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ついてないけど?
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自分の部屋で、ユイはペン太とずっと話をした。
とても楽しかった。
図書界の深い深い底には海のようなものがあるという。本棚は海をものともせず突き立っているらしい。
オアシスのあった場所より下に進んだ場所が下層と呼ばれ、それより下は深層と呼ぶらしい。下に進むほど、だんだんと話ができない生き物が現れ、自分の縄張りを見回る攻撃的な生き物が増えるそうだ。
ペン太は、この深層に一度だけ潜ったことがあった。
「これが、その時の勲章」
ペン太がリュックから道具を取りだした。竜のかぎづめのようなフックが二本ついた、金色のロープだ。
ユイがベッドの上で体を起こし、興味津々で見つめる。
くねくねと今にも動き出しそうだ。
「ほんとにクジラのものなの?」
「そうさ。図書クジラのひげ――勇気ある探索者にだけ与えてくれるんだ。こいつはすごくてね、あの深さの海で会話できる生き物に会うことがそもそも奇跡なんだけど、図書クジラのひげは、切れても意思を持っているんだ」
ペン太は思い出すように目を細め、「ぼくに巻きつけ」と命令した。
瞬く間に、ペン太が縛られた。
「ほどけ」
今度は、ぱっと離れた。自由自在のようだ。
ユイは「すごい」とぽつりとつぶやいた。
ペン太が胸を張る。
「伸び縮みもすごくてね。とても使いやすいんだ」
「あっ、それ使って、ドラゴンを縛るっていうのはどう? ――痛っ」
勢い余って、ベッドから落っこちたユイを、ペン太が苦笑して見つめる。
うなぎのようにうねうねと縮むクジラのひげを撫でながら言う。
「便利なんだけど、弱点もあるんだ」
「あいたた……弱点?」
「あんまり重いものは引っ張れないし、力の強い生き物を拘束するのは無理なんだよ。それに――海に住むクジラだけあって、火に弱い。ドラゴンがもし火を吹くならお手上げさ」
「そういえば、本の中では火を吹いてた……」
「なら、なおさらダメだ」
「そっかあ……いい案だと思ったんだけどなあ」
ユイが思案気に腕組みをして、ベッドに戻った。
ちょうどその時だ。階段下から、お母さんがユイを呼ぶ声が聞こえた。ユイはベッドから身軽に降りて「なにー?」と返事をする。
「お風呂入っちゃいなさいって」
「はーい」
ユイは何げなく返事をし、ふとペン太のリュックに目をとめた。
「そういえば……ペン太ってどうやってお風呂入る? 一人で入れる?」
「お風呂? 別に入らなくていいよ。図書界では、めったに入らないんだ」
ペン太が事も無げに言う。ユイの顔が静かに引きつった。
「……もしかして、何日も入ってない?」
「うん」
首を縦に振ったペン太にユイは無言で近づいた。「え? え?」と戸惑うペン太のリュックを強引に下ろさせた。かわいいペンギンのイラストが見える。
銀色のバッジがフローリングの床に当たって、カンと金属音を立てた。
「私があとで洗ってあげる」
「え? えぇぇ!? いいよ、いいよっ!」
「良くない! たまには体ぐらい洗って!」
ユイが眉を寄せて言う。
ペン太が返事に困って、両手をばたつかせた。
「で、でも、ぼくは人間に見えてるはずだ! ユイが洗うと――」
「わかってる! だから、もしもの時のためにリュックを下ろしたんじゃない。お母さんと広樹が寝てから、行こう」
ユイはこれしかないという顔で深くうなずいた。
けれど、ペン太の慌てぶりはますますひどくなった。「ほんとに大丈夫だから」と両手を前につきだして、ぶんぶんと首を左右に振って拒否する。
目はあさっての方を向き、黄色いくちばしには汗が浮いている。
怖がっている?
ユイは直感的にそう思い、冷めきった口調で言った。
「もしかして……水が怖い、とか?」
「ば、ば、バカなこと言うなよ。図書ペンギン司書をめざすぼくが、水とかお湯が怖いわけないだろ!? 顔にかかったって、へっちゃらさ! 頭がつかるくらいの深さの水が怖いなんてことはぜんぜん、これっぽっちもないぞ!」
ペン太がぎゅっと目をつむって、早口でまくし立てた。
ユイがジト目で見つめる。
「へえ……」
「なんだ……その目は……ぼ、ぼくはほんとに……」
ペン太がくるりと背中を向けた。
そして――
「お姉ちゃん、ぼくのおりがみの本、持ってってない?」
ノックもなく、ばたんと開け放たれた部屋の扉の向こうに、少し怒り顔の広樹が立っていた。
ユイとペン太は、無言でバッジを目で探し――
足下に落ちていることに気づいた。
とても楽しかった。
図書界の深い深い底には海のようなものがあるという。本棚は海をものともせず突き立っているらしい。
オアシスのあった場所より下に進んだ場所が下層と呼ばれ、それより下は深層と呼ぶらしい。下に進むほど、だんだんと話ができない生き物が現れ、自分の縄張りを見回る攻撃的な生き物が増えるそうだ。
ペン太は、この深層に一度だけ潜ったことがあった。
「これが、その時の勲章」
ペン太がリュックから道具を取りだした。竜のかぎづめのようなフックが二本ついた、金色のロープだ。
ユイがベッドの上で体を起こし、興味津々で見つめる。
くねくねと今にも動き出しそうだ。
「ほんとにクジラのものなの?」
「そうさ。図書クジラのひげ――勇気ある探索者にだけ与えてくれるんだ。こいつはすごくてね、あの深さの海で会話できる生き物に会うことがそもそも奇跡なんだけど、図書クジラのひげは、切れても意思を持っているんだ」
ペン太は思い出すように目を細め、「ぼくに巻きつけ」と命令した。
瞬く間に、ペン太が縛られた。
「ほどけ」
今度は、ぱっと離れた。自由自在のようだ。
ユイは「すごい」とぽつりとつぶやいた。
ペン太が胸を張る。
「伸び縮みもすごくてね。とても使いやすいんだ」
「あっ、それ使って、ドラゴンを縛るっていうのはどう? ――痛っ」
勢い余って、ベッドから落っこちたユイを、ペン太が苦笑して見つめる。
うなぎのようにうねうねと縮むクジラのひげを撫でながら言う。
「便利なんだけど、弱点もあるんだ」
「あいたた……弱点?」
「あんまり重いものは引っ張れないし、力の強い生き物を拘束するのは無理なんだよ。それに――海に住むクジラだけあって、火に弱い。ドラゴンがもし火を吹くならお手上げさ」
「そういえば、本の中では火を吹いてた……」
「なら、なおさらダメだ」
「そっかあ……いい案だと思ったんだけどなあ」
ユイが思案気に腕組みをして、ベッドに戻った。
ちょうどその時だ。階段下から、お母さんがユイを呼ぶ声が聞こえた。ユイはベッドから身軽に降りて「なにー?」と返事をする。
「お風呂入っちゃいなさいって」
「はーい」
ユイは何げなく返事をし、ふとペン太のリュックに目をとめた。
「そういえば……ペン太ってどうやってお風呂入る? 一人で入れる?」
「お風呂? 別に入らなくていいよ。図書界では、めったに入らないんだ」
ペン太が事も無げに言う。ユイの顔が静かに引きつった。
「……もしかして、何日も入ってない?」
「うん」
首を縦に振ったペン太にユイは無言で近づいた。「え? え?」と戸惑うペン太のリュックを強引に下ろさせた。かわいいペンギンのイラストが見える。
銀色のバッジがフローリングの床に当たって、カンと金属音を立てた。
「私があとで洗ってあげる」
「え? えぇぇ!? いいよ、いいよっ!」
「良くない! たまには体ぐらい洗って!」
ユイが眉を寄せて言う。
ペン太が返事に困って、両手をばたつかせた。
「で、でも、ぼくは人間に見えてるはずだ! ユイが洗うと――」
「わかってる! だから、もしもの時のためにリュックを下ろしたんじゃない。お母さんと広樹が寝てから、行こう」
ユイはこれしかないという顔で深くうなずいた。
けれど、ペン太の慌てぶりはますますひどくなった。「ほんとに大丈夫だから」と両手を前につきだして、ぶんぶんと首を左右に振って拒否する。
目はあさっての方を向き、黄色いくちばしには汗が浮いている。
怖がっている?
ユイは直感的にそう思い、冷めきった口調で言った。
「もしかして……水が怖い、とか?」
「ば、ば、バカなこと言うなよ。図書ペンギン司書をめざすぼくが、水とかお湯が怖いわけないだろ!? 顔にかかったって、へっちゃらさ! 頭がつかるくらいの深さの水が怖いなんてことはぜんぜん、これっぽっちもないぞ!」
ペン太がぎゅっと目をつむって、早口でまくし立てた。
ユイがジト目で見つめる。
「へえ……」
「なんだ……その目は……ぼ、ぼくはほんとに……」
ペン太がくるりと背中を向けた。
そして――
「お姉ちゃん、ぼくのおりがみの本、持ってってない?」
ノックもなく、ばたんと開け放たれた部屋の扉の向こうに、少し怒り顔の広樹が立っていた。
ユイとペン太は、無言でバッジを目で探し――
足下に落ちていることに気づいた。
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