから、こめかみをもみほぐす。
 僕に素早く頭を下げた。

「事情は把握しました。なんとも情けないことだ……ウインドさん、申し訳ない。助けてくださって、本当にありがとうございます」

 僕は肩をつかんで彼の深く下がった頭を上げた。
 元はと言えば、ターニャと話をしていた僕のせいでもある。

「構いません。元々、予想外の危地に備えて僕がいたのですから」
「ですが……結局、賊の捕縛まで一人で……あそこに転がっているガイルの強さは、よく知っています。ウインドさんにかかると武器破壊まで難なくこなされたようですが……」

 ヘンディが、破片となったガイルの武器を眺める。
 時間をかけて体に慣らす武器を壊すことは簡単じゃない。それは僕もよく知っている。
 だから彼は驚いているのだ。

「ウインドの名は伊達じゃないので」

 大事なところをすべてぼやかしてほほ笑んだ。
 同じマナを流した武器で、ぶつけ合って壊れることはまずない。それで壊れる場合は、マナの総量にすさまじい差がある場合だ。
 でも、魔力由来の武器は、マナ由来の武器をなぜか壊しやすいのだ。
 ただ、『魔力』と『マナ』の違いを、使っている自分がわかってないから説明もできない。

「お兄ちゃん、ほら、終わったから手続きして」
「うん……」

 僕のローブの裾を小さい手がくいくい引っ張っている。ダンジョン管理者のリンゴナだ。
 真っ赤なワンピースに茶髪を揺らす五歳児は、幸せそうに笑う。
 僕はクラスメイトの身の安全のために、賊の能力を洗いざらいリンゴナから聞いていた。
 対価はこのダンジョンの副管理者になること。
 どうも手続きがあるらしい。

「ウインドさん……その子は? まさかダンジョンの支配者……」
「その呼び方やめて」

 覗き込んだヘンディから身を隠すようにして、リンゴナが僕の影に隠れた。べーっと舌を出している。
 ヘンディが納得顔で何度もうなずいた。

「主からは、何度か聞いていますが、本当にいらっしゃるんですね。これはいい経験になった。だが、どうやら私は嫌われてるようだ」

 快活に笑って頭をかいたヘンディは、「では、そちらはお任せします」と言って、顔をぱんぱんと両手でたたいた。
 気持ちを切り替えているのだろう。
 ヘンディが僕に背を向けて、樹上を見上げた。

「坊ちゃん、いい加減降りてきてください」

 手あたり次第に緑のリンゴをもぎとっていたラールセンの顔が不愉快そうに変わった。

「ヘンディ、坊ちゃんはやめろと言っただろ」
「失礼しました。で、まだ降りてこられないのですか? あまり独り占めなさると、ご学友の手前……あとあと良いことになりませんよ」
「俺が降りたら、他のやつらにとられるだろ」
「私たちは断じてラールセン様のものを奪うようなことはありません。ですから、どうぞその辺りで……」

 ヘンディに続いて、他の探闘者たちも口々に似たことを言い出した。
 力づくで下ろそうと思えばできるだろうに。
 僕は静かにしゃがみこみ、こっそりリンゴナに耳打ちする。

「もしかして、この幻惑中の記憶って残るの?」
「もちろん。記憶が飛ぶようなことはないよ」
「そ……そうなんだ……色々大変だな……」

 完全に我に返ったときのラールセンの立場が色々と心配になる。

「お兄ちゃん、もういい? 私との約束を」
「あっ、うん……何すればいいの?」
「そこから、飛び降りて」
「……え?」


 ***


 リンゴナが指さすのは、オアシスの隣を悠々と流れる川だ。さらにその奥は切り立った崖になっていて、大量の水が轟々と落下している。
 つまり巨大な滝だ。
 最下層まで千メートル級。目もくらむような高度。
 今まで歩いてきた場所がこんな高地にあるとは思ってもいなかった。
 僕の足が独りでに後ずさる。

「リンゴフォールって言うの。すごい景色でしょ? ここって高すぎるから、下に滝つぼがないんだよ。落ちる水はぜーんぶ途中で霧になるから」
「そ……そうなんだ。ちょっと……いらない豆知識だね」
「ん?」

 お尻から背中がぞわぞわしっぱなしで落ち着かない。
 いや、ちょっと待て。

「……リンゴナ、さっき飛び降りろって言わなかった?」
「言ったよ?」
「……どうして、飛び降りるの?」
「だって、この滝の途中にリンゴダンジョンの最奥の扉があるんだもん。落ちるうちに入れる、って感じ」

 僕ののどの奥で、声がひっくり返る音がした。
 冷や汗がだくだくとこめかみを流れ始める。自慢じゃないけど、僕は高いところは苦手な方だ。
 リンゴナが楽しそうにそばに落ちていた木の棒で、がりがりと崖っぷちに二本の線を引いた。
 幅は大人が寝ころべるくらい。二メートルほどだ。

「ちょうど、ここの間で落ちてね。じゃないと扉の範囲から外れて――」

 リンゴナがそうっと視線を明後日の方向に向けた。
 その先は言わなくてもわかるよね、と。
 ハードルが上がりすぎでしょ。僕の心臓が早鐘のように脈打つ。と、突然背後からかかった声に、体を硬直させた。
 やってきたのはヘンディと、苦虫をつぶしたような顔のラールセンだった。後ろには取り巻き二人に代わってターニャがいる。全員、正気に戻ったのだろう。
 顔は合わせづらいだろうけど。

「ウインドさん、どうかなさったのですか? あっちは賊の連行の準備が整いました。ウインドさんは……ここで何を?」
「あ、あー、それがですね……」
「賊よ」

 理由に迷った僕を制するように、リンゴナが険しい顔で口を挟む。

「滝の下にも賊の隠れ家があるの」
「そうなんですか!? この真下に?」
「そうなの。だから……ハル、じゃなくて、ウインドに確認を頼んだの」

 今、リンゴナが危うくハルマって言いかけたぞ。
 そこは細心の注意を払ってほしい。ラールセンもいて本当に色んな意味で危険なんだ。
 ヘンディが、恐る恐る下を覗きこみ、顔を引きつらせる。

「ちょっと、この長さのロープはないですね」
「ウインドはローブいらないって。ね?」

 リンゴナが僕にぱちっとウインクを飛ばす。
 尊敬のまなざしと、確かにウインドさんなら、とうなずくヘンディ。
 そして、「ほんとに、ここから飛び降りるのかよ」と信じられないものを見る目でおののくラールセン。ぼそりと「どこまでかっこいいんだ」と、意味のわからない言葉が聞こえたのは気のせいだろう。
 ターニャは相変わらず無表情だ。
 僕はすうっと息を吸い――

「この程度なら容易い。君たちは賊を連れて先に戻ってくれ」

 と、あとに引けない言葉を目いっぱいクールに決めて、崖っぷちに足をかけた。
 ほんと大丈夫だろうか。落下中って角度変わらない?
 扉が開かなかったとかない? それらしい扉は見えないんだけど。
 
「では……行ってくる」

 リンゴナが書いた二本の線を素早く確認する。
 大丈夫。間違いなくここが中央だ。
 そして、僕は目をつむって崖から飛び降りた。
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